1-08『密売インフォメーション4』

「ん?」

 釣られ、視線を一色の向く方向へと揃える。

 その矛先。廊下の隅の、柱や棚に囲まれた陰。僕らが立っている自販機のエリア以外からは上手い具合に死角になった、そんな狭いスポットに波崎はいた。その隣にはもうひとり、見知らぬ男子生徒もいる。

 明らかに、周囲の目から隠れようという意志が見て取れた。

 本来的に人通りの少ないエリアではあるし、よしんば飲み物を買いに来た生徒が数人いたとしても、奥まった位置なのでまず気づかれない。現に僕も、一色に指摘されなければ気づかなかっただろう。


 ――密議。あるいは密談、密会。

 あえてたとえるなら、それは、そんな雰囲気を持つ会合に思えた。


「……またぞろ、妙な密告でも受けているんかね」

 波崎のことだ。嫌なまでに高い持ち前のバイタリティでもって、新聞部員として勤しむ傍ら、学内で情報屋紛いの働きをしていたとしても驚きはしない。

 まったく元気な奴だよ、と僕は呆れ交じりに肩を竦めた。奴にだけは弱みを握られたくないものである。

 ――と、


「なあ、何話してるか聞いてみようぜ」


 突然、一色がそんなことを言った。

 出たよ、と僕は溜息をつく。


「いいよ、興味ない。そういう妙な好奇心に踊らされると、のちのち厄介事に巻き込まれることになるものだ。関わらないほうがいい。触らぬ神に祟りなし、だよ」

「……妙に含蓄、というか実感が籠もってる気がするが……。何かあったのか?」

「……………………。別に」


 中学時代の黒歴史なんて。

 そんなそんな。何かあった、なんてほどのものじゃあないですよ。ええまったく。

 しかし果たして、一色は僕の忠言を受け入れなかった。


「まあ、いいだろ。ちょっとくらい。減るもんじゃないし」

 妙な好奇心を発揮して、こそこそと潜入スパイでも気取るかのように、小さくなって波崎らのほうへと進んでいってしまう。

 と思えば途中で振り返り、「ほら、来いよ」などと小声で手招きする始末だ。

「たく……、やれやれ」

 呟き、僕は仕方なく、本当に仕方なく、一色の後ろへとついた。


「……意外と乗り気じゃん、佐太郎」

「うるさいよ」


 馬鹿をやりたい気分のときだってある。それだけの話だろう。

 気分はスニーキングミッションを遂行中の傭兵、なんて。一色とふたりで柱の陰から波崎たちの様子を窺った。

 幸い、なのか不幸なのか、僕たちの接近が気取られている様子はない。死角が多いということは、裏を返せば隠れている側からも余所が見えにくいということでもある。弊害が絶無とは決して言えないわけだ。

