二章 『Enemyはどこにいる?』 その2

 なに、とかすみが声を上げたのもつかの間、人影はっという間にかすみのことを押し倒し、床に伏せさせた。常に格好つけて話し口調と裏腹に存外貧弱な体つきのかすみは、どうにか顔面だけは守りつつも腹部を強打するような形で倒れ込み、がはっ、と死にそうな感じで息を吐く。


 流石に強気も引っ込んで涙目の様子だったが、内貴としては『これが因果応報というやつか』と感心して声も出ない。倒れる際の前後の違いはあってもパターンとしては全く同じ、ここまで美しく自分がやられたことを目の前で再現されると感動しかないのだった。

 ……と、内貴が得も言われる感動を噛みしめていると、ぴくぴくとふるえるかすみに乗っかっていた人影ぴょこん、と勢いよく跳ね起きる。


 人影は、少女だった。

 たしか近くの中学校の制服だ――長袖のセーラー服に薄手のカーディガン、かなり丈を短くしたスカート。そしてさっきからぴょこぴょこと揺れていたのは高めに束ねられたツインテール。髪を染めたりはしていないものの、結び目に結われたカラフルなリボンもあって、その二つの束はかなり目立つ。

 顔立ちはかすみと比べてもかなり整っていて、子供っぽさが残りながらもかなり美人だとわかった。芸能人やモデルだと言われても信じてしまいそうなほどだ。


「……可愛い子だな」


 思わず呟くと、びくんっ、とツインテ少女は肩を震わせる。そしてすぐに、じっとりとした半眼を内貴に向けてきた。


「……お兄さん、ロリコンですか?」

「違うから!? 褒めただけ! 褒めただけ!! 普通に可愛い子だって思っただけ!」


 まさか初対面でロリコン認定されてはたまらない。何度か否定すると、にぱ、とツインテ少女は人懐っこい笑顔を浮かべる。


「なーんちゃって、冗談ですよぅ、お兄さん。可愛いって褒めてくれたのは、ありがとうございます。これでも頑張ってるので、褒めてもらえたのは嬉しいのです!」


 どうも! ときっちりした角度で頭を下げるツインテ少女。いちいち動作が可愛らしい。

 一方、その足元で倒れていたかすみものろのろとゾンビのように体を起こし始めていた。その緩慢な動作はツインテ少女と反対に内貴の心に恐怖の感情を呼び起こす。


「もーもー……? 貴様、よくもいきなり私に不意打ち喰らわせてくれたなぁ……?」

「や、やだなぁ師匠、愛情表現じゃないですか、愛情表現。師匠が最近構ってくれないから、嬉しくてつい抱き着いちゃったんですよぅ」


 にへへ、と若干ひきつった笑みを浮かべながらも、どこか嬉しそうに言うツインテ少女。そんな少女に対して、かすみはしばらく睨みを利かせていたが――やがて、ふいとその視線を外す。

