第11話「突きつけられたもの」

 深夜の病院は驚くほどに静かだ。

 消灯時間を過ぎているからか、自分の足音さえ病棟へ響き渡るかのように感じる。薄暗い中でヴィル・アセンダントは、案内してくれる女性看護師ナースのあとをうつむき歩いた。

 妹のリーラは、緊急入院で今は落ち着いている。

 だが、その意味がヴィルには自然と知れた。

 兄妹が二人で……否、ティアと三人で暮らす時間は終わってしまったのだ。

 不安に押しつぶされそうになって、ヴィルは前を歩く背中に声をかける。


「あ、あの……先生からお話って、なんでしょうか。やっぱり、その」

「すみません、私の口からはなんとも」


 よく見れば、そう言って申し訳なさそうに振り向いたのはロボットだった。

 動転していて気付かなかったのだ。

 会社の後輩である女性ロボット、リオスと同じ第四世代型だいよんせだいがただ。独立した動力を持つ反面、見るからにメカニカルな姿を義務付けられている。病院等の医療施設で使うことを前提にしてるからだろうか? 白衣姿に見えたが彼女は元から白いボディなのだ。

 表情はとぼしくても、ヴィルは看護ロボットを困らせたことをわびた。

 彼女はリーラの担当医から言付かって、ヴィルを呼びに来ただけなのだから。

 やがて彼女の案内で、ヴィルは診察室へと通された。

 ドアを開くと、椅子から立ち上がる医師が振り返る。


「ヴィル・アセンダントさん? どうぞ、おかけください」

「先生、リーラは! 僕はどうしたら……僕になにができますか!」

「落ち着いてください。これからそのお話を説明させていただきますので」


 医師の言葉でかろうじて平静を取り戻したが、ヴィルの中で不安が爆発しそうだった。

 リーラは心臓が生まれつき弱く、人工臓器じんこうぞうきの手術すら受けられない。何故なぜなら、リーラの肉体が長時間の難しい手術に耐えられないからだ。成功率が二割を切ると知ってから、ヴィルは外科手術的な根本的治療をあきらめざるを得なかった。

 勿論もちろん、リーラには話していない。

 だが、薄々気付いているようだったし、二人は病気をあまり話題にしなかった。

 リーラはいつからか、先が短いと達観するようになり、その残り少ないと見積もった人生を兄のヴィルに向けてきた。兄妹きょうだいである以上の愛を注ごうとしてきたのだ。

 そして、意外な人物のお陰でようやく、彼女の恋路こいじ筋道すじみちがつけられた。

 ヴィルはメイドロボのティアに恋したことで、リーラの愛に向き合えたのだ。

 だが、恋敵こいがたきにして親友、家族だと言えるティアとの新しい日々が始まるはずだったのに……リーラの心臓はそれを許さず、治癒ちゆを願う者達を彼女の肉体が裏切り続ける。

 そして今、医師は重々しい口を開いた。


「ああ、君。悪いが席を外してくれたまえ」

「は、はい、先生。あの、でも……できれば私も」

「当直に戻りなさい。必要があればまた呼びますから」

「はい、では」


 医師は人払いをした。

 看護ロボットは一礼して診察室を出てゆく。

 椅子に座ったヴィルを待っていたのは、今まで何度も見せられてきたリーラの心臓モデルだ。科学技術が発達した現在、同じ大きさで3Dモデリングされた心臓を医師も患者も見ることができる。ミクロン単位の精度で完全再現されたリーラの心臓は、ヴィルの手の中に収まりそうなほどに小さかった。

 タブレットの上に鼓動を刻む立体映像を浮かべて、医師は説明を始めた。


「率直に言って、かなり危険な状態です。そして、残念ながら根本的な治療方法はもう」

「……助からないってこと、ですか」

「断言はできません。しかし、我々にほどこせる治療がないのも事実です。ただ、今回のような発作が次に起これば、その時は」

「それはいつですか。明日あすですか? 明後日あさって? 一年後? それとも――」

「わかりません。はっきりしていることは、妹さんの心臓は限界だということです」


 改めて医者から言われると、ヴィルの心は暗闇へと突き落とされる。

 一瞬一瞬をつらねた一秒が、長い長い永遠にも感じる。

 呼吸が浅くなる中で動悸どうきが収まらない。

 そして、悲観と諦めが迫る中で、ヴィルの絶望は加速し続けた。

 それでも懸命に絞り出した言葉は、過去に何度も問いただした事実の反復だった。


「……手術をして、治る見込みは……以前、成功率は二割を切ると」

「今はもう無理です。以前の状態ならば、二割を切る成功率でもいい方でした。今はもう……妹さんの体力はそこまで落ちています」

「そこをなんとか……どうにかならないんでしょうか? リーラはまだ高校生なんですよ」

「心中はお察しします。しかし、失敗が確実と知れれば、それは冒険ですらありません。高度に発達した現代の医療でも、生命そのものの力がおとろえてしまえば手の打ちようがないんです。……むしろ、今までよくもったほうとも思えますが」


