1-19『恋文コミュニケーション3』

「ん……んん?」


 僕はにわかに混乱した。

 少女の年の頃は、おそらく十代中頃だろうか。見た感じは中学生くらいだが、高校生でもまあ不思議ではないだろう。それくらいに見える。

 問題はその出で立ちだった。見るからに高価だと思わせる、橙色の花柄の和服。茜色の短い髪の頭には、これまた凝った造形の、たぶん桔梗か何かを象ったらしき簪がついている。

 ――それこそ、まるで物語の中から出てきたみたいな少女だった。

 それがさも当たり前みたいな表情をして、椅子の上で静かに本を読んでいるのだから。これで驚くなというほうが無理だろう。


「だ、誰だ……?」


 あまりにも怪訝な状況すぎて、僕は思わず声に出していた。まるでコスプレのような恰好をした彼女が、真っ当な人間だとは思えなかったからだ。

 その呟きが、彼女の耳に届いてしまったのだろう。

 着物の少女は目線を上げると、それをこちらに向けてきた。

 数秒。ばっちりと目が合った僕と謎の少女。

 反応に困って、僕は迷った挙句――最終的にこう応えた。

 すなわち、


「や――やあ?」


 と両手を挙げて、適当極まりない挨拶をしたのだ。

 我ながら間抜け極まりない行為。

 それに、けれど少女はニイィと愉快げに表情を歪めて、


「なんじゃ――お主、私が見えるらしいな?」

「は……はあ?」

「うん、重畳重畳。新年度早々を見つけるとは、今回はツイてるかもしれん!」


 何言ってんだかちっともわからない。もしかしたら、やばい奴なんじゃないだろうか。

 そんな危惧が瞬間、僕の脳裏を占めていた。だが具体的な対応を起こせない。妙な出会いに狼狽えてしまっていたこともあるし、それ以上に。

 なぜだろう。

 心底から笑顔になる少女の姿から、僕は目を離せないでいた――。


「なんじゃ、ぼうっと突っ立って。はよこっち来て名を教えんか」

 と。呆然と棒立ちのぼくに向け、唐突に少女がそんなことを言う。

 間抜けにも、僕はそれに素直に従っていたのだから始末に負えない。状況が不可解すぎて、たぶん対応がわからなくなっていたのだ。

 ふらふらと近づいていって、僕は彼女にこう訊ねる。

「えっと……君、何?」

 誰、ではなく何、と質問する僕。かなり失礼な問いだった。

 けれど彼女は「ほう――何、と来たか。なかなか……」などと意味不明に喜ぶばかりだ。

 そして言う。


「私はヨミ――この図書室の精霊じゃ」


「あー、なるほど」

 と僕は言ったがいったい何が《なるほど》なのか。自分でもわかっていない。

 精霊。

 精霊と来たか。

 よくわからないが、要するにコイツ、中二病らしいな。うん。そんな端的な理解をする僕であった。

 たぶん、学校関係者の身内か何かなのだろう。あるいは子どもらしい無邪気さで、僕をからかっているのかもしれない。

 そう思った僕は、なら話を合わせてやろうと考えた。ちょっと冷静になってきたのかもしれない。


「精霊さんね。初めて見たよ」

「――ヨミじゃ。名で呼べ」

「ヨミね。なるほど」

 由来はまあ、《読み》と《黄泉》のダブルミーニングってところか。

 ひっくり返すと《ミヨ》になる辺り、まったく笑えないが。タイムリーというか間が悪いというか。

「それで、お主は新入生じゃろ。名前は?」

「僕は……若槻佐太郎だけど」

「サタローか。ふむ、少し抜けた響きじゃが、まあ悪くない」

 失礼な女だった。別に怒ったりはしないけれど。

 唇の端を歪めて苦笑するほかない僕に、ヨミは酷く楽しげな表情で続ける。


「サタロー。本は好きか?」

「え?」突然の問いに、ちょっと狼狽えつつも応じる。「あ、ああ。まあ好きなほうだけど」

「ふむん。実にいい」

「はあ……?」

「して、サタローよ」

 と、ヨミはそこで椅子から立ち上がった。

 着込んだ着物が、無造作に舞って図書室を彩る。

 彼女はつい、と指を立てると、


「突然じゃが、ひとつ頼みがあるのじゃよ――」


 そんなヨミの言葉を、僕はもうほとんど聞いていなかった。

 それよりも、僕の視線を大いに奪う光景があったからだ。


 ――本が、舞う。


 まるでオーケストラを指揮するかのように、ふいと振られたヨミの指。

 それに合わせて従うよう。今し方まで彼女の読んでいた本が、

 そのあり得ない光景に、僕は言葉を失ってしまった。

 どうして本が宙に。こんな、物理法則を無視したように踊るのか。

 そんな疑問を、口に出す余裕さえなくなって。


「――どうか、聞いてはもらえんかの?」


 そんな風に、悪戯っぽく笑うヨミの脇で。

 指の動きに従う本は、宙を通ってゆっくりと本棚の隙間に仕舞い込まれていく。


 ――僕とヨミとの、それがファーストコンタクト。

 以降、長い付き合いになる、図書室の精霊との邂逅だった――。


 なんて言うと、それこそ小説みたいだけれど。



     ※



「……ん? その話の、どこが私の質問と関係あるんだ? いや、今の話は今の話で興味深いのだが」

