三章 『消せない傷をdon't miss it』 その6


 翌日、土曜日。

 内貴は数日前に教えてもらったかすみの住所に向かう前に、ももと待ち合わせしているコンビニ前に来ていた。


「……しかし、本当に緊張しない感じになってるなぁ、俺」


 待ち合わせの時間まであと五分ほどあるのをスマホで確認しながら、内貴は呟く。ここ数日クラスメイト(女子含む)と会話を交わした結果、かすみと出かけることのプレッシャーは全く感じなくなっていた。

 数日前の自分の緊張が嘘のようだ。


 相手がかすみでなかったら、流石にまだ緊張が残っていただろうが、この調子ならば問題なくコモル退治という目的だけを念頭に置いて一日活動出来そうだ。

 そんなことを考えながらももを待っていると、不意にスマホがポケットの中で震える。

 ももから電話だった。


「もしもし?」

『あ、内貴さんですか? 時間ぎりぎりになってすいません。けど、もう着きます――あ、見えました』


 通話が切れる。見えました、と言っていたので内貴が待っている場所から見える範囲に居るのだろうと、周囲をぐるりと見渡した内貴だったが。


「……うお」


 数メートル先の角からちょうど曲がってきた美少女の姿を見て、思わず声を漏らしていた。

 当然美少女とはももである。特徴的なツインテールはそのままに、短めのスカートを中心としてやや露出多目な格好。しかしいやらしいのではなく、あくまで『可愛く』見えるようにまとめられている辺りもものセンスを感じる。


「お待たせです、内貴さん。待ちました?」

「え、あ、いや……大丈夫、大丈夫」


 かすみならば問題ないと思っていた――だが、ももは無理だった。内貴の考える『女の子らしい』要素を全て取り揃えたような、目の前の少女には、数日積み重ねた程度のコミュニケーション能力など働かない。

 どうにか言葉を発せているのはももだからだ。これが見知らぬ女性だったら挨拶も出来ない自信が内貴にはあった。


「……なんかもう、このままももちゃんとデート行きたいわ」

「なに言ってるんですか……師匠との約束破ったら大変なことになりますよ?」

「いや、そうなんだけど。多少怒られるくらいでももちゃんとデートできるならいいかなー、とか思っちゃってですね……ははは」


 思わずややだらしない笑みをごまかすように浮かべると、ももは満更でもなさそうに少しだけ頬を染めた。

 しかしかすみと出歩く少ないチャンスであるというのを思い出したのか、ぷるぷると頭を左右に振って顔の赤みを抑える。


「きょ、今日はダメです! 師匠と出かけるんですから! それに内貴さんが後で痛い目を見てもかわいそうですから」

「ももちゃんは優しいなぁ」


 ちょっとずつももの可愛さに慣れてきた内貴だったが、気遣いが身に染みて余計に惚れそうだった。年下なのに自分よりもはるかに包容力とかが備わっている気がする。

 なんとも言えない心地でいると、ももは視線を反らしながらツインテールを手に持って、口元を隠した。


「……まぁ、その」

「うん?」

「今度、暇なら……一緒に遊びに、行きましょう。内貴さん」

「お、……おう。わかった」


 上目遣いに、もじもじしながらいうもも。魔性すら感じる可愛さに、内貴も照れて思わず目線を反らす。

 しばらくお互い照れた様子で居た二人だったが、やがて気が付いたように大き目の声でももが言う。


「そ、そろそろ師匠のお家にいかないとですね! 遅れたら大変ですから!」

「お、おう、そうだな! 行こうかももちゃん!」


 お互いに醸し出してしまった変な空気を振り払うように、早足に内貴とももは目的地であるかすみの住むアパートがある場所へと向かった。

 そして集合場所から無言で歩くこと十分ほど――かすみの住んでいるアパートは、三階建てのコンクリートマンションだった。


「師匠の部屋番号、どこでしたっけ」

「えーっと……三階。305だって」


 以前送られて来たメールを見て、部屋番号を確認する。


「じゃあ、わたしはここで待ってますね。わたしが一緒に師匠の部屋に行くと、師匠、意地になって行かないとか言い出すかもしれないですから」

「部屋出ちゃえば大丈夫かな?」

「多分。流石に一度外出したのに止めるのは嫌だって思う気がします」


 なるほど、と頷いて、内貴は一度ももと別れて三階へと向かった。

 さっさと階段を上って、305号室へよく見たら304号室だけなかった。4という数字を避けているようだ。


「細かいこと気にする管理人さんなのかな」


 呟きながら、305号室のインターホンを押す。中から響く、某コンビニの入店音。祖母の家の呼び鈴も確かこんな音だったな、などと思っていると、インターホンから声が響いた。


