一章 『堪えきれないstruggle!』 その7
ダイベニストとは――戦士である。綺麗なトイレを求め、戦うものである。
大便をするもの、と言う意味でダイベニストと名乗り始めたものが出現した時期は明らかになっていないが、その起源は百五十年ほど前にさかのぼる。
当時日本では農作業の一環として、肥料と成りうる糞尿をより効率的に集めるため便所というものが使われていた。
しかし、当時の腹を下しやすかった人間たちは、その便所に特別な意味を見出していた。すなわち、安全にトイレを出来る空間。少なくとも、野で用を足すよりははるかに快適な場所であった。怪しげな野盗に襲われる心配もない。
彼ら、ダイベニストの始祖とも呼べるものたちは、一部農家が設置しているより快適な便所を求めて争った。しかも何故だか彼らの用を足すタイミングは奇妙なほどに重なり、争いはより激化した。
殴り合い、掴み合う……時には殺し合いにまで発展してしまう原初の戦い。
その醜い争いを憂いたダイベニストたちは新たな戦いの技術を生み出した。
その名は『便威』。
強い腹痛と長く付き合ってきた人間同士では、体の震え、呼吸……腹痛の『気配』とでもいうべきものを感じとり、時にそれに共感し、己も腹痛を覚えてしまうことがある。
その腹痛の『気配』をぶつける技術。それこそが『便威』だった。長く腹痛に慣れ親しんだ者同士の『共感』を利用したその技術は、瞬く間にダイベニストたちの間に広がり、ダイベニストの戦いは新たなステージへと発展した。
なぐり合わず、互いに便威をぶつけ合い、腹痛が限界に達し膝をついた方を敗者とする。
その技術が確立したのは、戦争終結直後だったと言われている。極限の状況が、ダイベニストたちにも新たな進化を与えたのだ。
そして――今。
ダイベニストの戦いは脈々と受け継がれている。
【――ってことなんだゼ!】
「それで、結局なんでエコーさんの声は聞こえないんですか」
【っておいおいおーい! 色々大事なコト話したのに結局そこかーい!?】
色々説明してもらった直後なのだが、内貴はずっと気になっていたことを間髪入れず尋ねた。一度気になると中々頭から離れないのだ。そんな内貴に対して、エコーは呆れたようにため息を吐く。珍しく三日月型の笑みはへの字になってしまっていた。
「そうは言われても……気になるものは気になるから……」
我ながら融通が利かない自分自身が少々申し訳なくなり、内貴は僅かに肩をすくめた。そんな内貴を茶化すように、エコーは笑顔で声を張り上げる。
【融通利かないねぇ。――しっかぁーし! 気になるというのなら応えよう! それがミーの役目だから!】
ようやく話してもらえるのかと、内貴は少しだけ姿勢を正した。正直気になってエコーの話してくれた内容もイマイチ頭に入っていなかった。それに、話の中で気になることもちょくちょくあった。
まだまだ聞きたいことはたくさんある。
【ミーの声がダイベニスト以外に聞こえないのは、『便威結界』っていう力が働いているせいなんだぜ!】
「べんい……便威、というと、さっき言っていたダイベニストの能力とかいう」
【イエス! 便威結界は範囲内にダイベニスト以外の侵入を防ぎ、ミーの声をダイベニスト以外には届かなくすることの出来るスキル! ミーがダイベニストたちの戦いのDJと審判を務めるのも、それが理由サ!】
「いやあの、それ普通に超能力とかなんじゃ、」
【細かいことは気にしなぁーい! まだ若いのにハゲるぜボーイ! それが嫌なら聞くなよオーケイ?】
ぐっと顔を近づけて、直近で有無を言わさぬ笑みを見せつけてくる。仕方なく頷くと、けらけらと笑いながら顔を離してくれた。どうやらつっこんではいけないことらしい。色々と謎の多い人だった。
とはいえ、最初に抱いていた疑問はとりあえず解決した。
そうすると、自然に次の疑問に意識が向かう。
