1-16『生徒会リラクゼーション6』

「――またずいぶんと浮かない顔じゃな、サタロー」


 生徒会室を出て、その足で僕は図書室へ向かった。

 いつものように漂うヨミは、相変わらずちっとも静かじゃない。


「うるさいよ。見てわかるなら察してくれ。僕は今、とても気分が悪いんだから」

「ふん。不景気な面じゃのう。そんなものを見せにここへ来るのはご免じゃ、まったく」

「……なんだよ、もう」

「わかりやすい奴じゃな」呆れて嘆息するヨミさんである。「ほれ、阿呆みたいな拗ね方しとらんで、何があったか聞かせてみろ」

「……強引な奴だよ」


 僕は、今日の顛末をヨミに語った。

 吐き出すことで楽になるとか、そんな下らないことを考えたわけではもちろんない。そもそも僕はつらいとか嫌だとか、そんなことはまったく考えていないのだから。

 これはただ、ヨミにせがまれて仕方なく口にしているに過ぎないのだ。

 全てを語って聞かせると、「はあん」とヨミは呟いた。

 酷く興味なさげだった。


「……自分から聞いといて、その態度は酷いだろ……」

「じゃって私、文化祭とか超関係ないし。つまらんし。しー!」

「ヨミが拗ねるのかよ……」

「私だって文化祭出たいのにー!」

「はいはい。代わりに付き合ってやってるだろ、こうして」


 普通、ここはいい感じのことを言ってヨミが僕を慰めるシーンではなかろうか。

 なぜ逆に僕がヨミを慰めているというのだろう。

 本当、ヨミと話していると、調子が狂わされっ放しで困ってしまう。


「――で?」


 と、ヨミが言った。

 僕は答える。


「で、とは?」

「無駄に惚けるでない、面倒な」


 ――そうか、ヨミは気づいたのか。

 まったく、どうしてこう僕の周りの女子は、無暗に察しがいい奴ばかりなのか。

 そういう個性は、できれば普段の生活においてのみ発揮してほしいと思う。


「サタローの話には穴があるじゃろ」鼻を鳴らしてヨミは言う。「どうして、どこでサタローは、ふたりの喧嘩がフェイクじゃと確信した?」

「――――」

「根拠となる要素がないじゃろ。というか、えーと……なんじゃったかな。そう、仲間外れにされたくないから、喧嘩をする振りをした――じゃと?」


 珍しくヨミが失笑する。まるで僕を馬鹿にするかのように。

 ……あ、いや、それはいつもか。

 こいつ以外と僕のことを煽ってくるからな。ほかの人にもそういう態度なんだろうか。まさか僕だけじゃあるまいな。

 疑念する僕の嘘を、ヨミが切った。


鹿。――裏があるんじゃな?」

「別に」と僕は肩を竦める。「裏ってほどのものじゃないんだけどね」

 それも理由のひとつではある、かもしれない。

 僕は推測できることを語っただけだ。それが正しいかどうか、言った自分ぼくなんて、関係がない。

 僕は探偵じゃない。自分の推理に自信なんて持っていないし、頭の中だけですべて終わらせられるとも思っちゃいない。それだけのことだ。

「……やはりの」ヨミは静かに言った。「サタローは件のふたりに、直接確認を取ったんじゃな?」

「そうだよ。根拠のない推測だけで、小金井先輩やくぬぎ先輩に偉そうなこと言えないだろ。僕の推測は想像だ。ならそれが事実かどうかを確認するには、のがいちばん早い」

「つまりは放課後、生徒会室に行った時点で、サタローはすでにってことじゃろ」

「当然の配慮だと思うけど」

「うわあ……」ヨミさんはドン引きのご様子だった。「探偵が、先に犯人に当たった上で推理を披露するとはの……格好悪っ」

「いや別に僕は探偵じゃないから」

「お約束ってものがあるじゃろ」

「ないよ。あったとしても現実じゃないよ」

「まったく……まあよい。で、そのふたりはどうだったんじゃ?」

「まったく、はこっちの台詞だよ……あとふたりともに会ったわけじゃない。まあ、いいけどさ」


 ここは図書室。誰かが聞いているわけじゃない。

 ならば、僕が語るのは独り言だ。

 別に約束したわけでもなし。言ったところで構うまい。それを本の精霊に聞かれていたって、そこまでは考慮の範疇外だろう。


 ――そうですよね、吉川先輩?



