一章 『堪えきれないstruggle!』 その3
「おっと……嬉しくてついつい押し倒してしまったけれど、学校でこんな破廉恥な真似は避けるべきだったね。失敬」
押し倒され、しばらく呆然としてどうするべきか迷っていた内貴の腹の上。内貴を押し倒した少女は、こらえきれない笑みを隠さず、ゆっくりと体を起こした。腰のあたりに、スカート越しにむっちりとしたお尻の感触が当たってちょっと気持ちいい……なんてことを考えてしまう男としての性を、内貴はどうにか自分の中に封じ込めた。
なにせ、目の前の少女は明らかな危険人物だ。
清掃中の札がかけてある男子トイレにいきなり入ってきて押し倒してくるような相手である。危険じゃない要素がない。
慎重に行動を選ばなければ、と内貴は緊張気味に一つ唾を呑みこむと、少女はクセっ毛の先を指でいじりながら、挑発するように腰に少し体重をかけてくる。
「そこまで緊張しなくてもいいんじゃないかな。私はこれでも淑女なんだ。いきなり取って食べようなんてはしたないことはしないとも」
「……、あの、淑女はいきなり男子トイレに入ってきてタックル喰らわせたあげく騎乗位でお尻を擦り付けてきたりはしないと思うんだけど……って、いうか、一年生……だよな?」
今更ながら、ブレザー制服の襟元につけられているバッジに一年と刻まれているのを見て、学年を知る。やけに態度が大きいものだから、すっかり年上だと思っていたのだが、そうなってくると話は別だ。
同年代ということがわかって少しだけ度胸を取り戻した内貴は、少女に対して強気な視線を向ける。
「とりあえず、どいてくれないかな。流石にこの体勢は……なんかこう……まずい。色々」
主に理性が。目の前の少女が同級生だとわかったせいで、理性が若干仕事を放棄しはじめていた。この体勢で話をしていたらそのうち大変な誤解をまねくことになる。
「それもそうか。すまない、ちょっと興奮してしまって」
「淑女を自称するなら興奮したとか言わないほうがいいと思うんだけど……」
「現代の淑女判定なんて昔と比べたらゆるゆるさ、きっと。――さて、と」
少女は立ち上がると、内貴に向かって手を差し伸べてくれた。まだ警戒心があって一瞬掴むことをためらった内貴だったが、ためらっている間に少女は勝手に腕を掴んできて、内貴を立ち上がらせる。
少女は、女子にしてはわりと背が高かった。170センチちょうどくらいの内貴より少し小さいくらい。165センチを少し超えたくらいだ。癖なのか、さっきからショートカットのクセっ毛の先を時折指で弄っている。
「遅ればせながら、自己紹介をしようか。悪いね、感情が先走ると自分でも予期せぬ行動をしてしまう。私の悪いところさ」
「あの、自己紹介の前に場所変えない? ここ男子トイレなんだけど。俺が掃除したばっかりの」
内貴が言うと、少女はゆっくりと一度周りを見渡した。それから、納得したように一つ、手を鳴らす。
「ああ、なるほど。掃除したての綺麗な個室に入って話をした方が確かに落ち着けると言う話か。しかし、初対面なのだしまずは顔を突き合わせて話をするべきだと思うんだが――はっ!? まさか一つの個室に二人で入るつもりか!? 流石の私も恥ずかしい気がするが……キミがどうしてもと言うなら……」
「誰もそんなこと言ってない! 場所変えるって、トイレ内の場所変えるって意味じゃなくて! 外! トイレの、外! ここ男子トイレ! あなた女子! OK!?」
少女が発した突然の暴言に内貴が声を大にして主張すると、少女は『なんだそういう意味か』と白けたような表情でつぶやいた。
「別に私は構わない。どうせ清掃中の札はかかっているし、人はこないだろう。ただでさえ人があまり来ない特別教室棟三階のトイレなのだからね。誰にも見られなければ、女子が男子トイレに入っていようとなにも問題はないさ」
「えー……? いいのかなぁ……それで」
内貴が目を細めて、げんなりとした表情で口の端をひきつらせていると、少女は自信満々に腕を組んでにやりと勝気な笑みを浮かべる。
「いいのさ、それで。キミはいざと言う時のことを考えすぎだよ。もっと自由に生きなければ、自分の可能性を狭めることになる。いざと言う時がきてしまったら、来てしまった時に考えればいい。もちろん事前に考慮しておかなくてはならない出来事も世の中にはたくさんあるけれど、見極めは大事さ。私が男子トイレでキミと会話しているということは、そこまで大きな問題にはなりえない。そうだろう?」
「え? あー……はい。もういいです、それで」
わりと言っている意味がわからなかったので、内貴は適当に頷いた。わりと面倒くさい系の人に掴まってしまったなー、と、心はどこか諦めた状態に既になってしまっていて、内貴は内心ため息を吐く。
そんな心はつゆ知らず、少女は嬉しそうに頷くと堂々と名前を名乗った。
