四章 『Believerは負けられない!』 その2


「きたな、内貴」


 昨日と同じく四階の男子トイレに到着すると、既に五ツ木はそこに居た。真っ白なお面をしているのは、『コモルとして』戦うという意気込みなのだろうか。


「おはようございます、先輩。なんでお面してるんですか」

「別に。気分だよ、気分。お前も顔が見えない方がやりやすいだろ?」


 それより、と。

 五ツ木は内貴の後ろについてきたももに目を向ける。ももは男子トイレに入ることに気が引けているのか、若干落ち着きなく視線をさまよわせていた。


「そっちの子、誰だ? ていうかクソほどびびるなら男子トイレ入ってくるなよ……」


 表情はわからないが、五ツ木からどことなく呆れたような空気を感じた。


「あー、まぁ、その、付添いというか。戦っているところ見たいという話で」

「ふぅん。彼女?」

「ち、違いますから。こんな可愛い彼女欲しいとは思いますけど、彼女じゃないですから。友達ですから」


 やや慌てて言葉を返す内貴に、五ツ木は『ああ、そう』と特に気負うことのない返事をしながら――トントン、と軽くつま先で床を突いた。

 瞬間、五ツ木の体から便威があふれ出す。

 かすみほど強力なものではないが、腹の奥を疼かせる便威の波動に、内貴は思わず一歩下がる。顔を赤くしていたももも、緊張した面持ちになって唾を飲んだ。


「見ている分には構わないさ。邪魔しないならな。――おい、エコー! 出て来い、居るんだろ! 審判をしろよ、いい加減!」


 五ツ木がどこへむけるでもなく語りかけると、誰も居なかったはずのトイレの個室の中からひょこりと目深にパーカーを被ったエコーが現れた。神出鬼没ぶりに、いい加減内貴も慣れてしまった。


【ヘイガーイ……ミーだって空気くらい読むんだゼ? 真面目なハナシに茶々はノーセンキュー! だろ? ミーが居たら邪魔じゃなーい?】

「普段クソほど空気読まない奴が何言ってるんだ。いいから審判しろ。それが仕事だろ」

【まったくもってイグザクトリィ! そう言われちゃあ仕方ない! それならやろうかこの司会! 始めろお前らこの戦い!】


 テンション低めで現れたエコーだったが、ジャッジを促されるとすぐに切り替えていつも通りのハイテンションで声を張り上げた。


【一人ぼっちのギャラリーのためのぉ、戦士しょうかぁあーーい! まずは、赤コーナー! 失意の敗北を味わった後、短期間でコモルを結成! 地獄から蘇った男! ダイベニストとしての通り名は――『蹴撃のイツキ』ぃ!】

「……あの先輩、これ聞いてないといけないヤツですか」

「様式美みたいなもんだから。とりあえず聞いとけ」


 内貴の疑問に五ツ木は短く答えた。こんな時でも五ツ木はやはり面倒見のいい『先輩』だった。そのことに、どこかほっとする。


【対する青コーナァー! アウトサイダー・御手洗かすみの弟子! 二つ名はナシ! だけど秘める才能を感じなくもない? 花積ぃい――内貴ぁあ!】


 紹介を終えたエコーは、戦いの邪魔にならないように内貴と五ツ木のちょうど間にある個室の中にはいる。そしてドアを閉めると、ぴょこん、とドアの上から顔を出した。恐ろしく身軽な動きに内貴は一瞬驚いたが、便威結界なんてよくわからないものを使っている時点で常人じゃないことを思い出して考えないことにした。

 今はなにより。

 五ツ木のことだ。


【因縁・親愛・絡まるバトル! 全てくるめて始めろレディぃいい……ゴー!】

「いくぞ、内貴」

「……うす」


 短く頷き構えると、五ツ木は前回と同じように、すり足を意識した歩法で一気に距離を詰めてくる。上半身にブレがなく、やや距離感を見失うような動き。だが、一度見れば流石に慣れる。

 部活で何度も見た動きだ。


「――っしゃぁ!」

「っらぁあ!」


 気合の入った怒声とともに便威を放つ蹴りが飛んでくると同時に、内貴は屈んで可能な限り五ツ木の便威か腹の近くに当たらないようにしながら、体を前に押し出すように、五ツ木の腹に向かって便威と共に拳を放った。

