三章 『消せない傷をdon't miss it』 その7


「……ふむ。相手が予想より少ないな……」


 中野ブロードウェイに到着後。

 内貴たちが入口辺りで一度足を止めると、かすみがスマホを弄りながら呟いた。


「少ないっていうと?」

「コモルの構成員が、今日はここに一人しか出没していないらしい。……まぁ、たまたま出てきた人数が少ない日、というのもあるだろうからな。仕方ない。というわけでもも、帰れ。邪魔だ」

「なんでですかっ?」


 突然の戦力外通告にももが思わずと言った様子で跳ねながら抗議をし始める。それを、心底面倒くさそうにかすみは説得する。


「元々今日のコモルを壊滅させる修行は、内貴を鍛えるためのものだ。お前は弟子じゃないんだから、一人相手にももが加わって二対一でやってしまうと、経験値が減るだろう」

「そんなゲームみたいな考え方しなくても……言いたいことはわかりますけど」


 納得できない、とももが唇を尖らせる。かすみの方もちょっとは態度に出さないようにしたらどうかと内貴は思ったが、下手に出ているかすみを想像してそれこそ『らしくないな』と一人頷く。

 ならば、ここは弟子である内貴がたまには手助けするべきところだろう、とも。このまま放っておいてまたももとかすみが険悪な雰囲気になるのは嫌だ。


「ももちゃん、今日の所は帰ってもらえるかな? 俺はほら、まだまだ駆け出しだから。師匠に手伝ってもらって経験も積みたいし」

「むぅ……その駆け出しの内貴さんにこの間はももは負けたんですけど……」


 ……そうだった、と言葉を選び間違えたことに気付いて内貴は内心慌てて目線をさまよわせるが、その様子がおかしかったのかももは『仕方ない』とでも言う様に笑みを漏らした。


「わかりました、今日の所は帰ります。でも、内貴さんは今度ちゃんと埋め合わせしてくれなきゃダメですよ?」

「お、おう。可能な範囲で埋め合わせはさせてもらうよ」

「なら、今日は大人しく帰るのです。それでは師匠、内貴さん、さよならでーす!」


 一度決めたら行動が早く、ももはひらひらと手を振りながら去って行った。来た時とは逆方向に歩いて行ったので、おそらくちょっと遊んでから帰るのだろう。


「ナンパとかされないといいけどなぁ」

「ももは足も速いし心配ないだろうさ。それより、早く行くぞ。情報があったのは四階だ」


 早足に移動を始めたかすみを追いかけて、内貴も四階に向かう。三階直通のエスカレーターに乗った後、階段を上っていく。中途半端なバリアフリー感に時代を感じながら、四階の、人気が少ない方のトイレ近くに到着した。

 内貴が以前、初めてダイベニストの戦いを見た場所と同じところだ。


「よく来るな、ここ。やっぱりいい場所なのか、ダイベニスト的に」

「もちろん。日に数度の清掃、一階から三階にくらべて使用頻度が低く清潔さが保たれる個室内、加えて静かときた。この辺りでは三本の指に入るスポットだろう」

「当然コモルもよく狙う……と」


 そういうことさ、と言いながら、一応かすみは周囲を確認しながら男子トイレに向かう。トイレ内部からは、既に便威の余韻のようなものが感じられた。腹部がもぞつくような感覚を抱えながらかすみと共にトイレに入ると、内貴たちと入れ違いに、小太りな中年男性がトイレを飛び出していった。

 おそらく、ダイベニストだろう。負けてトイレを去ったのだ。

 そして今去った男を倒したらしい人物が、トイレの中央に、立っていた。


「今日は千客万来だな。――クソが」


 目の部分に一つだけ穴が開いた、真っ白な仮面をつけた男――声が若い、おそらく青年、少年というべきくらいの年齢だろう――は、不機嫌そうにつぶやいた。

 仮面でその表情はうかがえないが、視線は主にかすみを捉えている気がした。


 トイレの個室は一つも埋っていなかった。それでも今しがた出て行った男と目の前のお面の男が戦ったのは、おそらくダイベニストをやめさせるため、なのだろう。

 徹底している、と内貴がわずかに身構えていると、お面の男は小さく息を吐いた。


「まぁ、いい。ダイベニストを潰しに来たんだ。相手が多いに越したことはないぜ」

「それは奇遇な話じゃないか。私たちもコモルを潰しに来たんだよ、なぁ? 内貴」


 一歩踏み出して、かすみがお面の男相手に挑発を行う。なんでこう好戦的なのかな、と内貴が思っていると、誰かが肩を叩く。


【ヘイルーキー? 次のバトルはお前がやる気? それともアウトサイダー、行く気?】


 肩を叩いてきたのはエコーだった。どこか気乗りし無さそうなテンションだ。


「師匠が戦うと不味いんですか?」

【まずい、不味くない、その前に! あいつの便威はルール外! オーケイ?】


 便威がルール外。その意味を尋ねようとする前に、下がってきたかすみに腕をひかれ内貴はお面の男の前に引っ張り出された。


「安心するがいい、エコー。もちろん私の弟子が相手をするさ」

【それならオーケイ、始めろ両名! お前らやらなきゃ誰がやる!?】


 かすみが参加しないとわかるや否や、エコーは元気に声を張り上げる。

 その様子を見ていた内貴がこっそりとため息を吐くと、お面の男も小さくため息を吐いた。なんだか気が合いそうだな、と思って内貴が男に小さく頭を下げると、男も軽く頭を下げるような動作をした。