     ※



 放課後。僕は生徒会室に寄る前に、吉川深幸に会っていた。

 朝霧と別れた後のことだ。お陰で生徒会室に行く頃には時間を喰ってしまっていた。

 波崎に頼んだのが、つまりはこのこと。渡りをつけたもらったわけだ。


「……で? 一年がアタシになんの用なわけ?」


 密会には、ひと気のない校舎裏を使った。

 会うなり喧嘩腰の吉川先輩。波崎から何か聞いているのか、それとも単なる勘なのか。

 いずれにせよ、歓迎されてはいない様子だった。当たり前だろうけれど。

 ここで怖気づくわけにはいかない。僕は平静を装って言った。


「どうも。初めまして、吉川先輩。若槻といいます」

「……だから。なんの用って訊いてんだけど」

「そうですね……結論をお急ぎのようなので、単刀直入に訊ねさせてもらいます」

「はあ? アンタいったい何言って――」



「――芹沢先輩と不仲を演じているのは、ですか?」



「……ッ!? テメッ、何を言っ……!」

「正直なリアクションをありがとうございます。お陰で確信が持てました」

「……アンタそれ、誰から訊いた。ほのかか? そんなわけ――」

「もちろん違います。ただの勘ですよ、こんなもの」


 しれっと僕はそう嘯いた。怒らせたほうが事実を引き出しやすいだろうと思って、あえて挑発するような言葉遣いと態度を心がけてみたが、どうやら成功だ。

 別に嘘をついているわけじゃない。鎌をかけただけ。こうまで簡単に引っかかってくれるとは思わなかったが、まあ、それも無理はないかと思う。見ず知らずの地味で生意気な後輩なんぞに、いきなり切り込まれるなんて想像していないはずだ。

 僕は吉川先輩の驚愕を、あえて無視するように訊ねる。


「何があったのかとか、そんな事情にまでは突っ込みません。興味もないです。ただ、ひとつだけ聞かせてください。――今の生徒会が、嫌いですか」

「……嫌いだよ。気に食わないし、許せない」


 圧倒的な支持率で、生徒会長に当選した四倉くぬぎ。

 かといって、いかに高い支持率を誇ろうとも――

 そして、まったく記憶にない生徒会長選挙。

 僕は覚えていなかったが、吉川深幸といえば、生徒の名前らしい。

 これも波崎からの情報だが――それだけ聞けば、察することは可能だろう。


「喧嘩を演じた本当の理由は、文化祭を失敗させ、ひいては生徒会の支持率を下げるためですか。だとしても遠回しではありますが――」


 コトが感情論ならば、論理性など後回し。傍から見てどれほど馬鹿げていようが、下らないことだろうが、――それが感情に起因することならばどうにもならない。

 僕と朝霧がわかれてしまった理由も、まさに同じであるように。


 だからこれは疑問ではなく、ただの確認だった。

 恨みか、妬みか、他の何かか。いずれにせよ何かしらの強い動機モチベーションがなければ、普通はこんなことまでしない。

 その異様なまでの行動力には、何かしらの裏づけが絶対にあると思ったのだ。

 個人的で――かつ尊大なまでの目的意識が。


「別に。そこまで考えちゃない」吉川先輩は言った。「ただ、ウチのクラスには可愛の姉妹ふたりもいるからね。企画をやるなら奴らが主導……にはならなくても、関わることは避けられないだろ」

 なるほど。要するに、生徒会の足さえ引っ張れればなんでもよかったと。

 喧嘩を演じたというよりは、そもそもふたり揃って不機嫌だっただけと考えたほうがいいかもしれない……それが先にあったから、この方法に至ったのか。

「……意外と素直に教えてくださいますね」

「黙れよ」吉川先輩は言った。「……で? お前は何が目的だよ。お前、四倉と何か関係があるのか」

 視線に破壊力があれば僕は死んでいる。そんな勢いで睨んでくる吉川先輩であった。

 正直、かなりこわい。

「いえ特に、関係というほどの関係は」それでも僕は平静を装って言う。「ただの知人です。実は生徒会にも誘われているんですが、それは断るつもりですし」

「…………」

「先に言っておきます。僕はどちらの味方をするつもりもありません。派閥だの政争だのには興味ないですから――ていうか、こんな煽るような言い方はもういいですかね。失礼な態度を取って申し訳ありませんでした。単純に、僕には関係のないことだっていうだけです」

「なら、なんのためにアタシを呼び出した」

 それはもちろん。

「ひとつだけ。伝えておかなければならないことがあったからです」

「……なんだ?」

 訝しげに眉を顰めた彼女へ、僕は静かに、端的に告げる。


「――小金井先輩が、おふたりに仲直りしてほしいと悩んでいます」


「――……」

「それだけです」

 この件で、唯一の純粋なは、僕の知る人間では小金井先輩だけだった。僕が誰かに肩入れするというのなら、それは当然、小金井先輩以外にない。

 何か被害を被ったわけではないだろう。確かに、実質的には。

 それでも――小金井先輩が心を痛めたことには変わりないのだから。

 別に同情ではない。依頼されたことをこなしただけだ。


 言うだけ言ってから頭を下げ、僕はその場を辞そうとする。

 この場での目的は済ませた。裏づけもとれたし、早く生徒会室へ向かう必要もある。その背中へ、けれども吉川先輩が声をかけてきた。


「待って。――アンタ、名前なんつったっけ」

「……若槻ですよ。若槻佐太郎」

「佐太郎……、ね。思い出した、前に波崎が言ってた奴が」

「波崎、僕の話なんかしたんですか」

「…………」

「ああ、まあいいです。それでは」


 僕はかぶりを振って、今度こそその場から立ち去った。

 去りしな、


「――名前、覚えたよ」


 とか聞こえた気がしたが、そんなものは無視である。

 ……こわかった。



     ※



 生徒会は当然、新聞部と連携を組んでいる。四倉世代だけではなく、これは例年同じだと聞いている。

 新聞部が大きいこの学校では、生徒に対する広報力で学校新聞の右に出るものがない。

 ――な今年の四倉生徒会の大きな改革のひとつである相談室について、壁新聞に記事を載せない理由がないではないか。

 だが朝霧は見ていないと言っていた。おそらく吉川・芹沢の両先輩の手によるものだろう。部活において、そういうことができる立場にいるふたりなのだ。いわんやクラスでなど。

