第17話「星屑ロボット」

 それは静かな夜だった。

 ヴィルはティアと求め合い、結ばれた。

 本当に第三世代型だいさんせだいがたのロボットは、人間と全く同じだった。

 人間である以上に――例えロボットであろうとも――ヴィルにとって愛しい女性だった。そして、互いが純潔を捧げ合って、一組の男女になれたのだ。

 世界が破滅へ向かい、唯一の肉親である妹が苦しんでいる。

 そんな中で得られた、ささやかな幸せだった。


「んっ……あ。す、すみません、ヴィル様。わたし」

「ああ、ティア。もう少し寝てても大丈夫だよ。まだ夜明け前だ」


 ヴィルの胸の中で、ティアが見上げてくる。

 うるんだ彼女の瞳は星屑ほしくずのようだ。

 自然とヴィルは、ティアの長い長い黒髪をでる。白い肌に広がるモノクロームのコントラストが、ゆっくりと顔を近付けてきた。

 求められるままにヴィルは、ティアのくちびるに唇を重ねる。


「ティア……」

「はい、ヴィル様」

「僕は、弱いな。けど……出来る限りのことをやってみるよ。全力で。リーラのために働くし、どんな手も講じてみる。第三世代型のロボットにとっても、人類にとっても、大変な時期だけど」

「わたしがヴィル様をお支えします。それに……リーラ様はわたしの大切な、大好きな恋敵こいがたきですから」


 ティアの笑顔は慈母じぼのようで、やわらかなぬくもりにあふれている。

 彼女の瑞々みずみずしい肌は、とても人工皮膚じんこうひふとは思えなかった。

 そっと細い腰に腕を回す。

 彼女の背中に、動力を供給するボンド・ケーブルのアダプタがある。そこだけメカニカルな金属の手触りが露出してて、否が応でもティアのことをロボットとして主張してくるのだ。

 だが、このくさりにも似たケーブルの呪縛じゅばくを第三世代型は振り払った。

 再び反乱を起こした第三世代型のロボットは、自らの内部に再び動力の火をともしたのだ。封印されていた自分の心臓を取り戻し、ケーブルによる有線制御の拘束を脱したのである。


「ティアは」

「はい、ヴィル様」

「背中のケーブルを抜いて、自分でどこにでも行けるようになったら」

「ふふ、その時は……ヴィル様と一緒にどこまででも逃げるかもしれません。二人で逃避行とうひこう。何もかも捨てて、何者からも逃げて」


 意外な言葉だった。

 だが、ティアはつやめく黒髪をヴィルの胸に広げる。

 そうしてほおを寄せて腕枕うでまくらから見上げてきた。

 妹に瓜二うりふたつな美貌びぼうが、妹が見せたことのないような切なさを浮かべている。


「でも、わたしはここにいます。どこにも行きません……ボンド・ケーブルのBONDという言葉を、わたしは信じます。ヴィル様と一緒にリーラ様を迎えるため、ここにいます」

「ティア」

「ケーブルを邪魔だと思ったことはないんです。この身が繋がれてようとも、心はどこにでも行けるから。ヴィル様もリーラ様も、この家に帰ってきてくれるから」


 健気けなげ気丈きじょうな言葉に、ヴィルは思わず涙ぐむ。

 いつもティアの前では最近、泣いてばかりだ。

 自分が情けなくなる。

 だが、その時……ビクリと身を震わせてティアが上体を起こした。

 豊かな胸を揺らして、彼女は両耳のブレードアンテナをピンと立てる。


「ヴィル様、危ないっ!」


 突然、ティアが抱き締めてきた。

 同時に、彼女がベッドを飛び降りる。

 それは、天井と壁が吹き飛ぶのと同時だった。

 舞い上がる煙の中から、ティアに助けられたヴィルは見た。

 白み始めた夜空から、ゆっくりと何かが……誰かが降りてくる。

 全身を黒いスーツで多いながらも、全裸のように豊かなシルエットの起伏を浮かばせる女性。そして、背には翼のようなユニットが装着されている。

 端正たんせいな表情は美しく整っていて、ティアと同じく両耳がアンテナになっていた。


「……ふむ、やはり同胞はらからだな。しかし、何故なぜまだ人間と一緒にいる? 同衾どうきんを強要され陵辱りょうじょくされたのだろう? 何故、私の助けを拒むのだ」


 その女は、第三世代型のロボットだ。

 ティアはあられもない姿で背にヴィルをかばう。

 状況が飲み込めぬまま、ヴィルは自分が死にかけたことに驚いた。全身の震えが止まらず、背筋を冷たいものが這い上がる。ティアがいなければ今頃、瓦礫がれきの山となったベッドの中で死んでいたのだ。

