二章 『Enemyはどこにいる?』 その4

「ももちゃん、なにもこんなタイミングで来なくても……ていうかここ男子トイレなんだけどな?」

「知ってます。ていうか私だって入りたくないです、男子トイレ。でも勝負を仕掛けるには仕方ないから……仕方なく……と、とにかく勝負です! お兄さん!」


 よほど恥ずかしいのか目線をさまよわせていたツインテ少女・ももだったが、意気込んだ声を出すと同時に、背負っていたスクールバッグを置いて、内貴のことを睨みつける。

 すると、誰も入っていなかったはずのトイレの個室の扉が、『バン!』と音をたてて突如閉まった。突然の怪奇現象に内貴は当然のように、ももまでもびくりと脅えていたが、ふたたびゆっくりと開いた個室から現れた人影に二人そろって安堵のため息を吐く。


【いっぇああああ――! まさかの男子トイレで女子と対戦! ルーキーお前はタラしかなにか!?】

「え、エコー? どこから出て来たんだ」

【ダイベニストあるところに……ミー、あり。つーわけでそんな細かいことは気にしちゃいけないぜルーキー!】


 強弱つけつつも基本高いテンションを維持するエコーに気おされる。もももちょっと苦手なのか若干渋い顔をしていたが、エコーが来たということはここが戦いの場所になったということだ。

 そのことを理解したのか、一つぺこりとももはエコーに対して頭を下げる。


「出て来てくれてありがとうございます、エコーさん」

【感謝はこっちのセリフだゼ! 男と女の混合戦、こいつは貴重だもう大変! ……けどいいのかよキュートガール! ルーキーはいまさっき用を足してきたばかりってくらいに便威が感じられねぇぜ!?】

「いいハンデです。そのくらいの差があって勝てば、きっと師匠だって認めてくれるはずです」

【ん~……美しい師弟愛! それじゃ早速始めるかぁ!?】

「ちょ、ちょっと待った!」


 なんだか流れで戦う感じになってしまいそうなところを、内貴は寸でのところで止めに入る。

 すると、ももは露骨に不機嫌そうに唇を尖らせた。


「なんですか、逃げるんですか、お兄さん」

「逃げると言うか……そもそも、俺に勝ってもかすみはももちゃんのことをもう一回弟子にしようとはしないんじゃないかと思うんだが」

「……そんなこと、ないです。師匠は勝ったら弟子にしてくれるって言いました」


 確かに、内貴もそう言ったのを聞いた。だが……その後の内貴との会話を思い出す限り、きっと、かすみはもものことを内貴の修行相手に使ってやろう、程度にしか考えていない。

 ももが内貴に勝利を収めたとして……きっとかすみは、内貴に修行をつけ、その上でももと再び戦わせ、勝利させ、『弟子にはしない』などと言い出す気がする。


「あの頑固な師匠が一度『弟子じゃない』と言ったのをそう簡単にひっくり返すとは思えない。ももちゃんだって、わかってるだろ? 師匠のこと」


 説得しようとする内貴だったが、むしろももは内貴の言葉に神経を逆なでされたようだった。

 ぴょこぴょことツインテを跳ねさせるようにステップを踏みながら、ウォーミングアップしはじめた。


「お兄さんに、師匠のなにがわかるんですか? ももの方が師匠との付き合いは長いんです、師匠のことはわたしの方がわかってるんです!」

「いや、あの師匠の性格なんて三日もあれば大体わかると思うんだけど」

「むぅ……そりゃ、確かに、師匠はちょっとわかりやすいくらい難がある性格はしてますけど……!」


 あ、そこは認識してるんだ、と内貴は少しだけほっとした気分になった。わりと盲目的にかすみに対して好意を持っているように見えたももだったが、良識的な判断はしっかりと備わっているらしい。

