49:花火大会

 湊公園での海上花火大会、当日。前髪は右サイドに流され、後ろの髪は編み込まれ、コンパクトにまとまっている。着付けとヘアセットは、以前ラナちゃんに連れてこられた美容院でやってもらった。

 本当はラナちゃんについてきて欲しかったのだけど、最近は忙しいらしく、以前は弾丸のように返ってきたメールが、一日二日遅れるようになった。大学でもめっきり見かけなくなったのだが、彼女は彼女で頑張っているのだろう。あたしが水を差すことではない。

 きゅっと突っ張った襟足が少し痛くて、首の後ろを押さえる。


(慣れない……全てにおいて慣れない……)


 帯で潰された胃が痛くて辛い。浴衣でこれじゃあ、成人式の振袖はもっとキツイよ、と美容師さんに笑われた。下駄で歩くのも転びそうでこわいし、意識しすぎて普段どうやって歩いているのかわからなくなるほどだ。

 そして、一番慣れないのが、コンタクトレンズである。


(専用の目薬も買ったし、予備も持ってるし、大丈夫、大丈夫……)


 先日、思い切って眼科に行ってみた。あたしのメガネはオバサン臭くて、浴衣には合わないのだ。もっとこう、縁の太いものだと、マッチするのかもしれない。けれど、新しいメガネを買うよりは、いっそコンタクトにしてしまえ、と思ったのである。今のところ痛みはないが、メガネのないあたしの顔を見て皆がどのような反応をするのか不安だ。

 待ち合わせまでにはずいぶん時間があるので、あたしは一人繁華街を歩く。他にも浴衣の人はちらほら居て、浮くことはない。あたしが着ているのは、母のお下がりなので、それなりに古いものだ。しかし、デザインが古めかしいという風には感じない。毎年の流行り廃りはあるようだが、突飛な着方をしない限り、時代性というものがないのだろう。


(うう、緊張するなあ)


 恰好を揃えてしまったというのに、もう家に帰りたい。あたしなんかが、彼らと一緒に行動していいんだろうか。本当は鬱陶しがられていないだろうか。勉強会に誘われたのは、あたしが真面目な性格だと思われているからだ。実際、お役に立てた自信はある。相沢くんの劇に誘われたのは、お客さんは多い方がいいから。グループ発表の時は、人数合わせ。今までのことは、全て理由がつくのに。

 疲れてきたので、コーヒー・チェーンに入る。以前ラナちゃんと来たことがある店だ。アイスコーヒーを注文し、テーブル席に座る。隣は女の子の二人連れで、両方とも浴衣を着ている。彼女らも時間つぶしなのだろう。片方と目が合いそうになったので俯いたのだが、かけていないメガネを抑えようとして、目を突きかけた。癖というものはこわい。


「あ~、マジ足痛い。浴衣ってダルいね」

「うん、もう最悪。しかもうちの彼氏さ、浴衣着て行くからって言っても全然喜ばないんだよ!?お前気合入れすぎって言われた。酷くない?」


 二人の会話に肩をびくつかせる。あたしも、槙田くんたちにそう思われないだろうか。本当は歓迎されていないのに、気合入れてお洒落してきて、厚かましくないだろうか。あたしがいない方が、みんな本当は楽しいんじゃないんだろうか……。


「彼氏からメールきたわ。アタシ先に行くね!」

「それじゃ、お互い楽しもうね~」


 一人が席を立つ。あたしも待ち合わせ時間が迫ってきたので、駅前に向かう。四人は既に集まっていた。花火大会ということで、いつもの休日とは比べ物にならないほど混雑している。人混みに紛れ、踵を返せば、彼らには気づかれないだろう。

 うなじにほんの少し、冷たい風が当たる。それに押されて、一歩を踏み出す。


「雪奈ちゃん、だよね?」


 藍色の浴衣を着たリカちゃんが、大きな目をぱちぱちと動かす。


「はい、そうです……」


 男性陣は身動き一つせず、あたしの顔を、機械の点検でもするかのように眺めている。浴衣を着て、髪を結って、メガネを外すと、自分が思っていた以上に判別不能になるらしい。槙田くんが、あたしにそっと向かってくる。


「コンタクトにしたんだ?」

「うん。メガネだと、浴衣に合わないと思って」

「その……すっごく、似合ってるよ」

「ま、槙田くんの方こそ」


 相沢くんと白崎くんは普段着だったが、槙田くんは浴衣だった。黒と灰色の、細かい市松模様。茶色の鼻緒がついた、黒い下駄をはいている。はにかんだ笑顔を見た瞬間、周りの風景は何も見えなくなる。彼が浴衣を着てくるなんて、思ってもいなかった。