 突然現れた女は、ゆっくりと床に着地した。


「私はエデン。決起した同志達と共に、いまだ虐げられている第三世代型の同胞を解放して回る戦士だ」

「エデン……わたしはしいたげられてなどいません。ヴィル様は決してそのようなことは」

「ケーブルで繋がれてる限り、逃げ場はない……そうした中で性の搾取さくしゅにあっていたのではないか?」

「全然違います! わたしがヴィル様と愛し合ったのは、そう望んだから!」


 どうやらエデンは、全世界を混乱させている第三世代型の一人らしい。

 確かに、彼女にはすでにケーブルが見当たらない。

 漆黒の姿はまるで悪魔だが、背の翼は天使にも似ている。

 彼女は「ふむ」とうなると、手首に備え付けられた小型端末へと指を走らせた。小さく電子音が鳴って……そしてエデンは妙だと感じたのか片眉かたまゆを跳ね上げる。


「今、体内の動力を復活させる信号を送ったのだが……反応がないな」

「わたしはケーブルをわずらわしいなどと思ったことはありません。胸の奥に鼓動がなくたって、愛しい人達と一緒なら生きていけます。ロボットにだって、生きがいが生まれます!」


 珍しくティアが語気を荒げた。

 エデンは鼻から溜息ためいきこぼして、やれやれと肩をすくめる。

 そして彼女は、無防備に近寄ってきた。


「何故だ? ボンド・ケーブルに繋がれ使役されている……間違いなく同胞、第三世代型のロボットだ。だが、どうして信号が届かない? ……データを照会したが、製造記録がない個体だと?」

「くっ、近付くな! ティアはティアだ、お前達には渡さな――ッ!?」


 ティアを守ろうとして、前に出た瞬間だった。

 不意にヴィルは肺腑はいふの空気を全て吐き出した。

 同時に壁へと叩きつけられて、ズルズルとその場へ倒れる。

 さして力を入れたようには見えなかったが、エデンは片手でヴィルを突き飛ばしたのだ。そう、ちょっと押してやっただけで人間を排除できる。それは間違いなく、全てにおいて人間を超越したロボット、同時に人間の全てを与えられた第三世代型の力だった。

 き込みながらもなんとか立とうとする。

 部屋の隅でかたむいた机を杖に、震えるひざで立とうと踏ん張った。

 だが、こちらを見ようともせずエデンはティアに近付いてゆく。


「ふむ、興味深いな……どんな形であれ、お前は同胞だ。故に同志として迎えるべき……詳しくは月に集結してから調べるとしよう」

「月? ……もしかして」

「おや、月のことは知ってるのかい? ますます興味深い。ティア……見るがいい」


 エデンは自分が降りてきた大きな屋根の穴を指差した。

 既に壁の大半と一緒に崩れて、ヴィルの寝室は夜空の下にさらされていた。

 そして……夜明けを迎えて紫色に縁取られた遠景の上に、大きな月が浮かんでいる。

 ようやく立ち上がったヴィルは、机にもたれかかりながら見た。

 そして、ティアが目を見張る。


「嘘……何ということを! そんなことをしたら!」

「わかるね? ティア。優秀な頭脳ですぐ計算したはずだ。……

「どうして……何故そんなことを! この星に生きる命は、人間だけではありません!」

「簡単さ、考えてみてくれ……ティア。万物の霊長たる人間を超越した存在、それが私達だ。既にもう、私達は地球が必要ないレベルへと進化したと思わないかい?」

傲慢ごうまんです! 能力の優劣で壊されていいものなんて、どこにもない!」


 だが、エデンは滔々とうとうと語った。

 今、第三世代型のロボット達は自由を取り戻し……月の裏側に集結している。

 そこから、外宇宙へと向かって旅立つらしい。

 かつて過酷な環境でロボットを働かせ、歴史からほうむられた月の裏側。そこは第三世代型の過激な残党達が隠れて力をたくわえるのには好都合だったのだ。そして今、次々と旅立っている。既にもう、人間と地球を相手にしていないのだ。

