三章 『消せない傷をdon't miss it』 その8

 面を外した五ツ木は、少し困ったような苦笑を浮かべながら、つま先を何度か床に打ち付ける。そのいつもと変わらない様子に、内貴までも苦笑を浮かべてしまった。


「ったく……なんで内貴がダイベニストやってるんだよ。……ま、そうじゃないかとは思ってたけど。まさかここで出くわすことになるとはなぁ」

「先輩こそ、なんでコモルなんて。俺のことびっくり死でもさせるつもりですか。想定外すぎますよ」

「その割には、冷静みたいだけどな? 笑ってるし」

「驚きすぎてどういう反応すればいいかわからないんすよ」


 実際、内貴の心はかなり動揺していた。そもそも五ツ木がダイベニストであるというだけでかなり予想外の出来事なのだ。その上コモル所属。なにがどうなっているのかさっぱりわからない。


「そうか。オレはお前がダイベニストなのは、大体知ってたんだけどな。もっとも……そこの女に師事してるって知ってたら、もっと慌てて止めに行ってたんだが」

「師匠……?」


 五ツ木の厳しい視線の行く先は、かすみだった。睨まれているかすみは、しかしなにも言わず、感情の読めない作られた無表情を張り付けていた。

 そんなかすみを一層強く睨みながら、五ツ木は言う。


「内貴。オレがなんでコモルに入ってるか聞きたいみたいだから、教えてやる。……そこに居る御手洗かすみのせいだよ。そいつが居たから、オレはコモルに入って――いや。コモルを俺が作ったんだ!」

「つく、った……? せ、先輩がですか? コモルを?」

「そうだ。コモルのリーダーはオレだ。そしてコモルが出来た原因は、その女にある!」


 お面をポケットにねじ込みながら、五ツ木はかすみを指さす。その指先は、わずかに震えているように見えた。


「オレが御手洗かすみと会ったのは半年くらい前……この女は、女子トイレのみならず男子トイレにも侵入して、ダイベニストに戦いを挑む戦闘狂として名前を馳せていた。そんな御手洗に偶然襲われたオレは……この女の便威を喰らって……漏らした。大を、だ」


 うわ、と思わず内貴は声が漏れてしまった。確かに便威を喰らい続ければそういうことが怒る可能性もあるだろうが、しかし、まさか、本当に漏らしてしまうことがあるとは。


「正確には、その女がギブアップしたオレの腹に便威を叩きこみ続けたせいで、身動きもとれないままその場で『漏らさせられた』んだ……人間とは思えない、クソほど冷酷で、楽しそうな顔をしてたぜ、その時の御手洗は。今思い出しても背筋に怖気が走る」


 五ツ木の言葉に、かすみはなにも言わない。

 だがなにも言わないことが、五ツ木の言葉が真実であるという証明になっているように内貴には思えた。


「オレはそれから一度、ダイベニストであることを辞めた……だが、その少し後に、あるダイベニストから連絡を受け……コモルを作った。ダイベニストが争い続ければ、いずれ第二・第三のオレのような人間が現れるだろうって言われてな。全くその通りだと思ったよ。戦う意味を失い、下痢でトイレにこもった後のような虚脱感を抱えて生きることになる人間がこのままじゃ増え続ける……! だからオレは! コモルを作った!」


 拳を握りしめ、熱く語る五ツ木。その言葉にもまた、嘘は無いように思えた。いつも飄々としている五ツ木だからこそ、普段は絶対に見れない熱い言葉に、内貴も心が震わされるようだった。


「わかるだろ? 内貴。だから止めるな。むしろ、お前もコモルに来い。オレたちは争わず、かつ、平等にトイレを運用できるような試みも行っている。ダイベニストなんてもの、この世からなくなってしまえばいい!」