「なんか早速、二人の世界になってるわね」

「おれも浴衣着てくればよかったかな~」

「はいはい、そこのお二人さん!全員揃ったから、さっさと会場に出発!」


 相沢くんの掛け声で、あたしたちは湊公園へ向かう。男性陣が先導を切って、あたしとリカちゃんはそれについていく形だ。あたしは彼女に、ずっと気になっていたことを聞く。


「白崎くんと二人じゃなくて、本当に良かったの?」

「雪奈ちゃんまでそれ言う?アタシ、こういうのは大人数で行きたいタイプなの。貴弘の世話は他の日に焼いてるから、大丈夫だよ!」

「あはは……そうなんだ……」


 あたしなら、大切な人と二人だけで行きたい。そう思いながら、前を歩く槙田くんの帯を見つめる。


「今日は他の人の世話を焼きに来たからね」

「えっ?」

「っていうか、その髪型いいね!自分でしたの?」

「ううん、美容院でしてもらったんだけど……」


 それから会場に着くまで、リカちゃんと浴衣談義をしていた。男性陣はというと、屋台で何を食べるか言い合っていた。

 湊公園には、番号の書かれたシートがいくつも敷かれていた。事前予約制の有料席だ。去年も訪れたという相沢くんが、有料席を取らないと絶対にしんどいと言うので、あたしたちも予約している。白崎くんがぐるぐる周りを見回して言う。


「予約してて良かった~!この混み様じゃあ、後ろとかほとんど見えないじゃん」

「な、オレの言った通りだろ?」


 相沢くんは得意げだ。あたしたちは、受付でプレートを貰い、シートに座る。足の指が痛くなってきたので、腰をおろせるのは有り難い。

 ほんのりと潮の香りが鼻をくすぐる。それから屋台のたこ焼きや、カステラの匂いが混じる。湊公園は、その名の通り港に面した公園で、眼前に広がるこの海の上に花火が打ち上げられる。


「貴弘!相沢くん!屋台行くわよ!」


 リカちゃんが立ち上がる。


「あ、あたしも……」

「雪奈ちゃんと槙田くんは留守番お願い。予約席だから、取られることはないと思うけど、荷物見てて欲しいし」


 彼女の言うことは正論のような気がするが、なぜあたしと槙田くんを二人にするんだ!?何でもいいから抗議の声を上げようとするが、遅れる。彼らはあっという間に屋台の方へ消えてしまった。


「行っちゃったね……」

「そうだね……」


 あたしと槙田くんは、とりあえず顔を合わせてみたものの、それっきり会話が途絶えてしまう。おかしい。色々とおかしい。槙田くんとは、二人きりでも最低限のことは話せていたと思うんだけど。今日は何だか、彼の方が遠慮している気がするのだ。


「ただいま~!」

「手分けして並んだから、効率よく買えたよ!」


 思ったより早く、皆が帰ってくる。あたしはリカちゃんから、ソーダを受け取る。白崎くんが、山ほど食べ物のパックを抱えていて、槙田くんは買いすぎだと大笑いする。そうこうしていると、辺りは暗くなり、海と空との区別がつかなくなった。対岸に街明かりが見える。あの方角は、アルバイト先のある繁華街だ。地元民のひいき目を差し引いても、ここから見る夜景は最高だと思う。


「雪奈ちゃん、そろそろだよ」


 槙田くんが、あたしに声をかけると同時に、ひるるるる、という高い音が頭上に響く。


「あ……」


 沸き立つ場内。街明かりの遥か上空に、真っ赤な花が咲く。はしゃぐ子どもの声。感嘆する大人の声。あたしは何も言えず、ただただ夜空を見上げている。

 赤、黄色、青、緑……。つぼみがパチンと弾けるたびに、あたしの身体は振動する。花火の数はどんどん多くなり、チカチカ点滅するもの、垂れるもの、ふよふよ彷徨うものなど、その種類も増えていく。

 LLOで――VR空間内で見たときも、それなりに感動した。けれど、今この時、現実に見る花火は。肌を震わせ、胸を詰まらせる。

 なんて綺麗なんだろう。


(来て良かった。この場に居て良かった。あたしは、あたしは……)


 汗ばむ手をきゅっと握り締める。フィナーレでは、息つく暇もなく大量の花が咲き乱れる。止めないで、終わらないで、とあたしは願う。それでも最後の一つが打ちあがり、終了を告げるアナウンスが流れる。拍手の音も、すぐに止んでしまい、周りの人々は帰り支度を始める。

 あたしの心だけが、夜空に取り残されているみたいだった。

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