「なら、他の事を聞きたいんですけど」
【もちろんオーケイ、答えるぜ少年!】
「ダイベニストの定義が曖昧な気がするんですが、なにをもってダイベニストと呼ぶんですか?」
【今は一応、定義は上等、便威が使える、それが条件!】
「便威が使える……俺、便威使えるんですか?」
【便威を感じる、つまり使える、だけど一人じゃわからなーい? やるなら師匠についてみる?】
つまり、便威を感じられるなら使えるが、一人じゃ使い方は分からないだろうからダイベニストになるつもりなら師匠の下についた方がいい、という話らしい。微妙にラップ調にしようとしながら話すせいか、エコーの言葉はたまにわかりづらい。
便威を感じられたかどうか……というのについては、自信があった。トイレでの戦いの最中、確かに内貴はスーツ姿の男の体から漏れ出る何らかの気配を感じ、腹痛を覚えた。
おそらくあれが便威なのだろう。
師匠についても、そもそもここに来たのだって御手洗かすみという人間が自分の弟子にならないかと言いだしてのことなので問題ないだろう。
お膳立ては揃っている。
あとは内貴の気持ち次第で、新たな道が開ける……のだが。
「……その」
【うん?】
口ごもる内貴に対して、エコーは不思議そうに首を傾げた。そんな風に首を傾げられると、少しだけ申し訳ない気持ちになる。これだけ色々と教えてくれたのだ、ダイベニストになってくれるだろうと思って説明してくれたのだろう。
しかし、内貴にはまだ迷う材料があった。だからどうしても、即断というわけにはいかなかった。
ものすごく興味をひかれるからこそ、決断も慎重になっていた。
「ダイベニストになるかは、もうちょっと考えてから決めます」
【ふーむー……さっきのバトルで、戦いの熱は感じてくれたと思ったんだけど、違ったかな?】
少し意外そうに、エコーは言う。確かに内貴は、先ほどのトイレでの戦いを見ていた時に、興奮を覚えていた。
かっこいい――と思うのとは、ちょっと違うかもしれないが。
自分もやってみたい、とは思った。幸いにもというにはちょっと違うかもしれないが、現在剣道部は活動停止中である。しかも再開の目途はたっていない。部活の代わりというわけでないにしろ、心惹かれたことに挑戦したいという気持ちはある。
だが、しかし。
「……ダイベニストになった場合、アレが師匠になると思うとなぁ……」
問題は師匠にあり。あの明らかに正確に難ありな同級生が師匠。考えただけでその後の苦労が容易に想像できるというものだ。
思わず顔をしかめる内貴に、エコーは陽気な声を出しながら肩を叩いてきた。
【オーケーオーケー、師匠に問題? あってもよくない? いやなら他の師匠を探す。トイレに行けば、自然と引きあう! それがダイベニストの定めなら!】
「師匠を変えるにしても、あの人はなにかしらイチャモンつけてきそうというかですね?」
【どんなやつだよそいつはさ? 教えるだけの力量は? あるならいいけど口だけの、やつならとっとと見限りな】
「いや、なんというか――」
得体のしれない感じで、と。
そんなことを口走ろうとした瞬間、目の前で人が立ち止った。今まで何人か人は目の前を通ったものの、足を止めたのはその人が初めてで、思わず内貴は視線を移す。
そこには、かすみが立っていた。
にっこりと、ものすごく優しそうな表情で。
「――それで、私がなんだって?」
「あー……いやー……その、あは、あはは……」
ひきつった笑みを浮かべる内貴。一方、隣に居たエコーは『ははぁん』となにか納得したようにため息を吐く。
【師匠のアテが誰かって、まさかユーかよアウトロー?】
「久しぶりじゃないか、エコー。私の弟子二号に新人研修ご苦労様。そろそろ返してもらってもいいころかと思って、迎えにきたよ」