『……あい? どちら様』


 ものすごい眠そうだった。まさか今の今まで眠っていたのだろうかとわずかに驚きつつも、内貴は言葉を返す。


「内貴だよ、師匠。コモル壊滅させに行くんだろ?」

『ああ――内貴か。ちょっと待ってくれ、今開けよう』


 扉に向かって、人が歩いてくる音がする。内貴が扉から少し離れていると、やがてゆっくりと扉が開き――


「お待たせ。悪いね、私は寝起きが悪いから、外で待ち合わせなんて出来そうになかったんだよ」


 朗らかに挨拶をしてくるかすみ。

 しかし、それに対して内貴は返事を出来なかった。

 なぜなら、かすみは――キャミソールに薄い布地のショートパンツだけという、とんでもない格好だったから。


「ば、っは、ちょ……!? み、御手洗、さん? なんてカッコで……!」

「ん? ああ、寝間着だよ、寝間着。楽なんだ。ま、着替えるから少し待っているといい。手狭な部屋だけどモノがないからね、人が一人待つくらいのスペースはあるさ」


 入ってくれ、と腕を引っ張られ、内貴はそのまま部屋の中へと連れ込まれた。

 室内は扉から短い廊下、キッチン、トイレやふろ場を仕切る扉、洗濯機……と色々なものが並び、その先にカーテンで仕切ってかすみの私室があった。


 かすみの部屋は、モノが少なかった。机や、本棚、タンスにテレビなど、一通り生活するのに必要なものはちゃんと揃っているのだが……なんというか、それ以上のものはない。

 個性、というべきか。かすみの部屋は、別に男が住んでいても全く問題ないような感じがした。

 別に女性だからもっと女性らしくしろ――なんて時代錯誤なことを言うつもりはないが、それにしたって無個性な部屋だった。

 ただ、ベッドのカバー類だけは花柄だった。そこだけは女の子っぽい。


「殺風景な部屋で悪いね」


 プラスチックのタンスの前で服を選んでいたかすみが、取り出した服を持って近づいてくる。その手にはブラとパンツもあった。つまり今、かすみはブラもパンツもつけていないのだ――と瞬時に内貴は頭の中で色々とエロいことを考えたが、これ以上考えるのはまずいとすぐさま思考を中断する。


「ソウデスネ」


 思考を中断したら言葉もちょっと不自由になった。


「昔ならもうちょっと趣味が反映された部屋になったのだろうけど、今は余計なことさ」

「ソウデスネ」

「……なぁ、なんで目が据わっているのかな? 私の部屋がそんなにお気に召さなかったかい? そりゃあ、女性らしくなくてガッカリさせたとは思うけれど」

「ソウデスネ」

「……なるほど。がっかりしているのじゃなく思考停止中、というわけか。ふふ、なかなか可愛いところがあるじゃないか、キミも」


 さっきから同じ反応ばかりを返す内貴の頭の状態に気付いたらしいかすみは、楽しげに微笑んだ。そしてそのまま風呂場の方に向かうと、通路と部屋を仕切るカーテンを閉めながら、からかうように言う。


「もしも気になるようなら、のぞいても構わないよ? 楽しいかどうかはしらないけれどね」


 シャッ、と軽快な音を立てて締まるカーテン。数秒後、扉が開いて、閉まる音。

 同時に、内貴の思考が正常状態に復帰する。


「……まさか師匠に今更女の子を感じることになるとは思ってなかった」


 重苦しいため息を吐く。かすみとはいえ女の子なのだなぁ、と思いながら頭の中に思い浮かべたのはももだった。

 頭の中でももとかすみを比べると、当然のようにももの私服姿がかすみの部屋着に打ち勝つ。

 大したことない、大したことない、と何度もうなずいていると、徐々に平常心が戻ってきた。

 そして内貴がすっかり落ち着いた頃になって、カーテンを開いてやや不機嫌そうなかすみが戻ってくる。


「あ、準備終わったのか、師匠」

「……なんでキミはさっきより落ち着いてるんだ……」


 納得いかない、というような表情をしているかすみ。なかなか見れない表情だったが、その意図はわからず内貴が首をかしげると、はぁ、と軽くため息を吐く。


「まぁいいさ。からかおうとした罰ってやつだろう。さ、行くぞ内貴。とっととコモルの連中を潰しに行こうじゃないか」


 パンツのポケットに財布やらスマホやらを仕舞いこみ、さっさとかすみはドアの方に向かう。内貴もボディバッグを肩にかけなおしながら、一緒に部屋を出た。

 かすみと一緒に階段を下りていく。そしてアパートの敷地から出ようとした瞬間、ぴょこん! とツインテールを揺らしながらももが飛び出してきた。


「こんにちはです、師匠!」

「……なぜももがいるんだ」


 ももではなく、内貴の方に睨みを利かせてくるかすみ。思わず内貴は高速で目を反らした。

 すると、ももは笑顔で事前に用意していたらしい『言い訳』をすらすらと述べる。


「内貴さんからたまたまコモルを倒しに行くっていう話を聞いて、それなら戦力が多い方がいいですよね? って思って来たんです! 邪魔はしませんから連れて行ってください!」


