1-12『生徒会リラクゼーション1』

 およそ学校機関というものに通う人間にとって、昼休みの時間ほど貴重な憩いもないのではなかろうか、と思う。

 それは尊くも儚い桃源郷。放課後を除いて、生徒たちが最も自由であれるひととき――それが昼休みだ。

 昼食に全霊を懸けるもよし。友人と談笑するもよし。スポーツに興じるもよし。次の予習に励むもよし。惰眠を貪るとて、また、よしだ。若者はそれこそを自由と呼べる。


 が。最近、僕は少しばかり、昼休みが嫌いになりつつあった。

 あるいは昼休みという概念そのものが。

 昼休みは自由な時間だ。すごい版の休み時間、などという表現に収まるものではない。

 僕だけでなく、この学校の生徒ならば誰もが平等に享受できる自由。どの学年の生徒であれ、この憩いの時間は与えられる。

 たとえば他学年の教室に向かう用があるとしよう。

 短い通常の休み時間で間に合わせるには、これはいささか場所が離れすぎている。となれば必然、行動に最適なのは昼休みだ。


 結論。

 人に会うには――特に他学年の知人に会うには――昼休みがいちばんいい。

 あくまで相手の都合を考慮しないのであれば、だが。


 ――しかして。

 ここ最近、僕の休み時間は外的要因によって潰されてばかりだった。


 その日。早朝の図書室に忍び込み、一色と言葉を交わした当日。その昼休み。

 その襲撃は、前触れもなしに始まった。


「――失礼します」


 前の授業が終わった直後、教室前方の扉が突然に開いた。授業を寝て過ごし半覚醒状態だった僕は、その瞬間、教室の前で繰り広げられていた光景に意識が向かっていなかった。

 代わりに、というわけではまったくないが、まだ片づけの最中だった世界史教諭の妹尾せのお(男性。四十代後半)が応対した。闖入者の勢いに目を見開き、

「……お、おぉ。どうした、四倉よつくら?」

 その言葉に、僕は重たい頭をゆっくりと上げた。

「――こんにちは、妹尾先生。まだ授業でしたか?」

 嫣然と笑む上級生が、そこには見えた。

 見えてしまった。


 生徒会会長――四倉くぬぎ。


 ……早いな。と、まず僕はそう思った。あるいはそれとも速いのか。

 チャイムと同時に起きた(はずの)僕の感覚からすると、四限が終わってからまだ一分かそこらだ。しかし最上階(四階だ)に位置する僕ら一年の教室は、一階にある二年の教室からではだいぶ遠い。

