第14話「ロボットの嘘」

 社史編纂室しゃしへんさんしつでヴィルを待っていたのは、ざわめく人混みだった。

 誰もがいぶかしげに振り返るのは、ヴィルが全力疾走で息を荒げていたからだろう。一度立ち止まって膝に手を突き、呼吸をむさぼり息を整える。そうしてヴィルは、目の前の社員達を掻き分け前へと進んだ。

 いつものドアを開けると、あの知的な微笑みが迎えてくれる。

 寂しがり屋の癖に「また来たのか、君は」なんて言う。

 食事の必要もないのに一緒にランチを食べて、世間話をするだけの関係。

 でも、それを世間では友達と言うし、ヴィルはとっくにそう思っていた。

 だが――


「オリオさんっ! オリ、オ……さ、ん……あ、ああ」


 ヴィルが見たのは、まるで台風の中に放り込まれたような室内だ。整然と並んでいた書架しょかは全て倒れ、分厚いバインダーや本がそこらじゅうに散らかっている。

 そして、振り向く警備員達の足元に、見た。

 彼は、真っ赤な潤滑液じゅんかつえきおぼれながら力なく横たわっていた。

 その瞬間、警備員の制止も聞かずに駆け寄った。

 いつくばって濡れるままに、友人の華奢きゃしゃな身を抱き上げる。

 オリオは裸で、その胸には弾痕だんこんが血のように泡立あわだっていた。


「や、やあ……ヴィル」

「オリオさんっ! まさか、どうして! なにがあったんです!」


 ヴィルの肩に警備員が手を置いた。

 もう片方の手には、拳銃を握っている。

 まだ硝煙しょうえんくゆる銃口は、依然としてオリオに向けられていた。

 ヴィルが動かないのを見て、見兼ねた隊長と思しき男が「おい、君!」と声を荒げた、その時。聞き慣れた緊張感のない声が、必死に悲鳴を叫んでみるのが聴こえた。


「あーっと、ここにも暴走ロボットが! 反乱ッス、暴動ッス! ロボット三大原則ッス! たーすてけー!」


 警備員達はにわかに顔を上げて頷き合う。

 もうオリオは助からないと見たのだろう。彼等は悪びれなく「警備員さん、こっちッス! こっちスよー!」と手招きするリウスに向かって走り出した。

 まるで嵐のように、警備員の一段が走り去る。

 ヴィルはオリオと一緒に社員達の奇異の視線にさらされていたが、構わなかった。腕の中で徐々に冷たくなってゆく、その感触までもが人間のようで切ない。人間そのものを再現し、それを超えた力を与えられた第三世代型だいさんせだいがたのロボット。その強固で強靭きょうじんな肉体も、人間と同じ構造故に死ぬ時は同じだ。

 心臓が止まれば死に、脳が停止しても死ぬ。

 血液に相当する潤滑液の大半が失われても死ぬし、過度なショックを与えても死ぬ。

 勿論もちろん、人間より何倍も頑丈だし修理も容易たやすいが、弾丸の前では無力だった。


「ヴィル……は、はは。どうしたんだい? 妙、だね」

「オリオさん! 今、医務室に」

「どこへ……行こうって、いうん、だい。ゲホッ、ゲホゲホ!」


 咳き込むオリオが血を吐いた。

 ドス黒い赤が、床へと広がってゆく。

 彼はそれでも、弱々しく腕で何かを握った。そして、引っ張る。それは……彼に繋がっている有線動力のボンド・ケーブルだった。

 何故か彼は、必死でそれを手繰たぐりながら途切れ途切れに喋る。


「ニュースは、見た、ね……? そういう、こと、なんだ、よ……」

「そういうことって、どういうことなんです? それより止血を!」

「いい……助からないん、だ。誰も、助けて、くれない……」

「僕がいますよ! 僕が助けます!」


 遠巻きに見守る社員達が騒がしくなる。

 皆、先程のニュースを見て知っているのだ。

 遂にまた、第三世代型のロボット達は人間に反旗はんきひるがえした。百年前のように。だが、今度の彼等は良き提言ていげんたずさえた同胞だろうか? 自分達を有線ケーブルで縛り、本当の動力源にロックをかける人間に対して、なにを思う?

 そもそも、全て有線で厳しく管理されている第三世代型が、どうやって反乱を?

 その答を、以外にもオリオが教えてくれた。


「決起の、日を……私は、知っていた。何者かが……全世界へと、動力封印の……解除パルス信号を。それで――」

「なら何故! 何故、オリオさん……貴方のケーブルは、ボンド・ケーブルはまだ繋がっているんです? 貴方に反乱に加わる意思がなかったからじゃないんですか!」


 だが、無言でオリオはケーブルを引っ張り続ける。

 そして、彼が引きずる運命が姿を現した。

 周囲の野次馬やじうま達から悲鳴があがる。


「キャアアアアッ! あっ、あ、ああ……あれっ!」

「なんてこった……専務」

「まさか、専務を殺すなんて! 反乱よ! またロボットが反乱を起こすんだわ!」


 ヒステリックな声も、どこかヴィルの耳に遠い。

 彼は今、友の消え入りそうな声を拾うので精一杯だ。

 オリオは苦しげに、ボンド・ケーブルを引っ張る。その先には、裸の老人が絡まっていた。そう、以前もここでヴィルは会ったことがある。この会社の専務だ。それが、全裸で首にボンド・ケーブルを巻きつけたまま死んでいるのだ。