 今は西暦2131年、22世紀だ。

 地球を取り巻くオービタルリングは、エネルギー問題を一気に解決してしまった。月の開発は進み、吐き出される資源は世をうるおしている。火星圏や木星圏にも人類は進出したし、外宇宙への探査だって始まっているのだ。

 科学文明の絶頂期があるとすれば、今この瞬間だ。

 言うまでもなく、医療分野の発達はめざましいものがある。

 ロボット工学が突出して発達しているため、義手や義足などはもう本来の肉体以上の完成度だ。人間をそのまました第三世代型ロボットの時代があったため、人工臓器の普及もめざましいものがある。

 だが、そうした最先端の医療を受けるのは、昔と変わらぬ人間なのだ。

 文明が発達しても、それは人間の生まれ持った肉体が強くなった訳ではない。


「もう、手はないって言うんですか……」

「残念ながら。残りの時間を家で過ごされるのでしたら、手続きの書類をお渡しします」

「これから三人で始めようって、そいうことを言ったんです。リーラは初めて、自分と僕以外の人間を己の世界に招いて、認めて、競ったり寄り添ったりするって……そう言って」


 医師は神経質そうな目を細めて、黙ってヴィルの呟きを聞いていた。

 ヴィルはひざの上に両の拳を握って、床の一点を凝視して言葉を選ぶ。自分でもなにを言ってるのかわからないし、目の前の医師に当たるのはお門違かどちがいというものだ。

 だが、自分の不甲斐なさを責めこそすれ、納得することができない。

 生まれながらのリーラの弱さが、理不尽で不条理なものに感じられてしかたがなかった。

 そんな時、医師は何度か躊躇ためらった挙句あげくに静かにこう言った。


「リーラさんの身体はもう治せません。弱った心臓が止まるのは、次の発作かそれとも……運が良ければ五年、いや十年は生きながらえることもあるでしょう。しかし、その間もずっと爆弾を抱えて苦しむことになる」

「わかってます……でも、僕にはもう……なにもしてやれないんですか? 本当に」

「……最後に、一つだけ。極めて現実的ではない方法が、たった一つだけあります」


 ヴィルは大きく目を見開いた。視線を向ける先で医師は、咳払せきばらいしてから話し出す。気付けばヴィルは、血がにじみそうな程に拳を固く握っていた。爪が食い込む痛みも感じないほどに打ちひしがれていたが、突然の言葉が神の福音ふくいんにも思えた。

 だが、その話は天使の救いであると同時に……悪魔のささやきでもあった。


「法的には認められていませんが……高額の代金と引き換えに、第三世代型のロボットの躯体くたいを手に入れることができれば、あるいは」

「ど、どういう意味、ですか?」

「医学界では暗黙の了解、触れられざるタブーとなっています。ですが、実際に前例は無数にあるんです……今の肉体を捨て、


 ヴィルは最初、なにを言われているのかわからなかった。

 思考が上手く働かず、医師の声が言の葉となって意味を伝えてこない。ただ音の連なりとなって、風のように自分の中を通り過ぎたようにさえ思えた。

 ようやく思ったことは、ロボットの看護師を遠ざけた意味はこれだという感想だけだった。

 何度もまばたきをするヴィルに、医師は静かに話を続ける。


「現在、社会の片隅でごくごく少数の第三世代型ロボットが生活しています。本当の動力……それこそ、人間の心臓をそのまま再現した鼓動を封印されて。ケーブルで外部動力と結ばれた状態で、生かさず殺さず繋ぎ止められているんです」

「い、いや、そんなことは……みんな、生きてますよ。オリオさんだってそうだ。それに、ティアだって……みんな、生きてます。ロボットでも、肉体は全て自分のもの、持って生まれた財産だ」

「私は医者として可能性の話をしてる訳です。……どこかで第三世代型ロボットの躯体が手に入れば、それもできれば女性型が……そうすれば、妹さんは助かります。そして、今後はあらゆる病魔から完全に守られた肉体を得るでしょう」

「そんな、僕は……」

「ええ、わかっています。そんな大金を簡単に用意することはできません。法の目をかいくぐる書類の改竄かいざんも必要ですし、今後は全く成長しない妹さんと暮らすことになりますからね」


 ヴィルは運命を感じた。

 酷く残酷で滑稽こっけいな、悲劇にも喜劇にも見える演目えんもくだ。

 この舞台で今、決断を促すスポットライトを浴びてる気さえしてきた。

 結局ヴィルは、ようやく「……ありがとうございました、先生」と言って立ち上がる。

 自分でも覚悟はしていた。

 それは、自分の愛する女性としてティアを選ぶか、リーラを選ぶか……それとも、三人でこのまま暮らすか。二人を異性と認めて向き合った時、ロボットであるとか妹であるとかは考えなくなっていた。禁断の愛に対して思うところはないが、愛の形は結ばれ祝福されることだけではないとは考えていたのだ。

 だが、皮肉にも決断の方からタイムリミットを切ってきた。

 しかも、ティアを取るかリーラを取るか……選ばなかった方は永遠に失われる。

 その選択肢を脳裏のうりえがいたこと自体、診察室を去るヴィルは恥じずにはいられなかった。

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