一章 『堪えきれないstruggle!』 その4
『中野ブロードウェイ』とは、東京都中野区の名物の一つである複合ビルである。地下一階・地上四階に及ぶ商業施設と高級マンションが一体化しているという、中々謎の多い建物だ。商業ビル地上部分には衣料店、ゲームセンター、本屋、宝石店、飲食店、薬屋、そして最大手のオタク系ショップなどが混沌と並ぶ様子から、『日本の九龍場』などとも言われ愛されている。
そんな中野ブロードウェイは、内貴の通う様達高校からは歩いて十五分か二十分といったほどの距離にある。遠いとも言えないが近いとは言いにくい微妙な距離だが、通い慣れた内貴には苦にならない距離だ。先行するかすみについていく形で内貴は中野ブロードウェイに到着した。
看板を兼ねた赤い枠の北入口をくぐり抜けると、夕方四時という時間もあいまってそこそこ多い人通りに出迎えられる。ちょいちょいと人を避けながら歩いていくかすみに引っ張られる様にして、内貴は三階直通のエスカレーターに乗った。
「ダイベニストというのはね」
と、エスカレーターに乗った途端にかすみは話し始める。突然話し始めたので内貴は少し慌てながらも、しっかりとかすみの話に意識を集中させた。
「簡単に言えば綺麗なトイレの奪い合いをする宿命の下にある人間のことさ。素質があっても戦う意思がなければそうとはいえないわけだけど。しかし、少なくともキミには戦う意思が備わっていると私は見ている」
「奪い合い……?」
「たまにあるだろう、何故だか一つしか空いていないトイレに、同時に二人の人間が入ろうとしてしまうなんてことがさ。そういう時にダイベニストは争う。目の前のトイレを求めて」
言われて、内貴は黙り込んだ。身に覚えがありすぎる出来事だからだ。
大してトイレに行きたくなる要素がわかりやすく存在しているわけではないのに――映画を見に行った際、上映終了後のトイレなどは除外するという意味だ――何故かトイレで同時に空いた一つの個室に入ろうとかち合ってしまう。しかもそういう時に限って割とお腹の具合は瀬戸際だったりするわけで、どうにかして一瞬でも早く個室にたどり着いてやると、今まで何度焦ったことか。
そんなことを思いだしていると、内貴の思考を読んだかのようにかすみは笑んだ。喜ぶような、しかし邪悪なものが見え隠れする笑みだった。
「覚えがあるようだね。やはりキミは素質がある」
楽しげに、軽やかなステップを踏みながら、エスカレーターを上りきるかすみ。そのまま、足は四階に繋がる階段へと向く。中野ブロードウェイの四階という場所は他三階とは若干毛色が違い、会社の事務所や空きスペース、倉庫、医療施設が半分以上を占めている。
当然人通りは少なく、人通りに比例して、当然のように四階のトイレはあまり使われない。しかし内貴のようにいつトイレに行きたくなるかもわからない腹の弱い人間にとってそこはある意味救いの地であり、とりあえず中野ブロードウェイで腹痛を覚えたら四階の、事務所スペースなどが並ぶ方のトイレに行くべきであると体に染みついていた。
かすみが上ったのはその事務所スペースが並ぶ側の階段だった。ここまでの話の流れで、なんとなくこの先のトイレに行くのだろうと予想がついた内貴は、一つ息を飲む。
トイレを奪い合い、争う『ダイベニスト』。
正直、少しばかり興味は引かれていた。自分と同じように腹のあまり強くない人間が、目の前のトイレを求めて戦っているところを……ちょっとだけ、見てみたいと思った。
そう思い少しだけ歩みを速めた内貴だったが、階段を上りきって数メートル行ったところでかすみが足を止める。そして、親指でトイレのある方を指さした。
「では、行ってくると良い。私はここで待たせてもらう」
「えっ!? いや、俺、御手洗……さん? が居ないとどうすればいいかわからないんだけど」
「大丈夫さ。お膳立ては既に整っている。私の手筈は完璧さ。それに……ダイベニストあるところにはトイレDJがいる。新人には優しいからな。アイツが全て説明してくれるだろう」
「トイレDJって……」
……また変な言葉が、と混乱する内貴だったが、そんな内貴の背中をかすみは強く押し出す。
トイレに向かって。
「行け。私はトイレDJとの誓約があってダイベニストの戦いの場には近寄れない。だから、興味があるのならば、見に行くがいい。――きっと、虜になる」
かすみが浮かべたのは、純粋な笑み。そんな表情で言われては信じるしかないと、内貴は期待と不安を半々に抱きながらトイレへと歩を進めた。
トイレの前……男子トイレと女子トイレの分かれ目に立つ。男子トイレの方からは、特に何も音などはしない。
だが、人の気配はあった。緊張で拳を握り込みながら、内貴は一つ息を吸い込んだ。一定時間ごとに清掃が入り、常に換気扇がまわされている中野ブロードウェイのトイレの空気は清浄だ。
「よし……っ!」
清浄な空気を取り込んで、内貴はトイレへと踏み込んだ。
すると、途端に――声が飛び込んでくる。
【熱いね、熱いねぇ!】
頭に響く、威勢のいい声が。
熱と共に、内貴の体に流れ込んできた。
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