図書室のヨミ

涼暮皐

1-01『放課後ディティクティヴ1』

 この学校の図書室には、小さな精霊の女の子が住んでいる――。


 なんて噂は、僕がこの学校に入学する前から流れていたという話だ。

 七不思議にしては、少し恐怖と怪奇に欠ける噂はしかし真実で、僕は今日も放課後の時間を使ってその少女――ヨミに会いにきていた。

 入学以来続いている、それが、このところの僕の日課である。


「――よっ」

 片手を挙げて軽く挨拶。

 はいつも、の二階のいちばん奥に姿を現す。

 僕の挨拶に、少女は花の咲いたような笑みを浮かべていた。


「おおっ、サタロー。待っていたぞ!」


 ひと気なんてまるでない図書室に当たり前の如く佇んでいる、見た目中学生くらいの女の子。自称・読書好きの人間にしか姿が見えない、本の精霊。

 それがヨミである。

 まったく冗談みたいな存在だが、現実としてこの世に現れている以上は認めざるを得ない。ひょんなきっかけから知り合いになった僕たちは、今ではそれなりに仲のいい友人関係を築いていた。

 精霊が友人です、だなんて、僕の好む《普通》からは些かかけ離れた日常だけれど。今ではそれも、悪くないことだと思っている。

 うら寂れた図書室の中で、ひとり。

 いったいいつの昔からこうしていたのか、本を読みながら過ごしている少女。


 ヨミ。

 その彼女に僕は言う。


「……はしたないよ、ヨミ」

 ヨミは見るからに高価そうな橙色の着物をだらしなく着崩して、備えつけの長机の上で仰向けに寝そべりながら読書していた。

 これで図書室の精霊だというのだから、どうにも情緒がないものだ。

「ぬ。意外と小うるさいことを言うのだな、サタロー」

 ヨミが顔を上げ、憮然として言った。

 彼女は、決して誰にでも見えるというわけではないらしい。だからこそ、彼女を視認でき、かつその上で足繫くここまで通うような人間は稀だという話で。

 そんな僕が、来るなり小言を繰るのが不満でならないようご様子だ。

 ……仕方がない。

 ならば僕も、相応の言葉というものを返してやることにしよう。


「――ヨミ、ぱんつ見えてる」


「ひゃわあっ!?」

 瞬間、普段の古風な口調からは想像もできないほどかわいらしい悲鳴をあげて、ヨミが机から転がり落ちた。

 面白いくらいの動転っぷりである。

「ああっ、痛あっ!?」

 どうやら頭を打ったようだ。精霊なんて非科学的な存在の割に、そういうところは物理法則に縛られているようだ。

「あ。……まったく、大丈夫?」

「ぬぉっ!? 来るなサタロー! 今のは忘れろ、この視姦魔っ!」

「酷い言われようだ」

 とか言いつつも、頭の中で今見た画像を保存している自分がいたりして。


 ……いやいや。

 ヨミも、見た目だけなら、なかなかの美少女ですしね? 年頃の男子としては当然の行為だと思いますよ、はい。

 しかし、そうか。着物の下は普通にぱんつなのか……。

 何百年も前から存在していると言っていた割には、どこまでも年月を経た雰囲気には欠ける精霊だった。なんだかな。

 しばらくして、着物についた埃を払い落としながらヨミが立ち上がる。


「まったく……。よもやサタローが、この私に欲情するとはな」

「してない」

「だが気持ちはわからんではないぞ。年頃の男子が、私のような麗しい女子の身体に興味を持つのは当然だ」

「話聞いてよ。というか、たとえそうだとしても、ヨミみたいな子供をその範疇に入れる男はだいぶ危ない奴だからね」