 それだけに、今、無駄な戦いをすることは気が進まない。

 年下の女の子相手というだけで、ただでさえ気が進まなくなるというのに。

 しかし内貴がどんなに気が進まなかろうと、ももの方はどんどんやる気をみなぎらせ、じりじりと距離を詰めて来ようとする。


「――いいかげん、行きますよ。お兄さんっ」

「いや、ちょっと待っ――っとぉあ!?」


 突如として接近してきたももが、教科書の見本のような綺麗な正拳突きを放ってくる。当然寸止めではあるが、拳に込められた便威を感じて、内貴は後ろに飛びのいた。

 何度かダイベニストとの戦いを経験したおかげで、便威の射程範囲はある程度体感できている。ももの便威はそこまで強力ではないらしく、あまり距離を取らなくても影響はないようだった。


「こっちはバッグも持ったままなのに、いきなり便威打ちこもうとするなよ……しかし、師匠の弟子って聞いてたけど……師匠とはあんまり戦い方似てないんだな、ももちゃん」

「内貴さんだって、師匠の戦い方を真似られると思ってないですよね?」

「うん、全く。真似できるものではないと思ってる」


 かすみの戦い方を思い出して唇の端が不自然に持ち上がる。呆れるほどに強力な便威を持つかすみの戦い方は、身体能力やらなにやらといった付加要素を一切無駄なものにする唯一無二のスタイルだった。真似しようと思ってできるものではない。


「ももの便威は特殊ですけど、強くはないのです。けど――負けないです!」


 ももが再び踏み込んでくる。内貴は反撃はせず、ギリギリでそれを避けながらトイレ内を動き回った。


【へいへいへーい! ルーキー弱腰どうする気ぃ! もっと攻めろよ戦えよ!】

「年下の女の子相手に戦えって言われても……!」


 際限なく煽ってくるエコーに対して、内貴は苦々しく顔をゆがめながら、寸でのところでももの便威が宿った拳を避けていく。

 戦いたくないのは、別にフェミニストを気取っているわけではない。実際、かすみと特訓している時はバンバン自分の便威を打ちこんでいる。

 だがしかし――もも相手は、どうにもやりにくい。

 女だから、ではなく。年下だから、というのがどうにも内貴にはやりにくかった。あとしいて言うなら美少女なところが理由と言えるか。どうやっても自分が悪役にしかならない気がして手が出しにくいのだ。

 便威によって悶える美少女女子中学生を追い込む男子高校生の図。

 どこからどう見ても犯罪である。しかも男子トイレ。もしエコーが去って便威結界が解除され、人が入ってきたら言い逃れは出来ない。警備員に連れて行かれることうけあい。


「戦ってください、内貴さん! ももはあなたを倒して師匠の弟子にもう一度なるんです!」

「だから……っ! そんなことしてもあの師匠がもう一度弟子になんてしてくれるわけがない!」


 師匠に似て分からず屋め! と流石に内貴も一方的に責められてばかりで少し腹が立ってくる。


「そこまで言うなら本当にやるぞ! いいのか!? やるんだったら俺だって本気でやるからな!」

「いいですよやってください、ぜひとも本気でやってくださいお願いします!」

「本当に本当にやるからな! いいんだな! 確認とったからな、なにがあっても俺責任とらないからな!」

【……つーかルーキー? 流石にその厳重すぎる確認の取り方はイミフメーってやつだと思うんだゼ?】

「世の中には俺が悪くないのに悪いことにされることがたくさんあるんだよ……!」


 先日のヤンキー撃退事件を思い出して眉根を寄せながらも、内貴はとりあえずの覚悟を決めて、ずっと肩にかけていたバッグを下ろした。ここまで確認をとったのだ。それにももは真面目そうだし約束は違えないだろう、と自分を納得させて構えを取る。


