第18話「METEOR」

 その日の朝を、人類は永久に記憶するだろう。第三世代型ロボットの反乱に端を発した、未曾有みぞうの大災害……後に『ムーンフォールダウン』と呼ばれた人類滅亡の危機を。はるけき彼方の未来まで、ずっと記録するだろう。

 リーラの入院する病院を訪れ、ヴィルはティアの躯体くたいを医師に引き渡した。

 今となっては、それがティアの肉体だったのかどうか、それはわからない。

 ヴィルが抱いて愛し合った姿は、物言わぬ生体パーツの塊になってしまった。そして……それはティアという優しい女性が宿っていた肉体ではなかったのかもしれないのだ。

 だが、今のヴィルに迷っている時間はなかった。

 人類の終わりが、終わった今……リーラの生命を新たな始まりに繋ぎ止めなければ。


「リーラ、入るよ? ……大事な話があるんだ」


 病室に入ると、ベッドの上にリーラは身を起こしていた。

 彼女はつけっぱなしのテレビよりも、黙って外を見ていた。

 有史以来最大の天体ショーをながめる、その横顔に一人のメイドロボットが重なる。本当にそっくりで、その全てが仕組まれた運命にさえ思えてきた。

 そして、それを裏付ける証拠もまた、ヴィルの手の中にあった。

 ニュース番組のキャスターだけが、静かな病室に感激を叫んでいた。


御覧ごらんください! 今、しきロボット達の野望が打ち砕かれました! 落ちてくる月が、何かのインパクトによって……元の月軌道に押し戻されたのです! 軍の方でも詳細を確認中ですが、地球から飛び立った何かが激突、炸裂さくれつしたのです!』


 その名を歴史は忘れてゆくだろう。

 たった一人の女の子ですらいられなかった、悲しいロボットのことを。

 だが、ヴィルは絶対に忘れない。

 一生忘れないし、一瞬たりとも忘れられない。

 ヴィルが愛した身体をリーラへとゆずって……コンテナの中から飛び立った、巨大なロボットを。いかつい容姿は全てでティアの印象を裏切りながらも、確かにティアであることをヴィルに刻み込んで消えた。

 間違いなく、ティアが落ちてくる月を押し戻したのだ。


『何かが衝突した反動で、月は質量が4%程減りました。しかし、このまま元の軌道に戻るものと思われます。また、破砕はさいされた月の欠片かけらが……ああ、御覧ください! 無数の星屑ほしくずとなって降り注いでいます! これは天のなみだ、奇跡を祝う歓喜の涙です!』


 ヴィルは黙ってテレビのスイッチを切った。

 そして、外を向いたままベッドにたたずむリーラに寄り添う。

 彼女は無数の隕石が降り注ぐ青空を、ただ黙って見詰めていた。

 そして、ようやく小さくこぼす。


「……ティアにはかなわないなあ。ね、お兄ちゃん」

「リーラ、お前……」

「さっき、先生から聞いた。ねえ、お兄ちゃん……ちゃんと、ティアと愛し合った?」

「……ああ」


 リーラはヴィルを振り返って「良かった」と笑った。

 ヴィルもさびしく笑って、ポンと妹の頭をでる。


「ティアが、リーラに身体をって……そして彼女は、行ってしまったよ」

「そう……勝ち逃げかあ、ずるいな。今度会ったら、文句を言わなきゃ。今度、会ったら……絶対」

「ああ、そうだな」


 リーラはどこまで知ってるのだろうか?