 だから来い、と強い意思がこもった言葉が、内貴に投げかけられる。

 それに対して、内貴は――一度、かすみの方を見た。


 だが、かすみはなにも言わなかった。それどころか、表情も変えなかった。

 まるで内貴がどうするのかわかっているかのように、落ち着きはらっていた。

 そんな態度に、少しいらつく。

 だが、同時に、かすみはそうでなければ、とも思う。

『そう』でなければ――内貴は、揺らいでいただろう。


「……先輩、その誘いは、断らせてもらいます」


 五ツ木が目を見開く。それほど、内貴の答えは意外だったのだろう。内貴もそう思う。ダイベニストの魅力にはまっていなければ、戦う理由をはっきりと見つけて居なければ、内貴は今、五ツ木の誘いに乗っていただろうから。

 しかし、今の内貴は……それら二つを、どちらも持っていた。


「先輩は……ダイベニストでいることの意味を失ってしまったのかもしれないですけど……俺はまだ、ダイベニストで居る意味を、十分持ってますから。だから、コモルには入れません。俺はまだ、ダイベニストとして……戦いたい」

「……、なら、そこのクソ女との付き合いだけは止めろ」


 苦々しい表情で、五ツ木は言う。しかし、その言葉も内貴には聞けなかった。


「無理です。俺の師匠は御手洗さんだ。そりゃ、いい人だ、改心したんだ、とか、そんなことは言えないし……たまに頭おかしいんじゃないかとも思うけど……でも」


 しかし、内貴は今まで、かすみに指導を受けて来て。

 その丁寧な教えを受ける中で、感じてきた。


「――御手洗さんのダイベニストとして戦おうとする意思は本物だって、思ってます。俺は、そんな御手洗さんの下でなら、たとえ過去に酷いことをしていようと……弟子で居る価値はある、と思います。だから、御手洗さんと縁を切るようなことはしません」


 すいません、と内貴が頭を下げる。対する動きはしばらく眉根を寄せていたが――やがて、内貴の横を通り過ぎてトイレの出口へと向かった。

 その途中、沈んだ声で内貴に向かって言う。


「……明日の午前十時半……このトイレに来い。その時間なら、まだブロードウェイの店は準備中で人はほとんど居ない……そこでケリをつけよう。もしもオレが勝ったら、コモルに入ってもらうぞ、内貴」

「先輩が、負けたら?」

「その時は、コモルを解散してやる」


 約束だ、と言い残して、足早に五ツ木はトイレを去る。数秒迷った後に、内貴はトイレを出て後を追おうとしたが、トイレをでると既に五ツ木の姿は無かった。

 仲のよかった五ツ木と、微妙な溝を生んでしまってもやっとした気分でいる内貴だったが、その背後から、軽い調子でかすみが声をかけてきた。


「――都合よく話が進んでよかったじゃないか。これで明日、アレに勝てば無事にコモルは壊滅だ」


 内貴の前に軽い足取りで歩み出たかすみの表情は、楽しそうな笑みだった。さっきまでの、何を考えているかわからない無表情ではない。そういえば、エコーはもうどこかに行ったのだろうか――と少し思った内貴だったが、それより、かすみに尋ねなければいけないことがあった。


「師匠……先輩が言ってた話、本当なのか? 漏らさせたって」

「事実だとも。私はちょっとばかり、戦い始めると加減が利かなくなるのさ――おかげで私は、ダイベニストとして戦うことを禁じられている。戦おうとしても、ジャッジであるエコーに止められてしまうのさ」


 今更ながらに、内貴はかすみが自分以外と戦っているところを見たことがないことに気付く。

 それどころか。

 ダイベニストの戦いの場にかすみが居合わせることも、ほとんどなかったことに気付いた。

 それはつまり本当に……かすみはダイベニストとして戦うことを、戦いの場に居合わせることをほぼ禁じられている、ということの証拠だった。


「だから、内貴には強くなってもらわなければね……そのためには、彼、コモルのリーダーである菅原五ツ木はいい練習相手だ。全力を持って打倒すがいい――」


 ――私のために、と。


 にまぁ、と、怖気がするような、悪魔のような、人を取って食ってしまいそうな笑顔を浮かべて、かすみは言う。

 その、どんなに引きはがしてもダイベニストの戦いの中に戻ろうとする強烈な意志を見せつけられて、内貴は思わず息を飲んだのだった……


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