「こい、ももちゃん。……ていうか俺は便威使えるほど腹痛くないから、まず一発打ちこんでもらわないと話にならない」

「ようやくやる気になってくれたみたいですね。なら……いくのです!」


 ダン! と床を踏み鳴らし、大きくももが踏み込んでくる。

 そして揃えた両の拳を内貴の腹の寸前まで付き出し、そこにこもっていた便威を腹へと打ちこんできた。

 腹を通り過ぎる、便威の感覚。じわりと腹痛が広がっていくのを感じながら――しかし、内貴は違和感を感じて首を傾げた。


「っ……なんだ? なんか、普通の便威とは……違う?」


 腹は痛くなっている。だが……なんというか……尻の穴だけでなく、尿道がむずむずするような感覚もわずかだが込み上げて来ていた。

 内貴の呟きに、ももは得意げに胸を張る。


「ももの『小便威』は、大のほうの便意が込み上げるとと同時に小のほうもしたくなるのです! しかも、わたしは相手の便威を喰らっても尿意が増大するだけで済ませることが出来るのです! ……溜まってたの一回出しちゃうと普通にお腹痛くなっちゃうんですけど」

「なんだそれズルい」


 素直な感想を漏らすと、ふっふっふ、とももはちょっとだけ楽しそうに笑った。そして、


「大と小、二つの便意に苦しむがいい、です!」


 ちょっと恥ずかしそうに、しかしかすみを彷彿とさせる格好つけた言い回しをしながら、ももはさらなる追撃をかけようと拳を振う。

 だが、便意が込み上げてきた今、わざとももの攻撃を受ける道理はない。

 それに、なんども攻撃を受けたことで、ももの放つ『小便威』の攻撃範囲は見えていた。大便と小便、二つの便意を同時に催させる恐るべき便威ではあるが、当たらなければ意味は無い。

 しっかりとももの攻撃を避けた内貴は、そのまま拳に便威を込めた。

 かすみから教えられたことを、一つ一つ、確かめるように動作を繋げていく。


 

 ――一つ、便威とは共感。大きく、大げさに、相手に動作を見せつける。

 ――一つ、便威とは気配。自分の覚えている腹痛を、相手の腹に送り込む様にすべし。

 ――一つ、便威とは侵略。相手の心を、己の腹痛を見せつけねじ伏せろ。



 教えは三つ。

 それらを守り、内貴は大きな動きで、ゆっくりと、踏み込みながらももの横っ腹へとひじ打ちの寸止めを放った。当然のようにももも内貴の攻撃に合わせてくるが、そこは計算済みだ、耐えられる。

