第8話「禁断の恋の自乗」

 その日は日曜日で、アセンダント家は平和な休日を満喫していた。

 ヴィルも久々に、ぼんやりとテレビを見ながらソファにくつろいでいる。彼を膝枕ひざまくらにして、寝っ転がったリーラは熱心に例の小箱をいじくりまわしていた。

 鍵の掛かった古いクッキーの空き缶……それは過去からの贈り物。


「リーラ、お行儀が悪いよ……で、開きそう?」

「んー、前にテレビで見たんだけどなあ。こうやってヘアピンでコチョコチョすれば」

「はは、そんなことで開けば苦労しないさ」

「やっぱ壊しちゃう? でもなー、箱が勿体無いなあ……せっかく埋まっててくれたんだしさ。だから、もう少し……」


 今日のリーラは、家にいることも手伝ってラフな格好……というか、少しだらしない格好をしている。だぼだぼのTシャツを着たきりで、下半身などは下着のままだ。

 苦笑しつつヴィルがたしなめると、彼女は洗濯中だからと唇をとがらせる。

 太陽が燦々さんさんと照らす中、庭ではティアが洗濯物を干していた。

 そして不意に、短く「きゃっ!」と声が叫ばれる。

 リーラに似てる声で、思わずヴィルは立ち上がってしまった。

 当のリーラ本人は、枕が勝手に動いたのでソファに崩れ落ちる。


「おっ、お兄ちゃん! なんか外でティアが。ほら、行って! 走って!」

「あ、ああ!」


 慌ててヴィルが庭に出ると……狭くなってしまった芝生の上に洗濯物が散らばっていた。一つ一つ拾って見上げれば、庭の大半を占領するコンテナの上で人影が見下ろしてくる。

 メイド服姿で今日も、ティアは甲斐甲斐しく働いていた。


「す、すみません、ヴィル様。あの、風で洗濯物を落としてしまって」

「そうみたいだね。待ってて、今すぐひろう」

「わたしも降りて拾います」

「いいよ、大丈夫さ」


 シャツやパンツを拾って、ヴィルはふと笑いが込み上げる。

 リーラの下着を見てもピンとこないし、やはり妹は妹でしかない。

 だが、守りたい。

 命ある限り、リーラの命を守りたい。

 病気を治してやりたいし、そのためならなんだってする覚悟はある。だが、リーラが自分に求めているのは愛する異性としての男だ。それを受け入れることは、果たしてできるのか……倫理的にも社会的にも難しいが、妹が美しい少女なのは理解できる。

 いつも自分に甘えてくる、しっかり者だけどどこか抜けた妹、リーラ。

 彼女の幸せを望むヴィルには、できることがあまりにも少ない。

 そして、彼女が望む幸せもまた、ヴィルとの男女の仲であることが確かだ。。

 病気故にヴィルが甘やかしたからかもしれないし、期限を切られた人生の中でリーラのは兄しか見えていないとも思える。それは、とても哀しいことだ。

 そんなことを考えていると、頭上から声が降ってくる。


「あ、あの、ヴィル様?」

「ああ、ごめんごめん。ちょっと考え事を――っ! ティ、ティア、その」

「はい、ヴィル様。どうかされましたか?」


 巨大なコンテナはティアの動力源で、その上が洗濯物を干す場所になっている。コンテナが庭を占領しているため、自然とそうなったのだ。第三世代型だいさんせだいがたのロボットであるティアは、まるで階段を昇るような気軽さで、高さ三メートル程のコンテナをいつも昇り降りするのだ。

 今もティアは、手に洗濯籠を持ちながらヴィルを見下ろしていた。

 そのメイド服の長いスカートが、風に揺れながら中身をさらしていた。

 黒いタイツにガーターベルト、そして黒いレースの下着が丸見えである。

 ティアの白い肌は人工皮膚で、人間と全く同じ質感に見えるから……凄く、眼福がんぷくだった。


「ティア、その……み、見えてしまってる。ごめん」

「あっ! しっ、しし、失礼を! これは、その!」

「いや、いいんだけど……って、危ない!」


 ティアは赤面して、その顔を両手で覆った。

 だから、ヴィルの頭上から洗濯籠が降ってきた。

 慌てて受け止めたヴィルは、そのままよろけて芝生の上に尻もちを突く。どうにか手に持った洗濯物も、洗濯籠の中身も無事だ。

 ティアが洗濯してくれた兄妹きょうだいの着衣は、ほのかに石鹸せっけんの香りがした。

 再度見上げれば、ティアはまだオロオロとしている。

 やはり、下着は少し色っぽいものを選んで着ているようだ。

 そして、ヴィルはスカートの中にはっきりと見る。

 彼女を足元のコンテナと繋ぐケーブルが、尻の上辺りに接続されていた。それが彼女の命で、彼女の世界の広さだ。ケーブルが届く範囲だけが、彼女が生きることを許された場所。この家一軒すら収まらない、小さな丸い世界。