 ヴィルは医師には、何も話していない。ただ、自分のツテで第三世代型のロボットの躯体くたいが手に入ったとだけ告げたのだ。

 今もスタッフ達が、リーラの記憶と人格を移す作業の準備に明け暮れている。

 これでもう、リーラの弱った心臓は酷使こくしされる日々から開放されるのだ。

 だが、笑顔のリーラも、勿論もちろんヴィルも素直に喜べなかった。

 一番喜んでくれる女性は、もういないのだから。


「そうだ、リーラ。ちょっとゴタゴタしててね……それで、偶然これを開けることができたんだ」


 ヴィルが取り出したのは、ひしゃげて割れたお菓子の空き缶だ。

 中にはまだ、ほんのかすかにチョコレートの匂いが残っていた。ヴィルとリーラと、そして亡き母と……三人でお屋敷の庭に埋めたタイムカプセル。

 第三世代型ロボットの同志を全て合流させるべく、ティアの前に現れたエデン。

 彼女からティアを守ろうと、訳も分からずヴィルはこの空き缶を投げたのだ。

 あっさり叩き落された時に、入れ物自体が壊れてしまったようだ。

 その中から、ヴィルは最初の手紙を取り出す。


「これは、リーラのだね?」

「わわ、ちょっと! お兄ちゃんっ! ……やめてよぉ、今は」

「いや、知って欲しいんだ。僕達兄妹のこと、母さんのこと……そして、

「父さん?」


 最初の手紙をヴィルはリーラに手渡す。

 過去の自分がつづった、つたない文字を見てリーラは真っ赤になった。


「おにーちゃん、すき! だって」

「今は、どうだい?」

「ちょっと、変わったよ? ……大好き!」

「ありがとう。僕は今日限りでリーラの兄をやめることになる。リーラがティアの身体で手に入れる未来を、僕は支えて助け、寄り添い続けるよ」

「あたしも愛してくれる? そうなら……嬉しい」


 黙ってヴィルは強くうなずいた。


「あとね、お兄ちゃん。ティアのこと……絶対に忘れないで。今までの愛を、ずっとティアに。これからの愛を、全部あたしに」

「いいよ、リーラ。僕がそうであるように、リーラもティアのことを覚えてて。そして、時々思い出してあげてほしいんだ」


 そう言って、ヴィルは次の手紙を出す。

 それは幼い自分が書いたものだ。当時、まだ5、6歳だったと思う。

 元気のいい文字は、今もヴィルが守り続けてる誓いの、その最初の一歩だった。


「はは、ぼくがかーさんとリーラをまもる! って書いてある。他には、ええと」

「見せて、お兄ちゃん」


 リーラは受け取った紙面を見て、それを胸に抱きしめた。

 そして、最後の手紙が出てくる。

 三枚目は、亡き母と……意外なことに、父の連名で書かれたものだった。


「最後はこれだよ、リーラ。読むね」


 その手紙には、生みの母と育ての父が育んだ愛が綴られていた。愛人として囲われていた母は、本当の父の愛で満たされていたのだ。身分や家の事情、何より周囲の反対があって結ばれなかった二人の過去。

 そして、若き事業家は金で母を助けるため……月の裏で資源開発を始める。

 母は生きるために夜の街で働き、父親も知れぬ子を二人産んだ。

 それが、ヴィルとリーラだ。


「ここから先が父さんの文面さ、リーラ。ええと……ヴィルとリーラへ。これを読む時、すでに私はこの世にはいないだろう。賢いヴィル、そして優しいリーラ……父親としてなにもしてやれなかった私を恨んでくれていい。それでも――」


 ――恨まれてでもお前達を愛し、怨嗟えんさででもお前達に想われたい。

 そこには、いつも仕事で不機嫌だった父親の姿はなかった。

 さらに、そんな父の告白の中に、ティアの真実に関する記述がある。


「リーラ、父さんはね……リーラの病気のことを気にしてたみたいだ。それで」

「それで、ティアを?」

「うん。当初、ティアは不正な手段で作られた……だったんだ。似てるはずさ……リーラの幼少期をCG解析してコンピューターが作った、成長したリーラの姿がティアなんだから」


 そして、ティアは屋敷のメイドロボットとして働き出した。

 同時に、大いなる宿命を背負わされることになる。


「父さんは、第三世代型のロボットを月の裏で酷使する中で、気付いた……ボンド・ケーブルというかせで縛られた彼等彼女等の、人間に対する恨みと怒りを」


 だが、ヴィルの父は迷った。

 屈強な肉体を持ち、低コストで奴隷どれいのように使える第三世代型のロボット達。その労働力が生み出す高い利益から逃れられなかった。

 結局、ヴィルの父は後ろめたさを感じつつも、機械の奴隷としてあつかった。

 ヴィルは今でも、そんな父のことを非情で強欲な人でなしだと思う。

 しかし、その悪辣あくらつな一面から逃げられぬ弱さをも、母は愛していたのだ。


「ティアは、父さんの恐怖と悔恨が残した計画……パンドラ・プロジェクトの中枢へと取り込まれた。もし、第三世代型ロボットが再び反乱を起こした時、圧倒的な力で武力鎮圧する最強の戦闘兵器……ティアはその巨大ロボットと一心同体になったんだ」


 それも、自分の意志で。

 父の懺悔ざんげうような言葉に、ティアはすぐに同意したという。

 そこまで聞かされて、リーラはまた外の天体ショーを向いてしまった。

 泣いているんだとわかったが、えてヴィルは何も言わなかった。


「ずるいなあ、ティアは……やっぱりずるい。きっとティアが、パンドラの箱から悪意が飛び出したあとの……最後に残った希望だったんだね」

「ああ」

「でも、その希望は……希望という存在は、誰が救ってあげられるんだろう」


 ヴィルには、その問に対する答が見つからない。

 だが、ティアが愛した自分と妹の、その未来への責任だけは思いつく。

 そして、それをいつかティアに聞いてみたいと誓った。

 彼女は飛び去ったけれども、永遠にいなくなってしまった訳ではないから。

 今はそう信じることで、再会までリーラと生きていける気がした。


「見て、お兄ちゃん……空が、泣いてる」

流星METEOR……月が砕けた星屑ほしくずだね」


 やがて医師が現れ、リーラは手術室へと運ばれてゆく。

 ヴィルもまた、星降る朝に長い長い旅へと挑み始めた。

 それは、この地球の誰にも等しく訪れる、未来への旅。

 その可能性を守るためだけに、ずっと己を隠して生きてきたロボットの……祈りと願いが生み出した未来かもしれない。

 ティアがいつも微笑ほほえんでくれてたから、ヴィルは信じられる。

 ティアが悲劇のヒロインではないことも、まだいなくなってはいないことも。

 この日、第三世代型のロボットが地球から完全に姿を消した。

 その中に、製造記録のない個体がいたことは、誰も知らない物語なのだった。

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