 オリオは、説明を求めるヴィルにその時……笑った。

 酷く冴え冴えとした、怜悧れいり残虐性ざんぎゃくせいを隠さぬ笑みだった。


「いつも、私を……老後のたしなみの、よう、に……犯して、き、何度も……何度も、何度も!」

「オリオさん……」

「ハハッ! だから、殺して、やった。ボンド・ケーブル……ボンド? とんだお笑いだね、ゲホッ! ゲホゲホ、グッ……ハァ! あ……裸の私の、唯一、の凶器……だったよ」


 ヴィルは全てを理解した。

 そして、汚らわしいものを見るように専務の死体を見てしまった。

 いつもの社史編纂室の奥に、オリオが寝泊まりしている部屋がある。そこには多分、ベッドもあるのだろう。そして、この男は……この部屋に事あるごとに通って、オリオを性の愛玩動物ペットにしていたのだ。

 それは、百年前のオリオを襲った悲劇の再来だ。

 己を搾取さくしゅする人間にあらがうために、百年前のオリオはあるじを殺した。

 そして今、二度目の反乱と決起の日に……再び人を手に掛けたのだ。

 彼は唇を釣り上げ、血をきながらも笑う。


「ハハ、ハハッ! 人間め、私が、ゲファ! ウ、ググ……私がっ、人間に心なんて、許すものか! ヴィル、君もだ! なんだい? 私を友人かなにかと、勘違いして、ない、かい?」

「オリオさん! と、とにかく傷を」

「触るな! 触るなよ、薄汚い人間め……私は、ここできずなとうそぶくかせに繋がれて、生かされて、きた……最初から、人間、なんて……信用、したり、しない」


 弱々しくオリオは、ヴィルの胸を押して離れようとする。

 だが、ヴィルにはすぐにわかったし、それが悲しかった。

 そういう態度を演じてみせるオリオが、彼が思うような優しい人間だったから。

 そう、人間だ。

 今、両腕の中で冷たくなってゆく少年は……間違いなく人間だ。

 人間であるかどうかは、その存在がどうであるかも重要である。

 だが、より深い意味での人間とは、自分がそれを相手に感じ取れるかで決まる気がした。今、ヴィルが人間だと思って接するから、誰がなんといってもオリオは人間なのだ。


「……オリオさん、貴方あなたはそうやって……僕のことを気遣きづかってくれます」

「なにを……私は、人間なんかが」

「嘘を、つきましたね? ……ロボットは嘘をつかない。ほら、やっぱりオリオさんはオリオさんじゃないですか。僕の親しい人、ですよ」

「グッ! ぁ、カハッ! ハァ、ハァ……君は、馬鹿だな」


 オリオが冷酷な仮面を失った。

 そして、不意に泣きそうに顔をゆがませる。


「君の、経歴に……傷が、つく。私に、だまされて、た、こと、に……」

「僕はやましいことはしてないし、オリオさん。それは貴方も同じだ」

「私は……同志の決起の、この日……全く、別の、ことを……考えてた。あの男を、あの男だけを……殺そうと、思った。それだけ、だ」

「……この二度目の反乱、事前に知ってるとさっき言ってました。でも、貴方はこのボンド・ケーブルを外さなかった。自分の中の動力を復活させようとしなかった」


 オリオは、許しを請うように強がって笑う。


「ロボットは、ね……ヴィル。人間の、ために……生きたいんだよ。だから……くしたいって、ロボットに……思わせてくれる人が……好き、なんだ」

「オリオさん、それ以上は……喋らないでください」

「どうして……何故、嘘だと? ふふ、ロボットは、ね……ヴィル。嘘を、つくさ。私達、くらいになれば……平気で、嘘をつく。でもね」


 ヴィルはオリオの手を握った。

 その手はもう、握り返してはこない。

 ただ、静かに冷たくなってゆく。


「ロボット、は……人間の、ために、しか……嘘を……つかない、よ」

「オリオさん!」

「君の、優しさを……私では、なく……家族に。それが、君の――」


 それっきりもう、オリオはなにも言わなかった。

 震えるヴィルの手の中を、オリオの手が滑り落ちてゆく。

 それは間違いなく、死んだ友人の亡骸なきがらだった。

 壊れた機械などではない……赤い血を流して死んだ人間だった。

 だが彼は、人間を模した機械として壊れようとした。壊れた機械として、ヴィルの中に自分できずを残さぬように試みたのだ。そう思えるくらい、優しい心をもった人だった。その優しさをずっと、卑劣な性暴力でむしばまれていたのだ。

 ヴィルは警備員が戻ってくる中、オリオを抱き上げ立ち上がる。

 細身の少年でしかない身体は、悲しいほどに軽かった。


「き、君っ! 犯人の身柄をだね」

「そのロボットには、この会社の重要なデータが数多く入ったままなんだ。今ならまだ――」


 ヴィルはただ、両手で抱えるオリオを抱き締めるしかできない。

 そして、そんなヴィルを引き剥がすようにして、警備員達はオリオを取り上げた。そのまま、物のようにぶら下げて……仲間が用意した黒い袋へと投げ入れる。

 ヴィルの中で何かが爆発して、そのまま叫びとなって空気を沸騰させた。


「僕の友達だぞ! その人をっ、そんなふうにあつかわないで下さい! 死者に敬意を払うのは人間として当然でしょう? どうしてそんな、当たり前のことができないんですっ!」


 絶叫だった。

 だが、警備員は肩をすくめて行ってしまった。

 そのままヴィルは、崩れ落ちて膝を突く。

 戻ってきたリウスが頭を抱き締めてくれて、何も言わずに背中をさすってくれた。彼女の固い特集軽金製とくしゅけいきんせいのボディが、ひんやりとして熱を吸い取ってくれた。

 それでもヴィルは、突然のことに混乱しながら泣きじゃくるしかできないのだった。

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