31:白雪姫
ラナちゃんに連行された先は、小ぢんまりとした一軒家だった。てっきり、繁華街のキラキラしたビルにでも連れて行かれるのかと思っていた。どちらかというと、素朴な印象で、メニュー表がなければ美容院だとはわからない。
「おはようございま~す!」
「ラナちぃ、いらっしゃい!」
あたしはラナちゃんに隠れ、とぼとぼと中に入る。照明が、眩しい。
「これが例の地味子なんだけど、パッパと明るい感じにしちゃってね」
「うん、任せて!」
ラナちゃんの友達だという美容師さんは、小柄でリスのように可愛らしい人だ。今からこの人に髪を触られるのかと思うと緊張が走る。
「すみません、メガネ、お預かりしますね」
美容院は、メガネを外さないとダメなところらしい。あたしは裸眼だと人の顔も判別できないので、一気に不安になる。一体何をされるのかわからないのに、その過程も見届けることができないのか。シャンプーをされて、大きな鏡の前に座らされたのだが、どういう状況になっているのかほとんどわからない。ラナちゃんがあたしの真後ろに座っていて、美容師さんと何やら話している。
「先は痛んでるけど、すっごくキレイに伸ばされてるから……あんまり切ると勿体ないかも」
「アタシは、重苦しいし鬱陶しいから、じゃんじゃん切ればいいのにって思ってたんだけどなあ」
あたしとしては、あまり切らないでほしいし、パーマや脱色なんてごめんだ。
「どうされます?希望があれば、もちろんその通りにしますよ」
「いえ、特にないです……」
希望あるのに、何言ってるんだあたしは。時間が経つほど、言葉を撤回しにくくなるのに、どうしても口が開かない。
「じゃあ、長さはあまり変えないで、量を減らしますね。前髪は横に流して、顔周りにシャギーを入れて。色は変えないけど、それだけでも充分印象は変わりますよ」
「いっそのことショートにしちゃった方が面白いんだけどなあ」
面白いってなんだよラナちゃん!そう突っ込みたいが、あたしにその勇気はない。髪をあちこちクリップで止められ、ハサミを入れられていく。ざく、ざく、と容赦なく。あまり変えないと言われたので、初めはホッとしたのだが、床に落ちる髪の量を見ていると、段々おそろしくなってきた。
「最初、ラナちぃが物凄く地味な子連れてくるから!って言うから、けっこう身構えてたんだけど。全然そんなことないじゃない」
「いやいや。この子、いつもはもっと野暮ったい服装なの。せっかく手持ちに良い服があるのに、勿体ないっていうかなんて言うか」
二人の会話が、嫌な内容ではあるが盛り上がっているので、あたしは黙っていることにする。これが美容師さんと一対一なら、何かしら話さないといけないから、勝手に喋っていてくれるのはありがたい。一度水で流され、乾かされ、調整されて、新しい髪型になったようだが、メガネがないので全くわからない。どうせ、そんなに変わっていないだろうけど。
「では、眉を整えますね」
「眉っ!?」
き、聞いてない。しかし、美容師さんは止まってくれない。生まれてこの方、あたしは眉毛なんていじったことがないので、生え放題のはずである。目のすぐ上を切られるのだから、あたしはカチカチに固まってそれを耐える。
「メイクはこのラナちぃが直々に!」
「化粧もですか!?」
えっと、最後に化粧をされたのは……もしかしたら七五三の撮影なのだろうか。当時の写真を思い出して、ああなるのだけは勘弁だと声を上げる。
「あ、あんまり濃くしないで下さい!真っ赤な口紅なんてまっぴらゴメンです!それとひじきみたいなマスカラも嫌です!」
「地味子め、アタシがするときになると文句つけるのか……」
「ふふ、地味子ちゃんってやっぱり元気な子じゃない」
それから、上を向けやら目を閉じていろやら、ラナちゃんにあれこれ指示される。彼女みたいなギャルメイクではなく、あくまでナチュラルにされるみたいだ。それでも、アイラインはきっちりとひかれるらしく。
「こら!動くな!目ん玉刺すよ!」
「い、嫌あああああ!」
ペン先から逃げようと身体をよじらせる。だって、目の粘膜のすぐそばに、それを持っていこうとするのだから。電車の中で化粧をしている人を見て、器用なことをやっているのだなあとは思っていたのだが、訂正する。彼女らは職人である。あの振動の中、一ミリの誤差もなく、細い線をひくこと。それは、高い技術を持つ職人の技なのである――そんなバカなことを考えていたら、一通りは終了したようで、あたしはラナちゃんから解放された。
「よし、出来上がり!」
「あっ、凄い!地味子ちゃん、すっごく可愛いわよ!」
「ふっふっふ。やっぱり素材は悪くなかったんだねえ」
そんなこと言われても、何も見えないんですが。それに気づいた美容師さんが、メガネを取りに行く。ラナちゃんはひどく嬉しそうだが、いちいち大げさな人だというだけだろう。髪の長さや色は変わっていないし、顔だってナチュラルメイク。18年間喪女のあたしが、それくらいで劇的に変わるはずがない。
(普通の人があれこれやれば、可愛くなると思うけど。普通以下の人間がそんなことしたって、やっと普通になれるだけというか、逆に気持ち悪くなるだけだというか)
メガネをかけ、こわごわと鏡を見る。どんな化け物が映っているんだろう、と憂鬱に思いながら。
「……へっ?」
鏡の向こうの相手は、ぽかんと口を開けている。表情こそ間抜けそのものだが、予想していた化け物の姿はどこにもない。白雪姫みたいだ、と思った。それを口に出しそうになって、恥ずかしくなって、汗が噴き出てきた。だって、可笑しいじゃないか?あたしが白雪姫だなんて。
確かに、髪の長さはほとんど変わっていない。しかし、痛んだ毛先を切られ、内側に向くよう丁寧にブローされると、艶やかにきらめいて見える。顔が大きく見えるからと、前髪や耳の横は常に伸ばして隠していたのだが、それは逆効果だったのだと思い知らされた。シャギーを入れられ動きが出たせいか、ずっと小顔に見えるのだ。
そして、眉が整えられたことで、ぐっと大人っぽい顔つきになっていた。女優さんって、こんな感じだなあ、と考えてしまい、ますます恥ずかしくなる。アイメイクは、目を強調するというより陰影を調整されたといった風で、パッとしないはずのあたしの顔に、メリハリができていた。
「大丈夫?気に入らなかったかな」
美容師さんが、申し訳なさそうな表情で顔を覗き込んでくる。あたしはぶんぶんと大きく首を振る。
「地味子、メガネかけるまでは、自分がそんなに変わってないと思ってたでしょ?今の地味子は、アタシの次の次くらいに可愛いよ」
ラナちゃんは歯を見せて笑う。
「ありがとう!じゃあ、次行くわ!」
「ええ、こちらこそ、お客さん連れてきてくれてありがとう。貴重な練習になりました」
美容院を出る。初夏の風が、軽くなった髪の中を通り抜ける。あたしの靴音は、不規則なリズムを刻む。車に乗り込むまで、あたしはほとんどなにも言えないでいた。
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