第4話「ほわわかな家族、模索中」

 その夜、ヴィル・アセンダントは寝付けなかった。

 昼間に会社で出会った、オリオの言葉が今も頭から離れない。

 あの昼休みの時間、自分の目の前にいたのは少年、そして老人だった。

 エモーショナルAIで高度な知性と自我を持ち、感情のある第三世代型のロボットは……ああして百年近く生きていると、まるで人間そのものに思える。


「でも、それでも……彼女はロボット、機械なんだ。それをオリオさんは、否定するなと言っているような気がする。そして、機械でも……家族にはなれる筈だ」


 ヴィルはそう呟いて、ベッドの上で天井を見上げる。

 頭の後ろに手を組んで、ぼんやりと深夜の空気に呟きを溶かした。


「俺の唯一の家族である、リーラがああしてくれてるんだ。きっと、望みはある。それに……母さんと三人であの屋敷に暮らしてた頃は、ティアも家族だったんだから」


 ふと横を見れば、自室の机の上に小汚い箱がある。

 クッキーの空き缶に記憶と過去を封じ込めた、幼い頃のタイムカプセルだ。

 実はまだ、開封していない。

 鍵がかかっているのだ。

 そして、その鍵を誰も持っていない。

 壊して開封するのは簡単だが、ヴィルにとっては薄汚れた箱そのものすら思い出なのだ。さてどうしたものかと、ぶら下がっている小さな南京錠なんきんじょうを見やる。赤錆あかさびた鍵は、クッキーの空き缶に不釣合いな頑丈なものだ。

 ふと、このタイムカプセルを囲んでの先程の団欒を思い出す。

 それは、我が家のリビングでの出来事だった。




 普段は飲まないビールを帰宅時に買って、ヴィルは冷蔵庫で冷やしておいた。それをチビチビと舐めつつ、やはりまだ酒との付き合いに不慣れな自分に呆れる。

 それでも、今日は何故か慣れぬ酒が飲みたかった。

 そうやって、自分が大人であることを自分に言い聞かせたかったのだ。

 ソファに座ってタイムカプセルについて思案する隣では、妹のリーラが寝っ転がって本を読んでいる。テーブルの上では、彼女のためにティアが用意したホットココアが、甘い湯気をくゆらしていた。

 平和で穏やかな夜、寝る前の憩いのひとときだ。

 だが、缶ビールをテーブルに置くと、ヴィルは咳払せきばらいを一つ。


「……リーラ、寝るなら部屋で寝なよ」

「まだ寝ないよ? 寝っ転がってるだけ」

「お行儀が悪い、それと――」

「ねえねえ、お兄ちゃん。これ、かわいくないかなあ? あたしに似合いそうだよっ!」

「いいから人の話を聞きなさい、リーラ」


 リーラは読んでいたファッション雑誌をヴィルに向けてくる。

 正直、どれも同じ服に見える。色が違うくらいだ。でも、どれだって同じ……なにを着ても同じくらいリーラには似合う、そう思える程度には兄馬鹿シスコンだ。

 だが、そうやってゴロゴロベタベタしてくるリーラを、どうにかヴィルは引き剥がそうとする。彼女は今、ヴィルの膝枕ひざまくらの上で御満悦の笑みだ。


「いやほら、あたしって薄幸はっこうの美少女じゃない?」

「薄幸とは心外だな、頑張って稼いでるのに。なにか生活で不自由があるのかい?」

「もー、属性の意味だよっ! 病弱な美少女だって言ってるの」

「美少女、どこに……げふぁっ!?」


 みぞおちに頭突きされた。

 キッチンから顔を出したティアが、クスリと笑う。

 なんてことはないいつもの兄妹のスキンシップで、少し心配になるがリーラにはこれが普通だ。いずれは兄離れしてもらうつもりだが、そのいずれという未来が彼女に訪れることを願っている。未来と呼べる時間へと、彼女の命を繋いでいくつもりだ。