「ふふん、知っているぞ。それは昨今流行りの《ろりこん》というヤツだろう?」

「いや、流行ってないから」

 ていうか流行ったらマズいから。

「ま、忠告は受け取っておくぞサタロー。今度から、サタローのような男の前では気をつけるとしよう」


 ふふん、と憎たらしい笑みのヨミ。どうあっても僕を変態にしたいらしい。

 そして悲しいことに、今し方脳内の保存フォルダに収めた画像が証拠としてある限り、あまり強い否定はできないだろう。

 僕はフォルダの新着欄から、泣く泣く先ほど保護をかけた白い布の画を削除する。

 所詮はヨミのだ、惜しむほどのものではない。と、自らを納得させて。

 断じて僕はロリコンではない。むしろ――いや、それはともかく。

 僕は強引に話題換えを図る。


「で、今日は何読んでたの?」

「ん? 今日はまあ、いわゆる探偵小説だな。推理モノだ」

「へえ……」

 普段は甘々の恋愛小説なんかを愛読するヨミのセレクトにしては、珍しく渋いセンスだ。僕の趣味にも合致する。

「いいねいいね。何読んでたのさ? この図書室の本なら古典だろうし……ポーとか? ドイル? クリスティ? あ、それともヨミのことだし日本の作家かな、乱歩とか正史とか。いや、勝手に古典のイメージをつけるのもよくないか。この図書室にだって新刊も入ってくるわけだし――」

「……急に饒舌になったな……」

 ヨミが軽く引いていた。

 ……僕、反省。軽く咳払いしてテンションを誤魔化す。

 ヨミは本をぱたりと閉じ、

「そういえば、サタローは推理小説が好きなのだったか」

「うん、結構ね。僕は割と濫読家だけど、特に好きなジャンルのひとつではあるよ」

「ふむ……」

 と、何やら思案顔になるヨミ。

 首を傾げて「ふむ……、うん……、よしよし……」と何事かぶつぶつ呟いている。


 ――うわあ、嫌な予感。

 僕の顔が自然と引き攣っていく。


 やがて、ヨミが顔を上げた。

 大きくつぶらな瞳が、期待と興奮の色に染まって爛々と輝いている。


「……はあ」


 思わず零れる溜息。

 彼女がこういう顔をしているのは、大抵ろくでもない思いつきにへと巻き込まれる前兆だった。

 果たして、彼女は宣う。


「サタロー、探偵をやってみぬか!」


「やってみない」

「即答じゃとっ!?」

 両手を挙げ、大仰に仰け反るヨミ。

 これが漫画だったら『ガガーン!』とか、そんな感じの擬音が背景に出てきそうだ。

「ぬぅ……っ! サタローはこーゆーときだけ反応が速いからいかん!」

「普段はトロいみたいに言わんでよ」

「ノロくはないが、ニブくはあるじゃろうが」

「漢字で書いたら同じじゃないか」

「というか、さりげなく話題をずらそうとするでない」

 ありゃ、ばれたか。

「――探偵ごっこの話じゃ!」

 憤慨するように叫ぶヨミ。

 ……いや、『ごっこ』って言っちゃうのかよ自分で。

 僕は「はいはい」と諸手を挙げて、降参の意を表明する。

「まったく……、探偵とかね。そういうのはカーでもクイーンでもルルウでも、好きな作家に任せとけばいいのに」

「じゃって読むだけじゃつまらんもん」

 もん、じゃねえよ。仮にも本の精霊がそれを言うか。

 お前は本当に本の精霊なのか。


「あのねえ」と僕は窘めの言葉を発するため、舌の筋肉を起動する。「探偵ごっこもいいけどね、それをやるには、まず解決するべき事件が必要なんだよ」

 ――おわかり?

