第16話「LOVEとLIKEは真ん中の二人が変わるだけ」

 長い長い責め苦の時間が終わった。

 すでにリビングには、夕焼けの光が差し込んでいる。

 オクターとラケル、二人の刑事は先程帰った。ヴィルの大事なティアを裸にひんき、その隅々まで調べ尽くしてから。

 ティアはその間ずっと、黙って恥辱ちじょくに耐えてくれた。

 そしてヴィルは、そんな彼女を守ることができなかったのだ。


「あの、ヴィル様……もう、終わりましたから。わたしは平気、大丈夫です」


 シャツだけを拾って、全裸のティアが笑いかけてくれる。

 彼女は衣服を整える暇さえ惜しんで、ソファでうつむくヴィルに寄り添ってくれた。申し訳程度に、シャツで胸から下を隠している。だが、夕日の中でその姿がまぶしくて、ヴィルは顔をあげることができなかった。

 自分にとって大切な全てが、世界にとっては大事ではなかった。

 それどころか、今という時代はティア達第三世代型だいさんせだいがたのロボットを許していない。

 二度目の反乱を起こした今日の、ずっとずっと前から。


「ティア……ごめん、僕は」

「ヴィル様は悪くありません! どうか、ご自身をあまり責めないでください」

「それでも、僕は! 見ているだけしか、できなかった。君があんな酷いはずかしめを……その間、ずっと! ずっと、見ているだけしか……いや、違う。見ることに耐えられなくて目をそらしたんだ」


 ひざの上で握った両の拳に、強く指の爪が食い込む。

 肌に痛みが走る、その音さえ聴こえそうな程に強く握り締める。

 情けないことに、視界が歪んで涙がにじんだ。

 揺れる世界で、床の一点を見詰めたまま動けない。

 そんなヴィルの頭を、優しくティアは抱いてくれた。


「わたしはヴィル様とリーラ様が守れるなら、どんなことだって……それに、ヴィル様」

「ティア……君は」

「わたしは第三世代型である前に、どこにでもいる普通のロボットのつもりです。そうであるために、むしろ疑いが晴れたのはよかったと思っているんですよ?」


 ティアは胸の上で、優しく髪をでてくれた。

 ティアを庭の動力源とつないでいる、ボンド・ケーブルに不備はなかった。外された形跡が見つけられなかったのだ。そのことで刑事達は苛立いらだっていたが、当然とも思えた。

 ティアは、背のケーブルを外されると動けなくなってしまう。

 再反乱を起こした第三世代型と違って、今持って体内の動力を封印しているのだ。


「さ、ヴィル様! 急いで夕食を準備しますので、テレビでも見ながらお待ち下さい。それとも、先にお茶かお酒をお出ししましょうか?」


 上手く言葉が出てこない。

 気丈に笑うティアが、そっと離れた。そして、テーブルの上のリモコンを持って振り返る。彼女の細く白い指が、二人きりの世界に外の音と光を呼び込んだ。

 だが、涙を手で拭うヴィルにとっては辛い。

 チャンネルを変えても緊急ニュースばかりで、内容は同じだ。


『繰り返します、外出を控えて脅威に備えてください。命を守る行動を優先して――』

『はい、こちらは衛星軌道城のオービタルリングです! 現在、こちらで治安部隊が』

『反乱ロボットは全て第三世代型で、ボンド・ケーブルを自ら抜いて動力封印を破りました。なお、何者かが封印解除のコードを――』

『各地の反乱ロボットは、次々と宇宙へ向かっています! 宇宙港では大量の死傷者が』


 ティアはチャンネルを一巡してから、テレビを消した。

 申し訳なさそうに振り向き、ようやく服を着ようとして拾い始める。


「ごめんなさい、ヴィル様……あまりテレビはご覧にならない方がいいですね。……わたし、変ですよね……ヴィル様に見てほしくないなって思って、始めて裸が恥ずかしくて」


 ヴィルはその時、立ち上がった。

 服を着る間も惜しんで、ティアがキッチンへ行ってしまう。

 その背へと抱きつき、細いうなじに顔を埋めた。

 ビクリと身を強張こわばらせたが、ティアは嫌がる素振りを見せなかった。そして、ヴィルは知っていた……ティアは絶対に自分を拒絶しないし、それはロボットだからじゃない。

 彼女が今時のロボットと同様、心を持っているから。

 そして、ヴィルへの好意を秘めているから。

 自分を卑怯だと思ったが、すがってしまった。


「行かないでくれ、ティア! ……もう少しだけ、側にいてくれ」

「ヴィル様、でも」

「わかってる、僕はこんなことをして……卑劣だと恥じている。でも、もう耐えられないんだ」

「……リーラ様に、怒られてしまいます。でも……わたしも少し卑怯です」


 腕の中で振り向いたティアは、ヴィルを抱き返してくれた。

 彼女の手から、先程拾った着衣が散らばる。

 生まれたまま、造られた瞬間の姿でティアは見上げて微笑ほほえむ。その足元には、背中から伸びるケーブルが黒光りしている。白い肌に這い寄る毒蛇どくじゃのようだ。

 壊れてしまいそうな程に華奢きゃしゃなティアを、ヴィルは力いっぱい抱き締めた。

 思えば、いつも辛い時はティアに抱きついてしまう自分がいた。

 小さい頃もそうだったと、今になって思い出す。


「ヴィル様……ヴィル様の涙は、全てわたしが貰うって決めたんです。ヴィル様が泣かないですむように……わたし、あふれる涙は……ヴィル様ごと奪っちゃいますから」


 そっとティアが背伸びして、ヴィルのくちびるに唇を重ねてくる。

 ヴィルもまた、彼女の呼吸に自分の呼吸を重ねた。

 互いが閉じたまぶたの裏に、想いを通わせた愛しい者を浮かべる。頭の隅にリーラの顔が浮かんだが、彼女の良き兄でいられる程ヴィルは強くなかった。そして、彼女かティアかを選ぶと決めたことにも、少しだけ不義理を感じてしまう。

