1-02『放課後ディティクティヴ2』

 告げられ、僕は改めて本のほうへと目を向ける。

 開かれたまま伏せられたそれは、大きさから判ずれば百科事典とも思えるほどのサイズだ。だが図鑑の類にしては、遠目にも随分古めかしい装丁であることが知れる。

 一応は学校の図書室だけあり、百科事典は最新のものが揃えられていることを僕は知っていた。読んだことはないにしろ、似ても似つかぬことだけは確かだ。

 それから鑑みるに、恐らくは旧い作家の全集か、あるいは年代物の歴史資料や年表の類だろうと推察できる。もちろん実際に見てみないことにはわからないが、とりあえずの推理はそんなところか。


 ――で。


「いや、……わかんないんだけど」

 僕は両手を挙げた。

 出題に使った以上ヨミは答えを見ていたのだろうが、その場にいなかった僕には知る由もない。ヒントが足りなすぎる。

 そんな意を込めてヨミを睨めると、

「無論、手懸かりはくれてやる。――こっちへ来い」

 言うが早いか、ヨミはふよふよと宙へ浮き上がって(これも精霊だから、……で納得するべき現象なのだろうか)本棚の隙間を進んでいく。

 その後ろを、僕は静かについて行った。


 さて。

 ここでちょっと、今いる設備の概要について、僕は言及する必要があるだろう。


 さきほどから僕はこの場所を《図書室》と言ってきた。

 その通り、事実ここは図書室という名称の空間ではあるのだが、しかしながらその呼称が本質を言い当てているかと問われては素直に頷けない。


 実際には、《図書館》と。

 そう述べたほうが、より正鵠を得た表現になるだろう。


 本校舎から、部室棟を挟んでさらに先。学校の敷地の端の端に位置する、なぜだかずば抜けて古めかしい装いの、けれど綺麗で瀟洒な小さき洋館。

 それが、この学校の《図書室》だった。

 三階建ての建物ひとつを丸ごと書物のためだけに開放した贅沢な空間は、しかしながらこと利用者数という視点において、残念ながらその贅沢さを余すところなく活用しきれているとは到底言えない。どころかむしろ空費しきっていると言うべきだ。

 その僻地すぎる立地ゆえか、あるいはそもそも、今どきの高校生たちに学校図書を利用するという観念そのものが存在しないからか――。

 ともあれ、多数の蔵書と立派な門構えを誇る我が校の図書室――扱いは他の特別教室と同じく、あくまで《室》なのだ――は、少数の熱心な読書家と一部の真面目な勉強家以外には、せいぜい入学時に一度だけ眺める程度の価値しか持っていないのが現状だった。

 まあ、見る分には確かに美しい建物ではある。


 よって、当然。

 この図書室の主たる精霊、ヨミの存在を知る者も、教職員を含めてさえごくわずかしかいない。


 今、ヨミと僕がいるのは、図書室の二階部分にある自習スペースだ。

 といっても木製の長机と椅子がいくつか設置してあるだけの無造作極まりない空間で、本校舎のほうにもっと立派な自習室があることもあってか、訪れる者はほとんどいない。周囲の本棚は主に旧い資料や地域の歴史を纏めた論文など、基本的に高校生が好んで読むような品揃えではない。僕も手をつけたことがないものばかりだ。

 面積的には一階の半分ほどで、手摺りの向こうが吹き抜けになって下を覗くことができる。学校の図書室として見れば、なかなか特異な構造をしていると言えよう。

 ヨミはその、手摺りの付近まで僕をいざなった。


「さて。下を見よ、サタロー」

「ん?」

 言われ僕は、手摺り越しに下の階を覗き込む。

 が、特別なものは見当たらない。数名の生徒がいるだけだ。

「……見たけど?」

 それがどうしたのか、という疑問を視線に込め、僕はヨミへと向き直った。

「わからんか? つまり――」

 と、ヨミはまるで決めポーズでも取るように銃を象って人差し指を立てた右手を勢いよく直上へ振り上げ、


「――犯人は、この中におるっ!」


 決めゼリフらしき何かを添えてから、その指先を階下へ向けて振り下ろした。

「……………………」

 正直、言葉がなかった。

 僕はただ、冷ややかな視線でそれを見据えるだけだ。突っ込む気にもならない。

 だがヨミは首を傾げて不思議そうに。

「……ぬ? なんじゃ、そんな怪訝な顔をして」

「いや。別に」

「ふむ……? おかしいのう、決まったと思ったんじゃが……」

 本当に決めたと思ってたのかよ。

 いやまあ、確かに極まっちゃってはいた気もするけれど。ある意味で。


 常人とセンスがずれているからか、その辺りの機微を察することなく「あれー?」とばかりに首を傾げるヨミから視線を外し、僕は改めて階下の様子へと目をやった。

 上から見える人間の数は、生徒が四に、教師が一。その内、顔を知っているのは司書を勤めている直木なおき先生だけで、生徒のほうに顔見知りはいないようだった。


「ここから見える五人の内の誰かが、あの本を読んでいたわけだね?」

「――む? あ、うむ、そうじゃ」

「そう……」

 未だ首を捻り続けていたヨミへ、僕はそれとなく確認する。

 建物の構造上、ここからでは真下の部分が死角になっていて見えない。よって、そこに誰かがいたら見落とすことになるが、五人と言った僕にヨミが断言を返した以上その可能性を考慮する必要はなくなった。