 だが、五ツ木もその動きを読んでいる。蹴りを放つ動き、足の重みで生じる遠心力を最大限利用して、内貴の便威の直撃を避ける。


 一瞬、お面の下の五ツ木と、視線がかち合う。すぅっと細まる、五ツ木の目。

 その目は、なにか、内貴を苦々しく思うような、

 見たくないものでも、見ているような。

 そんな風に、内貴には見えた。


 だが、視線の交錯は一瞬。次の瞬間には、内貴も五ツ木も大きく足をひき、互いに体勢を立て直す。互いに竹刀を打ちこんだ後の残心のように、一呼吸おいて――二人は、再び便威を放った。


【ヘイメーンズ! なんだか似てるぜスタイルが? 流石部活の先輩後輩! ダンスのようだぜ便威の応酬! しっかぁーーし……?】


 エコーの声をしっかりと聞く余裕もなく、内貴は五ツ木の攻撃にカウンターを返し続けていた。五ツ木の足は長く、リーチがある。加えてそこそこ強力な便威を放つため、その分もリーチに加算される。

 かわすのは至難の業だと昨日の内に理解していた内貴は、全ての攻撃を致命打を避けた回避行動で受けつつカウンターを打ちこむという戦法を取っていたのだが。


「う……っは、ぁあ……っ!」


 ぎゅるりと腹が鳴った。胃、ではない。腸だ。しかもかなり直腸に近い位置……少しでも漏れ出しそうな便を圧縮しスペースを作ろうと、腸が蠢き大便をひきつぶし下痢に変化させる音だと、内貴は経験から悟った。

 苦痛に脂汗を流す内貴に、五ツ木は一度攻勢を止め、憐れむようにわずかに見下した。


「オレの足技のリーチを考えて、カウンター戦法をとったまではいい考えだったかもな。だが……オレとお前じゃ技の練度にクソほど差があるってことを忘れてるだろ、内貴。オレはお前の防御と回避を予想して、動きを合わせるなんて簡単にできるんだぜ?」

「は、は……まったく、その通り……ぅく……」


 腹を抑えながら、内貴は苦笑いを漏らす。甘い考えだとはわかっていた。しかし、これしか勝つ方法はないとも思ったのだ。

 だから後は、意思の問題。

 やり遂げるか、否か。


「でも……まだ……負けてませんから」


 震える膝を叩いて、ファイティングポーズをとる。

 それに、お面の下で五ツ木が目を見開いたのが分かった。不可解なものでもみるように、目を見開いたのがわかった。


「なんで、立つ。そんなにコモルを壊滅させたいか? それとも、コモルに入るのが嫌か?」

「別に……どっちも、大した理由じゃないです、俺にとっては」

「なら、なんのために戦おうとしてる」


 本当に、心底、五ツ木は理解できないと――その目から、戸惑う気持ちが伝わってくるようだった。

 きっと、お面の下には脅えるような表情をしているのだろう。

 その顔を見せてほしいと思った。

 何を考えているのか、教えてほしいと、内貴は思いながら――応える。


「――トイレは、宝だ」

「宝……だと?」

「そうです。ダイベニストとして、勝ち取ったトイレは……ガマンして……ガマンして……ようやく見つけた、綺麗なトイレ……その便座に座る瞬間……その達成感と、解放感。それを、戦って勝ち取ったトイレは、兼ね備えている」


