最終話「幸せの形は星の数」

 その姿は歳を取らなくなっていた。

 今まで老いることなく、衰えを知らない。

 そして、人間としての機能が十全じゅうぜんに備わっている。

 ヴィルはそっと、妹の姿が眠るベッドへと近付く。

 自分にとって、誰よりもいとしい存在だ。


「お寝坊ねぼうさんだね。そろそろ起きて、朝食なんてどうだい? 今日は僕が作るよ」


 ヴィルがそっと、そのほおに触れる。

 柔らかな感触には、確かな温かさがあった。

 本当に生身の女の子、少女の肉体だ。

 今となってはなつかしい、その姿。


「おとぎ話みたいに、目覚めのキスが必要かい? ……それも、いいけどね」


 ヴィルは自分に浮かぶおだやかな表情を知らない。

 だが、今が多幸感たこうかんに満ちた時間だということは知っている。

 これから一緒に、愛を語らい、形にしていこう。

 全ては終わった、片付いたのだから。

 家族で仲良く……そこにもう、法と倫理りんりの介在する余地はない。あらゆる試練を乗り越えたから、必要ならばヴィルは全世界だって敵に回せる。

 そう、全世界を救った少女のことを知っているから。


「さ、起きて……じゃないと、本当にキスしてしまいそうだ。ねえ……


 呼びかけに少女が「んっ」と鼻を鳴らす。

 そして、長い睫毛まつげを揺らして、宝石箱ほうせきばこのようにまぶたが開いた。

 そこには、以前と変わらぬ美貌びぼう可憐かれんかがやきを放っている。

 ヴィルは自分を見詰めてまばたきする少女に、優しく微笑ほほえみかける。


「おはよう、ティア」

「……おはようございます。ヴィル、様?」

「ああ、そうだよ。もっとも、最後に君と愛し合ってから随分つけどね」

「……どうして、わたしは、ここに。まあ! こ、この身体は」


 上体を起こしたティアは、自分の白く小さな手を見て驚く。そして、自分の顔をペタペタと触って震え出した。

 そう、以前と変わらぬように見えて、少し違う。

 ヴィルは彼女の全てを知っている。

 そっくりだから……妹と。

 ティアが肉体をくれた、リーラと。


「わ、わたしは……あのっ! ヴィル様! リーラ様はご無事でしょうか!」

「っと、声が大きいよ、ティア」

「す、すみません。でも、どうして。どうやって」

「リーラは無事も無事、元気に暮らしてるよ。僕と一緒に。君がくれた身体でね」


 ティアは不思議そうに目をしばたかせる。

 彼女は多分、きつねにつままれたように感じているだろう。竜宮城から帰ってきた男のおとぎ話を読んだことがあるが、彼女が今まさにそんな状態なのだ。

 だから、その手を取って、手を重ねる。


「ティア、改めてお礼を言わせてほしい。全人類を代表して、なんて大げさだけど……地球を救ってくれて、ありがとう」

「い、いえっ! わたしはもともと、そのために」

「それと、リーラのためにありがとう。君の残してくれた身体で、リーラはいつも元気だよ。二人で、いろんな場所にいった。もう、彼女をしばるものはなにもない。そして」


 そっとベッドからティアを抱き起こす。

 そして、その温もりを姫君ひめぎみのように抱き上げた。


「そして、君もそう。もう、ボンド・ケーブルのいらない君だよ」

「ヴィル様……あの、この肉体は」

「君から身体をもらったリーラがね、取っておいてくれたんだ」

「で、では、まさか!」


 そう、今のティアが入っているのは十代の少女のもの。

 

 病魔にさいなまれ、手術も治療も不可能だった病弱な身体だったのだ。あの日、リーラがその過去を脱ぎ捨てるまで。

 新たな肉体を得たリーラは、目覚めて最初にヴィルへと強請ねだった。

 それが、ティアが帰ってくる場所を作ること。

 リーラが帰ってきた時に、彼女を受け入れるうつわが必要だった。


「リーラは手術に耐えれず死んでしまう、それほどまでに弱っていた。それは知ってるね?」

「は、はい」

「逆転の発想さ。死んだも同然の肉体なら、どれだけ手術をしても大丈夫だ」

「そ、それでは」

「そう、君の身体にリーラが移ったあと、リーラの肉体を治療して保存しておいたんだ。勿論もちろん、局所的に義体化ぎたいかが必要だったし、頭の中は電脳化でんのうかされてる」


 あの日、長き旅路たびじの果てにヴィルとリーラは見付け出した。

 人知れず地球を救い、誰にも知られず土に帰ろうとしてたティアを。その巨体から、リウスの手伝いもあって、全情報を抜き出し保存することに成功した。

 予想通り、ティアの本体はあの恐るべき破壊兵器、自律型の巨大ロボットなのだ。

 そうだったと、今は過去形で語らねばならない。


「さて、行こうか。リーラ! ティアが起きたぞ、君もそろそろ起きなきゃ」

「あの、ヴィル様」

「リーラは相変わらず寝坊がひどい。でも、随分変わったよ? 健康な身体を得て、走って歌って、笑って暮らしてる」

「それは……よかったです。それが、わたしの望みでしたから」


 屋敷の廊下へと部屋を出れば、すぐにリーラがネグリジェ姿で現れた。

 そのお腹が大きく膨らんでいて、ヴィルの腕の中でティアがおどろく。


「リーラ様、お久しぶりです……あ、あの」

「おはよ、ティア。そして、おかえり。身体、とりかえっこだね? 本当に、ありがとう。ティアのお陰であたし、幸せだよ? ……もうすぐ、お兄ちゃんの子供のママになるの」