「意外とせっかちですね、先輩。逸る男はモテないらしいですよ」

「私は女だが……」

「知ってます」

「じゃあなんで言ったのよ」

「さあ。僕にもちょっとわからないな。それより、話の続きをしよう」

「今さらだが、よく話してくれる気になったな。訊いた私が言うことじゃないとは思うけど、それこそ少し意外だよ」

「まあ、僕も自分で自分が意外ではありますが……でも先輩、友達のことは知っておきたいんでしょう?」

「そう言ったな」

「ならヨミのことだって、知っておいて損はないでしょう」

「……そっちに落ち着くのか。いけずだな、君は」

「きょうび《いけず》なんて言葉使う人、そうそういませんよ……」

「む。そうか……?」

「…………」

「ともあれ、話の続きといきましょうか」



     ※



 ――そして放課後になった。

 ああ。うん、そう。放課後になったのである。

 いきなり時間が飛んで申し訳ないとは思うのだが、僕自身、あのあとのことをあまりよく覚えていないのだ。


 ヨミ。図書室に住まう超常。

 自称――本の精霊。

 そんな存在に関する噂が、この学校でまことしやかに囁かれていることは知っていた。

 だが、誰だってそんな話を真に受けたりはしない。話のネタに語ってみることがあったとしても、それをわざわざ確かめに行くような物好きは稀だろう。幻想性はそれなりだが、その分だけ現実味に欠けている。学校の七不思議としては、どちらかといえば落第だろうか。

 僕自身、用があったのはあくまで図書室にであって、決してヨミの噂を確認しに行ったわけじゃない。

 そもそもそんな噂があったこと自体、あまり覚えていなかった。ヨミを見たときにだって、思い出しすらしなかったくらいだ。そこに思い至ったのは、それこそ放課後になってからだと言っていい。


 あれから、僕はホームルームに出席するため図書室を後にした。

 結局、ヨミは彼女の言うところの《お願い》とやらの内容を口にはしなかった。


「――まあ、それはおいおい話すとするかの。まずは仲よくなってからじゃ。とりあえず放課後、またここに来るといいぞ」


 なんて嘯いて、意味深に言葉を濁すだけ。思えば初めて会ったときから、ヨミは奴だった。

 だいたい、一方的に話が進められすぎている。もっとも僕は僕で、そんなヨミの言葉などそのときはあまり意識していなかった。それ以前に、ヨミという超常の存在を受け入れるだけで手いっぱいだったからだ。

 今にして思えば、ああもあっさりヨミのことを受け入れたくぬぎ先輩は、やはり只者ではないと思う。僕はそれに、丸一日を費やしたというのに。

 ほぼ言葉通り呆然自失の体で教室に帰ってきた僕。

 知り合い――たとえば友人の中河原一色なんかは、僕の状態がおかしいことに気づいたらしい。それくらいの変化だったということだ。

 朝、図書室に行っていたことを告げた僕に、一色はこう言った。


「なんだ佐太郎、疲れた顔して。例の図書室の精霊にでも憑りつかれたか?」


 状況的に、まったく笑えない冗談だった。僕の口から乾いた笑みだけが漏れる。

 そういえば、件の噂を僕に教えたのは、確か一色ではなかっただろうか。


 放課後までの時間を使って、僕はヨミという存在について考察した。

 それで得たのは、「アレは本当に霊なのかもしれない」という諦めにも似た思いだけ。

 実際、あんな風に、手も触れずにモノを動かされては、少なくとも真っ当な存在じゃないと認識するほかにない。理性も、そしてそれ以上に本能も、ヨミが《本物》であると認めてしまっている。

 その時点でもう、負けみたいなものだった。

 何かのトリックとは到底思えない。いっそ超能力者なんじゃないかとさえ思ったが、不可思議を否定するために別の不可思議を持ってきているようじゃ意味がないだろう。

 本人の申告通り《精霊》だと見なすのが、いちばん自然な認識だった。

 ……なんだよ、精霊って。精霊と幽霊って何が違うんだよ。

 とは思うものの、少なくともヨミが霊的な存在であることを否定する論拠が、今のところ常識以外にないのは事実だ。ならばあの現象も、ポルターガイストか何かだと思えば納得できないこともない。

 わけがない嘘だ。やっぱり納得はできない。

 できないが、ならば僕が目の当たりにした現象は――。

 以下、無限ループである。


 思いつめた僕は、結局、もう一度あの場所へ向かうことで自分に決着をつけようと考えた。

 ともすれば、何か幻覚でも見てしまったのかもしれない。霊だなんだのと考えるよりは、そう思うほうがまだしも自然な気がする。

 だから、それを確かめる意味も含めて、僕は放課後の図書室へと足を運ぶわけだった。


 放課後になっても、図書室にひと気は少なかった。

 数名程度の生徒はいるのだが、逆を言えばこれだけ立派な図書室があって、日に数人程度しか生徒が訪れてないとも言える。維持費だって馬鹿にならないだろうに。まさに金持ちの道楽じみた趣の建物だ。

