1-13『生徒会リラクゼーション3』

     ※



 い、いざ話すとなると緊張しますね……やややや、わかってますよ雛ちゃん、ちゃんと話しますってば。

 えと――それで、ですね。相談というのはほかでもない、ウチのクラス内での問題なんです。こんなこと、下級生のおふたりに相談するのもおかしいとは思いますが、わたしは四倉さんが以前にも校内の問題を解決したと聞いて、是非そのお力をお借りできればと思っているんですっ。雛ちゃんや桃ちゃんもいますし、きっと心強いと思って……。


 ――はい、本題に入りますね。

 最近、クラス内の空気がギスギスしてるんです。特に女子の間で、なんですけど。

 原因は判ってます。吉川きっかわさんと芹沢せりざわさんが、仲違いしているのが理由なんです。あ、つまり、わたしのクラスの吉川深倖みさちさんと、芹沢ほのかさんっていうふたりのことなんですけど。ふたりとも、クラスの子たちの中では、なんと言うか中心人物的な感じですから……明るいし、綺麗だし、ふたりでいつも、みんなの真ん中にいたんです。

 ふたりは、これまではずっと仲がよかったんですけど、最近になって急にぎくしゃくし始めて……今までの反動なのかな、なんて言うか、クラスの中でも派閥みたいのが作られ始めてて。それで、クラス内の空気が悪くなっちゃったんです。ふたりも、最近じゃもう口だって直接は利いてないみたいだし、周りの子たちも、ふたりにはあんまり強く言えないから、……流されちゃったんです。


 ――はい。きっと、私たちも悪かったんです。それもわかってます。こんな風に拗れちゃう前に、最初っからふたりに訊けばよかったんです。どうして喧嘩しちゃったの、って。そして言うべきだったんです。話し合って、ちゃんと仲直りしよう――って。

 今じゃ、もう遅くなっちゃいました。ふたりとも完全に意固地になっちゃって、誰が訊いても何も話してくれません。喧嘩の原因もわからないんじゃ、仲直りして、とも言えないですよね。


 ……どうでしょうか。

 わたしは、どうすればふたりに、仲直りをしてもらうことができるのでしょう?



     ※



 ――話を聞いて。

 僕はしばし、何も言えずに固まってしまう。困惑、というよりは、たぶん狼狽したのだと思う。

 正直、そんなことを言われても――というのが、偽るところのない感想だった。

 こう言っては悪いが、先輩のクラスの事情など知ったことではない。知るわけがないのだ。小金井先輩ですら把握できていない事情を、僕が知っているほうがおかしいだろう。単純な話として。

 どうやらあまり説明には向いていない小金井先輩の言葉を、頭の中で再構築しつつ、僕は別の方向へ目を向けた。


「――可愛えの先輩」

「ん? どうした後輩くん」

「先輩も……同じクラスのはずですよね? 何か知らないんですか」

 当然の疑問、ではあったと思う。

 しかし同時に愚問でもあった。小金井先輩が語った《問題》とやらに、可愛先輩が絡んだという話が一度も出てこなかった時点で、答えは半ば以上察せられるというものだ。

「……いや、それがねー……」

 苦笑を交えながら、バツの悪そうな様子で先輩は髪を掻く。

 ちら、と横目に小金井先輩の方を覗き見、

「あたし、授業以外じゃあんまり教室にいないからさー」

「友達いなんですか?」

「何気にさらっと失礼だね君……」

 先輩には言われたくない、などとは言わず。

「すみません、口が滑りました」

「それ謝ってないよなあ」

 愉快げなご様子だった。怒った様子もなく可愛先輩は続ける。

「生徒会がさ、最近ちょっと忙しいんだよねー。言い訳だけど」

「雛ちゃんがいつも大変なの、みんなも知ってるから。大丈夫だよ」

 フォローを入れるように、小金井先輩。

 まあ、一見大らかで竹を割ったような性格の可愛先輩と言えど、クラス内での立ち位置というものはあるだろう。そのくらいは僕にでも察することができる。生徒会役員だからと言って、それで幅を利かせるようなことをするタイプの人でもあるまいし。

