1-20『恋文コミュニケーション4』

     ※



「完全に出歯亀じゃないか。感心しないぞ」

「若槻、最低」

「いやいや。僕だって覗きは本意じゃなかったんですよ」

「やっていることに変わりはないだろう」

「気づいてたら普通に帰りましたよ。それくらいの空気は読めます。でもあの状況で、今さら出て行くわけにもいかなかったでしょう」

「まあ、それはそうかもしれないが……」

「そうですよ。文句ならヨミに言ってください」

「何それ。責任転嫁じゃん」

「……あの、朝霧さん。なんか僕に対して厳しすぎない?」



     ※



「ねえ、まずいでしょコレ……!」


 僕は言った。

 言う意味のないことだった。


「ちょっと静かにせい! 聞こえないじゃろが!」

「聞くなよそもそも! 聞こうとしていい感じの空気じゃないぞ!」

「いいから黙っとれ、大事な話なんじゃ!」

「そりゃそうだけれどもたぶん!」


 なんてやり取りをしていたせいで、途中の会話はあまり聞き取れなかった。

 だがやがて、女子のほうが「えっと。そういうことだから!」と、少し大きめの声で言ったのが僕たちに聞こえてくる。それでまた僕らは口を閉ざしてしまった。


 手紙を受け渡された男子が、いったいどんな反応を取ったのか。それは僕はわからない。身を乗り出しすぎて、気づかれるわけにはいかなかったからだ。

 だがわずかに、声だけは辛うじて聞こえてきてしまった。いっそ聞こえなければ問題はなかったのだろうが、ヨミはその点を見越して絶妙のポジションに位置取ったらしい。


「これ、中身は――」


 と男子生徒。どこか困ったような、はにかむような、なんとも微妙な声音で言い淀む。

 一方、女子生徒のほうは、少なくとも僕が聞く限り平静な声音で答える。


「えっと……前で読まれると少しアレかな」

「……ああ。まあ、それもそうか」

「えっと、じゃあもう、わたしは帰るね。用事はこれで終わりだし」

「……そっか」

「そ。――じゃ、また明日ね、今村いまむら

「ああ。――また明日、森川もりかわ

「……どんな答えでもさ。明日もまた、仲よくしてよ?」

「……ああ」

「ん。それが聞ければ充分、かな」


 それだけの会話を交わしてから、来たばかりの女子生徒――森川というらしい――は、来た道を引き返して図書室をあとにする。

 今村、というらしい男子生徒だけが、その場所にひとり残っていた。


「……やっちゃった」


 僕は呟く。まったく知らない人たちの告白シーンを、ほぼ余すところなく目撃してしまったのだから。こんな経験はさすがに初めてだ。

 ふたりはひと気がないと知っていたからここを選んだはずなのに。


 とはいえ今村何某が残っている限り、僕がここを出て行くわけにもいかない。

 気を払えば、来たときのように気づかれず出て行くことも不可能ではないと思ったが、そんなギャンブルに挑戦する気にはなれなかった。さきほど彼は本を読んでいたが、今は違うというのもある。

 僕が頭を押さえて悩んでいると、ふと、件の男子生徒の声が聞こえた。今村だ。



「――――ああああああっ!」



 正直、ものすごく驚いた。

 図書室、という静寂を強制される空間で出していい音量ではなかっただろう。おそらく下の階にまで響いたはずだ。

 その雄叫びに、僕は思わず身を硬直させてしまう。一瞬、ここにいるのが気づかれたのかと思った。

 だがどうやら違うらしい。陰から様子を窺ってみると、彼は手紙をびりびりに引き千切り始めたのだ。


「うえ……っ!?」


 思わず声を出してしまった。不覚にも程がある。

 僕の呻きは幸いにも聞かれなかったようで、彼はびりびりに引き千切った手紙を、机の上に置いていた本と合わせて乱暴に鞄へと仕舞い込んでしまう。そしてそのままどたどたと階段を下りて去っていく。

