1-21『恋文コミュニケーション5』

「年賀状?」

「あるいは結婚式の招待状とかでもいい。まあ最近では略式としてメールで送る場合もあるけれど、一般的に、これらは葉書や手紙の形で送られるものだと決まってる。森川はその慣習に則っただけ、という場合だね」

 ヨミは怪訝な顔をした。

「あれが、年賀状や招待状の類いじゃったと?」

 僕は首を振る。

「可能性がゼロとは言わないけど。まあ、違うだろうね」


 年賀状には季節外れすぎる。お盆でも寒中見舞いの時期でもない。高校生が披露宴やパーティの招待状を作るとも思えないだろう。

 それ以前。こういった通達は、普通なら郵送するものだ。同級生に手渡しするとはまず思えない。


「ならなぜ言ったのじゃ……」

 訊ねてきたヨミに、僕は軽く肩を揺らした。

「選択肢を挙げただけだよ。可能性はひとつずつ潰していかないとね」

 どのみち、選択肢は無数にあるのだ。消去法で絞っていくのが、いちばん楽だと僕は思う。

 ――それに、と僕は続けて言った。

「手紙の形が一般的で、なおかつ学生が渡してもおかしくないもの――郵送も普通しないし、どの季節でも関係なく送られるものがある。あのやり取りを見たら、誰でも最初に思いつくものだ」

 ヨミは即答した。


「――恋文じゃな」


 現代風に言えば、ラブレター。

 その通りだ、改めて言うまでもないだろう。

 同級生の異性を呼び出して、ひと気のない場所で手紙を渡す――。

 そんな光景を見れば、誰だってまず告白だと考えるはずだ。むしろほかの可能性を考えるほうが難しい。

 まさか果たし状など渡すわけもなかろうし。


「メールでも口頭でもいいけどさ。ラブレターなら、手紙の形で渡しても、まあおかしくはないでしょ」

「確かにの。最近の高校生にしては、ずいぶんと奥ゆかしい方法を取るものじゃ。感心じゃのう」


 適当なことを言うヨミだった。見た目は年下の精霊に、こんなことを言われる森川には同情する。

 まあ本人がいないのをいいことに、平然と呼び捨てにしている僕が言うことじゃないが。


「ただまあ、それにしたって、何も破ることはないじゃろう」

 ヨミが言う。それはまったくの同感だったが、

「まあ、ひとつの可能性としては残しておこう」

「ふむ。ではほかの可能性とはなんじゃ?」

「――心理的な可能性かな」僕は言う。「口では言いにくい内容だから、手紙にして渡した」

「うん? ……要はラブレターということじゃろ、それ?」

「それもあるね」首を縦に振り、それから続けて横にも振った。「でも、ほかにもある」

「なんじゃ?」

「うーん……そうだね。たとえば、こんな文面ならどうだろう。『ズボンのチャックが開いてるよ』とか。口に出しては伝えづらいから、紙に書いて渡してあげた」

「…………いやまあ、ないとは言わんが」

 怪訝に言うヨミに、僕は苦笑する。

「わかってるよ。もしそんな内容なら、《放課後に》《呼び出して》《封筒に入れて》まで伝えるわけがない。矛盾だらけだ」

 それくらいなら、口に出して言ったほうが遥かにマシだろう。

「まあ確かに、そんなことをされれば、感謝より先に怒るかも知れんがな」

 神妙に呟くヨミだった。確かに、喧嘩を売っているようなものだ。

 そしていずれにせよ、彼は中身に目を通してはいないのだ。

 この考えも、可能性としては消去していいだろう。なんだか難しくなってきた。


「あとふたつの可能性も、どれも割と考えづらいんだよね」

「一応、訊いておこうかの。なんじゃ?」

「ひとつは、ふたりのうち最低でも一方が、携帯電話を持っていなかった。だからメールじゃなくて手紙にしたという可能性」

「……まあ、ないとまでは言えんじゃろ」

「もちろんないとは言えない。でも仮にそうだとして、なら口頭なりなんなり、別の手段で伝えればよかっただけだからね。本当に持ってないのだとしても、それは問題の本質じゃない。伝える内容が手紙であるべきだったからこそ、手紙というカタチが選ばれたんだ」