 そんなことを思っていると、リーラはソファに身を起こした。


「ねね、ティアは? ティアはどっちが似合うと思う? あたしは、やっぱ清楚せいそで可憐な清純派って感じだからー、白かな?」


 あんなに嫌悪していたのに、リーラの変わり身の早さには驚く。

 ヴィルが忘れていたように、リーラもティアのことを忘却していたのだ。それが、記憶の化石を掘り起こす過程で、なんとかティアの存在を認めたようだ。もっとも、彼女はなにも覚えていなかった……ただ、母と兄と一緒に、あの屋敷で暮らしていたメイドロボットなんだと認識したのだ。

 たとえそれが、内部動力を封印された第三世代型のロボットでも。

 今朝は張り合うようにしてキッチンでクッキングバトルをしていたが、今は打ち解けたようだ。そして、ティアはただあるがままを受け入れ微笑むだけだった。


「ねー、ティア! やっぱ白でしょ?」

「そうですね……白も素敵ですが、リーラ様にはもう少し大人っぽいものがお似合いではないでしょうか。わたしなら、こちらの淡いブルーの方が……あ、いえ、出過ぎた言葉でした。す、すみません」

「もー、そーゆーのいいからー! どっちの服がお兄ちゃんを落とせそうかなーって」


 そういう話は本人の前ではよして欲しい。

 苦笑しつつも、ティアと目が合ってヴィルは頷きを交わす。

 平和な時間、それは例えティアが使用人の範疇はんちゅうを超えてこなくても、立派に家族の団欒だんらんだった。そうこうしていると、冷めたココアを一気に飲んで、リーラが「ぷはーっ!」と口元を手で拭う。

 ティアはすぐにマグカップを下げようとした。

 ヴィルはまだ半分近く残ってる缶ビールも、一緒にと頼む。


「もうよろしいのですか? ヴィル様」

「ああ。どうもいけないね……僕にはお酒は合わないみたいだ。代わりにお茶をもらえるかな? カップは三つだ」

「三つ、ですか?」

「リーラも飲むだろう? あ、お子様は寝る前にお茶なんか飲んだら眠れなくな、ふぼぁ!?」


 また、頭突きされた。

 戸惑うティアへと、リーラは身を乗り出して人差し指を立てる。その間もずっと、ヴィルの膝の上に上体を押し付けつつ彼女は言った。


「折角だからティアもお茶しよーよ、ね? 食事の時もそうだけど、立ってられると落ち着かないよ。ねー、お兄ちゃん」

「まあ、メイドだって定時があるといいよね。家事はもう全部こなしたんだろう? だったら仕事は終わりだ、ここから先は家族の時間だよ」

「し、しかし、ヴィル様。リーラ様も」


 リーラが「これは命令だぞ?」と笑ったら、ティアもはにかみ頷いた。

 彼女は、実に何十年ぶりかに飲食をしたと言っていた。第三世代型のロボットは生体パーツのかたまりで、人間と同じ機能を有している。食事でエネルギーを賄い、不要なものは排泄する。性交による妊娠、出産だってできる。

 それは過去の話で、できたとしか今は言えない。

 ティアたちは今、外部動力からケーブルでエネルギーを供給される生活を強いられている。それは、目に見えるかせであり鎖だ。




 結局寝付けぬまま、ヴィルはベッドから抜け出す。

 半端に飲んだビールでは、やはり睡魔は訪れてくれない。そして、ささやかなお茶会でとった水分がまだ体内に残っているようだ。

 部屋を出て暗い中、ヴィルはトイレへと急ぐ。

 因みに、リーラが「トイレ掃除だけはあたしに任せてっ!」と、ティアに張り合っていたことが思い出された。仲がいいのか悪いのか、しかし二人きりの生活に新しい刺激が生まれたことはよかったと思う。

 それに、ヴィルとしてもありがたい。


「ティアがいてくれれば、過ちを犯すことはないだろう。……僕にその気はなくても、リーラはああいう性格だからなあ」


 兄妹二人暮らしのつつましい生活は、背徳はいとく倒錯とうさく退廃たいはいと背中合わせだ。

 リーラはどうして、こんなにも自分にべったりな娘に育ったのだろうか? 確かに、物心ついた頃からヴィルが育てていたが。国の支援や補助金もありがたかったが、結局接する人間はヴィルが圧倒的に多かった。