 ただの印象論でしかないけれど。

「あたしから訊いてみてもいいけどさ、逆に火種を増やしそうなんだよね……」

 そう言って溜息をつく可愛先輩。

 確かにまあ遠慮なく物を言いそうな人っぽくはある(←教室に乗り込まれた際に芽生えた偏見)し、その手の駆け引きが上手そうに見えないか。

 と、そこでくぬぎ先輩が、

「雛子、片割れはどうした?」

「にゃ?」

「桃子も同じクラスだろう。彼女なら、そういうことも上手いと思うが」

「……桃子は、あー、ほら」奥歯に物が挟まったような可愛(雛子)先輩。「……ね?」

「――ああ。まあ、なるほど。わかった」

 皆まで言うなとばかりにくぬぎ先輩は頷きを返す。なんだか通じ合っていた。

 ……いったいなんなんだろう、この意味深っぽい会話は。

 僕が介在できないところに、妙な伏線を設置するのはやめてほしい。


「……とにかく、可愛先輩は事情も知らないし、介入もできない、ということですね?」

 纏めるように僕は言った。先輩は小さく首肯し、

「ごめんね、役に立てなくて」

 僕にではなく、それは小金井先輩にこそ向けられた言葉だろう。

 だから僕はあえて答えずに、小金井先輩へと向き直る。

「……?」

 なあに、とでも訊ねんばかりに、小首を傾げる小金井先輩。

 首を捻りたいのはこちらの方だ――と言いたい気分だったが、当然言えるわけもないので、僕は改めて頭を整理する。

 僕の場合、言えないことを言いたいわけでもないため、こんな世の中も嫌いではないのだが。


 ……冗談はともかく。さて、どうしたものだろう。

 というか、これ、どうしようもないとしか言いようがなくないか?

 小金井先輩や可愛先輩が何もできないと言うのなら、部外者の僕にはなおさらどうしようもないとしか思えないのだが。下手なことを言って、余計に事態を拗らせてしまう可能性だってある。僕は、その責任を取れないと言ったのだ。

 ああもう、だから嫌だったんだ。できることなら、今からでも教室に戻りたい。

 そもそも僕なんかが他人の人間関係に口を挟むということ自体、おこがましいというものだろう。むしろ僕が相談したいくらいの勢いだというのに。幼馴染みの元恋人と険悪なんですがどうしたらいいですか、って。いや絶対にしないけれども。


「……」


 僕は視線を、小金井先輩からくぬぎ先輩にへと移す。

 何も言えません、なんとか言ってください――そういう意思表示だった。

 それを踏まえてくれたのだろう、くぬぎ先輩は小さく首肯し、言葉を作る。

「――咲さん。最初に、ひとつだけ言わせてもらっても構わないかな?」

「なんでしょう?」

 きょとん、と首を傾げる小金井先輩。もうどちらが上級生なのかもわからない。

 くぬぎ先輩は諭すような口調で続ける。

「人間関係のことばかりは、外部の人間にはどうしようもない」

「――……」

「だから、もし咲さんが《私たちに二人を仲直りさせてほしい》と求めているのなら、残念ながら断らざるを得ないよ。私たちには、失敗の責任が取れないから」

「――、わかっています」

 小金井先輩は。

 驚くほど真摯な表情で、小さく頷いた。

「さっきも言いましたけれど、わたしは、もし喧嘩の原因がわかるのであれば、それを調べてもらいたいと思って来たのです。外側の人の方がむしろ、中のことがよく見えるかもしれないと思ったんです」

「それを知ってどうする?」

「それは知ってから決めることです」

 ――ですが、

 と小金井先輩は、そこで微かに微笑んでみせる。

「できれば、ふたりには仲直りしてもらいたいと思っています」


 おどおどとした様子は、そこにはない。

 小金井先輩、これで存外に芯の強いお人のようだ。やはり他人を安易に判断するものではない。

「……わかった。ならば協力を確約しよう」

 くぬぎ先輩は笑う。その表情は、とても柔らかいものだった。

 そして、

「ならばさっそく、いくつか質問させてもらっても構わないかな」

「どうぞ――お願いします」

「なら」

 と、くぬぎ先輩はそこで一度目を閉じた。

 そしてすぐに開く。

「まず――その喧嘩とやらはいつ頃から始まったんだ?」

「ついこの間、今週に入ってからです。少なくとも先週までは仲良くしていました」

「先週末、クラスで何か変わった事件は?」

「……特にはありませんでした。しいて言えば、クラスの出し物が決まらなくて、会議は紛糾してましたけど。それくらいです」

「出し物……、文化祭についての話し合いだな。もう始めているのか」

「はい。ウチには生徒会の役員さんが、ふたりもいますからね」にっこりと、小金井先輩は朗らかに笑む。「文化祭は二学期ですけど、『凄いものを作ろう』って、今からみんな盛り上がってるんですよー」

