45:テスト期間
ミクロ経済学Ⅰの授業は、白崎くんとリカちゃんと三人で受けるようになっていた。カップルの間にお邪魔しているようで、初めはどことなく落ち着かなかった。聞けば二人は、高校が同じだったとか。三年間同じクラスだったことが縁で、付き合いだしたという。別にお邪魔だなんて思わなくていいよ、こいつは空気みたいな存在なんだから、とリカちゃんは言っていた。そういう仲はとても羨ましいと思う。
「おれの初期のステフリ、まじで失敗だったわ」
「そうだね。プリーストにしては素早さに振りすぎだと思う」
「いやあ、素早さ上げると、全力疾走した時快適じゃん?VRならではの解放感!あれがたまらなくてさ、調子乗っちゃったよ」
「うんうん、わかる!現実じゃあんな動き絶対にできないもんね」
「バーニャの書買おうかなあ……」
「振り直すの?一応、三次職の詳細出てからにしてみたら?」
「プリースト派生って三つもあるらしいな!」
「二人が……また…アタシの知らない言葉で……会話をしている……」
リカちゃんがじとりとした目でこちらを見る。あたしと白崎くんはたちまち小さくなる。授業が始まる前、LLOの話で盛り上がりすぎて、只今この状況なのである。
「ゲームもいいけど、もうすぐテストなんだから、きちんと勉強しなさいね?」
あたしたちは、叱られた子供のように小さく返事をする。LLOでは、待望の三次職の速報が出た。そして、大学では、テスト期間に入ろうとしていた。ミクロ経済学Ⅰは必修なので、絶対に単位を落とすわけにはいかない。あたしは小テストの成績もいいし、大丈夫だと思うのだが。白崎くんはかなり危ないようだ。
そして、もう一人。意外な人物が、弱音を吐いた。
「ごめんなさい。テスト中はLLO断ちします。俺、クズです、ダメな奴です。ミクロ、やばい……」
ミクロ経済学Ⅰが終わった後、槙田くんからそんなメールが届いたのだ。LLOのパーティー全員に。心配になって槙田くんのクラスに行ってみると、がっくり肩を落とした彼が机に目を伏せている。
「槙田~どうしたの~?」
「あれ……」
白崎くんがのんきに声をかけると、槙田くんは教室前方のスクリーンを指す。そこには、「レッドリスト」の文字と数名の出席番号が映されていて、その中に槙田くんの番号があるようだった。どうやらこのクラスでは、現時点で単位取得が危うい者を、ご丁寧に発表してくれているようだ。
「あははははは!槙田、なんだよあのメール!」
相沢くんも、教室にやってくる。槙田くんは、笑われたのが悲しかったのか、彼の顔をちらりと見ると机に顔を突っ伏す。あたしはリカちゃんの陰に隠れて、彼らの様子を見守る。
槙田くんと一緒の授業は、一緒にグループ発表をした経営学演習だけだ。なので、彼の学力を知っているわけではない。けれど、あのときのリーダーシップや普段の余裕そうな物腰から、勉強ができるものだと思い込んでいた。槙田くんの落ち込みっぷりを意外に思っていると、相沢くんと目が合う。
「こいつ、座学はてんでダメなんだよね。ディベートとかは得意なんだけど、数字や暗記がさっぱりでさ。しかしお前、それでよくこの大学入れたな」
「う、うるさいなあ……」
「へへっ、槙田も大変だねえ」
「貴弘!人のこと言えないでしょ?あんたもゲーム断ちしたら!?」
「え~!なんでおれまで!」
白崎くんがリカちゃんに叱られるのは、もうお約束のような光景だ。この会話の流れでいくと……LLOでのパーティープレイは、しばらくお預けになりそうだ。テストの方が大事なのだから、仕方がない。だけど、その間槙田くんと会えないのは残念だ。授業がかぶらないので、彼と会えるのは経営学演習だけ。LLOの中とはいえ、パーティーを組んでからは毎日言葉を交わしているので、それが途絶えるのは少し嫌だ。
「雪奈ちゃんは、テスト大丈夫なの?」