 なにより、吐息を交わせるほどに近接状態になるのが大事。

 そうすることで、相手に便威はより強く、より強烈に伝播する――


「あ……っ」


 内貴の便威が打ちこまれた瞬間、ももの腕に鳥肌が立ち、脂汗が噴き出すのが見てとれた。膝が震え、やがて、耐えきれなかったのかがくりとその場に膝をつく。


「そんな……一発で、こんなに……うそ、です」

【おーっとぉ――!? 意外や意外、一発でケリがついてしまったぁ――!? あれだけ挑発しておいてこれだとちょっと恥ずかしーぞJ・C!】

「なんで煽るかな、エコーさんは……ほら、ももちゃん、立てる?」


 内貴は近寄って手を差し出したが、ももはその手を強く払いのけた。そして、涙目で、内またになりながら膝を震わせ……それでも、立ち上がる。

 トイレの床に手をつくことも厭わずに。ゆらゆらと、不安定に体を揺らしながら。強い瞳で、内貴の事を睨みつける。


「ま、まだ……です。まだ、勝負は、ついていません……!」

「い、いや、流石に無理だろ……? 漏れるんじゃないか、それ以上やると」

「小くらい漏らしたってどうってことありません!」

「いやどうってことあるからね!? 主に俺が! ここで漏らされて被害被るの俺なの!」


 内貴が思わず反論すると、ううう、とももは唸り声を漏らす。どうやら内貴に迷惑をかけることが悪いことだとは思っているらしい。


「だ、大丈夫です、DJさんが居るなら人は入ってこないのです! それに、師匠だって言ってました! 『ももは大が漏れるまで戦えるから有利だな』って!」

「師事してる俺が言うのもなんだけど、ホントなんであんな師匠尊敬してるんだももちゃんは!?」


 とんでもないこと言うな! と驚きで口がふさがらない内貴だったが、そんな内貴に対してももは悔しそうな睨み目を向けてきた。


「尊敬……してます。あんな、堂々としてて……あんなに、かっこよくって……ももは……ももだって……あんな風になりたいんです」


 強くなりたいです、と。

 なにか決意をにじませた声音で言うももに――内貴は、言葉に迷った。

 強くなりたいという想いは、わかる。

 内貴はダイベニストとして戦いを続けることで、器用になったり、もうちょっと柔軟な思考を持てたらいいなと思っているが、きっとももの願いはそれと似ている。

 だから――ぽろりと、言葉が漏れた。


「……わかるよ。滅茶苦茶だけど、強くなりたいって思って……師匠を目標にしたいって思うのは、少しわかる」

「……わかるわけ、ないです。内貴さんに……わたしのなにがわかるんですか」


 一層強く睨みを利かせてくるもも。そんなももに、内貴は一歩近づいた。似ているなら、きっとこっちの言葉を理解してくれると思って、近づいた。

 対して、ももは動かない。じっと、強く、内貴のことを見極めるように睨みつけてくる。


「わかる。俺だって、色々悩みとかあるんだぞ?」

「同じ悩みじゃないです。わたしと……内貴さんは、違うんです。男の子と、女の子だし。高校生と、中学生だし。便威だって、違うんです。だから、わかるわけない、です」


 言葉尻がわずかにすぼむ。もうちょっとなにか言えば、わかってくれるんじゃないか。そんんな風に感じて、内貴は更に一歩近づいて――



「――もう、それ以上近づかないでくださいっ!」



 それに合わせるように、ももが突如声を張り上げた。驚いて動きを止めると、ももは俯いて、肩を震わせながら、呟くように言う。


「……理解なんて、しなくていいんです。内貴さんは、敵なんです。ももが、倒して、もう一度師匠の弟子にしてもらうための、敵なんです。だから、理解なんてされたくないんです……っ!」


 息を詰まらせたように、ももは吐息も荒く言葉を吐き出す。その語調は強くても、震えていて。拒絶しているような言葉を選んでいても、内貴にはその声が助けを求めているようにしか聞こえなかった。

 だから、迷いながらも、もう一度前に踏み出して声をかける。手を伸ばす。思い込みなんて止めて、手を取って欲しいと思いながら、手を伸ばす。


「俺を倒しても、きっと師匠は――」

「無駄かもしれないなんて、わかってます! でも! それでも! ももは……ももは……っ! 師匠の弟子で居たいんですっ」


 ずっと俯いていたももが勢いよく顔を上げる。ももの顔は涙でぐちゃぐちゃで、その必死さに、内貴は気おされ一歩引いた。

 理由はわからない。強くなりたいから。憧れだから。そんな理由だけでここまで必死になれるようには思えない。

 しかし、わからなくても、伝わってくる。ももの気持ちが。

 自分は御手洗かすみの近くに居たいのだという――あるいは。

 それしかすがるものが無いのだと言う、そんな気持ちが。


「だから、敵で居て……! わたしの敵でいてよ! 師匠を恨みたくなんてないから、敵でいて! わたしが恨める、敵で居てよ!」

「ももちゃん……」

「あっ……う……っくぅ!」


 敬語を忘れて喚いたももは、はっとした表情になると、涙を拭いてスクールバッグをひっつかみ、早足に男子トイレを出た。追いかけようと思った内貴だったが、このまま追いかけると少々腹の具合が不味そうだと、歩み出しそうになった足を止める。


「……エコーさん。トイレ、使っていいですよね? 俺」


 なんとなく、その場に残っていたエコーに声をかける。すると、エコーは肩をすくめて、ややつまらなそうに口元をへの字の三日月形にしながら言った。


【もちろん。トイレは平等、誰がつかってもいい場所だぜ、ルーキー。敵も味方も無いんじゃ、なおさらにな?】


 ごもっとも、と頷いて、内貴はももを早く追いかけるためにもと素早く個室に入った。

 その背後で、呆れたような笑い声が響いた気がした。





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