「なるほどの。もうひとつはなんじゃ?」

「うん」


 頷いて、それから僕は言った。

 これは正直、ほかのとは意味合いが違うのだけれど。


「――という可能性」


「……なるほどの」ヨミはニヤリ、と笑みを作った。「なにせモノが封筒じゃから、てっきり手紙と思い込んでおったが……そうではない可能性もあったわけじゃ」

「まあ、そうなんだけどね」

 感心してもらっているところ悪いのだが、可能性は高くないと思うのだ。

 なぜなら――、

「その場合、なら結局、何が入ってたのかという問題が残ってしまう」

「ふむ……たとえば写真なんてどうじゃ?」

「なんで森川が今村に写真を渡すんだ」

「む? なんでもいいじゃろ、そんなもの。森川が撮った写真の現像を、今村が頼んでおったとか――」

「そこだよ」僕は遮るように言う。「自分で頼んだモノを、なんで自分で破くんだ」


 ヨミは「ああ」と頷く。


「……それもそうじゃの」

「手紙でないとして、思い浮かぶ可能性は写真のほかだと、たとえばコンサートのチケットとか、何かの申込書みたいな書類関係、それ以外だと現金なんかも思い浮かぶけど」

「本当に、次から次へと可能性が思い浮かぶものじゃの……ぽんぽんぽんぽん」

 さきほどと似た言葉を、今度は完全に呆れた口調でヨミは繰り返した。

 僕は首を振って、

「これくらい誰でもすぐ浮かぶよ。問題なのは、そのどれであれ、ってこと」


 封筒の中身が情報ではなく物質であるのなら、それは受け取る側の今村が渡してくれるよう頼んだ可能性が高い。しかし、ならば自ら望んだモノを破る必要など皆無だろう。

 もちろん森川の側が率先して渡した可能性もある。だがその場合、要らないのなら断ればいいし、仮に断れなかったにしろ、これも同じく破る必要まではない。

 ――というか。


「……やっぱりなんだよなあ」僕は呻くように呟いた。「《中を見ないで》、《破り捨てた》――このふたつが、どうしても繋がらない」


 僕は額に手を当てて考える。

 いったいどこを、どう見ればいい。やはりヒントが足りていないのか?


「なぜ中身を見なかった……? 見る前から中身がわかっていたからか? いや、でも今村は自分から中身を確認してもいいかと森川に訊いている。なのに見なかった……どうしてだ? 途中で気が変わったからか? いや――そもそも見る気がなかったのか。途中の会話を聞き逃したのは問題だったかもしれない。でも、あれは……」

 僕はぶつぶつと言葉を吐き出し続ける。誰に聞かせるでもない小声。そうすることで、少しでも考えを纏めようとしていた。

 その間、ヨミはひと言も言葉を漏らさない。

「破ったのはなんでだ? やっぱり、見る前から中身を知っていた――少なくとも予想はついてたはずだ。その予想が悪いものだったから見るのが嫌で破ったのか、あるいは予想を、期待を裏切るよくない内容のものだったから見なかった……そのどちらかか?」


 森川さんからお手紙ついた、今村さんたら読まずに破いた――。

 さて、さっきの手紙のご用事なあに?