「生徒会の会長としては、嬉しい限りだがな」

 くぬぎ先輩は苦笑交じりに言う。


 ――この学校の文化祭は、各クラス自由参加が前提だった。

 やる気があって仲のいいクラスは、趣向を凝らした出し物でイベントの盛り上げに貢献するが、やる気がなく仲の悪いクラスとなると、当日学校へ来るかどうかも疑わしいレベルだという。

 いかに多くのクラス、そして部活動を学園祭へと参加させるか。

 それが毎年の生徒会長が手腕を問われる、恒例の行事となっているのだとか。そんな情報を、主に波崎から僕は得ていた。

 ちなみに我らがクラスは今年、文化祭に団体参加する意向らしい。例年、一年生は一番参加率が高く、二年、三年と学年が上がるに連れて貢献度が低下していくのだとか。まあ、ありそうな話だ。


「――それで、週が明けた頃には、もう仲違いしていたのだな?」

「はい……もしかしたら、休みの間に何かあったのかもしれません。ふたりとも同じ部活ですから」

「ちなみに、何部なんだ?」

「新聞部です」

「ほう、――あの新聞部か」

 ――、ときましたか。

 含みが感じられるニュアンスだった。どうやら我が校の新聞は、生徒会長から目をつけられるような団体であったらしい。

 ……さすがは波崎の同類だ、なんて、妙に納得している自分がいたけれど。

「新聞部は毎年、文化祭のときは特別号を出してるんだよね」

 と、これは可愛先輩。小金井先輩は小さく頷くと、

「うん。号外に加えて、文化祭のときは掲示もやってたよ」

 新聞部の主な活動はもちろん新聞を制作することだが、これは月に一度、印刷された新聞を全校生徒に配布する形で発行されている。ときおり号外が発行されたり、速報が壁に掲示されることもあった。

 無論、印刷の手間を省くためだ。全校生徒分の枚数を印刷しきるのは、記事それ自体を書くことよりもむしろ手間だ、と波崎がぼやいていたことを覚えている。


「――まあ、部活の話はいいだろう」

 くぬぎ先輩が話を折り畳む。

 さらっと話の中心に立っている辺り、生徒会長に選ばれるだけのことはある、と思うべきなのだろうか。

「しかし、これだけの材料で推測を重ねるのは、やはり難しいものがあるな」

 ――これは実際に教室を訪ねてみるべきか?

 不吉なことを会長は宣う。その場合、やはり僕まで巻き込まれるのだろうか。

「……うわ」勘弁してほしいね、本当に。

 もはや一刻も早く解決するほかない。

 解決。

 いったい何をもって解決とするのだろうか。もし僕が、あるいは会長が、喧嘩の原因を見抜くことができたとして――それを小金井先輩に伝えたとして、それで何が解決するというのか。

 何を解決できるというのだろうか。


 僕には吉川深幸と芹沢ほのかのふたりに仲直りしてもらいたい、などという積極的な思いはない。見も知らぬ相手にシンパシーを感じる、なんて宣う方が嘘だろう。

 そもそも勝手に険悪になり、なおかつその空気を自らが所属するクラス全体にまで伝染させているような人間に同情の余地など皆無だ。少なくとも僕はそう思うし、おそらくはくぬぎ先輩も同意見だと思う。自分がやっていることだけによくわかる。

 まして僕は、小金井先輩が言うようふたりが仲を修復することが、本当に正しく幸福な選択なのか――それさえ疑わしいと考えていた。

 馬が合わないとか、生理的に受けつけないとか、そういった理由のない嫌悪を感じる相手とは存在するものだ。そこまででなくとも、人間には相性というものがある。そりの合わない相手と無理をして付き合うよりも、いっそ後腐れなく別れたほうがお互いにとって賢明な選択肢である場合というものは、決して珍しくはないんじゃなかろうか。

 無論、現実にはそうも言っていられないだろう。嫌いな相手だからといって全て避けていたのでは、まともな社会生活など到底送ることはできまい。僕たちはどこかしらで妥協し、折り合いをつけ、適当な距離感というものを見つけ出す必要がある。