 と、大袈裟に肩を竦めてみせる。

 だがヨミは首を横に振り、

「それこそ了見が狭いわい」

「……了見が狭い、ときましたか」

「謎など日常にいくらでも転がっておる。世の中は不思議でいっぱいじゃぞ?」

「言わんとせんことはわかるけど」

 その筆頭が目の前にいるわけだし。

 ただ、ヨミは何もそういうことがいいたいわけではないらしく。

「よくないのう、近頃の若い奴ときたら。つまらないのは世間ではなく、自分であることをまず気づくべきじゃ」

「ええ、そういう話になるの……?」

「そういうことじゃろ。謎の種を自ら見逃しておいて、あとから文句をかす若者とサタローは同類なのか?」

 評論家ぶった安い挑発。若者が馬鹿者に聞こえた気がした。

「現代社会の病巣が見えたのう、嘆かわしい」

 大仰に、首を振って嘆息するヨミ。


 ……やれやれ。

 言ってくれるぜ、この合法ロリめ。


「……そこまで言うなら、ワトソンくん」

「いきなりホームズ気取りとは、お主もなかなか面の皮が厚いのう……」

 果てしなく放っておいてほしい。

 ともかく、

「それだけ言うなら、何か解くべき事件があるんだろうね?」

「そうじゃのー……」

 と、ヨミは辺りを一周見渡し、

「……そうじゃのー」

 二周見回し、

「…………そうじゃのぅ……」

 三周見晴らし、

 ――いくらなんでも、ここで僕もツッコんだ。

「って、ないのかよ! ないのかよ!!」

 それも二回。こういうときはテンプレートなリアクションがむしろ効くものだ。何がだろう。

「だ、だってここ、ほとんど誰も来んのじゃもん!」ヨミは憤然と叫ぶ。「人のおらんとこに謎は生まれんわい!!」

「マジかよ。開き直りやがやがったな」

「ま、待て……そうじゃのう……」

「そうじゃのう、の時間が長いんだけど。何回言うの、それ」

「……か、考えなう」

「なう!?」

「そうじゃなう」

「アレンジされたー!」


 だから、コイツは本当に本の精霊なのだろうかと。

 どこでネット文化に触れているんだ……。


「今はこの図書室の蔵書も、全てこんぴゅーたー管理じゃからのう……」

 怪訝に思う僕の内心を悟ってか、あるいは意図せずにしての偶然か。

 首を振り振り、ヨミが呟いた。

「でも、そうか。最近はもう、こんな古っちい図書室だって、電子で管理するようになってるのか」

「『こんな』だの『古っちい』だの、この私を前によくもまあ随分と失礼なことを宣ってくれるものじゃな……」

 憤慨するでもなく、むしろ呆れたような口調でヨミは肩を竦める。

「気に障ったなら謝るけど」

「構わん。事実じゃし、別に私がこの図書室を造ったわけでもないからの」

 そりゃ造ったのは学園側だろう。

 ヨミの姿は誰にでも見えるというわけじゃない、というのは言った通り。《精霊》などという曖昧な存在が現実世界に影響力を持てるはずもないのだから、まあ当然の話ではあるが。


