36:劇団乱詩譚
あっという間に土曜日が来た。いつもの電車に乗って、大学に行くだけなのに、あたしはとても緊張している。それは、足元のサンダルのせいもあるのだろうか。かかとについたラインストーンが、日の光にキラキラと照らされている。これを履くだけで、特別なことがあるような気がしてしまうのだ。
(おかしくないかな、大丈夫かな……)
今日はなんと、小花柄のワンピースを着ている。こんなに女の子らしい恰好を自分がしているなんて、とても信じられない。あんたは色が白いから似合うはずだ、と昔おばあちゃんが買ってくれたものだが、本当にそうなのか自信が無い。せめて、ラナちゃんに相談しておけばよかったと悔やむが、もう引き返すことはできない。
大学の講堂の前には、「新訳・白雪姫」の立て看板があって、多くの人が出入りしている。待ち合わせはこの看板の前だ。かなり早めに家を出てしまったので、多分あたしが一番乗りだろう。人の数に圧倒されながら、じっと槙田くんたちを待つ。
「雪奈ちゃん……だよね?」
相変わらずさわやかな服を着こなす槙田くんが、何度も瞬きをしながら近づいてくる。心臓がびくびくと跳ねだして、外に出てしまいそうなほどだ。
「あ、うん……」
もっと色々、言葉を考えていたはずなのだが、何も出てこなくなってしまった。槙田くんは、あたしの格好を見て何て思ったんだろう?今日はメイクもしっかりした。しっかりといっても、あくまでナチュラルで、今までで一番上手くいったと思う。そんなに、変じゃないつもりだ。ところが、槙田くんはあたしから目を逸らし、きょろきょろと周りを見回しだす。
「白崎たち、まだかな?」
「まだみたい、だね」
約束の時間は過ぎたのに、白崎くんとリカちゃんは現れない。槙田くんは、何度も時計を確認する。あたしは、立て看板の絵がとても綺麗だなあとそちらに気を向ける。周りでは、劇団の関係者らしい人たちが談笑している。あたしと槙田くんは、視線も会話も交わさない。
「ごめんごめん!電車乗り遅れた!」
「リカがもたもたするからだろ~」
「ちょっと、アタシのせいにしないでよ!」
二人がやってきたことで、あたしの心臓は通常運行に戻る。
「おっ!雪奈ちゃん、今日の格好も可愛いじゃん」
白崎くんがそう言ってくれるが、なぜかモヤモヤが晴れない。
「いいなあ、そういうワンピースが似合って。アタシ、色黒いからさ、そういうのダメなんだ」
「そ、そんなこと、ないと、思うよ……」
開演時間が迫っていたので、あたしたちは早足で講堂に入る。あたしはリカちゃんの隣、一番端の席に座る。
「皆さま、本日は劇団乱詩譚(らんしたん)がお送りする、新訳・白雪姫にご来場いただき、誠にありがとうございます。新一年生が加わり、新たなスタートを踏み出した当劇団。今回のお話は、抱腹絶倒・阿鼻叫喚のコメディでございます。どうぞ最後まで、お楽しみください」
軽快でチープな音楽がフェードアウトすると共に、照明が落とされる。客席も舞台も真っ暗になる。
「鏡よ鏡、この世で一番美しいのは誰だい?」
セリフと同時に、スポットライトが女王を照らす。美しいのは白雪姫、と答えた鏡を、女王はガニ股で踏みつけ、狩人に白雪姫を殺せと命令する。大人しく可憐な白雪姫は、いつも女王に怯えていて、何も口答えできないでいる。そんな彼女を、狩人が森に連れて行く。どうやら、大体の流れは普通の白雪姫と同じみたいだ。だとすると、相沢くんはいつ出てくるのだろう。
狩人に逃がしてもらった白雪姫は、森の中の家にたどり着く。ここで七人の小人が出てくるんだな、と思った時、ナレーションが入る。
「なんとそこには、七人のオカマが住んでいました!」