 終業の鐘と同時に教室を飛び出して廊下を駆け、階段を上りこの教室まで。果たして一分で間に合うかどうか。

 そもそも、そこまでして急ぐ理由とはいったい――、


「――あ」


 思わず声を上げる僕。

 何をぼうっと呆けているのか。この際、早さなんて大した問題じゃない。重要なのは、先輩が何をしにこの場所へ来たかのほうではないか。

 いつまでも寝ぼけてはいられない。

 いや、違う。このあとも幸せに寝ぼけ続けるためにこそ、ここで頭を働かせる必要がある、と言うべきか。


 先輩が来た目的は、僕には何の関係もない――そう思い込むのは簡単だが、このタイミングでその思考は、さすがに欺瞞が過ぎるだろう。

 改めて、今度ははっきりと意識を保ち、僕は先輩のほうへと顔を向けた。

 ちょうど、妹尾が口を開くところだった。


「授業は終わっているが。どうした、俺に何か用か」

「いえ。さすがの私も、先生方がどの時限にどの教室で授業をしているかまでは把握していません」

「ま、そりゃそうだな。なら、この組の生徒に用か」

「ええ――若槻佐太郎、という生徒に」


 ビンゴアウトだ。

 教師の、ひいてはクラス全体の前で宣言しやがった辺り、逃げ道を残す気はないらしい。

 寝起きで頭が回っていなかった僕の負けだ。

 というか、授業中に寝るものじゃないという教訓というか。


「若槻か? 奴なら、ほら、そこだ」

 ご丁寧に場所まで示して下さる妹尾。

 生徒の名前をきちんと把握しているとてもいい先生です、とでも感動すればいいんですかね。

「ありがとうございます」

 静かに笑んで、会長殿。つかつかこちらへ歩んでくると、

「少しいいかしら?」


 駄目と言わす気もない癖に。

 せいぜいの反抗を示すかのように、僕は肩を竦めることで返答に代えた。先輩を相手に決して褒められた態度ではないが、こうも露骨に逃げ道を塞がれてしまったのだ。多少は許していただきたい。


 クラス中から刺さる好奇の視線にも、いい加減耐性ができそうだった。

 ともあれ僕は先輩に連れられるよう教室を後にする。振り返りもせず前を歩く先輩を、僕は制服のポケットに手を突っ込み、せいぜいふてぶてしく追った。

 ……そして、馬鹿らしくなって秒でやめた。半端な抵抗など虚しさが増すだけだ。


「――何がいい?」

 先輩が前を向いたまま、足を止めずに口だけを開いた。咄嗟には反応できず、僕は「はい?」と間の抜けた声を漏らしてしまう。

 先輩はやはり振り返らず、

「お昼の話よ。呼び出した手前、私が持たせてもらうから、好きなものを言ってくれていいわ」


 んー。喋り方が、なんか。

 まあいいや。僕は素直には答えない。


「……僕が弁当だったらどうするつもりだったんですか?」

「席を立つとき、ズボンの財布を確認してたじゃない。使う予定があったからでしょう?」

「……そうきたか。よく見てますね……」


 感心というよりも、呆れに近い思いで僕は零した。

 だが確かに図星ではある。適当にはぐらかして切り上げた後は、購買でパンでも買ってひとりで食べようと思っていた。

 飲み物を買うつもりだったんです、などと突っぱねてみてもいいが、目敏いこの先輩のことだ。教室の机の下にあった飲みかけのペットボトルにも、おそらく気づいていたことだろう。

 無駄な労力は使わないことにする。


「ちなみに私は蕎麦にするけど」

 と、くぬぎ先輩。学食でもいいのか、とそれで気づき、しかし特別食べたいメニューも思い浮かばなかったので、

「じゃ、僕はうどんで」

 適当に追従した。何かウケを獲得したらしく、そこで初めて先輩は微笑んだ

「トッピングもアリよ?」

「……では月見を」

「そう」と先輩は小さく頷くと、おもむろに携帯電話を取り出した。

 校内では確か使用禁止だったはずだが、はて、この生徒会長は廊下で堂々と、気にするそぶりさえ見せませんな。

 呆れを重ねる僕の眼前で、先輩はどこかへコールする。

「もしもし? うん、捕まえた。というわけで、きつねそばと月見うどん、部屋まで大至急ね」

 それだけをひと息に宣って、先輩は通話を切った。

 僕は先輩に向かって問う。

「ちなみに、今のはどなたと?」

「雛子だけど」

「……、えっと」

「フルネームは、可愛雛子」

「…………」

 どうやら僕は、知らずの内に先輩をパシってしまったらしい。


 というか。

 可愛先輩は三年で、くぬぎ先輩は二年ではなかっただろうか……。


 思考放棄は楽でいい。

 そして僕は楽が好き。


 というわけで僕は考えることをやめ、ただ黙って先輩の後ろを歩いた。しばらくの間、とはいっても所詮は校舎の中ゆえに大した時間ではないが、感覚的には永遠にも思えるくらいの時間を歩いて辿り着いたのは――生徒会室だった。

