第21話「名も無き夜に」

 訪れた宵闇よいやみは、サーチライトの中に巨艦きょかんを浮かび上がらせる。

 今、特務艦とくむかんヴァルハラは首輪で繋がれた猟犬りょうけんにも等しい。そして、周囲には野蛮な狩猟時代に忌避きひの感情を叫ぶ市民たちがいる。彼らのために害獣がいじゅうを狩り、平和な食卓に肉を並べるのが猟犬の仕事……その真実を知る者など、いない。

 闇夜でなおも声を張り上げる市民団体たちに、ユアンは甲板上から溜息をこぼした。


「我々メルドリン市民はー、断固抗議するー!」

「平和になった世界に、軍隊はいらない! 即刻出てゆけーっ!」

「今日のテロとの関係性を明らかにしろーっ! 情報統制反対!」

「我々はすでに、極秘任務とやらで動く軍国主義者の存在を確認しているーっ!」


 左舷の飛行甲板にいたユアンは、岸壁の眩しい光に背を向ける。

 彼らもまた、守るべき者の一部だ。

 あのムツミならきっと、笑顔で言ってのけるだろう。

 自分たちを糾弾きゅうだんする者さえも、その糾弾が間違いだったと気付かぬうちに救いたいと。共に同じふねで過ごして日も浅いのに、何故かユアンはそんな気がした。

 戦争のための究極の兵士として造られながらも、ムツミは優しく芯が強い。

 誰がどう言おうと、エインヘリアル旅団の仲間と共に戦う覚悟がある。

 戦争の終わった今だからこそ、戦争が戦争として再び始まる前に……全てを叩いて潰す。

 ユアンたちだけが知る世界の敵と、戦い続ける。


「……まったく、とんだお人好しだな。それは今、俺も一緒か」


 ユアンは人員用のエレベーターで格納庫へと降りる。

 まだまだ艦載機かんさいきが少ない艦内では、自分の愛機が人だかりに囲まれて待っていた。作業班は早速、届いたパーツを使ってユアンの"レプンカムイ"を整備していた。

 全てのメンテハッチを開いたあかい翼は、無数のコードやケーブルに繋がれている。

 ようやく己の半身が、行き届いた整備を受けられるのだ。

 だが、ユアンは素直に喜ぶ気になれない。

 ただ、自分が再び飛ぶためにはやはり、相棒にして半身、己だけの翼が必要だった。

 近付くユアンに一人の少年が振り返り、作業員たちに指示を出して駆け寄ってくる。


「よ、ユアン! 大変だったなあ、オイラも聞いたぜ? ……なにやらかしたんだ」

「フッ、まったくあきれる話さ。なにをやってんだろうな、俺は」

「なにって、パイロットだろ? なんかブリッジの方は騒がしいみたいだけどさ」

「……ニック、なにも聞いてないのか?」


 ニックは興味なさそうに首を横に振る。

 そして、汚れた手で構わず自分の髪の毛をバリボリといた。


「なにがあったか知らねえけどさ、ユアン。オイラはこの補給でやっとこさパーツがアレコレ手に入ったんだ。"シャドウシャーク"の改修だって突貫工事だったんだぜ? エンジンにも手を入れて、ちょいとオーバーチューン仕様だ」

「ああ、カナード翼を追加してたな。安定性がぐっと増したように感じた」

「だろ? 図面は前からできてたのさ。んで、次はユアン、あんたの"レプンカムイ"って訳」

「……すまんな。何か俺にできることはあるか?」

「さぁ? パイロットは休むのも仕事だろ? あと、その辛気臭い顔はやめてくれよな、"吸血騎士ドラクル"! ちょいとしたあこがれだってあるから、適度に責任持っておくれよ」

「わ、わかった。なんか、すまん」


 ヘヘヘ、とニックは白い歯を見せて笑う。こんな小さな子供がと思うが、整備の腕は信用している。なにより、この艦では身を寄せ合って小さくなるしかない男の仲間だ。そのニックに言われて、少しユアンも気持ちが楽になる。

 彼には艦載機の整備と改良、それだけしかないのだ。

 そのことに全力投球で、他の些末さまつなことは頭に入ってこないらしい。

 そういう人間だからこそ、若輩ながら整備員を束ねて仕切っているのかもしれない。

 ニックは二、三の確認をしてユアンをうなずかせると、また作業に戻ってしまった。

 女たちに囲まれた"レプンカムイ"は、しばらく信じて預けるしかない。

 それに、もう一つユアンは目的があってこの格納庫に来ていた。

 目当ての人物が見つかって、隅の方へとユアンは歩き出す。


「イーニィ・エルバンデス少尉。よかった、誰かがつかまればと思っていたんだが……少尉?」


 格納庫の端で振り向いたのは、小さな小さな少女だ。紅茶色ダージリンの髪をポニーテールに結って、愛らしい表情は少し日に焼けている。年の頃はニックよりさらに若くて、幼い程に見える。

 だが、イーニィもまた一級線のパイロット、ラーズグリーズ小隊のメンバーだ。

 ユアンは彼女がじっと見ていた機体が気になり、横に並ぶ。

 少し緊張感のある顔をしていたが、すぐにイーニィは笑顔を向けてくれた。


「自分のことはイーニィでいいですから。その代わり」

「わかった、俺のこともユアンと呼んでくれ。いいかな?」

「勿論です! ユアン」


 まだまだ子供だと思い知らされる笑顔だった。

 何故、こんなところに子供がいるのだろう。

 だが、彼女は「あーっ!」と頬をふくらませてた。


「ユアンは今、自分のことを子供だと思いましたね?」

「あ、いや……まない。でも……事実だ」

「……そーですけどぉ! 自分はこう見えても、正規の訓練を受けたパイロットです! そりゃ、ナリア隊長やラステルさんには全くかないませんけど。今日も、危なかったですけど……ラステルさんを餌にするなんて、怖い飛び方です」

