四章 『Believerは負けられない!』 その3
「――時は満ちた」
トイレに侵入してきたかすみは、静かに呟いた。その声に、隠しきれない喜びが秘められているのを、内貴は感じ取っていた。
なによりその表情。かすみは笑顔だった。今まで見たことのない、心底嬉しそうな、悪魔的な笑みをかすみは浮かべていた。
恐ろしいほどに、嬉しそうな。
「師匠――い、いや、先輩、大丈夫ですか!?」
突然現れたかすみに驚く内貴だったが、かすみに声をかける前に倒れた五ツ木に駆け寄った。肩を貸すと、どうにか五ツ木は立ち上がる。
「だい……じょうぶ、だ……お前は、御手洗に……気を付け……っく」
「いやもう今すぐ漏らしそうな顔して何言ってるんですか……! とりあえず個室入ってください!」
五ツ木を個室に押し込む。ついでに、手にもったままのお面は五ツ木のポケットにねじ込んでおいた。とりあえず、五ツ木はこれで大丈夫だろう。
しかし――そんなことをしている間に、かすみはもものことをうしろから羽交い絞めにしていた。
「っは……ぅ……内貴さん……!」
「ももちゃん!?」
苦しげに呻くももを見て、思わず声を荒げる内貴。ももは太ももを擦りあわせ、顔を上気させながら、何度も荒く息を吐く。
そんなももを、かすみは観賞していた。
「ふふ、私が一度目をつけただけはある。当てが外れたものの、ももの『小便威』は規格外だな。解理便威すら小の便意に変換してしまうとは……だが、堪えるのはなかなか苦しそうだな? もも」
かすみが、ももの下腹部に手を這わせる。そのまま、膀胱を刺激するように軽く指先で下腹部を押し込んだ。
「~~~~っ!? っく、ぁ、ぅぁあ……っ!? だめ、です、そんな、ぁあ……師匠……やめてぇ……っ」
「ももちゃんっ! ……師匠! いきなりやってきてなにやってるんだ!」
「『挑発』さ。キミにやる気になってもらわないと困るからね、内貴」
「やる……気? なにを言ってるんだ……師匠」
かすみの行動も、言葉の意味も分からず、内貴はただ全身に吹きつけられるような便威――話を聞く限り、かすみの便意も『解理便威』だ――を感じながら、疑問をぶつける。
対して、かすみは余裕の笑みを崩さないままに応じた。いつでもももの体を刺激できるように、手を這わせながら。
「手短に話そう。キミのタイムリミットが来てしまっても困るからね。――知っていると思うが、私は解理便威を使い、そこの個室に入った菅原五ツ木を『漏らさせた』ことで、ダイベニストとしての戦いを封じられた。正確にはそこに居るエコーによって新たなルールが追加されたんだ……『同等の便威を持つもの同士でなければ戦ってはならない』、とね。もちろん、今しがた内貴が彼と戦ったように、互いに同意があれば別だが」
「それは……知ってるけど」
かすみの言っていることは、今まで内貴が聞いてきた情報からわかっていたことだった。最後の、ルールが追加されたということは知らなかったが、概ね間違いはない。
「――私は戦いを止めるわけにはいかなかった。だから、必死にルールの穴を探したよ。どうにかして戦うために。そして……弟子を育てる、という結論に至った」
「それが……俺や、ももちゃん……?」
「そうだ。私の解理便威と同じ土俵に立てる便威使いを探し当て……そいつを弟子として育て、私の戦う相手とする。それが、私の目的だった。そしてそのために、コモルも作った」
「っ!? コモルを作った!?」
今日一番の驚きに内貴が目を丸くする。
「ま、まて、コモルのリーダーは五ツ木先輩で……!」
「ああ、リーダーはヤツだとも。だが、それをたきつけたのは私だ。裏で操っていたのは私だよ、内貴。昨日菅原五ツ木は言っていただろう。『あるダイベニストから連絡を受けてコモルを作った』と」
昨日の会話を思いだせば、確かに五ツ木はそんなことを言っていた気がする。
「……ふふ、私の正体を『ネットで知り合った、自分に共感してくれたダイベニスト』程度に思っていた彼は御しやすくて助かったよ。コモルは私の思惑通り、私の弟子を強くするための装置として十分に活躍してくれた。そしてついに……ついに! 私と並ぶ解理便威を内貴は発揮するに至った!」
心底嬉しそうに、かすみは五ツ木が入っているトイレの個室に方に視線を向けた。個室の中で五ツ木がどんな顔をしているのか、それを想像して楽しんでいるかのようだった。
「入学式の日にトイレに駆け込む姿を見た時から、内貴に見込みはあると思っていた――だが! 実際にこうして解理便威が発揮されているのを見ると感動ものだよ! 私はようやく、ようやく、やっと――私が戦ってもいい相手を見つけることが出来たのだと!」