 突然の反応だった。


 ――わずかに垣間見えた表情は、怒っているというよりも、どこか悲痛なものを感じさせる色だった。



     ※



「ふむ。なんだか妙な展開になってきたな」

「なんだかんだ楽しそうですね、先輩」

「別にそんなことはないぞ? 興味深いとは思うが、笑うつもりはない」

「まあ、先輩はそういう人ですよね……」

「……含みがあることを言うね」

「いえそんなことは」

「……仲がいいんですね、会長と、若槻は」

「あの……朝霧さ」

「別にわたしには関係ないですけど」

「んんっ」

「え? そうかな? 仲よく見えるかな?」

「なんで喜んでんですか、くぬぎ先輩は……」



     ※



 ただまあ、似たようなことは僕も考えていた。確かにこいつは奇妙な展開だ。

 ふたりが去った図書室の二階で。

 ようやく姿を隠している必要もなくなり、僕とヨミは書架の陰から机の置かれているほうへと出ていけるようになる。


「……どういうことじゃろうな?」

 ヨミが言った。

 僕はさして興味もなく、おざなりに答える。

「知らないよ、そんなこと」

「気にならんのか?」

「ならない、とは言わないけど。考えないよ、そんなことは。趣味が悪い」

 首を振る僕に、けれどヨミはなぜか妙に食い下がる。

「まあ、そう言わず。少し考えてみんか?」

「考えるって……何を」

「あの男子生徒――今村、といったか。奴がなぜ急に叫び出して、手紙を破ってしまったのかを、じゃ」

「興味ないよ」僕は、少し厳しめに言葉を作る。「ていうか知らないって、そんなこと」

「無論、私らは知らぬ」ヨミは頷いて言った。「だから考えてみんか、と問うているわけじゃろうが」

「だから、趣味が悪いぞ。覗いただけでも問題なのに、これ以上の詮索なんて……」


「それはつまり、サタローには――詮索すれば答えがわかる、ということなのかの?」


 僕には、ヨミがそのとき何を言い出したのか、わからなかった。

 彼女はわずかに首を振り、そして唐突に話題を変える。


「ふたりは、何をしていたのじゃと思う?」

「何って……女子のほうが、男子のほうにラブレターでも渡してたんだろ」

「まあ、見たところそんな感じじゃったな」


 ――しかし。

 とヨミは続けて言う。


「ならどうして男のほうは、渡されたラブレターを破ってしまったのじゃ?」

「知らないよ。付き合う気がなかったんじゃないか」


 適当な返答だった。

 だが、適当であれ《答えてしまった》というその時点で、僕はもうヨミの術中に嵌まってしまっていたのかもしれない。

 ヨミは、わずかに口角を歪めて――まるで挑発するかのように――言う。


「それなら叫んでまで破く必要はないじゃろう? ただ断ればいい話じゃからな。少なくとも告白された側が、ああまで荒立ったりはするまい」

「なら、そうだね。実はあの手紙、ラブレターなんかじゃなくて、ただの悪戯――たとえば不幸の手紙的な何かだったりしたのかも。からかわれて怒ったのかもしれない」


 言いながら、それは違うということに僕は気づいていた。

 そして、同じ光景を見ていたヨミが、同じことに気づいていないはずがないとも。

 案の定――ヨミは、笑う。


「あれが怒っていたように見えたのか? どちらかというと、私には悲しんでいたように見えたが」

「……大差ないだろ。第一、そんな印象の話をしたらキリがない」

「そうじゃな。だが――気づいておるんじゃろ?」

「…………」


「――


 その、通りだった。

 男子生徒――今村は、受け取ったラブレターを読むことさえせずに引き裂いたのだ。

 歌のヤギより過剰な反応だ。何か、理由があったのだろうことは察しがつく。


「私はな、考えることは、悪いことではないと思うのだ」

 ヨミが言う。僕に対してではなく、あるいは自分に言い聞かせているかのように。

 そういう言い方をしては、確かにそうなのかもしれないが。

「ラブレターを渡されて、それを引き千切ってしまうなど普通ではない。何か事情があったのじゃろう。だが思わんか――あのままでは、誰も救われない」

