1-22『恋文コミュニケーション6』

 そもそも常識的に考えて、他人から貰った手紙を、そう簡単に破ってしまえるだろうか?

 もちろん、あり得ないとは言わない。たとえば何か屈辱的な罵倒などが記されていて、怒りのあまり衝動的に破ってしまうということならば充分に考えられる。

 だが今村は、森川が去ってから――言い換えるなら、森川が手紙を破いたのだ。確かに叫んではいたが、あの大声が、僕にはむしろ理性的に聞こえていた。たとえば、何か感情を振り払うかのような声音だ。絶叫することで、意識を落ち着けようとした、とでも言えばいいだろうか。

 加えてそれ以前に、今村は手紙の中身を確認していない。


 他人から貰った手紙を読みもせず破るとは考えにくい。それだけ嫌いな相手とは、そもそも待ち合わせなどしない。見ていた限り、ふたりの仲が険悪であるようにも思えなかった。

 なぜ読まなかったのだろうか。


 だと考えるのが、いちばん適当であるように思う。


「今村は初めから手紙の内容を知っていた。予想がついていた、という意味じゃない。一言一句、全て正確に把握していたんだ」

 なぜなら、自分で書いたものだから。

 それならば、読まずとも内容を知っていておかしくない。

「あれは森川が書いた手紙じゃなかった。今村が、自分で書いた手紙なんだ。それを、今村は森川から手渡された」


 少なくとも――そうだった。

 と、そう表現するのが適当だろう。

 事実と真実。世界は、あくまでその当人が認識した形でしか目に映らないのだ。

 これは、おそらくそういう話。


「……なぜ今村が書いた手紙を、今村が渡されることになるのかの。よもや落としたとでも言うつもりか」

 ヨミが言う。疑問というよりは確認に近い口調で。

 僕はわずかに肩を揺らして、

「まさか。自分で書いた手紙を……それもラブレターを落っことすような人、まずいない。そうじゃないよ」

「では今村が、森川に告白しようとした――ということかの?」試すようにヨミ。「じゃが結局、その手紙を突き返されたと?」

「それも違う」僕は首を振った。「もし森川が告白されたのなら、渡された時点で断ればいいだけの話だろう。考える時間を貰ったのだとしても、迷うくらいなら《手紙をつき返す》なんて意地の悪い返答の仕方を面と向かってはしないと思う」

「そうとは言い切れんじゃろ? 森川は暗に断りを伝えるつもりで――」

「――

「…………」

「と、いうようなことを森川は言っていた。どんな答えでも――なんて、答えを突きつけた側が使う台詞じゃないでしょ。あれを解釈するなら、とか。まあそんな感じじゃないかな」

 たとえば僕と朝霧のように。

 ともあれ、今村が告白した相手は森川ではないと僕は見る。

「なら、今村は誰に告白しようとしたんじゃ?」

 僕は答えた。


「知らない。ていうか、そんなことわかるわけない」


「……」

「まあ予想はつくけどね。森川の友達の誰かじゃないかな。聞いた限り、たぶん三人とも同じクラスだと思う。直接は渡せなかった今村は、森川の手から相手に渡してくれるように頼んだ――わけではないだろうね、この場合だと。今村は直接、相手に手紙を渡している。好きな誰かに、自分の手紙を――少なくともその間に、第三者の手は森川も含めて介入していないはずだよ」

