28:ビール半分
急いで図書館前に行くと、待ち合わせ相手は数人の女の子に取り囲まれていた。友達グループと一緒にいる、という雰囲気ではない。群がられている、という言い方がしっくりくる。あたしの後ろを歩いていた二人組が騒ぎ出す。
「あれ、ラナちぃじゃない!?」
「うん、絶対そうだよ!」
彼女たちはあたしを追い抜かし、「ラナちぃ」の元へ向かう。
(なんか、彼女、有名人だったっぽい……)
ラナちゃんは、楽しげに笑顔を振りまいている。一瞬、踵を返してしまいそうになったのだが、彼女に発見されてしまった。
「ごめ~ん、友達来たから、行くね~」
ラナちゃんは大きく手を振りながら、あたしに近づいてくる。今日は緑色のプリーツスカートだ。相変わらず凄い生脚である。
「さてと。とりあえず、学園駅前に行こっか」
「は、はい」
彼女を取り囲んでいた女の子の一人が、信じられないといった様子で呟く。
「鈴原とラナちぃって知り合いだったの……!?」
それは、一時間半前にあたしを攻撃した、クラスのギャルだった。ちょっと、いい気味だ。本当に、リアルでの知り合いが居るということを見せつけられたのだから。ラナちゃんは、ギャルの呟きを聞いていないようで、何を食べたいかとあたしに聞いてくる。
「特に思いつかないので、お任せで……」
「それじゃ、思い切って焼肉にしよっか!」
「肉!?いいんですか、そんな高いの!」
「気にしなくていいって。アタシが肉食べたい気分なんだからさ~」
昨日あんなことがあったのに、彼女は至って上機嫌だ。いや、そう見せかけているだけなのかもしれない。昨日あたしは、男に連れ込まれそうになっていた彼女を助けたわけだが、それは大きな貸しになってしまった。それを一気に返してくれるらしい。
「あ、あの。なんかさっき、囲まれてましたけど」
「ああ。アタシ、ギャル雑誌で専属モデルやってるんだ。ジュリスタのラナちぃ、って地味子は知らないか。そっちの方ではまあまあ有名なの」
(ん、もしかして……)
ラナちゃんは、昨日のことを警察に通報しなかったのだが、それは曲がりなりにもモデルだからだろうか。あたしは、彼女のことなんかさっぱり知らなかったけれど、一部の女の子たちからはアイドル視されている。例え彼女に非がなかったとしても、面倒事が明るみに出るのは避けたかったのだろう。
……そういえば、あたしの呼び名は正式に地味子になったらしい。本当に地味だから、もうそれでいいんだけど。あたしたちは、駅近くの焼肉屋に入る。明日が祝日ということもあってか、店は込んでいる。
「生二つ!」
「待ってください、あたし未成年です!」
「あ、そっか。お兄さん、やっぱり一つね!それで、飲み物どうするの?」
「水でいいです」
「まあまあ、遠慮すんなって。あ、お兄さん、ウーロン茶にしといて!」
ラナちゃんのいきいきした様子に、昨日のことが聞きづらくなる。なぜ、モデルをしているくらい可愛い彼女が、チンピラみたいな男と一緒にいたのか。悶々としている内に、バラエティセットの皿が届き、ラナちゃんは次々と肉を焼いていく。皿の残りが半分くらいになった時、ようやくラナちゃんが口を開く。
「それにしても、地味子と同じ大学だったなんてね」
「はい、びっくりしました」
「これも何かの縁ってやつなのかなあ。改めて、昨日は、ありがとうね」
七輪の煙越しに、彼女は微笑む。何となく、今日は化粧が薄い気がする。あたしが黙ったままなので、さらに言葉が継がれる。
「あの日、ネイルが折れちゃってさ。それでサロン行ってたの。あ、それも地味子に謝んなくちゃね、サボってごめん。まあ、悪いことはするもんじゃない、ってことだね。サロンから出て、帰ろうとしたらしつこいナンパ男に捕まってさ。愛想笑いでかわそうとしたんだけど、いつの間にか路地に追い込まれちゃって。それで、地味子に助けられたってわけ」
「はい……」
あたしは昨日の様子を思い出す。もしあたしが通らなかったら。大声を出していなかったら。彼女はここにいなかったかもしれない。彼女ばかり喋らせるのはダメだと思い、お腹に力を入れて話し出す。
「あたしこそ、役に立ててよかったです。この通り、地味で、何のとりえもない人間ですし。あたしなんかでもできることがあるんだって、少し、安心しました」
「はは。そう思うなら、もっと食べなって」
ラナちゃんは追加注文をいれる。今のご時世、牛肉なんて滅多に食べられるもんじゃない。肉類の取引が規制されて久しく、海外の牛肉はほとんど入ってこないのだ。網いっぱいに並べられたカルビたちは、原価が高騰した国産牛である。お会計は一体いくらになるのだろうか。
「こら、伝票は見ちゃダメ」
「うっ」
視線を外したことを気づかれた。観念して、箸を運ぶ。肉を焼くという作業があるので、思っていたより会話は少なくて済みそうだ。それでも、糸口は用意しておいたので、使ってみることにする。
「あの、松崎さんって、二年からのコース選択は何にしましたか?」
学部の話である。
「会計。簿記取れりゃいいかな、って思ったんだけど、オススメはしないなあ。アタシ二級に三回落ちたんだけど、教授にすっごくなじられちゃって」
「そうなんですか……」
「それに、グループワークが少ないからつまんないよ、会計は」
「あたしは、その方がありがたい、かもです」
「苦手なの?まあ、得意そうには見えないけどさ」
「はい。今日も演習の発表があったんですけど、あたしはあんまり役に立てなくて。他の人たちがすごいから、発表はうまくいったんですけど。レジュメ作りも映像の用意もしてないし、もしいい成績が取れても、なんだか泥棒したような気がして。だから、自分一人で受けるテストとかの方が、気楽なんです」
ボキッ。乾いた木の折れる音が、初めは何なのかわからなかった。それが、ラナちゃんが自分の割り箸を折った音だと気づいた時には、店に彼女の大声が響いていた。
「ああもう!地味子ってどこまで地味なのよ!命の恩人にこんなこと言うのも何だけど、すっごくイライラするっ!さっきから何そのマイナス思考!」
「ご、ごめんなさい!ごめんなさい!」
店員さんも酔っ払いたちも、あたしたちの方を注目してしまっている。あたしは反射的に立ち上がって、彼らにもぺこぺこと頭を下げる。
「仕事中も思ってたんだけど、なんで地味子はそんなに自信ないわけ?バイトの中じゃ一番仕事できるし、もっと大きい顔してもいいんだよ?」
ラナちゃんのグラスを見るが、ビールは半分も飲まれていない。この程度で酔うものなのか、と不思議になったのだが、あたしの二学年上なら彼女は20歳だ。……案外、背伸びして生を頼んだのかもしれない。
「だいたい、恰好がいけないんだよ、恰好が!そうやって黒とか灰色ばっかり着てるから中身まで地味になるんだよ!」
「でも、あたしなんかに可愛い服は似合いませんし!」
「……ちょっと、メガネとってみな」
「はい!?」
ラナちゃんは身を乗り出し、あたしのメガネをかっぱらう。七輪の炭は延々と燃え続けている。
「大丈夫、素材はそこまで悪くない。歯並びとしゃくれアゴはどうにもなんないけど」
「は、はあ……」
彼女の目が鋭く光る。
「よし。このラナちぃが地味子を改造してやろうじゃないか!」
(何かやる気になってるよこの人……!)
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