「あ、ぅ、あああ……っ!? し、しょぉ……っ!」
ぐりぐりと下腹部を圧迫されて、色っぽくも苦しそうな声を漏らす、もも。
それに、思わず内貴は一歩前に出て拳を構えていた。
「止めろ師匠! なんでこんなこと……! いや、そもそも、なんでそこまでして戦おうとするんだ!? ダイベニストとして、トイレを求めて戦うのはわかる……けど、師匠はそんな風じゃなくて……もっと……戦うことだけを求めているみたいな……なにがしたいんだ!」
「戦うことだけを求めている――か。大当たりだよ内貴。私は戦うことだけを求めている。なぜなら私が強さを証明できるのは、ダイベニストとして戦う場以外には無いからだ」
「強さを証明……?」
「そう。私は弱かった。ずっと、ずっと……弱かった。だが、東京に越してきて、ダイベニストとなり、初めて私は自分が強く在れる場所を見つけることができた」
じわじわと、かすみの放つ便威の気配がさらに濃厚なものになって行くのを内貴は敏感に感じ取っていた。安定してきていた腹痛が、再びぶり返してきて冷や汗を流させ、手足を震わせる。
「とても楽しかったよ。初めて人を見下(みくだ)してやるのは。腹を抱えて地面にうずくまる人間を見下(みお)ろすのは。強くなったと実感できた。もう弱くないと思えた。――私はもう、弱くなんてなりたくないんだよ、内貴」
過去に陶酔するようにうっとりとしていた表情が――引き締まる。
かすみの顔が、初めて、険しさを伴った戦う者の顔になり、その全身から放たれる殺意混じりの便威に思わず内貴は息を飲み構えた。
「ああ、十分やる気になってくれたらしい。よかった、よかった。もも、キミのおかげだよ。十分役目は果たしてくれた。ほら、解放してあげよう」
「あっ……」
ももが背中を押され、内貴の方に倒れ込む様にやってくる。ももを抱き留めた内貴は、お姫様抱っこで運び、そっと空いていた個室の洋式便座に座らせた。
「男子トイレは嫌だろうけど、ももちゃんはここに居てくれ。流石に一度男子トイレを出るのは……きつい」
入口前に陣取っているかすみの方にちらりと目をやる。かすみは早く来いと言わんばかりに殺気を内貴に向けて放っていた。
「大丈夫……です。内貴、さん……ももは、大丈夫ですから……だから」
「ももちゃん?」
ももは、内貴の服にしがみついて、涙目になりながら、震える声でささやくように言った。
「師匠のこと……満足させてあげて……ください。きっと……戦えれば、師匠は……」
「……どうだろう。けど……どうにかはするよ」
煮え切らない答えしか返せない内貴だったが、それでもももは満足そうに笑みを浮かべた。そして内貴がそっと体を離して個室を出ると、ももが入った個室のドアが閉まる。
【――ヘイ、アウトサイダーズ? 師匠と弟子の会話は終わったかい?】
それと同時、ずっと閉まっていた個室の扉の上からぴょこんとエコーが再び顔を出した。空気を読んで黙っていたらしい。
「私はもう、アウトサイダーじゃないだろう、エコー。私はもう戦う相手がいる。私は……ダイベニストだ!」
ハッキリと宣言するかすみに、はぁ、とエコーは呆れたように肩をすくめた。だが、すぐに切り替えて声を張り上げる。
【……オーケーオーケー! ルールはルールだ、文句はないぜ、やりたきゃやりな! ミーもDJ、仕切ってやるゼ! 本日二戦目師弟でバトル! 悲願を果たせよ御手洗かすみぃっ】
「もちろんだとも――! 行くぞ、内貴、私を楽しませ、そして、私の前に這いつくばるがいい……!」
「ちょ、待っ――くぉお!?」
【先行はみたらぁい! バーサーカーも真っ青の、凶悪な便威が内貴に襲い掛かるぅ――!】
十分距離が離れているにも関わらず、かすみが一歩踏み込んで滅茶苦茶に腕を振り回した瞬間、体を散弾銃で撃たれたかのように強烈な便威で『叩かれる』。多少構えてはいたものの、心の方はそこまで準備が出来ていなかった内貴は、その一撃だけで思わずその場に崩れ落ちそうになった。
超強力なかすみの便威は、展開しただけでトイレ全域を包み込み、常に相手にダメージを与え続ける便威の毒沼とでも言えるような状態に変化させる。
だが、かすみの便威の真価はそこではない。
かすみの便威は、距離が関係なく当たるし、距離に関係なく威力が強い。接近する技術、便威を打ちこむために隙を作るような技術は一切必要ない。
必中する便威は、確実に内貴の腹具合を悪くしていく――!