「……ではなぜ、森川がその手紙を持っておる?」

に決まってる」当たり前のように僕は言う。「今村からじゃなく、告白された誰かから――そうだね、仮にその人を《Cさん》とでもしておこうか」

「…………」

「理由は、そうだね。『告白されたんだけど、直接断るのは後ろめたいから、代わりに断ってほしい』とかなんとか。そんな風にCさんは、友達の森川に言ったのかもしれない」


 あるいは――いや、それはいいだろう。

 ともあれ。この場合での真実はひとつだ。

 すなわち、


「――そう、ってこと」



     ※



「……どういうこと?」

 怪訝な表情で、思わずと言った風に朝霧が問うた。見れば、くぬぎ先輩も表情だけで同じ意を僕に示してくる。

 僕は小さく、付け加えるように言う。

「要するに、今のは彼にとっての《真実》であって――客観的な《事実》とは、ということです」

「真実であっても、事実ではない……?」

「ええ。彼はそう思ったのでしょう。手渡された封筒を見て、それが使だということに気がついた」

 なにせ購買部で売っている、学校の印が入った封筒だ。この学校の生徒なら誰でも手に入れられるものだし、けれど誰もが買うようなものではない。

 だから。彼は勘違いした。


「――同じ封筒だから、のだと彼は勘違いしてしまった」


「と、いうことは……」

「ええ」僕は頷いて言う。「実際には、封筒の中身はだったんです」



     ※



「……同じ封筒に、別の手紙が入っていた、と?」

「同じ封筒に、だね」


 ヨミの言葉を、もう少し正確な表現に直した。

 おそらく今村はラブレターを書くために、この学校の購買部で封筒と便箋を購入したのだろう。そして同じく森川も――ラブレターのために、まったく同じ封筒と便箋を購入していた。


「だから、それを手渡された今村は、てっきり自分が出した手紙がそのまま戻ってきてしまったものと勘違いしたんだ。――本当は、あれは森川が書いたモノだったのに」

 まるで確証のないことを、僕はそれでも断言する。

 正しい、という態度でいれば、人は結構それを信じてしまうものだ。


 たとえ辻褄が合わなくても、気づかないことは意外と多い。


「あの待ち合わせは、あくまで森川が今村を呼び出したんだ。いちいち面倒な事情なんて考える必要ない。普通に、森川が今村にラブレターを渡すために呼んだって、そう考えるのがいちばん楽だ」


 だが――実際には違った。

 今村には、森川の知らない事情があったのだ。


「森川は、今村がCに告白していることを知らなかった。だから偶然、同じ封筒になっているということも知らず、告白のつもりで手紙を渡してしまった」


 酷い偶然なのかもしれない。

 だとしても、僕はそれが事実であるかのように言葉を重ねる。


 ――この世に謎はない、と僕はヨミに言った。

 それは、けれど正確には違う。自分の知っていることが何もかも正しい保証はない。僕は、地球が丸いということさえ自分の目で確認したわけではないのだから。

 だとしても、僕らはそれを真実として認識している。人間は自分の認識の範囲内にあるものしか視界に映せないし、理解に移せない。謎がないとはそういう意味だ。

 ある事実を、そうだと認識している自己がある以上、たとえそこに現実との齟齬があろうと意味はない。その真実は形を成し、謎ではなくなってしまうのだ。

 推理小説において、探偵役の語ったことが全て真実であると見做されるように。

 本当は、それを確認するすべを僕たちは持っていないのに。

 ――謎は、謎としての価値ありかたを失ってしまう。


「今村は勘違いした。自分はCに振られて、森川経由で手紙を突き返されてしまったのだと。互いに恥ずかしがって、口数が少なかったのが災いしたんだな。ふたりは重要なことをほとんど話さなかった――そのせいですれ違ったんだ」

 無理もない、とは思う。

 森川にしてみれば、呼び出した時点でもう半ば告白したに等しい行為だったのだから。呼び出された側だって、察しはついていると思っておかしくない。

 逆に今村にしてみれば、Cに告白した直後に(おそらくは、という注釈がつくが)その友人である森川に呼び出されれば、自分の告白の件に関係していると思い込んでしまうだろう。

 これは、そのすれ違いが起こした事件だ。


 