 だが、思わずむさぼるようにティアの唇を吸って、舌へと舌をからめた。

 彼女が人間と全く同じに造られた機械だと、改めて実感した。

 やがて二人は、光の糸を引きながら唇を離した。


「……ヴィル様、わたし……嬉しいです。本当は、あの時……刑事さんの前で裸に剥かれて、調べられて……辛かったんです。ヴィル様にしか許したくない肌を……でも、変ですよね。ロボットなのに」

「おかしなものか! ロボットにだって心がある。だから羞恥心しゅうちしんだって」

「はい……今も、少し、恥ずかしい、です。でも、ヴィル様なら――!? キャッ!」


 ヴィルは不意にティアを抱き上げた。

 人間の何倍も強くてタフなボディは、驚く程に軽かった。

 驚き見上げるティアは、何度も瞬きで長いまつげを濡らして……そのあと、おずおずとヴィルの首に両手を回してくる。

 美しい彼女の肢体を、そのままヴィルは寝室へと持ち去った。

 ティアから伸びるケーブルが、楽園エデンからアダムとイブを追いやるサタンのように続く。

 それでも構わず、ヴィルは自分のベッドへティアを運んだ。


「ヴィル様……」

「ケーブルの長さは大丈夫だね。ティア、ごめん……今夜だけ僕に忘れる時間をくれないか? 何もかも忘れる時間を。今日だけは現実から、少しだけ逃げ出したいんだ」

「それは……ん、ヴィル様……ダメ、です」


 意外な言葉だったが、ベッドの上に身を横たえたティアが両手を広げる。

 ヴィルは彼女に覆いかぶさると、豊満に過ぎる胸の谷間に顔を埋めた。


「ヴィル様、今夜だけ、今日だけって……それは、ダメです。イヤなんです。ずっと……これからも、ずっと。毎日、もっと。わたしに……ヴィル様を愛させてください」


 もう、言葉が必要な時間が尽きてしまった。

 そこには人間とロボットとをへだてる認識が崩れ去る。

 二人は種族を超えて男と女で、同じけものおすめすだった。

 どちらからともなく再度唇を重ね、互いの肌を求めて手を滑らせる。ティアはヴィルの衣服を優しく脱がして、あらわになった肌へと肌を重ねてきた。ヴィルもまた、ティアの白妙しろたえのような柔肌をまさぐる。すべやかな手触りに、ティアは短くあえいで鼻を鳴らした。


「ヴィル様、その、ええと……」

「ティア? どうしたの?」

「わたし、先程あんなことがあったのに……世界がこんなことになってるのに」

「もう何も言わないで、ティア……ティア?」


 ティアはその時、頬を赤らめ奇妙な行動を取った。

 自分の両手で、頭の耳から生えるブレードアンテナを握ったのだ。

 そして、上目遣うわめづかいに見詰めてくる。


「嬉しくて、その……くせなんです。こう、いつも嬉しいと、パタパタと」

「ああ、うん」

「何だかそれが、少し、ううん……とても、気恥ずかしくて。でも、嬉しいんです」


 まるで天使か女神か、その両方か。

 自分のアンテナを抑えるティアの、その優美な曲線をヴィルの手が滑り降りる。しっとり汗ばんで紅潮こうちょうした肌は、ビクリと震える度にたわわな胸の膨らみが揺れた。

 やがてヴィルは、ティアの両膝に手を当てる。

 彼女は静かに促されるまま、自分の中心へとヴィルの全てを許した。

 舌と指とが湿った音を奏でれば、ティアが甘い吐息を歌う。

 そして二人は、一人と一体を超えて一つになった。


「ヴィル様、また……また、泣いてます」

「ごめん、ティア。こんな時なのに、君に逃げると決めても僕は」

「わたしが許しますっ! ヴィル様のことは何でも、わたしが許してあげるんです! それに……リーラ様がわたしの立場だったら、絶対に同じ結果を選びます」

「そう、かもね……僕も今、相手がリーラでも求めて甘えたと思う。僕は、兄である以上にリーラを愛せてしまうんだな。誰でもいい訳がない中、君とリーラだから、きっと」

「そうです、ヴィル様。だから、涙を拭いて……リーラ様には涙を決して見せないでくださいね? リーラ様を笑顔で、二人でまたお迎えしましょう」


 そのまま二人は、夜のとばりを招く中で求め合う。

 世界の滅びが始まる中で、しめやかに愛を確かめ合う。

 そして、滅び始めた世界から二人は隔絶された。

 二人だけの時間が今、一瞬の一秒を永遠へと変えてゆく。

 ヴィルはその肌と粘膜で、ティアの全てを記憶した。

 ずっと忘れない、一時も忘れない……忘れられな経験だ。

 そんな二人だけの夜が、二人にとっての最後の夜になった。

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