 そこには呆れも、怒りも、なにもない。


「帰れ。これから弟子に色々と教えなきゃならないんだ」


 心底どうでもいいと言うような無関心な声音で言うと、一瞬だけツインテ少女の笑顔がひきつった。それから、苦笑気味に応じる。


「ももだって弟子ですよ?」

「違うな。お前はもう私の弟子じゃない」

「知らないでーす。ももはまだ師匠の弟子ですから!」

「っく、っつく、な!」


 執拗にかすみに抱き着こうとするツインテ少女と、それをうざったそうに引きはがすかすみ。

 話がさっぱりわからない内貴は完全においてけぼり状態だ。というか、傍からみると仲のいい姉妹がじゃれついているようにしか見えない。

 しかし流石に三分もじゃれあいを見せられてると、いい加減疎外感がひどく、おそるおそる口を開いた。


「あのー……師匠? 結局、その子はどちら様で……?」

「ん……ああ。私の弟子だよ、元、な」

「まーだーでーしーでーすー」

「ちなみに君、名前は?」


 内貴が尋ねると、それまで執拗にかすみにくっつこうとしていたツインテ少女ははっと思い出したように内貴から身を離した。


「そういえば、まだ名乗っていなかったのです。大変失礼しました」

「ああ、いや……」


 礼儀正しくぺこりと頭を下げてくる。思わずなんだか内貴の方が申し訳ない気持ちになっていると、少女は丁寧な口調で名乗った。


「わたしは上月(こうづき)ももと言います。お兄さんのお名前も教えてくれますか?」

「俺は花積内貴。よろしく」

「よろしくお願いします、内貴さん」

「内貴さん……」


 年下にさん付されるのって初めてだなぁ、と妙な感動を内貴が味わっていると、ようやくももから解放されたかすみが首を回したりしながら会話に入ってくる。


「というかもも、何故学校にいるんだ。確かに中学校は高校より多少終わるのは早いかもしれないが……どうやって入った」

「事前に見学の申請をしておいたのです。先生に案内してもらっていたんですけど、師匠の気配がした気がしたので申し訳ないですがこっそり離れて移動してきました」

「先生も予想外だろうな……まさか案内してた子に逃げられるなんて……」


 苦労が偲ばれる、と内貴が苦笑していると、ももは握りしめた拳を腰だめに構えた。まるで自分の気合を見せつけるように。


「ももはまだ師匠の弟子です! だから以前のように指導してください!」

「何度でも言わせてもらうが、キミはもう私の弟子じゃない」


 冷たく言い放つかすみ。だが、それでもまだももは食い下がる。


「ならせめて理由を教えてください! いきなり『今日から弟子じゃない』なんて言われても納得できないのです!」

「なら、言おう」


 ふと。

 内貴はこれからかすみが言うことを止めた方がいいんじゃないかと思った。それくらい、かすみの声からは感情が感じられない――冷たい声音だったから。

 きっと、これからかすみは酷いことを言う。そんな気がした。だが、どうすればいいかと考えている間に、かすみはももに対して、内貴の予想よりも冷たい言葉を言い放ってしまう。


「もも。キミは、見込み違いだったんだよ」


 ももの目が見開かれる。驚きか、悲しみか、それともそれ以外の感情か、あるいは全てか。


「キミを弟子にとったのは、私の間違いだった。とんだ無駄骨を折ってしまった」


 流石にまずいと、内貴が口を開こうとする。

 だが、それより前にかすみは、ももと自分の繋がりを絶つように鋭い一言を口にする。


「――キミはもう用済みだ、もも。二度と私の前に現れるな」

「おい――っ! 御手洗、流石に言い過ぎ……って、もも、ちゃん?」


 内貴がかすみにつかみかからんばかりの勢いで迫る。だが、その前に立ちはだかったのは、意外にも、ももだった。

 ももは俯いたまま、内貴には表情を見せず、かすみには背を向けたまま、静かな声でつぶやいた。


「……ももが見込み違いだったなら……内貴さんは……見込みがあったんですか?」

「今のところは、だな。少なくとも、ももよりは見込みがあるだろうね」

「なら――わたしは」


 ツインテールを揺らしながら、ももが勢いよく顔をあげる。目の端にはうっすらと涙を浮かべてはいたものの、その瞳には強い意思が宿っていて、内貴を睨みつけてくる。


「わたしは、内貴さんを倒します。そしたらもう一度、弟子にしてください!」

「なんでそうなるんだっ?」


 気合の入った宣言に、内貴は驚きの声をあげる。まさか今日会ったばかりの女の子に宣戦布告されようとは思ってもみなかった。

 しかし戸惑う内貴をよそに、ももは真剣な目でかすみに訴えかけた。


「わたしはいきなり弟子じゃない、なんて話に納得できないんです! 覚悟してもらいますよ、内貴さん!」


 きつい……というには少々迫力の足りない目つきで睨みつけてくるもも。さらに、内貴に向けて『しゅっしゅ』とシャドーボクシングを目の前でしている。気合十分どころか、今すぐにでも襲い掛かってきそうな様子である。

 助けを求めるようにかすみの方を見た内貴だったが、帰って来たのは心底楽しげな悪魔のような笑みだった。嫌な予感しかしない。


「くく……これは面白くなってきた。いいだろう、そこまで言うなら内貴を倒してみるがいい。本当に内貴を下した暁には、もう一度弟子として認めてやろう」

「……想定外だ……」


 まさか助けてくれないとは思っていなかった。というより、かなりうっとおしがっていたから提案を却下するものとばかり内貴は思っていたのだが。

 予想が外れてげんなりしていると、目じりに浮かべていた涙を拭いたももが気合十分に構えを取る。腰を落とした構えは、微妙に見たことがある気がした。頭の中を探って、それがテレビで何度か見たバレー選手がとっていた構えに似ているのだと気付いた。


「さぁ、やりますよ、内貴さん! 善は急げ、です!」

「いや、善は急げとは言うけどこっちからしたら全然善行じゃないんだけどさ? その辺考慮してくれたりとか」

「しません!」

「ああくそこの師匠あってこの弟子ありって感じだよホントもう!」


 やるしかないのか!? とじわじわ迫ってくるももに対して覚悟を決めようとする内貴。

 しかし――戦いの幕が切られることはなかった。

 それよりも早く、男子トイレの扉が開き、それをいち早く察知したかすみが個室に身を隠す。

 入って来たのは、女の教師だ。おそらくもものことを案内していたのだろう。怒り心頭と言った様子で、ずんずんとももに迫ってくる。


「こら、上月さん! なんで男子トイレなんか入ってるの!?」

「え、あ、あの、これは……です……」


 びくんと肩を震わせたももは、声を震わせ小さくなる。元々小柄なのもあって、ツインテを抱きしめるように小さくなると随分こじんまりした印象を受けた。


「もう、案内の最中に居なくなったと思って心配していたら……トイレに行きたかったなら一言言えばいいでしょう! あとなんで男子トイレに入ってるの本当に!」

「ご、ごめんなさい。焦って間違えたのです……それでその、こちらの人とかち合ってしまったというか……ごめんなさい」


 流石に悪いことをしたと思っているのか、しどろもどろになりつつも謝るもも。すると、教師は一度内貴の方を『なにもしてないでしょうね』と言いたげな表情で一瞥し、内貴がぶんぶんと首を横に振ると、ため息を吐く。