「始めるぞ、お前。手加減は無しだ」

「……お手柔らかに……って言う相手じゃないですよね、多分」


 お面の男に促される様に、内貴は拳を構える。一方、お面の男はポケットに手を突っ込んで足を動かしやすいような幅に開いた。蹴りを使うのか、と内貴が警戒していると、いつのまにか距離を取っていたかすみの隣でエコーが開始の合図を叫んだ。


【それではレディ――ファイッ!】


 合図と同時に、お面の男は一つつま先で床を小突くと、一気に内貴に対して距離を詰めてくる。重心を前に傾けながら、地面を滑るように、すり足気味に踏み込んでくる。剣道で何度も見たことのあるその動作に一瞬驚きながらも、内貴は相手の便威を受ける体勢を整えた。

 次の瞬間、お面の男の足が勢いよく側面から回り込んでくる。移動の勢いをそのまま利用した、勢いのある蹴り。そこに乗った便威が、重く内貴の腹に響く。


「っく……!」


 思わず内貴は呻くが、まだ余裕はあった。男の方は連戦のはずだ。一気に攻勢をしかければ勝ち目は十分にあるはず。

 そう思い、相手が足をひく前に便威を乗せた拳を突き出した――のだが。


「甘い……っ!」


 男はそれよりもさらに動きが早かった。『ピタリ』と寸止めしていた足を勢いよく引き戻すと、再び足を動かす勢いを利用して自分の体を移動させる。

 一瞬で大きく距離を取られ、それに反応しきれなかった内貴の拳は宙を切った。当然、内貴の便威は男に全く当たらない。しかも先ほど便威を喰らった脇腹を完全に相手にさらすような格好になる。


 慌てて引き戻そうとするが、遅い。がら空きになった腹に向かって、お面の男は素早いステップで側面に回り込むと、膝蹴りに乗せて便威を二発打ちこんでくる。

 全身を突き抜ける、便威の衝撃と、背筋を走る腹痛の悪寒。男は内貴が呻くのを確認すると、距離を取ってトントンとつま先を床に打ち付けた。

 思わず脇腹を抑えて冷や汗を拭う内貴だったが、腹痛よりも気になることがあった。


「今の……動き」


 今しがたの、足の運動エネルギーを利用した重心移動。最初の踏込。それら全て、内貴は見た覚えがあった。

 それらは全て、剣道における立ち回りを基本としているのは明らかだった。剣道において、竹刀を振う時、上手い人間は腕力のみで竹刀を振らない。全身の筋肉をまんべんなく可動させ、竹刀自体の重さを利用し、自分の体で発生したエネルギーを全て竹刀に乗せるように打ちこんでくる。

 だからこそ熟練者の打ちこみは防具の上からでも重く響き、時には脳震盪さえひき起こす。


 お面の男の動きはその応用であるように見えた。『足』という武器――竹刀に代わる『長もの』を中心として、全身のエネルギーを支配するような立ち回り。内貴の予想が正しければ、それは剣道の技術が使われているのは明らかに思えた。

 そして、もう一つ。

 側面に回り込んでくる時のステップに……そして、つま先を打ち付ける動きに、内貴は見覚えがあった。


「……俺の、知り合いに。そういう動きをする人が居ます」


 呼吸を整えながら、内貴はお面の男に問いかける。攻撃を続けようとしていた男だったが、内貴の言葉に反応してぴたりと動きを止めた。


「学校の先輩で……剣道部で……よく、つま先で床を小突いていて」


 はぁ、と。

 男がため息を吐いたのがわかった。それを聞いて、内貴はなんとなく次に目の前の男が言いそうな言葉を、ついつい口走っていた。


『クソ面倒だな』


 内貴と男の声が重なる。男の動きが今度こそ、完全に止まる。その様子を見て、内貴は何故だか笑いが込み上げてきた。戦っている最中だっていうのに、体が妙にリラックスしてしまう。


「なんて、言うと思うんですよ。俺の先輩だったら――ですよね、五ツ木先輩」


 苦笑気味に内貴が話しかけると、男――菅原五ツ木は、ゆっくりと被っていた面を外した。


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