 どこに引っ掛けがあるかわからない。コトは慎重に運ぶ必要がある。

 もっとも、今回は単純に、謎そのものが難しい。そう落とし穴を警戒すべき類の問題ではないとは思うが……。

 まあ、用心するに越したことはないだろう。その幼い見た目に反して、これでヨミはなかなか油断ならない人物である。


「でも、やっぱこれだけじゃ特定するのは難しい気がするけど……。下に行って話を聞いてきちゃ駄目なんだね?」

「当然、接触はるーる違反じゃの」


 ヨミが言う。ま、そりゃそうだろうけれど。

 たとえ僕が答えを訊かずとも、相手側が弾みで口にしてしまいかねない。

 まあ、接触しなければいいだろうと判断し、僕は無言のまま一階へ向かった。


 一階部分は、二階と違い至極普通の図書室然とした場所だ。

 鳥瞰図的に説明するなれば、ほぼ長方形に近いフロアの長いほうの辺を縦に見て、右側中央がこの図書室の入口になっている。入って正面、部屋の中央部分には、二階のそれよりもいくぶん新しく綺麗な長机が並べられており、そのさらに先、長方形の左側中央辺りから上階への階段が始まっている。

 一方、入って右手、長方形の短い辺の上側が貸出カウンターとなっており、備えつけのパソコンを借りることもできる。カウンターの裏手は司書室になっていた。

 その他の場所は、ほぼ本棚が占拠していると見なして問題ないだろう。

 ……まあ構造はあまり関係ないだろうが。


 今、上から見える場所にいる人間の数は全部で五名だ。

 ひとりはこの図書室館の司書である、直木という五十代の男性教諭。カウンターの中の椅子に腰掛けている。

 また同じカウンターの中には、恐らくは図書委員であろう男子生徒――仮に男子Aとする――が手持ち無沙汰な様子で肘を突きながら座っていた。これでふたり。

 三人目は、カウンターのすぐ脇のパソコンを利用している男子生徒だ。何やら熱心に画面を眺めている彼を男子Bとする。

 四人目と五人目は、両名とも中央の机に向かっている。一方は比較的出口に近い側で文庫に目を傾けており、もう一方は前者より階段に近い側で、いくつか資料図書らしきものを持ち出してレポートか何かを作成している。それぞれを女子C、女子Dとしよう。


「――……」


 いやはや。ここからどう推理したものだろう?

 首を傾げ、しばし頭を悩ませ、そしてから僕はきびすを返した。

 ヨミは無言で後をついてくる。

 何も言わないということは、僕のやることを察しており、かつそれはルールの範囲内として認めているのだろう。僕としても、頭を使うには周囲が静かなほうが好都合だった。


 二階へと戻る。言うまでもなく、目的は出題の元となった件の本だ。

 僕は机へ近寄ると、開かれたまま伏せられていたそれを手に持って検分する。

 つけられた表題は『昏咲くらさきの郷土史 第二巻』――とまあ、ある意味いかにも図書室の蔵書らしい、高校生が好んで読むとはまず思えない類の本だ。

 順当に考えれば読んでいたのは直木先生辺りが妥当だが――そんな単純な、思考とも呼べない考えでは根拠になり得ない。仮に正解でもヨミは納得しないだろう。

 逆にもっともそれらしいならば出題しなかったはずだ、とメタ的な推理から直木先生を外すのも悪手である。

 なぜならば相手がヨミだから。


 さて、どう読み解くか。


「……………………」

 しばし。僕は思考を展開させた。

 思惟を転回させ、

 思索を回転させ、

 思慮を加速させる。

 ――そして。


「……、」

 手許の分厚い本に目を落とす。

 開いていたのは本のちょうど真ん中のページ辺りで、内容的には近代史といったところ。モノクロの写真資料が並んでおり、その雰囲気は嫌いじゃない。が、まあ。

「本の中身は関係なさそうかな……」

「どうじゃかのう?」

 ふと漏れた呟きに、嫌らしい笑みを浮かべてヨミが反応する。

 黙っていてくれているのかと思っていたが、別にそんなことはなかったようだ。

 まあいい。中身から背表紙に視線を移す。貸出禁の文字。蔵書番号。どれもヒントになりそうにない。

 周囲を見渡すと、すぐ近くの本棚に抜けがあった。前後の巻も一致するし、取り出したのはここからと見て間違いないだろう。


「どうしたのじゃサタロー、黙り込んで。降参か?」

「……まさか」


 煽るヨミに一瞥をくれつつ、僕は再び一階へ下りた。

 図書から読み取れる情報は少ない。読むならば五人の様子だろう。


 直木先生は、椅子に座り込んだまま、まるで時間が止まりでもしたかのように悠然と静止している。

 何もしないでいる、ということが苦でないのだろう。年の功……と表現するのは、ちょっと違う気もするが。いずれにせよ特に気にかかる点はない。

 一方、同じくカウンターの中にいる男子Aはといえば、こちらはずいぶんと時間を持て余している様子だった。退屈そうに頬杖をつき、僅かに苛立った様子で脚を揺さぶっている。