ドカドカと足音を立てながら、七人のオカマが登場する。ヒラヒラの衣装を着て、お祭りの仮面のような厚化粧。その途端、大爆笑の渦が巻き起こる。
「あ、あれだ!相沢くんだ!」
「ちょっ、あいつ似合いすぎだろ!」
相沢くんは、真っ赤なワンピースに真っ赤な口紅のオカマだ。七人のオカマは、ぺちゃくちゃとけたたましく喋りながら、白雪姫のいる方向へ歩いていく。
「ちょっと!あんなところに女の子がいるわよ!」
「何!何なのあんた!」
「いやあああああ!助けてえええええ!」
オカマたちは、腰を抜かした白雪姫に詰め寄る。そして、相沢くん扮する赤ワンピースのオカマが、白雪姫の襟元を掴む。
「ちょっとあんた、この家に何の用なんだい!怪しいやつ!」
「ごめんなさい!ごめんなさい!」
あの相沢くんが、こんなおかしな恰好をして、演技をしているなんて、可笑しくて仕方がない。あたしも遠慮なく、笑い声をあげる。それからお話は、どんどん変な展開へと進む。家事ができない白雪姫は、オカマたちの衣装を台無しにしてしまい、こっ酷く怒られる。しかし、家事を教えてもらう中で、彼らの間に友情が芽生えていく。老婆に変装した女王をすぐに見抜いた白雪姫は、フライパンを降り回して女王を撃退する。そして、王子様がやってきて、白雪姫は美辞麗句で口説かれる。
「王子様、あなたは私のことを本当に美しいと思って?」
「おお、白雪姫、僕の言葉を疑うのかい?確かに君は、ちょっとその、アレなところがあるけれど、まあ、何というか、アレだよ……」
「はっきりおっしゃい!」
白雪姫は王子様をビンタする。私の欠点も、全て口に出して、それでも愛してくれる人でないと嫌よ、と。一部始終を見ていた七人のオカマは、王子様を追い返す。
「私、もう少しここで暮らします!七人のオカマと一緒に!」
やたら感動的な音楽と共に、幕が下りる。観客の一部は笑い転げたままだ。
「な、なんだあれ!面白すぎるだろ!」
「相沢くん、オカマの演技上手すぎ!なんであんなにくねくねできるわけ!?」
白崎くんとリカちゃんは、体をくの字に曲げてお腹を押さえている。相沢くんのセリフは三つくらいしかなかったが、それでも演技は完璧だった。白雪姫と王子様のシーンを、心配そうに見つめる仕草が最高だったのだ。
カーテンコールのあと、あたしたちは相沢くんのところに駆け寄る。近くで見ると、相沢くんは汗だくで、赤いアイシャドウもすっかり崩れてしまっている。
「相沢くん、お疲れ!」
そう言ってリカちゃんが、お菓子の入った紙袋を渡す。げっ、あたし何にも持ってきてなかった!
「これ、あたしたちからの差し入れね」
可愛い人はフォローも上手い。
「おお、みんなありがとな!なあ、どうだった?」
「すっげえ笑った!お前、最高!」
白崎くんがそう言ってはしゃぐ。あたしたちの中で、一番大声で笑っていたのは彼だ。
「すっごく良かった。次回も楽しみにしてるからな!」
「とっても、面白かったよ」
槙田くんとあたしも声をかける。
「雪奈ちゃんも来てくれてたんだ!マジでありがとう!ってか、何か可愛くなってない?どうしたの!?」
あたしは焦って一歩下がる。白崎くんが代わりに口を開く。
「相沢の方が可愛いけどな!」
「やだ、白崎ったら!ワタシあなたに惚れちゃいそうだわ~!」
「だめ、貴弘はアタシのなんだから!」
三人がじゃれているのを見て、槙田くんは優しく微笑んでいる。あ、やっぱり白崎くんとリカちゃんは付き合ってるんだ、とか何とか思いながら、あたしは喧騒の中に身をゆだねていた。
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