 息を殺して、聞き耳を立てる。


「――じゃ、最後はこれな」波崎ではない男の声がした。「こいつの誕生日と、あと血液型が知りたい」

「待てよ、……あるな、よし。で、提供してくれる情報は?」

「それはこっちの紙に書いてある。検めてくれて構わない」

「これは……、ほう。いいネタだ」

「ああ。今回いちばんの自信があるぜ……?」

「くく……。いいだろう、取引成立だ」


 そんな会話が聞こえた。


「…………」「…………」

 思わず絶句する僕と一色。

 互いに呆れて顔を見合わせた。

「ねえ。本当に情報取引してんだけど」

「ああ、みたいだな。さすがの一色さんも驚いたぜ……」

「いや、……いいの? あれ?」

「いいんじゃないか? 別に金が絡んでるわけでもないみたいだし」

「……ていうか、なんかノリノリ過ぎないか? 会話が」

「楽しいからだろ」


 いやまあ確かに、楽しそうにしてるけどさあ……。

 マジ何者なんだよ、波崎。怖いよ。

 確かにそんなことやってそうなキャラをしてると思ってたけど。


「ふむ……、口頭でいいか?」

 僕が呆れている間にも会話とりひきは続いている。

「ああ。頼む」

「覚えやすいぜ。誕生日は三月三日。血液型はAB型だ」

「……なるほど。恩に着る」

「何、これもビジネスだ。しかし、そんなことを知ってどうするつもりだ?」

「愚問だな。決まってる――ロマンだ。おまえも男ならわかるだろう?」

「……ふっ、馬鹿な男だ」


 というか。

 馬鹿な会話だった。


「……、……、……っ!!」


 隣で一色が吹き出しそうになっていた。

 気持ちはよくわかる。僕も笑いを堪えるのが大変だ。

 ……こいつら、いったい学校でなんの話をしてんだよ……。


「よし、これで取引は終わりだ」

 と、波崎が言うのが聞こえた。

 ふたりしてはっと我に返る。

「やべ、自販機売場まで戻るぞ佐太郎!」

 言われるまでもない。十歩ほど後退して、自販機の設置されているフロアまで戻った。

 自販機の前に立ち、あたかも『今飲み物を買ったところですよ』感を二人して演出する。最近こういうの多いなあ……とか思いながら。


 数秒して、まず名を知らないほうの男が出てきた。彼は一瞬だけ眉を顰めてこちらへ視線を投げてきたが、すぐに逸らして通路のほうへと駆けていった。廊下を走っちゃいけませんよ――なんて呟きたい衝動に襲われたものの、それは自制しておく。