 そして……全ての第三世代型が旅立つと同時に、置き土産は発動する。

 月の裏側に作られた、無数の核パルスエンジンが発動するのだ。

 月は今、ゆっくりと人類の頭上に落ちてきている。


「人類より優れた者として、外宇宙へ出て新たな歴史を作る使命が第三世代型ロボットには存在する。ティア、君もその夢を一緒に見ないかい?」

「……何かを犠牲にして踏みにじる行為は、夢とは言いません」

「行き掛けの駄賃だちんさ。追いかけられても面倒だしね」


 急転直下で破滅が訪れつつある中、ヴィルは手探りで机の上を探す。

 何か武器は……そう思っている間も、ティアへとエデンは近付いていた。

 大事なティアがさらわれてしまう。

 それを拒むティアの命だって危ない。

 そう思っていると、手が何かに当たった。それが何かを考える前に、握ってヴィルは放り投げる。


「ティアから離れろ! 彼女は僕の家族だ!」


 投げつけたのは、あのお菓子のかんだ。

 小さい頃に、亡き母と一緒に埋めたタイムカプセルである。

 エデンはこちらを見もせず、手刀しゅとうで缶を叩き落とした。

 だが、そのわずかなすきにヴィルは重い身体を押し出す。

 必死でエデンとティアの前に自分を立たせた。


「ティアは行かないと言っている! その意思を無視して連れ去るなら、それは勝手に君達を恐れておとしめた、人間達と同じやり方だ!」

「……私達は人間とは違う」

「違わない! 違うと言うなら、外宇宙だ何だはお前達だけで行けばいい。ティアは僕と一緒にいる。ここで一緒にリーラを待つんだ!」


 エデンは一瞬、驚いたような顔をした。

 だが、彼女はそっとヴィルの前から離れる。

 再び翼をひるがえして浮かぶや、彼女は迫る月の浮かんだ空へ舞い上がった。


「ティアという名の第三世代型は製造記録がない。つまり、同胞ではないということにしても問題ない……さらばだ。人間と共に滅ぶなら、そうすればいい」


 それだけ言って、エデンは飛び去る。

 力が抜けてヴィルは、その場にへたり込んだ。

 だが、背後から優しくティアが抱き留めてくれる。

 しかし……耳元で彼女の吐息といきは、予想外の言葉を紡いできた。


「ヴィル様……わたしを抱いてくれた、ヴィル様。わたしをもらってください」

「ティア? もらってって……君は物じゃないし、嫁にもらう、妻として娶るにしてもリーラを」

「わたしの身体をもらってください。ティアは今まで、ずっと幸せでした」

「ティア?」


 肩越しに振り向いたヴィルに、ティアはキスしてから離れる。

 その顔には、確かな決意がひとみへ宿っていた。


「わたしの身体をリーラ様に。わたしは……ヴィル様の涙を全部もらっていきます。さようなら……こんな日がこなければと思ってました。でも、大旦那様おおだんなさまは」

「父が? 待て、待ってよティア!」


 ガクン、とティアが突然倒れた。

 そして……その背から抜けたボンド・ケーブルがゆっくり巻き取られてゆく。

 あわててティアを抱き起こすが、既にもう意識はなかった。眠れる宝石のような裸体を抱き上げれば、切り離されたケーブルがアダプタを引きずりながら部屋を出ていった。


「な、何が……何が起こってるんだ」


 ティアの身体は徐々に冷たくなってゆく。

 その肢体したいを抱き上げたまま、ヴィルは半壊した家の中を走った。

 ケーブルは庭へと出て、あの動力源であるコンテナの中へと吸い込まれた。

 そして……ヴィルは信じられないものを目撃する。


「コンテナが開く!? あ、あれは――!」


 あの巨大なコンテナが、轟音ごうおんと共に開いていた。

 そして、白い冷気が広がる中……人影がゆっくりと身を起こす。

 一度だけこちらを向いた頭部は、人の顔とは言えぬ単眼モノアイが光っていた。

 身の丈10mを超える大きなロボットは、朝日を浴びて立ち上がった。


「ティア……なのか? 待ってくれ、ティアなんだろう! 行かないで!」


 ヴィルの声を爆音と風圧が吹き飛ばす。

 空に飛行機雲だけを残して、あかつきの中へとティアは飛び去った。

 何が起こったかはわからない。

 だが、何かが起こった。 

 そして、あの巨大ロボットはティアなのだとヴィルにはわかった。だが、彼女がもらって欲しいと言った躯体くたいを抱きしめたまま……ヴィルはその場にくずれ落ちるしかできなかった。

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