 病気のこともあって、学校では友達も少ないのかもしれない。

 そのことを考えていたら、トイレのドアの前に人影が見えた。

 ドアの前を行ったり来たりする、その姿がヴィルへと振り返る。


「どうした? リーラ。眠れないのかい……って、ああ。なんだ、ティアか」

「す、すみません、ヴィル様。あの――」

「いや、本当に似てるからね」


 シルエットというか、立って歩くその雰囲気すら似ている気がする。

 そこにはメイド服姿のティアがいた。

 彼女はぎこちない笑みで、トイレのドアから離れる。どういう訳かもじもじして、それでヴィルは察した。

 彼女は先程、かなり久々の飲食をしたのだ。


「あ、ゴメン……お先、どうぞ。僕は席を外しておくよ。えっと、時間をおいてまたくるから」

「あ、いえ! その、すみません……ええと、その、ですね」

「気にしなくていいよ、ティア。また明日も、ああいう時間……三人でお茶したりとか、そういうのを期待してもいいかな?」

「それは、構わないの、ですが……う、うう、ええと」


 相変わらずティアは笑顔なのだ。

 いつも彼女は、温かな笑みを浮かべている。

 しかし、心なしか今はその表情も硬い。

 彼女とて女性人格を持つロボットなのだから、それも当然に思えたが……なにやら様子がおかしい。ヴィルの目にも、薄暗がりの中でティアが真っ青になっているのが見えた。


「ティア? もしや、お腹の調子が悪いとか? その、ごめん……君はたしか」

「そうじゃないんです、ただ……あ、あのっ!」

「ん? あ、あれ? ……そういう、こと?」

「そう、なんです……どうしていいか、もう」


 ティアは基本、家の仕事を終えたあとは庭のコンテナに戻る。その巨大なコンテナは、それ自体がティアの心臓だ。そこから伸びるボンド・ケーブルが、文字通りの命綱なのである。

 そして、ヴィルは見た。

 涙目で瞳をうるませるティアは……ドアに手を伸ばしても届かない。

 ケーブルの長さの関係で、トイレへと行けないのだ。

 どうしてまたこんな半端な長さなのだろう?

 だが、ヴィルはリーラのトイレ掃除宣言と一緒に思い出す。

 これは、罰なのだ。

 創造主にんげん不興ふきょうを買った、彼女たち第三世代型がつぐなう罪の形。


「お手洗いをお借りしようと思って、でも、その……ケ、ケーブルが」

「大変だ、ええと……僕じゃ、まずいよね。ちょっとリーラを起こしてくるよ! 待ってて」

「だ、駄目です……ちょっと、待てそうも、ふぁ――」


 ティアはその場にへたり込んでしまった。

 ぺたんと床に座った彼女から、静かに液体が染み出して広がる。

 真っ赤になったティアは、うつむき耳のブレードアンテナをしゅんと垂れた。


「……ゴ、ゴメン! とにかく、リーラを呼んでくるよ! 本当に、ごめん。その、軽率だったかもしれない。ティアが本当に人間みたいなものだから、つい」

「すみません……わたしこそ、ちゃんとご説明してお断りすればよかったんです。でも、何十年ぶりでしょう。紅茶の温かな香り、そして芳醇ほうじゅんな味。……うれし、かったです」

「とにかく、汚れちゃったね。待ってて」

「あ、いえ! 大丈夫です! 不要な水分を濾過ろかしたもので、飲めるくらい普通の水ですから! ……あ」

「いや、飲まないけど……その、ふふ、ごめん! ティア、悪いけどちょっと、今」

「……わ、笑わないでください、ヴィル様……ふふ、恥ずかしい、ですよ、もう」


 結局、リーラは起こさず二人でなんとか床掃除を終えた。ヴィルは改めて、家族のあり方を考えさせられる。ティアには人間の機能があって、それを封印されたまま有線動力で生かされ、使われてきた。そのことを安易に否定し、人間の価値観を押し付けても駄目なのだ。

 でも、手探りで家族になってゆくことを、ティアは受け入れてくれた。

 彼女が何度も謝罪しつつ、笑顔でおやすみを言ってくれる。

 ティアの去る先には、狭い庭を占領する巨大なコンテナが唸りをあげていた。

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