08:ラナちゃん
空いた時間は、データ入力のアルバイトをしている。喫茶店やスーパーのように、人と接する仕事は嫌だったから、こういう内勤を選んだ。周りもきっと、人嫌いの大人しい方々ばかりだろう。そう思っていた頃のあたしをぶん殴りたい。
「ねえ鈴原さん、これ、よくわかんないんだけどぉ」
ひじきみたいなまつ毛をした、金髪のギャルが話しかけてくる。服装はいつもミニスカートかショートパンツだ。今日は黒いフリルのついた下品なスカートを履いている。
「これは、えっと……」
「鈴原さんがしてくれた方が、失敗しないし早いよねぇ?」
「まあ、そうですけど」
「ありがとう~!よろしくねぇ」
ギャルはひらひらと手を振って、若い男性社員のデスクに歩いて行った。彼女はあたしより二週間後に入ったアルバイトだ。内勤ということは、化粧や服装の規則がないということなので、それを目当てにやってくる人もいる。赤と緑の髪の毛をした人や、おびただしい数のピアスをつけている人がいるのだが、彼らは非常によく喋る。完全に、あたしの読み違いだった。もっと陰気な職場だと思っていたのに。
それでも、辞めたいとまでは思わない。仕事自体に不満はないし、他のところを探すのは面倒だ。お給料も、そこそこの額を貰っている。
(ペット用のアクセサリー買って、ホームの改装もしたいな。今月のシフト増やしてもらっちゃおうかな)
数字を打ち込みながら、あたしはLLOのアイテムショップを思い浮かべる。向こうでギャルと男性社員のはしゃぎ声がするが、買い物のことを考えているとさほど気にならない。
「ラナちゃん、今日の格好もエロいよな」
「フリルの隙間がやべえよ。見えそうで見えないっていうのがまた堪らないぜ」
向かいの席では、男どもが手を止めてニヤニヤしているが、あたしは構わずキーを叩く。この仕事は出来高制でなく、時給だ。数人いるアルバイトの中で、あたしが一番量をこなしているという自負がある。ああやって男性社員に色目を使っているラナちゃんと、貰える額は同じだが、それは最も気にしてはいけないポイントである。
ラックたちとアミエンの酒場へ行ってから、三日が過ぎた。あたしは毎日ログインしているが、彼らには遭遇していない。オーガの腕輪と山吹の帽子を交換し、アップデートの予告に心が湧き、あとはクロと遊んでいる。
明日は経営学演習Ⅰの授業だ。最初のグループの発表はもう少し先なので、この時間は発表用レジュメの作成と推敲をする予定だと、槙田くんからメールがあった。あたしは元から持っていた資料を提供した以外、何の作業もしていないのだが、彼らなら凄いレジュメを作ってくれるだろう。
「君たち、休憩行ってきてもいいよ」
くたびれた顔の中年社員が、あたしたちアルバイトに声をかける。周りは続々と席を立ち、喫煙所や自動販売機に向かう。
「ほら、鈴原さんも」
「キリが悪いので、少ししたら、行きます……」
あたしはいつもこう言って、他のアルバイトとわずかに時間をずらす。中年社員はそれをわかっているらしい。これ見よがしにタバコ臭い息を吐くと、のろのろとデスクに戻って行く。まだ一年生だし、就職のことはあまり考えていないが、どこの職場に行ってもあたしはこんな風なのだろう。何でもそつなくこなすが、陰気で少し鬱陶しい。邪魔とまではいかないが、居ても居なくても別に構わない。そういった評価を下される未来が、目前に見えているような気がした。
(ナオトになれたらいいのになあ)
ふっと、そんなことを考える。高いレベルと極上の装備。衰えることの決してない外見。孤高の猫使いなんていう名前は、少々、いやかなり遠慮したいのだが、「強い」という評価をされたからこそつけられたのだろう。現実のあたしもナオトも、一人ぼっちなのは同じだが、その世界で尊敬される「力」を持っているのはナオトだけだ。あたしは、それが羨ましい。
(でも、ゲーム世界が現実になったり、ログアウト不能になったり、デスゲームに巻き込まれたりするのはまっぴらごめんだね!)
もしもナオトとして生きるのであれば、あたしは死の恐怖と隣り合わせになるのだ。いくら強くとも、この前みたいにMPKまがいのことをされてしまえば、一瞬で命を落とすことになる。
データを保存し、あたしはようやく席を立つ。トイレに行き、鏡を見る。伸ばしっぱなしの髪は、適当に一つに束ねているのだが、量が増えて最近まとめにくくなった。メガネを外して目を見ると、少し充血している。根を詰めすぎたかもしれない。しかしまあ、幸の薄そうな顔だ、とあたしはいびつに笑う。この顔を可愛いと言ってくれるのは、生涯を通して親族だけだろう。
あたしが産まれたとき、母親は天使が舞い降りたと思ったそうだ。危うく、雪の姫と書いてスノーリーと名付けられるところだったらしいが、親戚一同の大反対で雪奈に落ち着いた。おじいちゃんおばあちゃん、グッジョブ。その話は父親から聞いたのだが、あたしはその時、あたしが男だったらどんな名前をつけたのか、と質問した。
真っ直ぐな人、と書いてナオトと名付けるつもりだったらしい。
それを聞いてから、あたしは男を騙るときにその名前を使うようになった。こんなこと、父親が聞いたら笑うだろうな。弟でも生まれていたら、その子がナオトになったかもしれないが、あたしにきょうだいはできなかった。そして、一人っ子だったからこそ、あたしは家の中では愛でられ、高価な物を買い与えられてきた。
(そんなのはいいから、コミュ力を鍛えてほしかったな……)
不細工でも、明るくて人当たりが良ければ気に入られるのだ。あのギャルみたいに、両方あれば言うことないけど。そんなことを考えていると、そのギャルがトイレに入ってきて、鏡越しに目が合う。
「なんだ、鈴原さんいたの。オツカレサマ」
オフィスでは聞いたことがない、ドスのきいた低い声で、ギャルが言う。あたしは慌てて脇に寄る。彼女は化粧ポーチをけたたましく開け、ファンデーションを取り出す。
「あのバイトの男共、チョーうざいんだけど。ラナちゃ~ん、とか気軽に呼んできやがって。脚見てるのバレバレだっつーの。ああいうの、マジきもい」
「う、うん」
化粧を直す彼女の顔立ちは美しいが、顔つきが般若のようである。
「アタシって愛想だけはいいから、キモ男に近寄られちゃうんだよね。鈴原さんはそんなことないと思うけど、大変だよぉ。気をつけな」
「あり、がとう……」
可愛くてコミュ力がある人にも、それ相応の悩みがあるんだね!あたしは無理やりそう解釈して、残りの時間は集中して仕事をすることにした。
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