「結局、自分の手紙を突き返されたと思った今村は、手紙をばらばらに引き裂いてしまった」

「……それがサタローの推理、いや、想像か」

「そうだよ。採点のほどはどうかな? まあヨミが納得するかしないか、それだけの話でしかないけどね」


「――正解じゃろうな。おそらくは」


 とヨミは言った。

 だから、僕はこう答えた。


「――じゃあやっぱり見てたんだね」

「…………」

。その上で、僕にそれを考えさせたね?」


 果たして。

 ヨミは、それを否定しなかった。



      ※



「……誤解しないでほしいのじゃが――」


 ヨミは言う。少しばつの悪そうな苦笑で。


「何も騙そうと思っていたわけではないんじゃ。決して面白半分に首を突っ込んだわけでもない」

「そうだね。信じるよ」

「信じて……くれるのか?」

 自分で言っておきながら、とても驚いたようにヨミはぽかんと目を見開く。

 そうしている分には外見相応の年齢に見えて、僕はそれを微笑ましく思ってしまう。

「ま、最初は正直、怒ろうかとも考えたんだけど。でもね――」

 苦笑しながら僕は言う。

 自分でも、そのことを少し意外に思いながら。

「――ヨミに、悪意があるようには見えなかったから」

「サタロー……」

「いや、何か企んでんのはわかってたんだ。あからさまだったし。でもたぶん、それが最初に会ったとき言ってた《お願い》ってヤツに関係あるんだろうな、ってこともわかった。ヨミは必死だっただけで、誰かを陥れようとしていたわけじゃないって」

「……!」

「そう、僕は信じてみることにした」

 それを自分の中の真実とした。

 これは、それだけの話。


「…………う」


 だが、瞬間。

 ヨミの涙腺が緩んだ。


「ぬ、うぇ? あっ、やっ――見ないでよおっ!?」

 顔を真っ赤にして視線を逸らすヨミ。右手で目を拭いながら、左手をぶんぶんと振って恥ずかしさを誤魔化そうとしている。

 それに――僕もまた決壊した。少し違う意味で。

「く……ふ、あは、あはははははっ!」

 さすがに図書室だ。今村ほどの大声はなんとか堪えた。

 それでも込み上げてくるような笑いは抑えきれず、僕はお腹を抱えて悶えてしまう。

 それを見たヨミはさらに満面を朱色に染めて、

「わ、笑うなっ!」

「ごめんごめん……くっ」

「笑うなって言ってるじゃんかぁ!?」

 もはやキャラが壊れていた。古風な口調はどこに行った。

 僕はなんとか笑みを飲み込んでヨミに謝る。目を拭う彼女はしばらくむくれていたが、やがて溜息をつくと僕を許してくれたらしい。


「まったく……女子おなごの泣き顔を笑うなぞ、最低じゃぞサタロー」

「だから悪かったっての……」

「……もういいわい」ヨミは目線を逸らしたまま言う。「私も……その、悪かったしの」

「別に」

「まるで探偵に追い詰められた犯人のような気分じゃわい」

「僕が探偵……? やめてほしいね」

「探偵は嫌いかの?」

「好きだけど」僕は肩を揺らす。「僕の柄じゃない」

「……どうして気づいたのか、できれば披露してもらいたいのじゃが」


 遠慮がちにヨミが言う。

 といっても、別に難しいことじゃなかった。


「そりゃあれだけ強引に僕を引っ張っていけばね。これから何が起こるのか、まるでわかってたみたいじゃない」

「……初めから気づいておったのか?」

「いや別に。ただ、やけに事情を探ろうとするから。考えたんだよ――ヨミはきっと、今村が誰かに告白をすると知っていたんだと。だからたぶん、邪魔をさせないために僕を隠したんだ」