「……先を、越されましたね。でも、おめでとうございます。ヴィル様も」

「ティアもワンチャンあるよっ! ね、お兄ちゃんっ!」


 今のリーラは、妹の人格を持った第三世代型ロボットだ。人間の機能を有し、食事でカロリーをエネルギーへ変える身体である。人間を超越ちょうえつした能力を持ち、人間そのものを完全に再現されたロボットなのだ。

 あやまちをおかしたとは思わない。

 兄と妹をやめてから、子供を授かるのは自然だとずっと思っていたから。

 そして、ティアをヴィルは静かに彼女を下ろす。


「さ、立てるかい?」

「は、はい……でも、少しあし強張こわばって」

「僕につかまって」

「……はい、ヴィル様」


 血液の循環や栄養の摂取等、厳格に管理されてきたリーラの昔の身体。電気パルスによる筋肉の刺激で、筋力低下も最小限に抑えられたはずだ。

 だが、本当の精神と人格が送る電気信号は久しぶりである。

 震えてよろけるティアを、ヴィルはそっと肩を抱いて支えた。


「少し、リハビリが必要かもね。これからゆっくり進めていこう。ね、ティア」

「は、はい。でも」

「みんな、君を待ってたんだ。僕もリーラも、勿論リウスも」


 リーラも満面の笑みでうなずく。

 彼女はもう、以前ティアが使っていた身体で、歳を取らない。

 だが、妊娠九ヶ月のお腹へ手を当てる彼女は、以前にはなかった母性に満ちあふれていた。


「ねえ、ティア。あたしは身重みおもだし、とても仕事のできるメイドを探してるの」

「そんな、リーラ様。わたしなんかがいては」

やとう条件は、炊事洗濯家事育児すいじせんたくかじいくじ……あと、大工仕事だいくしごともできると便利かな? お兄ちゃん、ぶきっちょだから。そして、お兄ちゃんを愛してくれる人」


 そう言ってリーラは、そっとティアの手を取る。

 同じ顔が並んでも、ヴィルには二人は全くの別人に見えた。

 そして、そんな二人がこれから守るべき家族だ。


「ね、ティア……ほら、お腹に触ってみて」

「は、はい……これが、わたしの身体だった……リーラ様と、その子供。ヴィル様との」

「そう。ママになるって、すっごーい大変! 愛がどうとか、そういう次元じゃないってわかった。でも、お兄ちゃんはちゃんと働いて家計を支えてくれるし、下手っぴだけど家事もしてくれる」


 酷い言い草だと苦笑くしょうしつつ、本当のことなのでヴィルは反論できなかった。

 だが、そんな二人がもう夫婦をやっている現実に、ティアは目を細めて微笑んだ。


「あ……今、動きました。リーラ様の赤ちゃんが」

「早く出せーって、内側から蹴っ飛ばしてくるんだぁ」

「凄い、ですね。わたしは一応、外部との接触端末として第三世代型ロボットのボディを持ってた訳ですが、本当に生殖機能を活用されてるのを見ると……凄い、感動します」


 リーラがうながすので、ティアはそっと屈んで大きなお腹に耳を当てる。

 きっと、二人の子供がかなでる生命いのちの音が、もう聴こえるかもしれない。

 ロボット特有の鋭敏な感覚、無敵のボディはもうティアにはない。

 だが、健康体になった少女の肉体は、彼女には何よりのプレゼントになるとヴィルは確信していた。大好きなティアを、あの無骨な破壊兵器の中で死なせてはいけないのだ。


「その、リーラがさっき言ってたけど……遺伝子的な調整は済ませてあるんだ。その身体は昔のリーラだけど、僕と兄妹きょうだいであるという齟齬そご、その……愛し合うための不安要素は手術の時に取り除いてしまったんだ」

「まあ……では、ヴィル様。あの……リーラ様ごと、ヴィル様を……愛しても、いいですか?」


 立ち上がるティアに、ヴィルは大きく頷いた。

 そして、三人はようやく取り戻した。

 人が己を超越した存在を生み出した、そのつみばつとの日々を乗り越えたのだ。


「さ、そういう訳で僕が朝食を作ることにするよ」

「期待しててね、ティア。ひどいんだから、お兄ちゃんの料理!」

「わたし、頑張ってすぐ元気にならないといけませんね。ふふ。だから、リーラ様、そしてヴィル様……この身体の重ねる年月と共に、終生わたしがお側に」


 こうして、ヴィルは二人の愛する人と共にリビングへと向かった。

 もう、どこにもいかない。

 どこからでもここへと帰ってくる。

 家族のいる場所はここで、家族の形は千差万別せんさばんべつだ。

 それはあたかも、幸せの形が星の数ほどあるように。

 くだけて星屑ほしくずとなれば、その一つ一つもまた愛の形であるように。

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星屑ロボット ながやん @nagamono

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