 内貴は、自分が見つけた『戦う理由』を言葉にしていく。

 不思議なことに、はっきりと言葉を紡ぐに合わせて、体に力がみなぎるような感じがした。

 気合が入る、というのか。

 かすみが戦う理由をしっかりと見つけろと言っていた意味を、体感している気がした。


「だから俺は立ちます……! 勝つまで、諦めない!」


 力強く、一歩を踏み出す。その瞬間、足を踏みだした衝撃が一気に腹まで伝わったのを内貴は感じた。

 振動が、腹の中で響き渡る。決壊する寸前まで、腹痛が増していく。

 だが。

 それを、内貴はこらえた。勝つ、勝ちたい、そんな思いで、奥歯を噛みしめながら便意に耐えた――次の瞬間。


「……そんな」


 ぽつりと、最初にその変化に気付いた五ツ木が声を漏らした。

 不思議なことに、内貴の腹痛は安定状態になっていた。一時の安定ではあるが、しばらく戦えると内貴は安堵したが……次の瞬間、自分の体に起こっている変化に気付く。


「便意が……強くなっている?」


 自分の便威の強さは自分ではあまり感じられないのがダイベニストの常だ。だが、内貴は、そんなダイベニストの常識を裏切って、自分自身の高まる便威を感じていた。


「これは一体――」

「解理便威……クソほど忌々しい」


 戸惑う内貴に対して、五ツ木は舌打ちしながら苦々しい声で言う。


「げり……べんい?」

【解けた理と書いて『解理便威』! だゼ? 必ず下痢を起こさせる、便威に非ざる便威ってやつサ! まさかまーたみられるとは思ってなかったけどナ! アウトサイダーの弟子って時点で考えとくべきだったかもナぁ?】


 解理便威。相手に必ず下痢を起こさせる便威。

 それを聞いて、内貴はふと、かすみのことを思いだした。かすみの持つ強烈な便威……それを喰らったあとは、かならずと言っていいほど内貴は下痢をしてしまっていた。


「師匠と同じ便威……まさか、師匠はこれが原因で戦うことを禁じられていた……?」

「それだけじゃないけどな……だが、理由のひとつだよ、内貴。まさかお前が……」


 五ツ木が戦いを続けるべきか悩む様に、つま先を何度も床に打ち付ける。どこか苛立っているようなリズムを刻むそれを聞いていると、エコーが口を挟んできた。


【ルール上では同等の便威を持っていない場合には戦いは成立せず、ってことになるけど、どうするんだよコモルのリーダー? 続けるか? やめるか?】

「……いや、やる。いずれ御手洗には借りを返すつもりだった……その練習台になってもらうぞ、内貴」

「そんなことのために戦うのは……どうかと思いますよ。ダイベニストとして」

「一つ教えてやる、内貴。オレはもう――ダイベニストじゃないんだよぉ!」


 五ツ木が勢いよく距離を詰めてくる。いくら安定状態に入ったとはいえ、再び五ツ木の便威を何発かくらえば状態は悪化するだろう。

 便威は強力になるが、ギリギリの状態であるには変わらない。もろ刃の剣であることを意識しながら、内貴はかすみの戦い方を思い出していた。

 あそこまで強力な便威を発揮できるとは思わないが――


「これなら……どうだ!」

「っぐ、は……っ!? なに……間合いが……ここまで……!?」


 内貴は、五ツ木が蹴りを放つ前に、渾身の便威を込めて拳を突き出した。瞬間、便威に当てられた五ツ木が腹を抑えて蹴りをひき、下がる。

 内貴の便威はさっきまでとは比べ物にならないほど攻撃範囲を増していた。五ツ木の攻撃範囲よりも、更に長く。

 トイレ内全てが攻撃範囲になるような、かすみほどの便威ではないが、これならば戦えると、内貴はある程度の距離を保ったまま、何度も五ツ木に便威を叩きこんでいく。


「っく、ぅ……! まさか、こんな……御手洗ほどではないと、思ったのに……ここまで……っぐぁっ!?」


 内貴が一メートルほどの距離を保ったまま拳を振うたび、便威に打ちのめされて五ツ木腹痛に呻き身をよじる。そのまま徐々に後退していき……やがて。奥にあった個室の中に踏み込みそうになって、足を止めた。


「五ツ木先輩……」

「く……くく……まさか……ここまで追い詰められるなんて……な。やれ、内貴……あと一撃でオレは、立ってもいられない……お前の勝ちだ」

「その前に……話をさせてください」

「なに……?」


 不可解そうな声を漏らす五ツ木。そんな五ツ木の攻撃範囲内へと近づいて、内貴は問いかける。


「先輩は……ダイベニストじゃないと言いました。それは、なんでですか?」

「……トイレの奪いあいなんて、くだらないからだ……そんなものにかける時間は、無駄だ。意味がない。無意味だ……そう思うから、ダイベニストじゃない、オレは……もう!」