相沢くんが聞いてくる。
「多分、大丈夫」
「オレも大丈夫だけど、アーチャーとウィザードだけでやるのもなあ……」
「そうだね……あたしもLLO断ちしようかな」
自分の口から、耳を疑うような言葉が出てくる。このあたしが、LLO断ちだと!?ログインしていないときも、LLOのことばっかり考えているあたしが!?別に、パーティーでなくてもLLOはできる。だいたい今までソロでやってきたんだから。それに、武器強化やアイテムさばきなど、一人の時でないとやりにくいことも多い。だから別に、そんなことする必要はないんだけれど。
「雪奈ちゃん、真面目だもんなあ。そう言うと思ってた」
「あはは……」
実際の所、自分でもなぜこんなことを言ってしまったのかわからない。しかしもう、引き返せない雰囲気だ。
「じゃあ、期間中はみんなで勉強会しない?図書館にあるグループ室なんだけど、あそこって自習用に予約できるんだよ」
リカちゃんが、そんなことまで言いだしたのだ。
そんなわけで、あたしは本当にLLO断ちをはじめた。攻略情報を集めることも、自分で禁止した。やるときは徹底的にしようと思ったのである。そして、放課後は皆と勉強会をするようになった。大学生の勉強会といえば、巷でもよく見るように、結局お喋り会になってしまうのがほとんどなのだが。あたしたちのグループは、だらけそうになる男性陣をリカちゃんが引き締めるというスタンスで、きちんと成り立っていた。あと、あたしがなぜか、槙田くんの専属講師になっていた。
「雪奈ちゃん、ごめん、ここなんだけど……」
「えっと……それ、逆になってるね。y財の数量は、減るんじゃなくて増えるの」
「え、なんで?」
「下級財だから」
「それ、何だっけ……」
槙田くんは、けっこう初期の段階でつまずいていることがわかった。LLOで言うと、魔法の相性を覚えていない状態だ。
(ウォリアーだから、それは覚えてなくてもいいのか。物理で殴るだけだもんなあ。でも、経済学の用語はきちんと覚えて下さい……)
あたしは特に教えるのが上手いというわけではない。というより、勉強を教えるのは初めてである。リカちゃんや相沢くんの方が、絶対に向いていると思うのだけど。
「そっか、そういうことか!ありがとう、雪奈ちゃん!」
「ど、どうも」
この人懐っこい笑顔をあたしだけに見せられては、講師役を降りることなど到底できない。人に教えることで、自分自身の理解も深まるわけだし、と誰に向けたのかわからない言い訳を用意する。
それにしても、とあたしは横目で槙田くんの顔を見る。前髪に隠れて目は見えないが、真剣にテキストの文字を追っているのがわかる。
(こんなにカッコよくて素敵な人でも、隙ってあるもんなんだなあ)
彼を知れば知るほど、その欠点が明るみになる。大学生にもなって、幽霊がこわいし、実は女の子が苦手。勉強も、あまり……いや、かなりできない。出会った時に感じた、完全無欠の王子様像は、遥か遠くのものである。
それでも、槙田くんのことが嫌いにならないのは不思議だ。雑誌に載っている彼を見て、キャーキャー言っている女の子の何割かは、彼の中身を知れば嫌いになるかもしれない。けれど、あたしはそうじゃない。自分が彼より勝る部分を見つけて、安心したのだろうか、だなんて意地の悪いことを考える。勉強でなら、優位に立てる、だなんて。
(それは違う、と思う……じゃあ、何で嫌いにならないんだろう……)
あたしの目の前には、推敲途中のレポートがある。誰かがあたしの表情を見ても、レポートの内容を考え込んでいると思ってくれるだろう。提出期限のない、この不思議な問題について考えを巡らせる。テスト期間中、何度かこの問いに挑戦してみたのだが、結局答えは出なかった。
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