 人間関係とはすなわち、譲歩の連続を指すのだから。適度な距離を測り出し、そこに向かって歩いていくこと。


「佐太郎は、何か思い浮かぶことはないか?」

 くぬぎ先輩に話を振られる。もう名前呼びは固定なのだろうか。

 僕は一瞬だけ小金井先輩の顔を見た。自分とはおそらく、かけ離れたところに立っている先輩の姿を。

 わずかに躊躇いつつも口を開く。

「……いえ。これだけでは――何も」

「そうか」と、くぬぎ先輩は何を言うこともなく頷く。「では、いったん休憩にしよう。もうそろそろ昼休みも終わる。午後の授業の準備もあるからな」

 くぬぎ先輩はぱんと手を打ち、


「――続きはまた、放課後に」



     ※



 小金井先輩を見送ったあと、次いで生徒会室を辞した僕は、歩きながら静かに思索へ耽っていた。

 どうにも関係のないことばかり考えてしまう。

 顔も知らぬ吉川、芹沢の両先輩が、実際に仲直りできるかどうかなど僕にとってはどうでもいい。その辺りは当人同士と、あとはせいぜい小金井先輩にとっての問題でしかない。僕が頼まれたのは原因の究明、という部分まで。それより先を思考する必要はないのだから。

「……、」

 そこまで考えて、僕は自分の熱心さに自分で驚いてしまう。

 そもそも僕は、《自分に問題を解決する能力などない》ということを証明するために先輩たちへ協力したはずではなかったか。元から手を抜いて適当に関わるつもりはなかったけれど、かといってここまで親身になる自分には驚愕を禁じ得ない。

 ……いや、僕は驚いているわけじゃないのだろう。

 ただ呆れてしまうだけだ。いくら失敗を繰り返しても結局、元の場所へと戻ってきてしまう、学習能力のない自分に。その度し難い愚かさを、単に認めたくないだけなのだろう。そんな自覚だけはあった。

 中学時代から、僕はちっとも進歩してやいない。


『どうして佐太郎は、そんな残酷なコトができるの?』

『――ねえ。だったらわたしを助けてよ――佐太郎』


 今でも耳に残る呪詛が、締め付けるように脳裡でリフレインする。

 過去の罪を。

 朝霧を――矢文を傷つけ、そして深夜を見捨てた俺の罪過を。

 僕は未だに、贖いきれてはいなかった。


 ……なんて。

 そんな想いを一色に言えば、きっと「何そのポエム、恥ずかしいな」と盛大に失笑を買うことだろう。

 そして恐らくその淡泊さは正しい。僕の抱える下らない後悔は、言葉にするべき類のものじゃないのだ。数年も経てば忘れているであろう、取るに足りない思春期特有の妄執。意味なんて、だからきっと、どこにも存在していない。

 実際、僕自身そのことへ本当に強い執着を抱いているわけではないのだと思う。もし本当に後悔していたのなら、僕は今ここでこんなことをしてはいないはずだ。どこまでも口だけ。浅はかな感傷。