 司書の直木先生に挨拶をして――この人もまた、ヨミと同じくいつも図書室にいる――それから僕は二階へと足を運んでいく。

 果たして。

 ヨミは、放課後になってもそこにいた。


「…………」


 その光景に、またしても無言が加速する僕。

 一方、僕が来たことに気づいたヨミは、なんだかとても楽しそうな表情で頷いていた。


「ん、サタローか。遅いぞ」

「来ただけいいだろ……」

「まあ確かに、その点は評価できるの。うむ、感心じゃ」

 完全な上から目線である。

 なお比喩ではない。精神的にもそうなのだが、今、ヨミはだった。

 なぜなら浮いている。文字通り、物理的に、身体が宙に浮いているのだ。

 天井近くをふよふよと、漂う雲のように浮かんでいる謎の少女。意を決して来てみれば、見せられたのがこの光景だというのだから本当にどうしようもない。

 彼女は本棚を自在にすりぬけて移動している。さすがの僕も、ことここに至ってまで、ヨミが霊体であるということは否定できなかった。


 幽霊って本当にいるんだなあ。マジかよ。

 なんて、そんなことを思っていたくらいである。


「なんじゃサタロー、まるで幽霊でも見たかのような顔をしておるぞ?」

 悪戯っぽく微笑んでヨミが言う。この世でいちばんつまらない冗談だと僕は思った。

 僕は突っ込むことを放棄し、代わりに別のことを言う。

「……一応、呼ばれていた通りに来たわけだけど」

「うむ。ご苦労じゃったな」

「別に苦労ってほどのことじゃないけどね、その言い方はなんだかな」

「まあそう言うな。労わせるがよい」

「なら、お言葉に甘えて」

 そんな中身のないやり取りを、つらつら交わしていくヨミと僕。

 というか、周りの様子を鑑みるに、どうやらこの精霊さん、ほかの人間には見えていないらしい。


 そう来たか。

 もしこの様子を知り合いにでも見られたら、僕は虚空に向かって独り言を続ける可哀想な奴ということになってしまうだろう。割と洒落になっていない。

 だが当然この場所に知り合いなんていないはずだし、そもそも誰も僕のことなんて見ていない。というか人がいない……いや、二階の奥にはひとり男子生徒がいたが、こちらには気づいていない。机に向かって、本を読んでいた。

 ――と、


「……む! おいサタロー、隠れろ!」

「は? って、ちょっ、おい!?」


 唐突に叫び出したヨミと、動転する僕。

 なぜなら、ヨミが僕のことを引っ張って――触れんのかよ――本棚の陰に移動しようとしたからだ。

 強く引かれる僕は、そのまま逆らうこともできずヨミに連れられていく。そのまま本棚の裏側まで僕を引き攣れたヨミは、今度は宙に浮いたまま、上から僕の肩を押す。

 屈め、ということらしい。

「な、なんだよ急に……」

「いいから黙っておれ――来るぞ」

「来るって」

 何が、と問う僕の言葉は、けれどそこで途切れた。

 階段を上がってくる、ひとりの女子生徒が見えたからだ。


 いや。だからって隠れる必要はないはずだが、僕の口はヨミの手で塞がれてしまう。

 形としては、しゃがむ僕を背中からヨミが抱え込んだみたいになる。まるで抱きつかれているかのような体勢に、僕は頬が赤くなっていくのを自覚していた。

 精霊だなんて思えない、柔らかな感触が僕を包んでいた。抵抗できない。小ぶりながらはっきりと女の子であることを感じさせる感触が、背中越しに伝わってきて――ちょアカンこれアカン。

 見事に動転する僕だった。


 そうこうしている内に、女子生徒は二階に上がってきてしまう。

 彼女は首をきょろきょろと動かすと、やがて視線を一点で止めた。

 先にいた、男子生徒のいる方向だ。彼女はその姿を認めると、


「――待たせちゃった、かな?」

「いや。さっき来たばっかりだよ」

「ごめんね。急に呼び出したりして」

「いいよ。俺も今日までに本を返しに来なきゃいけなかったから」

「じゃ、ある意味でタイミングはよかったのかな」

「そうだね。ある意味」


 そんな会話が漏れ聞こえてきた。どうやら待ち合わせをしていたらしい。

 ……なんとなく、だが。

 これ、まずいのではないだろうか。


「ねえ……ヨミ、これ」

「こら、黙っておれ、ばれてしまうじゃろうが」

「お前まさかこれ確信犯――」

「それ誤用じゃろう!」

「知ってるけど、そういう話をしてるんじゃない!」


 言い合う僕たちだったが、その声は極力の小声だ。

 だって今さらもうばれるわけにはいかない。

 そんな風に諍いを進めている内にも、事態はどんどんと進行していく。

 女子生徒のほうが、持っていた鞄から何か封筒らしきものを取り出したのだ。かわいらしいシールで封のされた、小さな手紙らしかった。

 彼女は、それを男子生徒に手渡し――。

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