1-07『密売インフォメーション3』
僕は一色と連れ立って、教室から廊下へと出てきていた。
半ば逃げ出すような行為だった。
朝霧から――というよりは、むしろ自分自身から。
まったく、一色も何がしたいのか。さっきから何を考えているのか、まるでわからない。わからないまま、黙って歩いた。
そのまま廊下を渡る。
向かうは新校舎から旧校舎を繋ぐ、通常授業では使われない応接用のフロアが集中する一棟だ。二階部分になる渡り廊下に自販機が設置された
放課後になると途端にひと気の減る区域だ。テーブルや椅子も一応のように設置されているが、利用する生徒の姿はない。
「俺ちょっと便所に行きたいんだが」
一色がの言葉に頷きを返す僕。
「……わかった。飲み物はこっちで買っておくよ」
「そか? 悪ぃな」
「一色は何を飲む?」
「んー? まあ、何でもいいわ」
「じゃあ勝手に決めておくよ」
「おう。おまえが何を選ぶのか楽しみにしてるわ」
「……や、そんなことを楽しみにされても」
けれど――そうだな。
ひとつ問題を思いついた。
「一色。どうせならひとつ、賭けをしないか?」
「賭け……?」
「そ。負けたほうがジュースを奢る」
「……なるほど。面白いな」
にやりと笑む一色。乗ると思った。
男同士だと、こんな感じで簡単に空気を持ち直せるからいい。朝霧が相手ではこうはいかない。
「で、――どうすんだ?」
「ヒント、というかクイズを出す。解けたら一色の勝ちだ」
「いいぜ。来いよ」
「……じゃあ。
中河原くん、朝霧さん、芽室さん、若槻くんの四人が飲み物を一本ずつを買いました。買ったのは《オレンジジュース》、《緑茶》、《サイダー》、《ミネラルウォーター》ですが、誰がどれを買ったかはわかりません。
朝霧さんは言いました。『わたしは水を買ってない。
芽室さんは言いました。『私は水を買わない。一色くんも水じゃない。一色くんはオレンジでもない』
若槻くんは言いました。『僕は水なんかにお金を出さない。お茶を買ったのは女子じゃない』
中河原くんも言います。『俺は水じゃない。女子は炭酸が嫌いだ』
嘘つきがひとりだけいます。
――さて、中河原くんは何を買ったでしょう、か?」
「…………はあ?」
一色が物凄い胡乱げな表情になる。無理もないとは思ったけれど。
「なんだそれ? 今考えたのか? ……お前が?」
「まあ、今考えたと言えなくもないけど」
残念ながら、僕の脳髄の出来はそこまで優秀じゃない。むしろ僕は本来、頭を使うのは苦手な部類だとさえ言える。
ヨミが持ち上げるほど賢くはないのだ、基本的に。
ともあれ、
「よくあるタイプの論理クイズだよ。頭の中にあったものを、今の状況に即して適当に改変しただけ」
「……あ、そう」なぜか呆れ気味の一色。「つか、長すぎて覚えられないんだけど」
「そこまで大変じゃないよ。要は四人の発言だけ覚えればいいんだから。――もう一回言うよ?」
と、僕はさきほどの問題をもう一度言葉にして告げた。
なんだかんだ一色は頭の回転が速い――正直、僕よりもずっと出来がいい――から、二度聞けば暗記できるはずだ。
「……まあ、覚えた」
果たして、一色は言った。
「よし、なら行ってらっしゃい。……ちなみに現実に何を買うかとは関係ないから、ふたりに頼まれた内容を思い出しても意味ないよ」
「あっ、そ」
肩を竦めて一色は呟く。そしてそのまま歩み始めた。
手洗いに行くという人物を長々と引き止めるのも憚られるから、僕は黙って見送った。去っていく背中から視線を外し、自販機へと向き直る。
果たして、一色は正解するだろうか。
……この問題、紙に書いて考えるならば割に簡単なクイズである。
誰が嘘をついているのか。四人分のパターンを全て試せば、その答えは自ずと導かれる。たぶん、中学生にだって解けるだろう。
けれど、頭の中だけで仮定を試すのは、脳の内だけで過程を洗うのは――これが存外に難しい。まして問題そのものも記憶頼りとなれば、余計に。
まあ、それでも時間を掛ければ解けるのだが、暗黙の了解で一色が用を足して戻ってくるまでが制限時間となっている。そして一色は、ゆっくりと動いて時間を稼ぐような、いわゆる牛歩戦術的な真似は絶対にしない。
別段、倫理観や主義主張に基づいての公平性ではなく、そもそんなことを思いつけない人間のだ、一色は。
時間にすれば、五分にも届かない程度だろう。別に小だとは言ってなかったが、大なら自己申告していたはずなので(いや、そんなことされたくないけど)おそらくそのくらい。
自販機へ小銭を投入し、四人分の飲料を購入する。
別段、クイズに関連させたというわけではないけれど、奇しくも四人とも別々の品だった。
……いやまあ、そのうちの半分を僕の匙加減で決めているのだから、奇しくもも何もないのだが。