 よほど図書委員の仕事が嫌なのか……まあ確かに、忙しいよりも暇なほうがつらいということは得てしてあるものだ。聞いた話、図書委員は各委員会業務の中でもワーストの人気だとか。ここは校舎から微妙に遠い。


 次いで男子Bの後ろに回る。これでも視力には自信があるので、マナー違反とは知りつつも、僕は遠巻きに彼が操るパソコンの画面を覗き込んだ。

 どうやらインターネットに勤しんでいるらしい。ブラウザが起動され、何かのサイトを映し出している。見る限り、どうやら最近流行っている携帯ハードのゲーム攻略サイトのようだった。熱心な面持ちで眺め込んでいるが、一応このパソコンは『学校の勉強に関する調べ物以外に使ってはならない』ということになっていたりする。別に監視もないわけだが。

 ちなみに、僕は大抵いつも金欠病に罹患しているため、ゲーム類はあまり所有していない。興味がないとは言わないが、なにせ僕の散財の原因は大半が書籍の購入によるものだ。正直、他のものを買う余裕がなかった。


 していると、視線なり気配なりを背中越しに感じたのか、Bくんが怪訝そうにこちらを振り返った。

 僕はいかにも『さ~て、あの本はどこかなあ~』といった感じの空気を醸し出しながら、何気ない動作でその場を後にする。

 そういうのは得意だった。


 背後をふよふよと浮きながらヨミがついてくるが、誰も反応を見せない辺り、見えている人間はいないのだろうか。

 僕自身、自分以外でヨミが見えたという者をひとりしか知らなかった。見えないほうが大多数なのだろう。

 ゆっくりと歩みながら、僕は次いで女子Cへと近づいていく。下手に気配を殺そうとせず、自然な雰囲気を心がけて動くのがコツだ……って別に、他人の背後へ忍び寄ることに慣れているわけじゃないのだが。なんか変態みたいだな。

 ともあれ、確認できることなど、せいぜい彼女が読んでいる文庫のタイトル程度のものだ。

 よしんばそれを知ったところで、果たして何の意味があるのか。それすらわからないけれど、僕は横合いから彼女の手許を注視する。

 ブックカバーをしていた。


「…………」

 表紙見えないじゃん……。

 仕方ない。背後に回って中を見よう。書籍によっては、左ページの左上にタイトルが載っている可能性があるからだ。それを考え、僕は牛歩で背後へ回る。

 果たして。題は、見えなかった。

 しかし代わりに、アニメ画調で描かれた挿し絵が左ページいっぱいに広がっていることは視認できた。

 どうやら意外にもライトノベルの類のようだ。作品名まではわからないが、そもそもわかったところでヒントを得られる気がしない。僕はいったい何をしているんだ。

 Cさんについてはこれでいいか、と僕は切り上げ、次はDさんの情報を得ようと視線をずらし、


 ――目が合った。


「……………………」

 思わず絶句した。

 たまたま視線が交差したという風情ではない。Dさんは明らかに僕の顔をロックオンして、その上強く睨みつけてきている。

 咄嗟の事態に、思わず動きが停止してしまった。

 その間もDさんは、視線を逸らすことなく僕の瞳を強く見据え続けている。凝視も凝視、思いがけず親の敵と遭遇した瞬間のような力強さだ。

 よもや、今までの行動を全て見られていたのだろうか。だとしたら怪訝な視線を向けられることもあるかもしれない。確かに我ながら怪しかった。


 ……いや、これ、どうしたものだろう?


 どうやら自分は、思っていた以上に咄嗟の展開に弱いようだ。どちらかといえば割と器用なほうだという自負があったのだが、まったく恥ずかしい自惚れだった。

 正しい自覚を芽生えさせてくれたDさんに、さて僕は感謝の言葉でも伝えるべきなのかしらん――などと現実逃避気味に思っていたところで。

 ぱたん、

 とDさんが、手に持っていたレポートに使う資料らしき本を閉じ、「――あ」こちらへ目配せを一度くれると、そのまま背後の階段へと消えていった。

 ついてこい、ということらしい。

 僕は二、三度辺りを見回して、それからヨミへと小さく声をかける。

「……これは失敗に含まれるの?」

「む、……どうしようかの」

「できれば見逃してほしいかな」

 だって、


「――なら、もうわかったから」


 それを犯人というならば――だが。

「何、それは本当かっ!?」

 にわかに色めき立つヨミに向け、僕はもったいぶるように肩を竦めてみせる。

「ま、とりあえず上に行こう」

「お、おいサタロー」

「いいから。待たせたら悪いでしょ」


 一方的に言うだけ言って、僕は階段へと足を向けた。

 渋々ながらついてくるヨミの表情が、なんだかとても愉快だった。

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