「――後輩くんっ!」

 と、そこで背後から声がかかった。

 高く鋭く、けれどわずかに躊躇いの色が交じる音。僕は後ろへ振り返る。

「……可愛先輩、ですか」

「やだな、雛でいいんだゾ☆」

 軽い足取りで駆けてくると、可愛先輩は笑顔でそう言った。言わないでほしかった。

 だが、その先輩の態度に、僕はどこか腑に落ちないものを感じる。まるで上役の機嫌を窺う付き人のような白々しさを。先輩から見て僕は後輩であるはずなのに。

「桃と混ざるっしょ?」

 後づけ感のある先輩の言葉に、僕は躊躇いつつも頷く。

「……はあ。それで……?」

 何かご用でせうか。僕は視線でそう問うた。

 雛先輩はほんわかとはにかみ、

「ん、んー」なぜか咳払い。「いや、こう改めて言うのも照れるけどさ――」

 ひと息。そして、


「――ありがとね。くぬぎのわがままに、つき合ってあげてくれて」


「……、えっと」

 僕は面食らってしまう。まさかそんなことを言われるとは思ってもみなかった。

 固まる僕に雛先輩は続け、

「気づいてるとは思うけど、くぬぎ、君のことスゴい気に入ってるみたいだから」

「…………」まるで気づいてない。「っていやいや、そうですかね?」

 懐疑的態度から入るのは自己防護。褒められ慣れていないのである。

 雛先輩は、そんな僕の韜晦に気がつかない。

「そうだよ。くぬぎの場合、口調で丸わかりだから」

「口調……ですか」

 確かにまあ、初対面のときとはだいぶ違う、というか、ところどころでブレッブレだったことが気になってはいたけれど。

 僕の表情を見て、雛先輩はおかしそうに笑む。

「意識してるわけじゃないと思うけど、くぬぎの奴、普段は気取った喋り方してるくせに、気に入った相手の前だとすぐ素が出るからねー」

「……素だったんですか?」

 あれで?

「見ての通りだね」と雛先輩は流す。「気に入った相手にはすぐ砕けるんよ、くぬぎは。男っぽいし口調が素で、女ぶってたら猫被り。わかりやすいっしょ?」

「女ぶるって……」

「いやー、出会って数日でアレとは珍しい。どんな手練手管を使ったものか、是非とも聞いてみたいね」

「何もしてません」

 人聞きの悪い言い方をしないでほしい。

 だいたい今の話では、まるで僕を相手には一切の気遣いをしていないようではないか。

「あっははは!」

 なんとも楽しげに、かつ悪戯っぽく笑う可愛先輩であった。

 僕はだから、怪訝に眉を顰める。


「……話はそれだけですか?」

「んー……」先輩は困ったように笑みの質を変えて、言う。「まあ、これからも仲よくしてやってよ」

「……仲よくしてあげている、なんて目線持ってませんよ。仮にも先輩に対して。目をかけていただいているのは僕のほうです。確かに頼んでませんけど」

「あはは、それもそうか。言うね」

「まあ、あまり教室に乗り込んで来られるのは歓迎できませんからね。多少は見逃してください」

「それあたしにも言ってるよね?」

 ――さすがに言うなあ。

 雛先輩は、そんな風に言って苦笑していた。そして改めてこちらを見据えると、

「ま、あんま気にしなくていいからね」

「……なんの話でしょう」

 下らない誤魔化しに、しかし雛先輩は乗らなかった。

 とても先輩らしい姿勢で、諭すように彼女は宣う。


「――下手に感情移入しないこと」


「…………」

「あくまで生徒会の仕事なんだから、後輩くん、君が気にすることはないんだよ」

 それを、わざわざこの人は言いに来たというのだろうか。

 意外に……と言っては失礼だと思うが、それでもやはり想像してはいなかった角度からのフォローだ。この先輩が、そこまで僕のことを気にかけてくれているとは思わなかった。


「……ご忠告は、ありがたく受け取っておきますが」けれど、と僕は注釈するように言う。「僕は別に、見ず知らずの人間に感情移入するほど優しい人間じゃないですよ」

 というより、そんなことができると真顔で言える人間の方がどうかしている。

 テレビの向こう側にしかない悲劇で安易に涙を流す人間など、かえって誰からも信用されないだろう。自分に関わりのない悲劇など、つまりが物語でしかない。怒ろうが嘆こうが涙を流そうが、そんな一過性の感情は流行り病みたいなもので、要するに時期がくれば忘れる程度のものだ。

 雛先輩はしかし、含むような微笑みをみせていた。

「――見ず知らずの人間に、はね」

「……、」

「じゃあ、君にとって、知り合いの範疇はいったいどこからなのかな?」

 ……まったく。

 見透かしたように言う人だ。やはり四倉くぬぎが率いる生徒会の一員だというだけはある。

 正直、こういうことを言うタイプの人だとは思っていなかった。

 これは初めから、僕如きに量れるような御方ではなかった、ということだろう。


「――邪魔したね」

 莞爾として笑む雛先輩。よく笑う人だなあ、と、前で見ていてそう思う。

「じゃ、またあとで」

「……はい」

「あー……、ちなみにさ」

 と、先輩は今思い出したという風に言葉を付け加える。

「なんでしょう」

「……喧嘩の原因、わかりそうなの?」

「――――」

 僕は。

 その問いに。


「――努力はしてみます」


 とだけ、小さく答えた。

 雛先輩は、やはり愉快げに笑っていた。

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