「……違い、ますよね? 先輩は、無駄だと思っているんじゃなくて……無駄じゃないと思っていた理由を、見失ってしまっただけなんじゃないですか」


 お面の下で、五ツ木が目を見開いたのがわかった。

 そのお面に、内貴はそっと手を伸ばし――外す。

 五ツ木は、痛みに脂汗を流しながら、目を見開いて、まるでまぶしいものでもみるかのように、内貴を眺めていた。

 呆然と。まっすぐに。


「一度漏らして……理由を見失って……それでも、戦いに焦がれた日々があったから、忘れられなくて……コモルを作って、戦う名目を作って……戦いに戻ってきた」

「オレは……そんなことは、考えてない」

「そうですか? ならなんで――さっき、羨ましそうな目をしてたんですか?」


 今度こそはっきりと、五ツ木の表情が驚きに染まる。

 羨ましそう。そう見えたのは、最初に打ち合った時、視線が交錯した瞬間だ。

 最初はわからなかったが……戦いながら、あれは『羨ましそうな目』だったのだと、なんとなく内貴は気が付いていた。


「理由があって戦っている俺が……羨ましかったんじゃないですか?」

「だとしても……どうしろっていうんだ」


 五ツ木は、目線を反らした。そして、ふらふらと、内貴の横を通って、出口の方へ向かう。


「オレは理由を見失った……もう見つけられないだろうとも、なんとなく確信してる……けど、あの充実していたダイベニストとしての戦いの日々を……忘れられるわけじゃない。だが、だからこそ、今、戦いに意味を見いだせないことが虚しくてたまらない……! そんなオレに! お前はどうしろっていうんだ、内貴!」


 振り返り、激情を吐き出す五ツ木。

 対して、内貴は、気軽な調子で――笑顔を浮かべて、言ってやった。


「そんなの、探せばいいじゃないですか、理由」


 は、と。

 呆れたような、驚いたような表情で、五ツ木は吐息を漏らした。

 だけど、そんな反応をされたところで、内貴は本気も本気だ。


「見つからないなんてことはないですよ。俺だって、見つけるのは大変だったけど、見つかったんだ。はっきり言葉に出来るくらい、しっかり見つけられたんだ。一度見つけられた理由なら、きっともう一度見つけられますって」


 だから、探せばいいじゃないですか――と。

 そんなことを笑顔で言う内貴をしばらくまじまじと眺めていた五ツ木は、やがて、笑った。

 は、ははは、はははは――と、その笑い声は徐々に大きくなって行く。

 そしてひとしきり笑い終えると、目の端に浮かんだ涙を手の甲で拭いながら、笑みを浮かべた。

 すっきりとした笑みを、浮かべていた。


「……そうだな。見つければいい……その通りだよ。クソほど正論だ。ダイベニストであった自分を羨ましいと……ダイベニストであるやつらを羨ましいと思うなら……探すことを、諦めちゃいけないかったんだよなぁ……」


 一瞬、遠い目をする。その目に映っているのはきっと、過去の自分自身だろうと内貴は思った。かつて、トイレを求めて戦っていた、昂揚していた、自分自身を想って――五ツ木は言う。


「――お前の勝ちだ、内貴。コモルは解散する。オレは……ダイベニストとして、戦う理由を探すよ」

「先輩……!」


 内貴が喜びの声を漏らすと、へ、と恥ずかしそうに五ツ木も笑った。


「ま、オレは師匠もいないから……アドバイスくれよ、内貴。一から出直しだ」

「もちろん、俺に手伝えることならなんでもしますよ!」

「はは、そりゃありがたい――」


 な、と。

 五ツ木の言葉は、途中で途切れた。同時に、五ツ木はその顔を青ざめさせてその場に倒れ込む。


「は――あ――?」


 一体何が起こったのかと、事態が飲み込めず内貴は驚きまじりに吐息を吐き、視線を周囲に走らせる。五ツ木の倒れた原因は、倒れた五ツ木の背後――男子トイレの入り口に正解が存在していた。

 男子トイレの入り口には。

 強烈な解理便威でじわじわと男子トイレの中を浸食し始めている、御手洗かすみが立っていた――


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