「こ、の、師匠……っ! 話を……聞けぇっ!」
必中するならば、避ける動作に意味は無い。内貴は、捨て身で一気にかすみの眼前まで突っ込んだ。全身に打ち付ける便威で腹の具合はどんどん悪くなっていくが、それ以上のことはない。まだ耐えられると、握った拳に最大限の解理便威を込めてかすみの腹を狙って拳を放った。
便威は、確実にかすみの腹へ届いた。元々かすみ自体の動きは鈍く、当てることは容易い。こふ、と短く呻くような、せき込む様な声をかすみは漏らし、腹を抑える……が。
「く、ふ……ふふ、ふは、っははは……っ! 痛いじゃないか……内貴ぁ!」
「何っ――っづぉ、ぁ、ああ……っ!?」
至近距離でかすみが振るった拳から放たれた便威。それを感じて――内貴は驚愕する。
どこに居ても変わらない威力で絶対に命中すると思っていたかすみの便威。
だが、今、内貴の腹に打ちこまれたそれは、確実に距離があった時よりも威力が上がっていた。
「便威が……強く……!?」
「当り前だろう? 今私だって内貴に便威を打ちこまれた。腹が痛くなれば便威は強くなる。当然の話さ。私の便威は……もっともっと強くなるぞ? 内貴ぁ……♪」
距離ではなく、内貴が便威を打ちこみ、それが効果を発揮したから強くなった。距離感と威力の関係に気を取られていた内貴は、その基本的な考えが完全に頭から抜け落ちていたことに今更気づく。
だが、内貴が頭から『基本』を忘れてしまうのも無理はない状態だった。既に我慢の限界に達している腹痛によって、冷や汗が止まらず、呼吸も自然と荒くなる。脳には酸素が行きわたらず、視界がぼやけてきているような気さえした。
思考がまとまらない。上手く物事を考えられない。
だからだろうか。内貴の口からは、自然と疑問が流れだしていた。
「なんで……強くなきゃいけないと……思うんだ、師匠は……?」
「ふん? そりゃそうだろう。誰だって弱くなりたくはない。昔の私はそれはもう臆病で、いじめられっぱなしで、自分の意見なんて十数年口にしたこともないような女の子だった。あんな人生、私はもうゴメンだよ」
不思議そうにしながらも、余裕の表情でかすみは答える。
その答えを聞いた内貴は――笑った。
へ、と。短く。しかし、あざ笑うようにはっきりと、笑った。
それを見たかすみは、不快そうに眉をひそめた。
「……なぜ笑う、内貴」
「師匠が、馬鹿みたいだから」
内貴は、かすみの血管が『ぶちん』と切れる音を聞いた気がした。かすみは顔を赤くして、鬼の形相で迫り、内貴を床に押し倒す。
まるで、初めて出会った時のように。
内貴は背中に走った痛みと腹痛で顔をしかめ、息を絶え絶えにしながらも、小さく笑い声を漏らした。
「お前は……! お前は、弱い私を知らないから、その境遇を知らないからそんなことが言えるんだ! 虐げられ、親にもなにも言えず、ついには故郷を離れてこんなところまで逃げて来て! そうしなければならなかった私の気持ちが、お前にわかるか!?」
「は……はは……しるわけない、だろ、師匠……そんなの。俺は、知ったこっちゃない……」
言うと、かすみは拳を掲げた。もはやそれはダイベニストとしての戦いとは関係ない、ただ怒りに任せた一撃が顔を狙っているようだった。
流石にこの状態で顔を殴られたらこれ以上口を動かす余裕はなくなりそうだと、内貴は『だって』と、早口に言葉を続けた。
「だって、俺は、強い師匠しか知らないから」
拳が止まる。視線をかすみの顔に向けると、かすみはなんとも言えない表情をしていた。
困っている……というか。驚いているようにも見えるし、あるいは少しだけ喜んでいるようにも見える。
面白い顔するな、なんて、危機的状況が一周回って逆に落ち着いてきた内貴はそんな暢気なことをついつい思ってしまいながら、言葉を続けた。
「ていうか、師匠が弱いっていう状態ってなんだよ……想像も出来ないというか」
今までの事を思い出しながら、苦笑いしながら、内貴は言う。
かすみはいつでも無駄に自信満々で、堂々としていて、めちゃくちゃで、自分勝手で。