「でも、お前は今日も生き残った。それが全てさ……悪かったな」


 そうは言いつつ、ついポンとイーニィの頭をでてしまった。彼女は唇をとがらせて抗議の視線を送ってきたが、ユアンが気付いて手を放すと笑った。

 そして、再び目の機体に視線を戻す。

 ユアンの前にも今、灰色のシートを被った戦闘機が置かれていた。機種はわからない……だが、わずかに見える主翼はだ。それも未塗装で、ジェラルミン色の鈍い輝きが照明を反射させている。


「イーニィ、この機体は?」

「午後の補給で運び込まれたんですけど……その、どうやら未完成のようです」

「と、言うと」

「エンジンがないんです。それに、各種アビオニクスもまだ」

「どうしてまた、そんな機体がここに。どこの国だ? 全く」

八洲やしまです。八洲皇国やしまこうこく荒神重工あらがみじゅうこう製……」

「ふむ、荒神重工。じゃあ、八◯ハチマル式か? 八◯式咎鰐とがわに、あれはベストセラー機で派生型バリエーションも多いが。……ふむ、違うな。他に思い当たる機種は」


 八洲皇国は東洋の小さな島国で、あのムツミが出身だと言っていた。彼女なりに、自分の人間としての素性や略歴をそこに置いているのだろう。ムツミという名も、強化被験体No.エンシェント・ナンバー623をもじったものである。

 そして、八洲皇国は協約軍に名を連ねる国でもあった。

 必定、多くの兵器が生み出されていたが、目の前の機体はユアンの記憶にない。

 だが、名前を思い出せなくて当然だったのだ。

 イーニィが言うには、


無式むしき……資料には無式とだけありました」

「ノーナンバーということか?」

「はい。実験機な上に中途半端な未完成品で、名前すらありません。恐らく、ていのいいお払い箱というか……形ばかりは援助して機体を供出きょうしゅつしたことにしたいんだと思います」

「なるほど、エインヘリアル旅団に手を貸しましたよと、既成事実きせいじじつだけ残したい口か」

「多分、ですけどね」


 ――その名は、無式。

 名前ですらない、ブランク……名無ななしだ。

 正規の開発ナンバーすらなく、飛べる状態まで造られずに終戦を迎えたのだろう。だが、それでも書類上は八洲皇国からエインヘリアル旅団に提供された機体には違いない。

 見詰めるイーニィは、小さく「かわいそう、ですよね」とつぶやいた。

 その点に関しては、ユアンも全面的に同意である。


「空を知らぬ翼か……だが、逆に幸せかもしれない。戦いしかない空は、どんな翼だって息苦しくて狭いだろうから」

「……驚きました。ユアンさんはそういうこと言う人だったんですね」

「大人をからかうな。ただ……この艦に運び込まれた以上は、敵と戦う武器で、運用を前提とされた兵器だ。だが、未完成ならばそうはならないだろう。それもいいさ」

「ニックさんはバリバリ手を入れるつもりみたいですけど。一応、荒神重工から図面ももらってるらしく……あとはまあ、エンジンですね。あ! それより、ユアンさん」


 不意にイーニィに言われて、ユアンも思い出した。

 ラーズグリーズ小隊の三人娘に用があって、誰でもいいからつかまえたかったのだ。

 それは、ユアンのラーズグリーズ小隊としての最初のフライトになるだろう。

 同時に、自分のために傷付き血を流したムツミに、少しでも報いたいという思いから出た作戦だった。そう、作戦……ユアンには、このいびつな息苦しさを打開する策があった。策と言う程のものではないが、他にやれることも少ない。

 今のユアンにできること、それは全力で飛ぶことだ。


「フライトプランの提案がある……イーニィの意見を聞かせてくれ」


 そしてユアンは、思いつく限りの打開策の中から、りすぐりのアイディアを披露する。自信はない。だが、他に思いつかないのだ。飛ぶことでしか自身を表現できず、それは常に戦いの空だった。そんな男が選べるのは、やはり己の翼で飛ぶことである。

 一通り説明を聞いたイーニィは、形良いおとがいに手を当て考え込む。


「んー、どうでしょう。ただ、自分はやってみたいとは思います。艦長、は今は負傷中ですし、副長に掛け合ってみてはどうでしょう。……少なくとも、後ろのお二人は自分と同じ意見だと思います!」


 イーニィの元気な声で、ユアンは背後へと振り返る。

 そこにはもう、仲間たちの不敵な笑みがあった。


「クソはクソなりに考えてるじゃねえか! ……いいぜ、乗ってやる。昼間手前ぇには助けられたからな。あの真っ白クソ野郎に張り付かれて、死ぬかと思ったからよ」

「副長にはわたくしが話しておきましょう。たまにはこういうの、悪くないですね……フフフ。少し、楽しみです」


 話はにわかに決まって動き出した。

 生憎とユアンの"レプンカムイ"は整備中だが、代替機だいたいきの"シャドウシャーク"がある。カナード翼を追加した仕様には初めて乗るが、元から興味があったので丁度いい。

 こうして、ユアンはヴァルキリー4のコールサインを受け取った。

 ラーズグリーズ小隊の三人娘、その全員の信任と共に。

 今、一発の弾丸も必要としない戦いが始まろうとしていた。

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