ちなみに、品目の中に水はない。飲料水に金銭を支払うという感覚を、僕がどうにも受け入れられないからだ。一色なんかは逆に、ただ《安い》という点だけに重きを置いて水のボトルを買うことがままあるという。
この辺りの性格の違いも、どうだろう、考え始めてみれば存外に興味深いという気もするが。
まあ、閑話だ。本編とは一切関係のない無駄話。伏線でもなんでもない。
そろそろ休題し、本題に入る。もう少し待ってほしい。
「…………」
さて。している間に一色が戻ってきた。五分どころか、おそらく三分も経っていないだろう早い帰還だ。
果たして解けたのだろうか。単刀直入に訊いてみることにした。
「どうだった?」
一色の返答もまた、端的だった。
「答は《サイダー》だな」
「お、正解」さすが一色、と僕は笑って。「わかりやすかったかな? でもさすがに即興で凝った問題は――」
「いや」
と、一色はなぜか溜息をつく。そして、
「別に解いてない」
なんて。
そう、答えた。
「……え? 何、……勘?」
僕は拍子抜けしつつ尋ねた。
答えるべきは《中河原くんの買ったジュース》の部分だけであるため、当てずっぽうで言っても四分の一の確率で当たる。
だから不思議でもないのだが――
「いや」
と。一色は再度、いや、と言った。
「別に、四分の一の確率に賭けたわけじゃない。――ただ、お前の性格ならそうだろうな、と思っただけだ」
「……どういう意味?」
「別に、言葉通りの意味だよ。《嘘つきは誰かひとりだけ》――ならお前は、自分を嘘つきに設定する奴だろうな、と。そう思った。たとえ遊びの上でも」
「……、……」
「《若槻くん》が嘘つきだという仮定が正しいならば、《ミネラルウォーター》を買ったのは嘘つきの《若槻くん》ということになる。正直者の《中河原くん》が《女子は炭酸が嫌いだ》と言っているんだから、《サイダー》を買ったのは残る男子……つまり《中河原くん》以外にはあり得ない」
正解だった。
ちなみに《朝霧さん》が《緑茶》で《芽室さん》が《オレンジジュース》。
それ以外では成り立たない。
「まさか、そんな思考経路で解かれるとは思わなかったよ」
僕は降参を示すように諸手を挙げた。
想定外の解法ではあったが、反則は取れない。一色がやったこと自体は、正攻法で解くとの何ら変わらない手法なのだから。
僕は割に感心していた。
一色のほうが、僕よりもよほど探偵に向いている。
だが僕の内心とは裏腹に、一色は酷く詰まらなげに呟く。
あるいは――糾弾するように、だろうか。
「そんなふうに解かれるとは思ってなかったってことは、つまり、別の方法でなら解かれると思っていたわけだ」
……、……。
「……まあ、そんなに難しい問題ってわけでもないし」
「負けを前提に賭けを持ちかけるのは、あまりいい趣味とは言えないぜ」
見透かすように一色は言う。
……まったく。その見た目に反して、妙に清廉潔白とした男だ。僕が奢ると言っているのだから、素直に奢られてくれれば楽なものを。難儀な性格だ。
その辺り、なんというか、朝霧ともよく似ている部分がある。
「……ああ」
なるほど。その思考を経て、僕はようやく思い至った。
気づいてみればそれは、今まで気づいていなかったことが異常だったというほど当たり前に感じられる事実だった。
「つまり、」と僕は缶を一色に手渡す。
受け取る一色。
その羨ましいくらいに整った面に向けて僕は、
「一色も、僕に対して怒ってるわけか」
果たして。
「…………」
一色は答えなかった。
何も言わない。その無言が何よりも雄弁な返答だ……とは残念ながら言えないが、沈黙はどこまで行ってもただの沈黙でしかあり得なかったが、けれども僕は確信を得た。
元より疑問ではなく確認だった。いや、ともすれば確認でさえなく、問いはただの儀式的儀礼的行為の発露でしかなかったのかもしれない。
けれど。
それでも。
「別に怒ってねーよ」
一色が言う。僕は肩を竦めて、
「そ、っか。……まあ、一色がそう言うんならそうなんだろうね」
「……」
「でも、僕に言いたいことはある、と」
面倒なことだ、と思う。
一色も朝霧も――僕の友人は皆ひねくれた奴だから、言いたいことはまっすぐ言わないし、聞きたいことも一筋縄じゃ聞き出せない。
だからこそ。
「で、何?」
と僕は訊いた。
僕が訊いた。
だから、一色は、答える。
「なあ、佐太郎。――朝霧は、おまえのことがまだ好きなんじゃないのか?」
「……まさか」
僕はかぶりを振って言う。
一色もまた妙なことを言い出すものだ。
「あり得ないね。一色、そんなことは絶対にあり得ないんだよ」
「なぜだ」
迷うことさえない僕の断定に、一色は怪訝さを隠さない表情で問いを重ねる。