 さらに数秒ほどの間が空いて、今度は波崎が奥から現れた。


「……、ん。中河原に、若槻か」

 こちらを見ての、波崎の言葉。

 何の違和感も持たないようでいて、その実、一瞬だけ零した警戒の色を僕は見過ごさなかった。

「あれ、波崎か? びっくりしたな、何でそんな変なとこから出てきたんだ?」

 しれっと言ってのけるのは一色だ。まったくいい性格をしている。

 ともあれ僕も調子を合わせ、

「本当、驚いたよ。今さっきも誰か飛び出してきたし、そんなところで何やってたんだ?」

「ま、ちょっとな。部活関係で話をしてたのさ」

「へえ……、どんな?」

「何、《知らぬが仏》ってこともあらぁ」

「……あっそ」


 適当に相槌を打っておく。そんな大層なことしてなかっただろうに……。

 波崎の誤魔化しに、一色がまたも吹きだしそうな気配を醸していたが、そこは堪えてほしい。

 やがて呼吸のリズムを取り戻した一色が問う。


「……で、捜し人は見つかったのか?」

「いや、まだだな。荷物はあるから帰ったはずはないんだが……どうにも姿が見えん。まあ、待ってれば部室に来ると思うけどな」

「そっか。彼女も、新聞部だっけ」

「そうだ。……そういうわけで、おれも一度、部室に戻らなきゃならねえ。またな」

「んー。部活頑張れよ」

「ああ。《油断大敵》。二人も勉強がんばれなー」

 それだけ言って、波崎もまたどこへともなく走り去っていった。


 ……だから廊下を走るなというのに。

 いやまあ高校にもなれば、教師でさえ『廊下を走るな』などという注意はしなくなってくるものだが。


「――さて、佐太郎」と、一色。「今の見たか?」

「今のって?」

 僕は首を傾げる。一色は変な顔になった。

「おいおい、しっかりしてくれよ。佐太郎さんともあろうものが」

 呆れ交じりに嘆息される。いったいなんだというのだろう。

 怪訝に思う僕へ一色は、ニヤリ、とどこか人の悪い笑みを浮かべて言った。

「波崎の奴、今、何かをごみ箱に捨ててただろう?」

「……そうだった?」

 気づかなかった。というか見てなかった。

「そうだったよ。おいおい、観察力が足りてないぜ、佐太郎さんや」

「なんで一色までノリノリになってんだよ……」

「いいから。ほれ、あっちだ」

 などと告げる一色の視線の先。自販機エリアだけあって、そこには数個のごみ箱が設置されている。

 カン、ビン、ペットボトル。加えて可燃ごみ。

 波崎は、僕らに気づいた瞬間、咄嗟に可燃ごみのボックスへ丸めたメモ用紙のような何かを投げ棄てていたらしい。


「……拾ってみるか」

 一色が言った。

「おいおい。ごみを漁るつもり? さすがにどうかと思うけど」

「いちばん上のヤツを拾うだけだ。漁る、というほどのことじゃないだろ? 何より面白そうだ」

「……本気かよ」

 僕は肩を竦める。一色といい波崎といい、どうしてこうエネルギーを持て余しているのだろう。モチベーションの出どころが不明すぎる。

 どうせなら、もっと有意義なことに費やせばいいものを。

 ……などと思いつつも。


「ん、なんだこりゃ? 佐太郎も見てみろよ」

「うん」


 言われてほいほい釣られてしまう辺り、僕もまったく他人のことは言えないのであった。

 一色が拾ったごみ……もといメモ用紙を覗きこむ。

 小さな切れ端で、くしゃくしゃにされて皺が寄ってしまっている。とはいえ、中身の文字を読むのには支障がないレベルだ。

 ……そう。書かれている内容を《読む》だけならば可能だった。

 が、


「……なんだこりゃ?」


 僕は一色と同じ言葉を漏らした。書いてあることの意味がわからない。

 いや、文字は読めるが、その意味するとこが理解できない。

 用紙にはこう書かれている。



『波/弥/cd』



 なみ? 何? なんだこれ?

 どういう意味合いのある文字列なんだ?


「暗号か……?」

 ぽつり、一色が呟く。僕は振り向き、

「暗号って……なんで波崎がそんなものを持ってるんだよ」

「持ってるかもしれないだろ。たとえば、さっきの取引に使うとかの理由で」

「…………」

 僕は黙った。否定する言葉が見つからなかったから。

 確かに、波崎ならばやりかねない。しかも、無駄にノリノリで。

「……おいおい。どこまで凝ってるんだ、波崎の奴……」

 思わず呆れる僕。それを尻目に、一色さん。唐突に眼を輝かせて、


「よし――この暗号、解読してみようぜ!」


 と、そんなことを宣った。


「……いやいや」僕は多少の驚きと共に一色を見遣る。「急にどうした。そんな、暗号なんかでノリノリになるようなキャラでしたっけ、一色さん」

「んー? いやまあ、確かにそんなこともないけどよ」

「だったらどうして」

「でも佐太郎、こういうの得意なんだろ?」

「…………」

 絶句。

 口がぽかんと、間抜けに開いてしまった。

「待て、待て待て一色。いったい誰からそんな与太話を――」

「朝霧ちゃん」

「――……あいつ」

 思わず頭を抱えた。

 朝霧にしろ、ヨミにしろ、僕のことをミステリに登場する探偵か何かだと勘違いしているんじゃなかろうか。僕の名前は明智じゃねえぞ。


「朝霧ちゃん言ってたぜ。おまえのこと、『普通の人ならわかって当然のことはわからないくせに、普通あんまりわからないようなことばっかり妙に気づく奴だ』って」

「それは……確実に褒めてはないな」

「褒められたかったのかよ」

「貶されたくなかっただけなんだけど」

「でも実際、お前、窃盗犯だかを捕まえたことがあるんだろ?」

「ない。違う、やめてくれ。その情報には大いにフィルターがかかっている」


 僕は大きく嘆息する。

 確かに似たようなことはした。アイツの前で幾度か、小賢しい推理の真似ごとなぞを披露してみせたことはある。当時は別のクラスだった一色は知らないだろうが、中学の頃には、クラスで起きた些細な盗難事件の犯人を指摘してみせたことさえあった。

 だがまったく若気の至りというか、今となっては黒歴史も甚だしい事件だ。

 痛ましい。狂おしい。思い出したくもない。

 知らないほうが幸せなこともある――それが世界の真理というものなのだから。

 僕はそいつを学習したのだ。


「てことはまあ、得意なのは事実なんだな」

 だが一色はまったく聞く耳さえない。

「得意じゃない。そういうのは運だ。気づくか気づかないか、それだけなんだよ」

「じゃあ運がいいってコトにしておこう」

 つーわけで、などと一色は笑う。


「戻って、皆で考えてみっか」

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