 ももの言葉を聞いて、しばらくかすみは眉を寄せて考え込んでいたが――やがて、何も言わず歩きはじめる。


「邪魔したら私がももも倒す。覚えておくといい」


 どうやら、一応の同行は認めてくれたらしい。内貴はももと顔を見合わせて頷き合うと、かすみの後を追った。


「それで師匠、どこに行くんだ? コモルを潰すとは言ってたけど」

「中野ブロードウェイだよ。土曜で人が多いと、ダイベニスト同士もかち合う確率が高くなる。コモルとしても活動にはうってつけのタイミングと言えるだろう」


 少しだけ歩く速度を落としながら説明してくれるかすみ。

 それからしばらくかすみはなにも言わず、時折スマホをいじりながら歩いて行くので、内貴はももとたまに雑談を交わしつつその後をついていった。たまにかすみにも話題を振ったのだが、かすみが話に加わってくることは無かった。

 ところが、人通りの多い大通りにやってきてしばらくすると、かすみはふと歩みを緩めて、内貴たちに肩を並べる。


「どうかしたのか、師匠」

「師匠、ようやく会話に混ざる気になったんです?」


 内貴とももが声をかけるが、かすみは応えない。代わりになにか悪巧みでもしているかのような邪悪な笑みを浮かべながら、あごで周囲を歩いている人間を指し示す。

 かすみの示す先に居るのは――カップルだった。

 休日だからだろう。仲睦まじく歩く年若いカップルがちょいちょい見かけられる。内貴たちよりも少し年上、大学生くらいの年代の人間が多いだろうか。

 そんなカップルたちを見て、かすみは笑顔を顔に張り付けたまま呟いた。


「……あいつらにとって、私たちはどう見えていると思う?」


 はい? と、内貴とももは同時に声を漏らした。質問の意味がさっぱりわからない。


「えーっと……ももたちも周囲から見たらカップルに見えるかもー、っていう話です?」


 ももが尋ねるが、そういう意味じゃない、とかすみは首を横に振った。


「それを言ったら内貴が彼女を二人も連れていることになるだろう。そんな風に思う人間なんているものか」

「……自分がかっこいいとは思ってないけど、なにもそこまで断言することないんじゃないですかね……?」


 内貴が言葉の流れ弾で少しばかり傷ついている間も、かすみはカップルたちに何とも言えない淀んだ目を向けていた。


「ふふ……きっと私は彼ら彼女らからみたらよほど社会的弱者に見えていることだろう……用があるから仕方ないとはいえ、休日にこうして出歩くことは避けたかったがやはり出かけてしまうとその傲慢さが目に余って仕方ない――」


 ぶつぶつと何事か呟きながら、再び歩みを速めていくかすみ。

 かすみが何を考えているのか、内貴にはよくわからなかった。

 しかし――


「……らしくないな、師匠」


 素直な感想を口にする。と、かすみが足を止めて振り返った。少しだけ、驚いたような表情で。その顔もまた、珍しくて『らしくない』という風に感じてしまった。


「別に、いつもみたいに堂々としてればいいじゃないか。師匠は自分と誰かを比較して一喜一憂するようなタイプじゃないだろ、普段。カップル見てリア充死ねと思うのはいいけど、あんまりいつも通りじゃなくなると心配になってくる」


 だから『らしくない』ことを言っているんじゃない、と内貴が言うと、ほう、と一つかすみはゆっくりと息を吐いた。

 そして『いつも通り』――余裕ある態度で、笑みを浮かべる。


「――まったくだな。私としたことが。休日に外に出るなんて珍しいことをしているから調子がくずれたらしい」

「師匠、わたしが遊びに誘っても全然乗ってくれませんでしたからねー」


 ももが苦笑気味に言う。そんなももに対して、かすみは冷ややかに言葉を返した。


「それはお前と遊ぶ意味が特に見出せなかったからだ」

「ひどいです!? 遊びましょうよ! もっと仲良く!」


 きゃいきゃいと騒ぎながらかすみに絡み始めるもも。それを、かすみはうっとおしそうに適当にあしらう。

 すっかりいつも通りの様子に戻ったかすみを見て、内貴は安堵のため息を吐きながら、中野ブロードウェイまでの道のりをさっきまでよりやや軽い足取りで進んで行ったのだった。

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