「その通りじゃ」

「今村は図書室の常連みたいだしね。たぶん、図書室でラブレターを書いてたってところじゃないか?」

 ならばヨミは告白の相手までは知らなかったのだろう。

 いろいろと、妙なすれ違いが起こっていたということになる。

「正解じゃ」ヨミは諸手を挙げて言った。「今村は、今どき珍しいくらい古風じゃが、温厚な男でな。そんな奴が恋文を綴るというのだから、これは応援せねばと思ってな」

「覗き見は感心しないなあ」


 意趣返しに言った僕に、ヨミはふん、と視線を逸らす。


「うるさいわい。どうせ私のことは誰も見えておらんのじゃ」

「ま、そうだけどね……。ともあれ、ヨミは放課後になって今村が二階に来たのを見て、いよいよ告白するんだと――手紙を渡すんだと思ったわけだ」

「そうじゃの。だが実際には――」

「手紙を渡したのは今村ではなく森川だった。しかも今村は読みもせず手紙を引き千切るものだから、わけがわからなくなったってわけだ」

 ヨミの言葉を引き継いで僕はそう言った。

 ヨミは指先で髪の毛を弄りながら、

「何が起きたかと思っての。思わず――サタローをけしかけて、謎を解かせようとしてしもうたわけじゃ」

「だから必死だったわけだね」


 要はヨミは、この図書室の常連だった今村に肩入れしていたわけだ。

 何か不幸なすれ違いがあるのなら、今村を助けてやりたいと。

 でも霊体の自分には何もできないから。

 だから、僕を巻き込もうと、咄嗟に考えたわけだ。


「あとまあ、なんで気づいたかっていえば――やっぱり、あの落ちてたラブレターの紙片がいちばんかな」

「……やはりばれておったか」

 眉を顰めるヨミに、僕は言う。

「さっきも言っただろ、《自分のラブレターを落とすような奴はいない》って。――あの紙片は、ヨミが今村から取ったってことには、見た瞬間に察しがついたよ」


 なにせこの図書室の精霊は、のだから。引き裂かれた紙片の一片くらい、遠くからでも簡単に移動させられるはずだ。

 僕も、今村だって、そんな細かい動きには気づかない。破った紙の一部がひとりでに動くなんてこと、考えるはずもないのだから。


「馬鹿なことをした、とは思っとるんじゃがの」

 ヨミはわずかに首を振った。

 後悔しているのは本当らしい。

「咄嗟に、何かヒントを手に入れようと思ってしまったんじゃ。思えば一枚くらい紙片を手に入れたところで、何か意味があるわけもなかったのじゃが」

「いや――参考にはなったけどね」

 実際、この考えを組み立てることができたのは、便箋が学校指定のものだったからだ。

 その意味では、ヨミは充分に役に立ってくれたと言える。彼女の詰めが甘くて助かったわけだ。


「最終的に結果オーライだ。なら、それでいいんじゃない?」

 僕は言う。だがヨミは、その言葉には納得していないようだった。

「……結果おーらい、とは言えんじゃろ。結局、今村が傷ついたことに変わりはあるまい」

 彼女は、きっとそれが嫌だったのだろう。だからここまで必死だった。

 だが――だから僕は告げる。首を静かに横へ振り、

「勘違いだったんだよ、それは。別に振られたと決まったわけじゃないし」

 森川はともかく、今村は、まだ。

 そういう意味合いで、僕はこの話を組み立ててヨミに聞かせたのだ。

 まだ納得していない様子で、それでもヨミは小さく頷く。

「まあ、それもそうなんじゃが……」

「どっちにしろ、僕らが関知するべきことじゃないさ。今村はあの手紙をきちんと持ち帰ってる。家で見直せば気づくだろ、たぶん。気づかなくても――今村が告白したCからの返事は絶対に来るんだ。遅かれそこでわかる」

「……なら、いいんじゃがの」


 そう言って、僕とヨミは、お互いに視線を交わし合った。

 まるでハッピーエンドへ至ったかのように。それを偽造だと疑うこともなく。


 それが、僕たちの出逢いだった。



     ※



 ――などと言いつつ。

 このとき、僕は

 ヨミにではない。これは自分に対しての嘘だった。僕はヨミに語った真実を、けれど事実だとはからだ。

 いや。嘘、とまでは言わない。少なくともヨミに告げた真実が、事実である可能性がゼロだとは思わない。正しい可能性だってないわけではないだろう。

 ただだけで。


 だが――しかし。

 このとき、ヨミもまた僕に対して真実を告げはしても、全ての事実を伝えてはいなかった。

 互いに、互いを騙していることを自覚した関係性。その歪さを、僕らはきっと、心のどこかでわかっていた。

 それでも何も言わないままで。


 気取って言うなれば。

 僕たちは――共犯者になったのだ。

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