余裕の表情でかすみが言葉を返すと、エコーは一瞬驚いたように口元を歪め、次の瞬間げらげらと大声で笑い始めた。
【オーケーわかった、やりたきゃやりな! ルールに従う、その意思尊重、仕込みに口出し、しないが重畳! だけど戦う、意思だきゃ尊重、しないとミーも、流石に激情!】
「もちろん、わかっているさ。……まだ迷っているみたいだな、内貴。私に教えを請うことが不安か?」
エコーとわけのわからない会話をしていたかすみだったが、突如内貴に会話を振ってくる。思わず目を泳がせ、エコーに助けを求めようとしたが、気づけばエコーは姿を消していた。まるで煙のように、音も気配もなくエコーはその場から消えていた。
「エコーなら帰ったぞ」
「そ、そう。……えー、まぁ、その」
はっきり言ってしまっていいものかと悩む。しかし、結局内貴は正直に言うことにした。
ここで変に気を遣ったとして、今後上手く行くとも思えなかったから。それならいっそのこと、正直に言ってしまった方がいいと思ったのだ。
「不安は不安だよ。御手洗さんはなんていうか、まぁ、変な性格してるから」
「お前も大概変な性格だと思うぞ」
「いや、俺は普通だよ。どこが変なんだよ」
「私の弟子になれ、なんておかしなコトを言われて、逃げもせず普通にその後話を聞いてしまうところとかだよ」
言われて、内貴は思わず『確かに』と納得してしまった。普通いきなり男子トイレに押し入ってきた女子に『弟子になれ』なんて言われたら、その女の子がどんなに可愛くても普通は一旦逃げるだろう。その後、再び接触するかどうかはさておき。
納得してしまい黙り込んでいると、かすみはにやりと悪魔のような笑みを浮かべた。
「一つ言っておくが、私は指導に関しては懇切丁寧をモットーとしている。やる気のない時は指導しないし、意思なきものに強要はしない。……だが」
ぴっ、とかすみは右手の一指し指を立てた。
そしてゆっくりとその指で、内貴を指さす。
「花積内貴。貴様には闘志があるはずだ」
「とう……し」
胸に火が灯ったような気がした。自分を指さすかすみの指先に心臓が射抜かれて、そこから熱が広がるような。
それとも、最初からその火種は内貴の中に眠っていたのかもしれない。心臓をどくん、どくんと強く脈打たせ、体を熱くしながら、灯った火はどんどん大きくなっていく。
「そう。お前はダイベニストの戦いを見て、胸が躍っただろう。かっこいいとか、憧れるとか、そんな感情じゃない――自分もその場に混じって戦いたいと、思っただろう?」
言われて、内貴はどきりとして自分の胸を抑えた。
かすみの言葉は的確だった。先ほどのトイレでの一幕――内貴は思わず足を前に進めて、止められた。
あの戦いの中に身を投じたいと思って、自然とあの時、内貴の足は前に出ていた。
胸の中で火が揺らぐ。揺らいだ火は、さっきより少しだけ大きくなった気がした。
胸を抑えながら俯く内貴。そんな内貴に対して、かすみが一歩近づいてくる。そして内貴の顔に手を添えると、自分の方を向かせた。
かすみの顔は、いつも通りだった。
いつも通りだけど、今更ながらに内貴はその瞳の奥に燃えるものを感じ取った。
きっと、今、内貴の中にある火と同じものを、かすみも自分の中に持っていた。
「もっと心に素直になるがいい。私のように。思うがままに生きるがいい! ――戦いたいなら戦えばいいんだ、内貴! 他人を蹴落としてでも綺麗なトイレを使いたいなら、他人を蹴落としていいんだ! ダイベニストの世界とは、そういうものだ!」
両手を広げ、どこか恍惚とした表情で熱く語るかすみ。
内貴は、徐々に煩さを増していく心臓の音を意識しながらも――その昂揚をどうにか飲み下して、言葉を発した。
――一日だけ、考えさせてください、と。
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