 ……予想通りすぎるなあ。

 敵(そう表現することが間違っているとは思えない)の本陣へ誘い込まれることをよしとは言えないが、生徒会に呼び出されたとあっては従うほかない。


「入りたまえ」


 なんて。そんな口調も様になった先輩が、入口のドアを開いて恭しく僕を招き入れようとする。

 入るのは初めてだな、と思いながら、僕は一歩、足を踏み入れた。

 本来なら生徒会役員しか入れない、言うなれば聖域とも呼ぶべき場所だ。卒業まで入ることもないだろうと思っていた、というより、入る入らないを考慮するようなところでさえなかった、と言うべきだろう。

 僕には永久に関わりのない場所だと、そう思っていた。


 とまあ大仰に言ってはみたけれど、結局のところ学校の一施設、一教室という範囲を逸脱しているわけではなく。

 この学校には実際、多少常識からはみ出たような図書室があるにはあるが、あれはまた別枠だ。建物としてひとつ独立した図書室と、あくまで校舎の中に多数ある教室のひとつでしかない生徒会室とでは、比較として前提が異なっているのだから。


 ……などという一連の思考は、「大したことはない、びびる必要はないのだ」と自分を鼓舞するためのものだったわけだが。

 ともあれまあ、そんなわけで。


 僕は生徒会室へとやって来たのである。


「好きな席に座って」

 後から入ってきた先輩が言った。

 決して広くない室内は、その中央を畳一畳分よりひと回り大きいくらいの机に占められている。その回りを五つのパイプ椅子が囲んでおり、僕はその内のひとつ、入口からいちばん近いそれに腰を下ろした。

 先輩は逆にいちばん遠い椅子を選んで座る。場所を見るに、おそらくはそこがというわけなのだろう。


「――それで」座るや否やで僕は言う。「こんなところへ呼び出して、僕にいったい何の用ですか」

 上級生への敬意が薄い、不遜な言葉遣いにはなったけれど、その程度で気を悪くする会長ではあるまい。

 案の定、と言うべきか。

 会長は気分を害するどころか、むしろ楽しげな笑みを零した。

「……こんなところ、とは失礼ね。仮にも生徒会室、私の城よ?」

 自分で仮にもって言っちゃってるじゃないか、とは突っ込まない。

 会長の言は、あからさまな話題逸らしなのだから。僕がそれに乗ってやる必要はない。僕は意図して口を閉ざした。

 このままいっても僕を釣れないと悟ったのだろう。会長は笑みの質を苦笑に変えると、肩の力を軽く抜いた。


「……そう警戒しないでほしい」

「別に……警戒なんて」


 していない、とは言えないが。

 そんな僕の様子に、会長は嘆息し、気持ち沈んだ顔で言う。

「というか、何故そんなに警戒する? 私は何か、君を怒らせるようなことをしただろうか。教室に乗り込んだのが不愉快だったのなら、ここで謝罪させてほしい。だがそうでもしなければ、君は来てくれないと思ったのだ」

「え、……いや」

 思わず面食らった。

 いきなりそんな殊勝になるなんて。さっきまでと口調もキャラも変わっている。

 しおれた花のように肩を落とす会長。これがあの四倉くぬぎと同一人物とは、にわかにわからなくなってしまうほど。

 もし演技ならばアカデミー賞に値する、と、そんなことを僕は思った。

 慌てて告げる。

「あの……いえ、別に怒っているわけでは……」

「そうか」と先輩。「私は、嫌われているわけじゃないんだね?」

 嫌ってはいない。ただ苦手なだけだ。

 だから僕は首肯した。

「よかった」

 先輩は安心したように息をつく。

 ……駄目だ。まるでわけがわからない。


 この上級生は、いったい何を考えているのだろう。

 意図が読めない。

 意図が読めないと据わりが悪い。そういう感覚を僕は苦手としていた。だから無駄に頭を勘ぐらせ、読むべきではない行間紙背を読んでしまう。悪い癖だと自覚してはいるのだが、だから矯正できるというわけでもないのだ、この手のものは。