 出る杭は打たれる。

 邪魔をされる。

 生徒会役員がふたりいるクラスだ。それに反抗してみせるなど――当たり前の、どこにでも転がっている教室政治の駆け引きでしかない。

 くぬぎ先輩は、なまじ強すぎるからそれがわからないのだろうけれど。

 たぶん――可愛先輩は、気づいていたのだとも思う。これも、根拠なんて別にないけれど。


「あと、ついで言うなら、運動部の予算を増やしたって件も関わってるのかもね」僕は言う。「これは想像だけど。学校の予算が、いくらやり手だろうと一会長の手腕で増えるわけじゃない――なら当然、ことになる」

 この学校の新聞部は大きい。ならば当然、予算も多く配分されていたことだろう。

 それを、今年になって運動部に回されたというのなら――新聞部に所属する人間の心情は、容易に想像できるものだった。その辺りが、吉川先輩が生徒会選挙に出馬した理由だったのかもしれない。

「……なるほどの」瞳を閉じて、ヨミは静かに肩を揺らした。「はん。まったく誰も彼も、どうしてこう面倒なことばかりしておるのやら。私には理解できんわ」

「僕にもそれはわからないな」

「お主がいちばん面倒な性格しておるじゃろうが……」


 失敬な。

 僕ほど単純な人間も、そうはいないと自負しているのに。


「――あまり抱え込みすぎるな」


「……」

 ヨミが。そんなことを、僕に言った。

 言ってくれた。

「お前の気遣いはわかりにくい――伝わらないにも程があるじゃろ、そんなもの」

「……気遣いだって?」僕は肩を竦めた。「今の話に、そんな要素あったかな」

「怒ったんじゃろ?」

「……、……」

「小金井と四倉のふたりを、サタロー、お主は。芹沢と吉川の勝手な考えに巻き込まれたふたりが、いちばん傷つかずに済むやり方をお主は選んだんじゃ。自ら泥を被ることで」

「泥を被るなんて、買い被ってくれるね」

「ふむ。では問おうか、サタロー。――なぜ、吉川と芹沢が生徒会を敵視していること、くぬぎに伝えなかったのじゃ?」

「……言い忘れただけだよ」

「それは苦しいじゃろ」


 本当に言ってくれる。

 僕はひとつ、そこでヨミに問いを投げてみた。


「ねえ、ヨミ」

「なんじゃ?」

「僕って、頭がいいと思う?」

「あり得ん」


 即答で断言された。

 怒る気にもなれないというか、むしろ思わず噴き出してしまう。


「酷いな」

「サタローは、それはもう頭が悪い。馬鹿じゃ。ついでに要領も悪い」

「……ねえ、言い過ぎじゃない?」

「性格も悪いな」

「あの」

「さらに言えば顔もよくないが――」

「なんで傷つけてくるの? ねえ、今それ絶対言わなくてもよかったことじゃ――」

「――でも優しい。優しすぎるほどにな」

「……、」


 思わず。

 僕は返答に詰まった。


「別に褒めとらんぞ」

「……さいで」

 そうだろうな、と僕は苦笑する。

 ヨミは続けた。

「サタローは物事を考え過ぎる傾向にある。迷わないくせに悩みはする。決して思考を止めないという、その才能は確かに稀有じゃが、気づいたこと全てを背負う必要はあるまい」

 そう言って。ヨミは僅かに苦笑した。

 儚げで、哀しげで、しかしどこか誇らしそうにも感じられる、柔らかで温かな微笑みで彼女は言う。


「――お主、四倉くぬぎに、少しばかり肩入れし過ぎじゃないかのう?」

「別に、そんなことは……」

「普段のお主なら、絶対にこんなことに付き合わなかったはずじゃ」

「そうだな……そうかもしれない」

「何故じゃ」


 問いに、僕は何も答えなかった。


 ――言えるわけがない。

 亡くなった深夜と、くぬぎ先輩が少し似ているから、だなんて。

 そんな最低の台詞だけは、決して吐くわけにはいかなかった。


 やがて、ヨミが小さな苦笑を見せる。


「まあ、しばらくゆっくりしていくといい。私の図書室せかいは、いつだってお主を歓迎しているからの」

「……やれやれ。本当に、知ったようなことばかり言って」


 僕はにわかに苦笑した。

 けれども悪い気分じゃない。


 ――そうだ、悪くない。

 だから、少しばっかり気を抜いて、たまにはここで眠っていくのも。

 悪くないかと、僕も、思う――。



     ※



 夢の中で、彼女は言った。


「――そんな貴方だからこそ。私は、私を託そうと思ったんだよ? ねえ、佐太郎――」

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