第10話「カウントダウン」

 ヴィル・アセンダントの中で、なにかが大きく変わった。

 はっきりと自覚した……どうやら自分は、ティアに特別な感情をいだいているようだ。妹のリーラには、常日頃から兄妹きょうだいでの禁じられた愛をとがめてきたが、人のことを言える立場ではなくなった。

 ティアはロボット、それも第三世代型だいさんせだいがたのロボットなのだから。

 夕食後に部屋へ戻って仕事をしていても、どうにも落ち着かない。


「駄目だ、まったくはかどらない。……どうしてしまったんだ、僕は」


 今日、珍しく兄が家を訪ねてきた。

 幼い頃からそうであるように、横暴おうぼう不遜ふそん、失礼極まりない腹違いの兄。次兄タルスは父の遺産、月開発の資産を求めてやってきたのだ。

 そして、ヴィルはティアの意外な姿を目撃した。

 おびえるリーラを、なによりヴィル自身を守るため……彼女はタルスを一蹴いっしゅうした。

 ロボットが人間に手をあげるなど、考えられないのが社会の常識だ。ロボットは物理的にプログラミングで制限がかけられており、普通は人間に暴力を振るうことができない。だが、彼女は第三世代型……人間と全く同じ機能を持ち、かつては人類に反旗はんきひるがえしたと言われている旧型ロボットなのだ。

 彼女のえとした、凍れる殺意のにじむ横顔を今も思い出す。

 ぞっとする程に美しく、妹と同じ顔とは思えない。

 そして、自分が見たいティアは、いつもの笑顔だと気付かせてくれたのだ。


「だからって……まだ一緒に暮らし始めて半月程なのに。彼女はロボット、小さい頃から一緒だったメイドだ。それを今、僕は……」


 先程から仕事は全く進んでいない。

 自室の机で、ヴィルは先程のことが頭から離れないのだ。

 そうこうしていると、ノックの音が響く。

 ドアの方を見もせず、ヴィルは「どうぞ」とぶっきらぼうに言い放った。そして、背中で小さな声を聴く。振り向けばそこには、まくらかかえたリーラが立っていた。


「お兄ちゃん……その、えっと」


 リーラはすでにパジャマを着て、寝支度ねじたくを整えた姿だった。

 今までもこういうことは何度かあったが、今日は少し雰囲気が違う。リーラがヴィルに同衾どうきんを迫ってくることは珍しくなかったが、今日だけはその意味が違った。うまく説明出来ないが、ヴィルは敏感に妹の変化を察した。

 リーラはおずおずと部屋に入ってくると、ベッドの上に座った。

 こういう時、頭ごなしにしからないようにしてるが、今日は冷静さが保てない。

 かといって、自分で気付いた本音を持て余すあまり、妹に当たるのはもってのほかだ。


「リーラ、眠れないのかい? ……部屋に戻らなきゃ。僕も一緒に行って、リーラが眠るまで枕元まくらもとにいてあげるから。ね?」

「ん……そゆんじゃなくて、お兄ちゃん」

「何度も言ってるけどね、リーラ。僕は君を愛してるし、大事にしたいと思ってる。でも、それは兄が妹に抱く真っ当な感情でしかないんだ。だから」

「じゃあ……? 兄と妹は駄目なのに?」


 ヴィルは心臓を鷲掴わしづかみにされたような衝撃を受けた。

 ベッドの上で両足をぶらぶらさせながら、じっとリーラは見詰めてくる。

 思えば、彼女はずっとヴィルを見てきた。ヴィルしか見えていないのだ。そんな妹が、兄の些細ささいな表情の機微きび、心境の変化をさっしないはずがなかったのだ。

 思えば、落ち込んでいる時はなにも言わなくても、隣にいてくれた。

 嬉しい時も悲しい時も、全力でヴィルの気持ちに寄り添ってくれた。

 ヴィルは妹である以上のことを求めなかったが、何故なぜか今それを理解した。

 リーラはいつも、最初から妹である以上にちかしい仲だったのだ。


「お兄ちゃん、ティアのことが好き? 好きになったでしょ、今日……ううん、前からほんのり好きだった。今日はただ、そのことに気付いただけ」

「リーラ、僕は……」

「あたしも見た目はティアと同じだけど……あたしじゃ駄目?」

「そういう問題じゃなくて、その」


 リーラはそこまで言って、せつなげにヴィルを見詰みつめてくる。

 ヴィルが言葉に詰まっていると、不意に……彼女は、ぷっ! と吹き出して笑った。


「なんてねっ! やだもぉ、お兄ちゃん! すんごい切実せつじつな顔になってる、かっわいー!」

「リ、リーラ?」

「ちょっとビックリした? ねね、修羅場しゅらばだと思った?」

「……リーラ、あのねえ。僕は――」

「お兄ちゃん、好き。大好き」


 不意にリーラは立ち上がると、枕を置いて歩み寄ってくる。

 そのまま、立ち尽くすヴィルに抱きつき、胸の中から見上げてきた。

 うるんだひとみの中に、困り顔で映る自分が見えた。


「お兄ちゃん、なにも困ることないんだよ? あたし、禁断の恋なら大先輩だし。恋愛歴十七年だもん。お兄ちゃんは……そゆことなかったよね。ずっとあたしの面倒を見て、恋なんてしてる余裕なかったもんね」