「なぜ、そう言い切れる? つい数ヶ月前まで付き合ってたんだ。おまえらがどうして別れたのかは知らないが、未練があったとしても不思議じゃないだろう」
「ないね。絶対にない。何度でも言うよ、一色。そんなことは、あり得ない」
……言いたいことはわかる。
一色から見れば、僕は好意を持たれていることに気づきながらも故意に鈍感を装うような、そんな最低男に見えるのかもしれない。
けれど。
「そもそも、僕と朝霧は付き合っていたわけじゃない」
「――は? おまえ、何言って――」
「いや、付き合ってはいたんだろう。もちろん好き合ってもいた、と思う。こんなことを言うのも恥ずかしいけどね」
「……なら、」
「でもね、一色。僕らは別に、お互いに告白し合って付き合い始めたわけじゃない。そうなるのがいちばん自然だと思ったから、思った通りにそうしただけなんだよ」
「…………」
「僕は自分から朝霧に……いや、矢文に好きだと伝えたことは一度もないし、僕もその手の言葉を矢文から聞いた経験は皆無なんだ。世間一般で言うような《恋人同士》の枠とは、だから僕たちは、きっと違うところにいた」
「……。おまえらは――」
一色が言葉を失う。
無理もない、といえば無理もないか。一色とて、まさかいきなりこんな噴飯ものの告白を聞かされるとは、思ってもなかっただろうから。
けれど、どれだけ他人にとって下らない価値観で生きていようが、それが僕らにとっての当然だったのだから仕方がない。
僕らが――紛れもなくこの僕と朝霧が、あのとき確かにそう考えていたのだから。だからその想いだけは、少なくとも嘘じゃないはずだった。
「だから、そういう意味で僕たちは《付き合っていた》わけじゃないんだ。しいて言うなら、そう、ただ《一緒にいた》だけなんだよ」
小さい頃からずっと一緒だったから。
その形は、周りの認識とは反して何ひとつ変わらなかった。
「――けれど、僕らは決裂した。決別したんだよ、永久にね」
「決別……?」
「そ」
と僕は肩を竦める。
でき得る限り、軽い響きになるように。
「格好つけた表現したけどさ、ありていに言ってしまえば、要するに大喧嘩しちゃった、ってことなんだよね。――それこそ、二度と元には戻れないくらいに」
「その割に、今でも話はしてるじゃねえか」
「それはそれ、これはこれだよ。別に、仲違いしたふたりが楽しく会話してちゃいけないって決まりもないだろう?」
「――……」
「そう睨まないでほしんだけど」僕だって、自分の言っていることが世間一般からはずれている自覚くらいある。「僕自身、矢文と僕の関係を上手く説明するのは難しいんだ。さっきの話題じゃないけど、僕は作家じゃないからさ。どんなことでも言葉で表現できる、なんてことはない」
そんなことができたのなら。
言葉で全てを解決できるほどの能力があったのなら。
――そもそも矢文と僕は、きっと。
「……面倒臭い奴らだな、おまえらは」
やがて。呆れたように、溜息交じりに一色が零した。
理解を放棄した諦念の吐息ではない。解らないことを解らないままに、解らない上で飲み込もうとする、それは許容の言葉だった。
「いやいや、一色には負けるよ」
僕は茶化すかのように笑んでみせる。
いい友人を持ったものだ。ここまでお節介で、それが嫌味にならず、僕の意味不明な吐露をそのまま受け入れてくれるような奴、たぶんそうはいないだろう。
「うっせーよ。おまえらワケわかんねーんだよな、マジで。好きなら好き、嫌いなら嫌いではっきりしろっつーんだ」
「実際、僕にもよくわからないんだよね。――なんて言うか、付き合いが長すぎてさ。ある意味で、もう家族みたいな関係なんだよ。もしくは兄妹っていうか」
「おまえが兄なのか?」
「そりゃ僕が兄でしょ、そこは」
言って苦笑し合う。
実際、少しすっきりした気分だった。
「――ったく、下らん話をしちまったぜ」
肩を竦めて嘯いく一色に、僕も冗談めかして答えた。
「訊いておいて下らないとは酷い」
「事実だろ。もう知るか。一生喧嘩してろ」
「いや、そこはほら、上手く取り持ってくれると嬉しかったり」
「詳しい事情も話さないで手だけ貸せとは。おまえも面の皮が厚いな」
「昔の事情と今回の件は、また話が別だろ?」
確かに、結局のところ僕は、僕と矢文が決別した理由を何ひとつ話していない。
抽象的な表現で誤魔化して、肝心なところは微塵も口に出していない。僕らを気遣ってくれている一色に対し、それは不誠実な対応なのかもしれなかったが。
……それでも、秘密にしておきたいことはある。
いつか話すときがくるのだとしても。
少なくとも――今は。
と。そんな折、一色がふと呟いた。
「――あれ、波崎か?」
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