「…………」

「哀しいじゃろう、そんなの。ともすれば、何か不幸な勘違いやあるのかもしれん。なら――それを解き明かすことは、本当に悪いことなのか?」


 答える言葉は、なかった。

 ヨミの言葉にも一理の分があると、そう思わされてしまったのだ。

 あるいは、僕は免罪符を得たと思ったのかもしれない。

 知らない人間の個人的な場面を、迂闊にも覗き見してしまったことに対して。そして何より――そのことについて、勝手な想像を巡らせてしまうという行為に対して。


 僕は、ヨミに言い訳を貰ってしまったのだ。


「――考えてみるだけだぞ」


 気づいたときには、だから、そんなことを言ってしまっていた。

 それを自覚してから、僕は慌ててつけ足すように続ける。


「そのあとどうするかなんて知らない。僕は関知しない。そもそも、これだけのことから事情がわかるなんて僕には思えない」

「それでも」ヨミは柔らかに微笑む。「考えることは、罪ではあるまい」


 僕は答えた。


「……本当に考えるだけだからな」


 我ながら、間抜けな物言いだとは思う。



     ※



「――状況を整理してみよう」


 とんとんと、右のこめかみを指で叩きながら僕は言う。

 見るべきものは全て見終わった。要はそれを、どう読み解いていくかが問題だ。

 無論、この時点で全てのヒントが出揃っているとは限らない。大事なのはそれをどう纏め、どう解釈するかを見極め、何が足りていて何が足りないのか見当をつけることにある。

 もっとも、仮に出揃っていないのなら、その時点で手詰まり――ゲームオーバーだが。


「主観を交えず、明らかにわかっていることだけを考えていく」

「ふむ。どうするのじゃ?」

 ヨミの問いに、僕は頭の回転速度を少し上げた。

「男女ふたりの生徒が、図書室の二階で待ち合わせをしていた。ここまではいいね」

「今村と、森川と言っていたの」

「うん。まあ、たぶんだけど新入生じゃないんだろう。二年か三年のどちらかだと思う」

「何を根拠にじゃ?」


 ヨミは問うていたが、彼女もおそらくはわかっているのだと思う。

 あえて突っ込むことはせず、僕は答える。


「根拠というほどのものはないけど。しいて言うなら、場所だね」

「場所?」

「この図書室だよ。利用者がほとんどいない図書室。僕ら新入生なら、この場所を待ち合わせに指定することは普通しない。ふたりとも迷いなくここに向かってきたみたいだしね。少なくとも一年以上、この場所に通っている生徒だと見て……まあまず間違いないと思う」

「……それはそれで、業腹な話ではあるがのう。私の城はそんなに人気がないか」

 図書室の精霊らしいことを言うヨミだった。

 僕はやはり突っ込まない。代わりに加えて告げる。

「この時期に図書室を訪れる生徒が少ないことは、司書の直木先生からも聞いてる」

「ああ。下で、そんな話もしておったの」

「……聞いてたの?」

 訊ねた僕に、ヨミは嫣然と微笑した。

「仮にも精霊じゃぞ、私は。この空間の出来事くらい、全て把握しておるわ」

「…………」


 精霊とはなんだろう、ということを僕は考えた。

 だがさすがにそんなことは、考えたところでわかりはしない。

 小さく肩を竦めて、「盗み聞きは感心しないな」とだけ告げた。

 今さらじゃろう、とヨミは笑う。

 確かに、と僕は頷いて――それから。


「――――、ん?」


 何か、今の一連のやり取りに、引っかかるモノを感じてしまった。

 それもひとつではない。上手く形にできないが、複数以上の引っかかりを感じてしまう。

 しばらく無言で考え込んだ僕だったが、とりあえず今は措いておくことにする。

 ラブレター引き裂き問題とは無関係な話だ。

 早いところ、目先の問題に片をつけることを優先しよう。


「まあ、先輩たちの学年はひとまずいいとしよう。正直、本題に関係ないと言えば関係ない」

「それもそうじゃな」

「とにかく、ふたりの先輩――今村と森川は、この場所で待ち合わせをしていた。呼び出したのは女子生徒、森川のほうで、呼び出された今村が先に来ていた。ここまでに何か異論は?」