 僕は考えた。いくつか、それらしい想像も浮かんでくる。

 だが確証がない。ヒントが足りなすぎるのだ。これだけで中身を予想しろというほうが馬鹿げている。

 結局、僕は諸手を挙げて降参した。


「……駄目だ、わからない。ここまでみたい――」だ、


 と言いかけた僕の目の前に、なぜか、ヨミはいなかった。


 ……いや、なんでやねん。


 僕は呆れて周囲を見回す。

 幸い、ヨミはすぐ近くにいた。僕のほうではなく、なぜか視線を低い方向に向けている。

 僕は彼女に近づいて、


「ちょっと。ひとが考えてるのに、それを無視していったい何を――」

「――あれはなんじゃろうな?」


 ぽつりと零すようなヨミの疑問に、僕は発言を潰されてしまう。

 仕方なく視線をヨミの見る方向に向けたところで、僕は《それ》に気がついた。

 すなわち。


 床に、一片の紙の切れ端が落ちていることに。


「もしかして……」

 僕は呟く。同じ考えに至ったのだろう、ヨミは言った。

「さきほど、今村が破った紙の一部じゃろう。細かく切りすぎて、少し落としたようじゃな」

 言うと、ヨミは手を使わず、例の念動力じみた力でふわりと紙片を浮かび上がらせる。

 そのまま手元までそれを持ってくると、ヨミはその切れ端を見分した。

「どうやら便箋の一部のようじゃな。端じゃから、書かれていた文面まではわからんが――ほれ」


 と、ヨミに切れ端を手渡される。僕はそれをしばらく眺めた。

 なんの変哲もない、それは白い便箋の切れ端だ。角があるところと、印刷らしきあるマークを見るに、おそらくは便箋のいちばん右下部分の切れ端なのだろう。

 金に近い印。

 それは、この学校の校章で――。


「――――――――……………………」


 瞬間、とある《問題》に行き当たっていた。

 僕は考える。

 考える。考える、考える、考えて考えて考えて考える。


 ――そして。


「ヨミ。答えられる範囲のことだけでいい。僕の質問に答えてくれ」

「どうしたのじゃ――」一瞬だけ逡巡したヨミ。「いや、わかった、構わん。なんじゃ?」

 けれどすぐに頷くと、真っ直ぐな視線を僕に向けた。

 だから問う。

「この便箋、どこで手に入るものか知ってる?」

「ん? まあたぶん、この学校の購買じゃろうな。直接行ってみるか、あるいは直木にでも訊けばわかるじゃろうが」

「そこまでする気はないよ。要はつまり、この学校の生徒なら誰でも手に入るものってわけだね」

「それは間違いないじゃろう」

「わかった、じゃあ次だ。もうひとつ質問がある」

「……なんじゃ?」

 胡乱げに視線を向けてくるヨミだ。あるいは、すでに察したのかもしれない。

 だから、だからこそ、僕はこの質問をせざるを得ない。


 問題は《どこまで》だったかという点にある。

 ただ少なくとも、《ここから》だったことだけは、おそらく間違いないだろう。


「ヨミ。――お前、な?」


 その問いに。質問ならぬ詰問に――確認に。

 ヨミは――図書室に住まう霊は。


 呵々と、盛大に笑ってみせたのだ。


「は――はは、ははははははは! そうか、そこまで気づくのか! やはり私が見込んだ通りじゃった!!」


 悪びれもしない。ただ愉快そうに笑う図書室の精霊。

 それを僕は――それでも、不愉快だとさえ思わなかった。


「意味がわからないが。……否定しないんだな」

「認めるとも。私の負けじゃ。いや、それでも助かった。サタローは《本物》じゃの」

「カマかけただけだよ」僕は言う。「でも違和感自体は初めからあった」

「じゃが、それだけでは発想にまで至るまい。どこかで失敗があったかのう? まあ、ともあれ――」


 ヨミは笑う。精霊は笑う。

 霊的な存在らしく――残酷なほどに凄惨な、美しいまでに無垢な笑みで。

 彼女は言った。



「――答えを聞こうかの。わかったのじゃろ、何があったのか」



 この期に及んで、まだ期待の籠もった笑みを僕に向けてくるヨミ。

 それに、僕は言い知れない違和感を総身に覚えつつ。

 言った。


「ああ。なぜ今村が手紙を破ったのかは、わかったつもりだよ」


 わからないのは。

 ヨミ。お前のことのほうだ。



     ※



「――常々疑問なのだがね」


 くぬぎ先輩が、そう言って僕に笑みを見せる。

 その居心地の悪さに、僕は身震いするかのような思いだった。


「その推理力は、いったいどこから湧いてくるんだい?」

「買い被りすぎです」


 僕は首を振る。

 そんなことはまったくない。

 こんなものは偶然だ。


「これ、いつだったかヨミに言われたことなんですけど」


 いつだったか、なんて言いつつ、それがいつなのかははっきりと覚えている。

 だが僕は、この期に及んで、重要なことは全て隠して話していた。

 たとえば今村や森川の個人名や、ヨミとの会話の細部などを、僕は濁して話している。

 無論、先輩ならば、あるいは濁した部分に察しがつくかもしれない。それならそれでよかった。

 ただ自分から明かすつもりはないだけで。いわばヒントだけを出していた。


 


「ヨミくんが、何か言っていたのか?」

「ええ。『サタローにあるのは、推理力ではなく想像力じゃの』と」

 物語を読み取る力ではなく、むしろその逆、物語を書く力が若槻佐太郎にはあるのだと。

 図書室の自称精霊は、僕に向かってそう言うのだ。

「もっとも、僕にはどちらの力もあるようには思えませんが。多少、他人より妄想力が激しいだけです」

「悪いことじゃないだろう」

「いいことでもないでしょう」

 それで何人もの人間に、勝手な物語をくっつけてきたのだから。

 謎を暴くという行為の身勝手さを、僕は誰より知っているはずだった。

「……まあ、思うところがあるならいいさ」

 先輩が言う。朝霧はただ黙っていた。

「話の続きを聞かせてくれ。君はいったい、何に気がついたんだ?」

 僕は答えた。



「まず結論から言います。あの手紙の内容は――やはりラブレターでした」



     ※



「それはまた、意外性のない解答じゃの」

 ヨミはそう言った。僕は答える。

「ひとつ言っておくけど、ヨミ――んだよ」

「…………」

「あるのはただの日常だけだ。面白いもつまらないもない。世界なんて、ただの事実だけで完結してる」

「ならサタローには、事実が全てわかるのか?」

「まさか」僕は首を振る。「ただヒトに認識できる《真実》なんて結局は主観だからね。ヒトの数だけ存在してる。要は何を選んで、何を選ばないかってことだよ。確かに過去の《事実》はひとつだ。でもそれを受け取る人間の数だけ、主観としての《真実》は無数に増える。――結局は解釈の問題だよ」

「……つまらないものの考え方じゃの。そこは相容れん気がするわ」

「つまらなくて結構だよ。むしろ望むところとさえ言える」僕は首を振った。「でもまあ、そんなことは今はいいだろう」

「そうじゃの。ではなぜ、今村は受け取った恋文を破ったのじゃ?」


 ――らぶれたーが破られたー、なんて冗談にもならんぞ?

 ヨミはそんな風に、下らない言葉を飛ばしてくる。僕は無視した。

 最近、周りに下らない冗談を言う奴が多すぎる気がする。


「わかっていることを訊くなよ。――いや、いい。追及はあとにさせてもらう」

「助かるの」

「今村はを破ったわけじゃない」


 ひと息。

 僕は告げる。



「――を破ったんだ」

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