そんなかすみ以外のかすみが『在った』なんて、考えられない。
だから、笑う。弱かったから、それに戻るのが嫌だなんて言うかすみを、内貴は笑う。
「師匠が戦ってなきゃ強くいられないなんて、嘘っぱちだ」
馬鹿みたいだ、と。もう一度笑いながら、言う。
「師匠が昔弱かったとしても、今の師匠は強いんだ。戦わなくたって、他人を倒さなくたって、師匠はもう――揺るがない、強い自分を持ってるんだ」
そんなこともわからないから、馬鹿みたいだっていうんだと、内貴が言うと。
かすみも、内貴と同じように笑いをこぼした。どこか自嘲的な、全くその通りだと同意するような、そんな笑いをこぼし、ゆっくりと内貴の上から退いた。
「師匠……」
内貴が体を起こす。すると、楽しげに、しかしさっきまでとは違って穏やかな様子で、かすみは笑みを浮かべて内貴を見据えた。
そこに、戦いを求める狂気のような意思はないように思えた――が。
「立て、内貴。まだ勝負は終わっていない」
「……やっぱ説得とか聞かないのか」
それもかすみらしいと言えばかすみらしいと思いながら、とことんまでやるしかないのかと思いつつ内貴は立ち上がった。しかし、そんな内貴のぼやきが聞こえたらしいかすみは、少しだけ拗ねたように口をとがらせる。
珍しく、年相応の女の子のように。
「人のことを話を全く聞かないヤツであるかのように言うんじゃない。内貴の説得は聞いたさ。……しかしまぁ、車は急に止まれないというだろう? 人間だって同じさ。私はずっと戦いを求めてきた。弱くなりたくないからと、それだけを目的に、一年近くを過ごしてきた。そんな私が急に止まれるわけがない」
だから、と、かすみは笑いながら構え、全身から便威を放出する。
「――ありがちで悪いがこういわせてもらおうか。私を止めたいというのなら、私を倒してみるがいい、内貴!」
「えー……? その反応は想定外な……納得したなら止まってくれればいいのに……」
思わず呆れた声を漏らす内貴だったが、かすみは早く立てと言わんばかりに便威をばしばしと当ててくるので仕方ない。腹の調子は最悪でもう五分と持ちそうにないが、やるしかないと腹をくくって立ち上がる。
すると、今まで引っ込んでいたエコーが再びよこりと個室から顔を出した。
【――ったくヨゥ、トイレは青春する場所じゃないんだゼ? そういう話は後でやれよ後で】
「ふふ、悪いね、エコー。トイレは戦う場所だものな」
【んなわけあるかよアウトサイダー! トイレは用を足すところ、テメーの考えてるところ、的外れなのもいいところ! そんなんだから、御手洗かすみはアウトサイダー!】
エコーの言葉を受けて、かすみは驚いたように目を丸くした。それから、ははは、と短く笑いを漏らす。
「なるほど。全く持ってその通りだよエコー。トイレは用を足すところさ……ふふ。そりゃあ、私みたいな考えではアウトサイダー呼ばわりされるというものだ」
【いぇあ。わかったんなら始めろよ! 残った個室はあと一つ、師弟対決クライマックス! 綺麗なトイレに入るため、ぶつけろ便威、燃やせよ闘志!】
エコーがはやし立てると、かすみは改めて内貴に向かいなおす。大して、内貴もやれやれと構えを取り、足を前後に開き、前に走り出す準備をした。
腹痛は限界で、今すぐトイレに駆け込みたい。しかし、だからこそ、目の前のかすみに対して強烈な闘志が湧き上がる。
「――悪いけど、ちょっと余裕ないからな、俺。すぐに倒させてもらうぞ、師匠」
「――できるものならやってみるがいい、内貴。そう簡単に師匠を越えられると思うなよ?」
お互いに睨みを利かせ、じりじりと距離を詰め始める。
そんな内貴たちを見て、エコーがにやぁ、と深い深い、三日月のような笑みを浮かべて宣言した。
【それではぁ! 御手洗かすみVS花積内貴ぁ! レディぃいいいい――ファイッ!】
そして、内貴とかすみは戦い始めた。
ただ、純粋に、トイレを求める――ダイベニストとして。
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