 それで、教師は一応怒りを収めたようだった。


「……はぁ。とりあえず用は隣の女子トイレで済ませて、案内の続きをしますから。ほら、早く出る。女の子が入るところじゃありませんよ」

「は、はいです」


 先導する教師に続くように、男子トイレを後にするもも。……出ていく前に、一度内貴のことを軽く睨んで行った。


「俺が何をしたっていうんだ……」


 出て行ったあと思わずぼやいていると、かすみが個室から現れてくすくすと笑う。


「いやはや、ももにも困ったものだ。なかなか執念深いところがあるからしばらく付け回されることになると思うけれど、ま、頑張るといいさ。いい修行になる」

「焚きつけたのは師匠だろ……あー、もう、なんでこんなことに」


 頭を抱える内貴。そんな内貴のことなど気にもせず、そういえば、とかすみは提案する。


「次の修行についてだが、さっき個室に隠れながら一つ考えついたことがあってね」

「まずももちゃんのこと焚きつけたことの弁明してから次の話に移ってくれません?」

「ははは」

「笑ってごまかすな!」


 言ったところで聞くかすみではない。乾いた笑いを二・三度浮かべると、それが弁明代わりであると言わんばかりの調子で話を続けた。図太い神経である。


「キミ、ダイベニストとして戦う目的みたいなものはあるのかな? 明確な」

「目的? いやまぁ……あるっちゃあるけど」

「ほう。どんな目的かな?」

「それは……その……変わりたいな、というか。もうちょっと心に余裕が出来るかもとか、視野が広くなるかもしれない、とか? そんなことをちょっとは期待してないと言うと嘘になるかな、って感じで」


 流石に堂々と言うのは少しばかり恥ずかしく、視線をさまよわせながらやや途切れ途切れに内貴が自分の想いを口にする。しかしそんな内貴を、かすみは笑わない。むしろ、真剣な様子で、共感している様子で、何度も深く頷いていた。


「いい目的だ。私も変わりたいという想いにはとても共感するよ」

「……そうか?」

「ああ。……しかし、その目標は戦いに挑む心構えではなく、ダイベニストとして戦いを続ける中での理想というか、そういうものに近いように思える」

「言われて見ればそんな気はするな。……ん? もしかして俺、見当違いな答え方した?」


 外れた答えを返してしまったと思うと急に恥ずかしくなってくる。羞恥に視線をさまよわせ始めた内貴だったが、それを見てかすみは苦笑を浮かべた。


「いや、いいんだ。正直なトコを聞けて私は嬉しい。キミは私の弟子に相応しいよ、本当に」

「そ、そうか? ならいいんだけど」

「さて、しかし修行の内容は少しキミの今持っている目的からは離れる内容だ。というのも、内貴にはこれからしばらくの間、各所のトイレを巡ってもらい、ダイベニストと交流してもらい、その上で『自分がなぜ綺麗なトイレを求めるのか』という気持ちを明らかにしてほしいからだ」

「綺麗なトイレを求める理由……?」

「そう。最終的に『理由など要らない』という答えにたどり着いたのならばそれでもいいが、最初から思考放棄して理由を探さないと言うのは愚かな話だろう。明確に言葉に出来る理由を備えている方が、ダイベニストとして戦う中で、心構えという点で圧倒的に有利だと言えるからね」


 言わんとするところは、なんとなく理解出来た。

 戦いの目的、なんのために綺麗なトイレを求め他のダイベニストと戦うのかがはっきりしていれば、それだけ真剣に戦いに打ちこむことが出来る――ということだろう。

『ふわっ』とした理由では、どんな勝負事もイマイチ真剣になれないものだ。内貴のやっている剣道だって、強くなりたいと思ったから真面目に練習してはいるものの、試合で勝ちたいとは思わないから試合の時はほどほどに力を抜いて挑む。


「話はわかった。それで、各所のトイレを巡れっていうのは、具体的にどのあたりを回ればいいんだ?」

「そこを探すのも修行の一環――と言いたいところだけど、流石に時間がかかりすぎるだろう。いくつか教えるとしよう」


 それから、内貴は十五分ほどかけて、かすみのスマホ画面で行くべきトイレの場所をいくつか教えてもらった。

 もものことは本当にどうでもいいと思っているのか、その日、かすみがももについて言及することはそれ以降一度もなかったのだった。





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