 本の精霊であるところの彼女は、真の本好きの前にしか姿を現さないという。

 その姿が僕に見えるというのは誇らしい事実だと思うが、もっとも本好きなら必ず会えるというわけでもないらしい。

 可視不可視にどんな条件があるのかはわからない――なにせ当のヨミ自身が知らないのだから――けれども、少なくとも彼女がそんな超自然的な存在であることだけは事実だ。

 それは言ってみれば、何かの奇跡みたいなものなのだろう。


 ヨミと出会って、およそひと月。

 僕が律儀にも足繁くここに通う理由は、ともすれば、『いつ彼女と会えなくなるかわからない』という――そんな無意識下の恐怖であるのかもしれなかった。

 もちろんそんなこと、わざわざ口にはしないのだけれど。


「――さて、サタロー」

 思索に沈んだ僕を引っ張り上げるかのように、ヨミがふと、スペースの奥まったほうへ指を向ける。僕は訊ねた。

「……何かあるの?」

「ひとつ、賭けといこう」

 ヨミは僕の質問には答えず、ただ斜に構えたような冷笑をその顔に作っていた。

 やはり読んでいた作品に感化されているのだろう。今回の場合は探偵小説か。僕の思惑など細波ほどの影響もなく、ヨミは自らの思いつきに胸を焦がしている。

 眼の輝きが煌々と強くなっていた。妙に俗っぽいこの精霊は、またぞろ何かの推理クイズでも思いついたに違いない。

 そしてこうなっては最後、付き合う以外に道はないのだ。


 僕はそれを、この一ヶ月で学んでいた。


「で……、賭けってのは?」

 肩を竦めてそう訊ねた。人生、諦めが大事な場合もあるのだ。

 ヨミは、よくぞ訊いたとばかりにニヤリほくそ笑むと、

「何、単なる謎掛けじゃよ」

「謎掛け――で、賭け、ね……」

「うむ。私がひとつ、サタローに問いを出す。見事それに解を出せたならばサタローの勝ち、解を外したならば私の勝ち、ということじゃ。単純じゃろう?」

「単純だね。――何を賭ける?」

「そうじゃのう……これも単純に、勝者が敗者の言うことをひとつ聞く、というところが妥当かの」

「……へえ」


 思わず嘆息が漏れた。悪い話ではない。というか、正直かなり惹かれる。

 というのも、ヨミは精霊だけあって(と言っていいのかもわからないが)神通力のような不思議な力を行使できるのだ。

 無論、どこぞの物語に登場するランプの魔神や神の龍よろしく、願いを何でも叶えられるほどの力はさすがにない。

 僕とて彼女の能力の全てを知るわけではないが、ただその神通力というには実にささやかな力の一部に、僕好みの能力がひとつ存在することを知っていた。

 狙いはそれだ。


 ――人に、自在に夢を見せる能力。

 ヨミにかかれば、どんな物語でも自由に体験することができる。

 物語好きの僕にとっては、たとえ夢の中であれ《どんな非現実でも味わえる》という誘惑は魅力的に過ぎた。一度だけ頼んでやってもらったことがあるのだが、その間は僕がずっと眠っていることが気に喰わないのだろう。以来、許してくれない。

 ならば、いい機会だと思った。

 巻き込まれる以上は前向きにいこう。得るものを得ておけば勘定はプラスだ。


「さて、サタロー。――どうする?」

 皮肉げに笑んで問うてくるヨミ。僕は、

「……いいよ、乗った。勝負を受けようじゃないか」

 にわかに湧いたやる気のままに、不敵な笑みを作ってそう宣言した。

 元より断るなんて選択肢はなかったのだが、思いがけない餌に釣られ、絶無だったモチベーションが一気に上昇している。

「よかろう、成立じゃ」

 ヨミもまた、その童顔に似合わぬシニカルな微笑を浮かべた。単純に僕が乗ったことが嬉しいからか、あるいは、確実に僕を負かす自信を持っているからなのか。

 ヨミのことだから、勝負事に不正を持ち込むことはないはずだ。そう信頼していたから、ロクに条件を詰めもせずに頷いたのだけれど、失敗だっただろうか。

 ともあれ、もう後戻りはできない。もはや勝つ以外に道はないのだ。

 ちょっと調子に乗っていたから考えていなかったけれど。

 もし負けでもしたら、どんな行為を要求されるものか――わかったものじゃない。


「……よし。問題を聞かせてくれ」

「うむ」


 頷き、そしてヨミは、すっと部屋の奥を指差した。


「――あすこに、書が一冊出ておるじゃろう。あいつの謎を問うとしようかの」


 指の動きに誘導されるよう、僕は視線をそちらへと傾ける。見ると、


「……机の上に出てる、あれ?」

「そうじゃ」

 分厚めの書籍が一冊、机の上へと無造作に投げ置かれていた。

 表紙には、これといって目につくような装飾はない。特徴といえばせいぜいが煤茶けたような表面の色合いくらいのもので、さすがにここから内容まではわかりそうにもなかった。

「……あれが?」

「うむ。まあ見ての通り、この図書室の蔵書の一冊ではあるのじゃが、今は机の上に置かれておる。――当然、誰かが出してきたからじゃな」

「まあ、そりゃそうだろうね」

 規模の割に利用者が少ない、どうにももったいない図書室とはいえ、それでも訪れる者がゼロというわけじゃない。本が出ているのであれば、それは当然、誰かが棚から取り出してきたということになる。

「でもそれで、あの本がどうしたって?」

 僕は首を傾げた。別段、何かの謎を秘めたような書物には見えないからだ。

 だがヨミは朗笑を崩さぬまま、


「――


「…………」

「それが、私からの謎掛けじゃ」


 と。そう宣った。

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