「いや、それは」

「あたしね、嬉しいの。あたしと結ばれて欲しいけど、あたし以外とも恋をして欲しいから。恋して欲しいなって思ってたら……お兄ちゃんはティアを、ロボットを好きになったの」


 いつものようにリーラを引剥ひきはがせない。

 仲の良い兄と妹でいられなくなりそうだ。

 自分に密着してくる柔らかさが、リーラなのかティアなのかわからなくなる。本当に今夜こそ、あやまちをおかしてしまいそうだった。

 だが、リーラは無邪気に笑って離れると……ドアの方を振り向いた。


「だからね、お兄ちゃん。ここからは勝負なの。公平な勝負、正々堂々ってやつ」

「勝負? それは――」

「こゆこと。ねっ、ティア! こっち来て」


 ドアが開いて、その先にティアが立っていた。

 メイド服以外の彼女を、ヴィルは初めて見る。

 そして、唖然あぜんとする。

 ティアは、その清楚せいそ可憐かれんな雰囲気を裏切るように、見るも扇情的せんじょうてきなネグリジェを着ていた。なにもかもがうっすらとけていて、どこまでも人間と同じに作られた彼女の全てがさらされている。申し訳程度に隠されているので、ヴィルの目にことさら鮮明に焼き付いてしまう。

 すぐに分かった。

 リーラの仕業だ。


「あ、あの、ヴィル様……えっと、その……リーラ様が」

「いいでしょ、お兄ちゃんっ! ほら、ティアもこっち来て。ね、今日は三人で一緒に寝よ? ティアってばパジャマ持ってないっていうから、あたしのとっておきを貸しちゃった。これでね、お兄ちゃんをね、うーんと誘惑しようと思ってたの!」


 おずおずと部屋に入ってきたティアは、顔が真っ赤だ。両耳のブレードアンテナが、ぺしゃんと下へれている。そんな彼女の手を取って、リーラは自分のとなりへと呼び込んだ。二人で並ぶと、着衣以外は本当に全く一緒だ。

 そして、二人はそのままヴィルに身を寄せてくる。


「ティアもね、お兄ちゃんのこと好きだって。あたしと一緒だねっ!」

「ヴィル様、すみません……御迷惑ごめいわくかと思います、けど。わたし、おつかえする立場でこんな……でも」

「お兄ちゃんっ、今すぐこの場で! あたしか! ティアか! 選んで! ……なんて言ったら困るよね。だから、選べるまであたしもティアも平等に愛して。あたしのことは妹として、ティアのことはメイドとしてでもいい。ちょっと良識をはみ出すくらいでいいから」


 ヴィルは困ってしまったが、不思議とショックではない。そして勿論、嫌でもない。交互に二人を見下ろしつつ、溜息をこぼした。自然と苦笑が浮かんで、自分があらがえないことをさとった。


「まったく、リーラ。どこでこんな悪知恵わるじえをつけたんだい? それと、ティア……なんて格好をしてるんだ。まあ、そ、その……綺麗だ、けど。でも、君にはリーラみたいな、普通のかわいいパジャマが似合うと思うよ」

「す、すみません……リーラ様がどうしてもと言うので。わたしも……ヴィル様に、喜んでもらえるのではと思って。でも……恥ずかしい、です」

「どっちにしろ、もう庭のコンテナで寝るのはよして……夜も僕と、僕たちと一緒にいて欲しい。あれは君の動力源、心臓部かもしれないけど……君の居場所は、ここだから」


 自然とヴィルは、ティアを抱き寄せた。そして、今まで拒んできたリーラも一緒に胸に抱く。同じ顔が二つ並んで見上げてきて、頬を赤く染めたまま瞳を閉じた。

 ヴィルはリーラとティアに、順にキスした。

 ひたいに唇を寄せて、そして両手で二人を抱き締める。


「……ティア、今のどう思う? ちょっとヘタレ過ぎない?」

「で、でも……嬉しいです。凄く、嬉しいです。わたし、こんなの初めてで」

「まー、あたしも今はこれでいっかなーって。じゃあ、三人で今夜は一緒に――ッ!?」


 その時、残酷な時間が訪れた。

 不意にリーラの表情が引きつった。そのまま彼女は、苦悶くもんあえぎながら胸を押さえて崩れ落ちる。

 彼女の心臓は、爆弾。

 若いリーラの未来を奪い続けるそれは、とうとう爆発しつつあった。

 突然のことに驚きうろたえたが、すぐにヴィルはリーラを抱き上げる。次の瞬間にはもう、ティアは救急車を呼ぶべく部屋を飛び出していた。

 シュルシュルとティアを追うように、目の前で動力ケーブルが床をまわる。

 それを部屋の外に見送りながら、ヴィルは必死でリーラを抱き上げ部屋を出た。

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