「ないの。話の流れから察するに、そこまではまず間違いないじゃろ」

 ヨミの同意に頷きを返し、僕は整理を続ける。

「用件は手紙を渡すこと。最低でも《何かを受け渡す》ことだけは、お互いの間で了解が取れていた」

「ん? どうしてわかるのじゃ」


 と、これは素で疑問してくるヨミ。

 僕は少し考えてから、


「ヨミなら、もし自分が呼び出されたとき、相手にあったらまずなんて言う?」

「む……?」

「試しに、僕がヨミを呼び出したとしてみようか」

「ふむ、即興劇エチュードじゃな!」

 なぜか楽しげに言うヨミだった。いや、別にそんな大層なものではないのだが。

 ともあれさきほどのやり取りを再現するように言う。男女は逆になっているが、この際それはいいだろう。

 僕は声音を作って、


「『ごめん。待たせたかな』」


 察したヨミは悪戯っぽく笑んで答えた。


「『いや。今来たところじゃ……だよ』」

「……『そっか、ならよかった』」

「…………」

「それで。その次は何を言う?」

「そう訊かれてものう……」


 ヨミは逡巡するように首を傾げる。

 関係ないのだが、宙から下りてもらえないものだろうか。空中にふわふわ浮かれていると、僕としても対応に困ってしまう。

 そんな超常的な光景に、慣れ始めている自分が少し嫌だった。


「用件がわからんことには、話を進めようもないじゃろう」


 そう言うヨミに、僕は「そうだね」と首肯する。


「誰かを呼び出すしたのなら、そこには当然、目的がある。なら――」

「――ああ!」


 そこでヨミは理解したようだった。僕は続ける。


「たとえば僕なら、たぶんこんなことを訊くと思う。――『なんの用かな』って」


「確かに、今村は用件を訊かなかったの」

 合点がいったとばかりに手を叩くヨミ。反応の大きな精霊である。

「なるほど、それで互いに理解が取れていたと」

「確証はないけどね。たぶん、そう見て間違いないと思う」

 あのふたりは最低でも、この場所で互いに何をするのか知った上で来ていた。

 そしてその行為――手紙の受け渡し――は、問題なく完了したと見ていいだろう。


 これはだいぶ示唆に富んだ情報だと思う。なぜなら、


「もしあらかじめわかりきっていたはずの展開なら、今村がああまで感情を露わにする必要はなかったはずだ」

「そうじゃの。まあ、問題は人間の感情のコトじゃから、絶対だとは言えんが」

「僕もそれは否定しない。でもまずは感情の問題については措いておこう。どうとでも言えてしまうからね」


 言った僕に、ヨミはどうしてか悪戯げな笑みを見せる。


「……慣れておるようじゃな」

「ん……? 何に?」

「こういった風に、物事を順序立てて推理することに、じゃ」


 その指摘に、僕は思わず閉口した。

 そんなことを言われるとは思っていなかった。

 少し慌てて首を振る。


「そんなことはない。どちらかといえば、僕は考えごとが苦手なほうだよ」

「そうかの? ま、そういうことにしておこうかの」


 くつくつと笑みを噛み殺すヨミは、どこまでも嬉しそうな雰囲気だった。

 あまりに純粋な反応に、僕は怒る気さえなくしてしまう。もともと、感情を表に出すのは苦手だった。

 誤魔化すため、話を元の向きに戻す。


「整理を続けるよ。――森川は今村に手紙を渡して立ち去った。受け取った今村は、その手紙を読むこともなく引き千切って立ち去った。怒っていたのか悲しんでいたのか、かなり興奮した様子で」

「まあ、見ていた通りじゃな」ヨミが首肯する。「して、そのことから何がわかるかの?」

「……この場所を待ち合わせにしたのは、手紙の受け渡しを誰にも見られたくなかったからだろう」

 本校舎から少し離れているこの図書室は、校内でも特にひと気の少ない場所だ。その分、誰かに見られる可能性は低くなる。

 実際には、こうして僕たちに見られてしまったわけなのだが。申し訳なく思うけれど、まあここが学校の共有スペースであることに変わりはない。本当に見られたくなければ、それこそ学外などを選ぶべきだった。

 運と間が悪かったのだと、そう言い訳して自分を納得させておく。

 僕は続けた。


「つまり、手紙の内容はかなりプライベートなモノであることが予想される」

「ま、そうでもなきゃ手紙なんぞ書かんじゃろ、今どき」

「そうだね」頷く。「じゃあ肝心の、手紙の内容とは何か。ヨミ、手紙には普通、何が書かれてると思う?」

「ごく端的に言うなら、じゃな」

「そうだね。言い換えるならっていう表現が妥当かな。内容はともかく、何か伝えたい情報があるからこそ人は手紙を書く。けど、手紙という手段は、普通に使うにはちょっと回りくどい」


 他者に情報を伝達する際、最も手っ取り早い方法はもちろん口頭だ。口で言うのがいちばん早いし、楽でもある。

 仮に文章で伝えるのだとしても、その場合でさえ、今どきは遥かに手っ取り早いツールが存在している。

 言うまでもない。メールだ。


「――口頭でもなくメールでもなく、わざわざ手紙で伝える理由はなんだろうか。ぱっと思い浮かぶ理由はふたつ……いや三つかな。ああ、四つ目も思いついた」

「よくまあぽんぽん浮かぶものじゃな……」

 感心したのか呆れたのか、わからない感じでヨミが言う。

「ひとつは内容の問題。その内容は、だったから」

「……どういう意味じゃ?」

 首を傾げるヨミ。僕は片手を顎につけ、思索を巡らせながらゆっくりと答える。


「たとえば、そうだね――年賀状とか」

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