「……」

 自然、思案投げ首の体をとる僕。

 この場合、四倉くぬぎの意図とはなんなのだろう。

 用件がある風に呼び出されたのだから、普通に考えれば、考えるまでもなく会長のほうから言い出してきて然るべきのはず。

 けれど――相手が相手なだけに、あまり楽観的な考え方はしたくないと思ってしまう自分が確かにいた。考え過ぎとも思うのだが、警戒せずにもいられない感じ。


 ……ああ。

 と、そこまで考えて、ひとつ気がつくことがあった。

 そうか。どうやら僕は、要するに。


 この先輩に会話の主導権を握られている状況が、途方もなく気に入らないらしい。


 なんとも子供じみた対抗心だ。我がことながら、羞恥を感じずにはいられない。

 とはいえ実際にガキなのだから、まあ、仕方ないとも言えるだろう。感情全てを理性で抑えるには、僕はまだ、人生経験というものが圧倒的に足りていなかった。


「……何かな?」

「いえ……」

 顔を見つめすぎただろうか。会長が、僅かに小首を傾げてくる。

「そんなに見つめられると、照れてしまうよ」

 吐かせ。

 言葉通りに、頬へ羞恥の朱色を浮かべた会長を、僕は露骨に無視してやった。会長は小さく吐息をつき、

「まったく。嫌われたものだね」

 そう、残念そうに呟いた。

 そして言う。


「そう頑なになる理由は――あの図書室の精霊ちゃんにあるのかな?」

「……」

「それとも、君と同じクラスの朝霧ちゃんとやらのほうにかな?」

「……、……っ」

「おっと、表情が揺らいだね」


 ……この女。

 何を知っている。そして僕に何を求めているというんだ。

 背筋に一瞬、震えらしきものが走った。


「……さて、もうそろそろ来る頃かな」

 と、唐突に会長が、腕の時計を眺めてからそう言った。

 露骨な態度だった。警戒する僕をあえて見ない振りで、会長はあからさまに視線を逸らしている。

 見かねて僕が、

「……あの、」

 そう、声を掛けようとした瞬間――


「――あいよ、出前一丁っ!」


 ガラリと音を立てて入口の戸が開き、同時に快活な響きを備えた声が室内へと飛び込んできた。

 釣られるように目をやると、

「はいはい、きつねそばに月見うどん。ご注文に間違いはございませんな?」

 活発そうなショートカットが似合った、輝かんばかりの笑顔の女性がいた。

 ――可愛先輩。

 下の名前は、確かそう、雛子だったか。

 よく似た双子と有名な先輩だから、実際のところ姉なのか妹なのかはわからないが。とはいえそもそも、もう一方の可愛先輩の名前自体、僕は覚えていなかったのだから。別にどちらでも困らないとは思う。


「ありがとう、雛子」

 僅かに笑んで、会長。答える可愛先輩は肩を竦め、

「まったく、人使いの荒い会長もいたもんだ。平気で年上を使うんだから」

 言葉の割に、可愛先輩が気分を害している様子はない。

 軽口を叩き合えるくらいには仲がいい、ということなのだろう。会長もまた、苦笑交じりに言葉を返す。

「そう言わないでくれ。私は私で、いろいろとやることがあったんだ。感謝しているよ」

「いろいろと……ね」

 そこで可愛先輩は、ちらりと僕のほうへ視線をくれる。

 含むような眼差し。その真意を窺う間もなく、可愛先輩は、僕に手を挙げた。

「や。また会ったね」

「……どうも。その節は」

 ヒトの食事を邪魔してくれやがりまして、などとは当然言わない。

「佑太郎くんだっけ?」

「佐太郎です」

「そう、若槻佐太郎くんね、覚えてるよ」

 ならなぜ間違った、とは当然以下略。

「……ま、冷めない内に食べてちょうだいよ。せっかく急いで運んできたんだから」

「そうだな。頂くとしよう」

 可愛先輩の言葉を受け、くぬぎ会長が箸を指に両手を合わせる。

「ほら、君も」

「……」

 促され、いくつか思うところはあるものの、僕もまた素直に手を合わせた。

 同時に、告げる。


「――いただきます」

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