「よろしい。では自己紹介だ。私の名前は御手洗 かすみ(みたらい・かすみ)。クラスは違うがキミと同じ一年だ。よろしく」
「……俺は花積内貴。よろしく」
偽名でも名乗ろうかと思ったが、結局内貴は正直に本名を話した。どうせ嘘を言ってもバレそうな気がしたから。
「知っているさ、花積内貴。字こそ違えど『花を摘む』に『鷹を撃つ』……どちらも用を足しに行く時の隠語だ。いい苗字を受け継いできた親族と、いい名前を付けてくれた両親に感謝するといい」
「トイレは嫌いじゃないから俺にとっては褒め言葉だけど、その説明俺と同じ名前の人にしたら多分、九割方眉をひそめられるからな?」
言いつつ内貴もちょっと引いた表情をしているが、これは名前に関して妙な褒められ方を下からではなく、本気で褒め言葉と疑っていないかすみの態度に対してだった。
ここまで堂々と自分の意見を信じられる人間も今日日珍しい。
真面目で思考の小回りが利かない内貴よりはるかに生きづらそうな性格をしているかすみに、内貴は微妙に親近感を感じてしまっていた。
もっとも。親しくなりたいかどうかと言われれば出来ればお断りしたい類の相手ではあったが。
「それで……俺に何の用があって、男子トイレに突撃してきたんだよ」
いい加減話を進めようと、内貴は恐る恐る尋ねる。すると、かすみは勢いよく内貴を指さして、挑戦的な笑みを浮かべた。人を指さしちゃダメなんだぞ、とつい口が滑りそうになった内貴だったが、わりと真面目そうなかすみの表情を見て言葉を飲み込む。
そして。
「誇るといい。キミには『ダイベニスト』として破格の素質がある! だから私の弟子にしてあげようじゃないか!」
言い放たれた言葉は、内貴には大体意味がわからなかった。
思わず目頭を揉むと、ちょっとタンマ、とばかりに平手を差し出してそれ以上の言葉を制す。そうしなければ、また長々と意味の分からない言葉を続けられそうだったから。
「あの、専門用語抜きで話してもらえます?」
「ほう、早速敬語を使うとはいい傾向だな。私の弟子になる気があると見える」
「呆れてるんだ! 意味がわからないから!」
思わず声を荒げる。こっちの言葉は大体都合のいいように解釈されるらしいと、内貴はようやく気付き始めた。恐ろしい。御手洗かすみはまるで自分とは別の生命体のような思考を持っている人間のように思えた。
しかし脳みそ腐っているように思えても人間である。かすみは頷きながらこちらの質問に応じてくれる。
「わからないというと、やはり『ダイベニスト』という言葉かな?」
「……まぁ、なんで弟子? とか、素質ってなに、とか。色々あるけど主にそこかな」
素直に言うと、ふむ、とかすみは感心したように頷いた。なにか不思議なものを見るような目を、内貴に向けてくる。
「な、なに? じっと見て」
「いや、キミは思ったより真面目な性格をしているんだな、と思っただけさ。他校の不良を竹刀で病院送りにした、オールバックの不良と聞いていたからどんなものかと思っていたんだが」
「そんな話になってるのか……いや、当然っちゃ当然なんだろうけど……ていうかオールバック関係なくないか。この学校髪に関しては校則緩いんだから」
「多少整髪料で後ろに流しているくらいならまだしも、ばっちりおでこが見えるオールバックにしてる高校生なんて、不良以外のなにものでもないと第三者は見ると思うけどね、私は」
「そんな……想定外だ……」
内貴がオールバックにしているのは、剣道の練習で面をつけると髪型がぼっさぼさになるからだ。オールバックなら崩れても直しやすいので一度整髪料を使い始めてからはずっとオールバックで通していた。
まさかそれが、不良っぽいなどと言われることになろうとは。
密かに落ち込んで小さくため息を吐いていると、かすみはぽんと肩を叩いてくる。
「まぁ、いいじゃないか。好きな髪型を貫くことも意思の強さ。強いことはいいことさ」
「オールバックやめようかな……」
「おおい。人が褒めた途端にやめるとか言わないでほしいんだけどね?」
「はいはい……それで? 結局ダイベニストってなんなんですか」
話がずれて来たので元に戻そうとすると、かすみは『やはり変に真面目だな』と小さく微笑んだ。それはさっきまで何度か見せていた邪悪な笑みとは打って変わって少々可愛らしく、照れた内貴は思わずふい、と目線を反らす。
「今すぐ実演してみせるのもいいのだけど――ふむ。今の時間ならちょうど『体験』してもらえそうだ。ついさっき連絡もあったことだし……」
スマホを取り出していじりながら何かを確認したかすみは、弾んだ笑顔を向けてくる。
「では、中野ブロードウェイに行こうじゃないか! ダイベニストの戦いを体験するために!」
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