 そんなことを思っていると、ティアはふわりと目の前に降りてきた。

 スカートを両手でつまんで、優雅にヴィルに駆け寄ってくる。

 助け起こそうとする彼女の手に手を重ねて、なんだかおかしくてヴィルは笑った。


「君でもこんなミスをするんだね、ティア」

「す、すみません! その……とんだ粗相そそうを。ヴィル様、あの」

「気にしないで、でも……僕はそういうとこが駄目なんだろうか」

「あの、駄目、とは?」

「いや、それは……そこでこわーい顔してにらんでる妹に聞いてみてね」


 立ち上がって振り向けば、庭へ通じるリビングの戸口に、腕組み仁王立におうだちするリーラの姿があった。彼女は今、笑顔だが……片眉がピクピクと痙攣けいれんしている。


「お兄ちゃん? ティアも……なーにかなー、今の雰囲気……なんかー、すっごくイイ雰囲気な展開なんですけどぉ?」

「あっ、違うんですリーラ様! その、今のは……でも大丈夫です、あの! わたしはロボットですから。機械ですから! だから、その」

「あ、いいのいいの。あたし、もうティアのこと……!」

「えっ、そ、それは」


 笑顔に戻ったリーラは、裸足で庭に出てきた。

 そして、洗濯物をティアに渡すヴィルの腕に抱き付いてくる。


「ティアはロボットかもしれないけど、でも……家族だよ? お兄ちゃんとあたしの、家族」

「リーラ様……」

「でね、あたしのライバル、かも? ……ね、ちょっとなんか、気付けちゃったんだ。違う? ティア」

「そっ、それは! そんな、恐れ多くて、そんなことは……あ、あの、リーラ様」


 珍しく困った顔でティアがおろおろする。

 だが、いまいち話が読めないヴィルにぶら下がったまま、リーラは笑っていた。


「ふふ、お兄ちゃん。妹とロボット、お嫁さんにするならどっちがいい?」

「ふあああっ、駄目です! リーラ様いけません! わたしはそんな、これっぽっちも、一バイトも考えたことないです、毎秒六千回の検算でそれは明らかです!」

「いやあ、恋する乙女の恋愛センサーにビビビッと来ちゃったんだなあ。ねえ、お兄ちゃん……」


 ヴィルは正直戸惑った。それでティアを見やれば、彼女は真っ赤になってうつむいてしまった。ブレードアンテナ状の両耳だけが、パタパタと激しく羽撃はばたいている。

 本当にこういうところは、人間以上に人間に見える。

 だが、だからこそケーブルで繋がれ、機械的な部品を後付けされているのだ。

 そう思って見ていると、おずおずとティアはヴィルのそでを指で摘んできた。


「わたしは、ヴィル様とリーラ様の幸せのため、御奉仕ごほうしします。だから、そ、そういう意味でしたら……ヴィル様も、リーラ様も……すっ、すす、好き、です」

「だってさー、お兄ちゃん。んー、まあいっか!」

「え、それってつまり、えっと……ちょっと待って、リーラ。お前は僕の妹で、ティアはメイドのロボットで、僕たち三人家族は」


 ようやくヴィルの鈍い脳味噌にも、事態が見え始めてきた。

 それにしても、ティアにそんな気持ちがあっただなんて驚きだ。

 この家に来てからずっと、彼女をメイドである以上に見たことはないし、とても仕事のできる素晴らしいメイドだとも思っていた。リーラが対抗心を燃やしたり、ロボットだからとへだてて見てたのも、今は昔だ。

 ティアを家族だと言ってくれたリーラは、満面の笑みを咲かせてこう言った。


「あたしもう、ティアのことロボットだと思わない。ロボットだからお兄ちゃんのこと、られないんだーって思わないよ? ね、ティア!」

「そ、それは、でも」

「あたしは妹だけど、あたしの全てをお兄ちゃんに捧げるの。悪いことでも、間違ったことでも、いけないことでも構わない。ティアは?」


 ぎゅむとヴィルの袖を掴んでいたティアは……おずおずともう片方の腕に抱き付いてきた。驚きにヴィルは目を白黒させる。だが、ティアはうるんだ瞳でヴィルを見上げて、豊かな胸の膨らみの谷間に二の腕を埋めてゆく。


「わっ、わたしも……ヴィル様を、おしたいして、ます。それは……あの、従属じゅうぞくすべきメイドロボットとしては、いけないかもしれません。けど……嬉しかった。あの日、御屋敷にヴィル様が来てくれて」

「え、あ、んと、ティア? ええと」

「わたしを相続そうぞくしてくださったヴィル様……わたしの御主人様。嬉しかったんです、わたし……ヴィル様は旦那様とはあまりいい関係を築けませんでしたが、旦那様の最後の意思をいでくださった。行き場のなかったわたしを……この家に招いてくれた」

「君が押しかけてきたんだけどね。でも……追い出す理由はないし、昔は母さんも入れて四人で暮らしてたじゃないか。……あの、父さんの家でさ。それってやっぱり、家族だよ」


 左右に全く同じ顔が並んで、同時にヴィルを見上げてくる。

 うんうんと頷くリーラの勝ち気な笑みも、泣き出しそうなティアの微笑も、不思議とたまらなく愛しい。これでは本当にあやまちを犯してしまいそうだ。しかも、今まではグイグイ押してくるリーラを妹として扱うことに必死だったが……これからは、ティアと主従でいられるかも心配になってきた。

 普通とはなにか。

 当たり前の人間とはなんなのか。

 法を守って正しく暮らすことは、美徳だ。

 だが、人間は法を守るのが目的ではないし、正しくあるために生きている訳ではないのかもしれない。漠然ばくぜんとそう思うヴィルは、戸惑いながらもリーラとティアの肩を両手で抱き寄せるのだった。

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