1-04『放課後ディティクティヴ4』
しばし溜めを挟む。僕は無言で、こちらを見据える二人をそれぞれに眺めた。
悠然と愉快げな微笑を湛えるヨミ。鋭い眼光を無表情から発する先輩。
まるで別々に彩られているが、どちらにしろ僕に続きを促していることはわかる。
まあ、僕としてはここが最大の見せ場なのだ。
犯人の指摘は一番最初に済ませてしまったわけだし、これくらいの遊びは許してほしい。
男という生物は、いつだって格好つけて生きていきたいものなのだから。
「……思えばやっぱり、最大のネックは、出題の元になった本が《郷土史の資料》だという点だった。誰が何と言おうと、やっぱり普通そうそう理由なく読まないでしょ、あの手の本は。なのに僕は『誰が読んだのだろう?』とばかり考えていた。書物に《読む》以外の用途があるなんて、まったく考えもしなかった」
けれども。
「あるんだよね、本を読むのではなく使うということも。今回の場合、犯人は隠れ蓑として本を使ったんだ。先輩ならわかるでしょうけど、教室じゃときどき見かける光景ですよね。授業中、立てた教科書なんかの死角で漫画を読んだり、携帯を弄ったりしている生徒ってのは」
そうだ――。
それこそが犯人の目的だった。
犯人にとっては、本の内容なんて何でもよかった。それなりに大きく、立てたときに陰が広くできるものならば、なんでも。
だから犯人は、ちょうどお誂え向きに目の前の棚にあった郷土史料を、そのまま周りの目に対する盾として用いた。
全てはその死角で、《学校では禁じられている何か》に興じるために。
「あとはBくんとCさん、どちらが犯人なのかを絞り込むだけだけど――」
「どう考えたのじゃ?」
「これまでの推理から判る犯人像はこう。《学校では禁止されている何かを隠れて行うために図書室の二階へ来て、しかし何らかの事情から一度一階へ下りた、けれども再度また戻ってくるつもりのある人間》」
「ふむ。――で?」
「……Cさんは文庫を読んでたよね? あれには紙のブックカバーが掛かってた。なら図書室の蔵書ではなく、Cさん自身が持ってきた本だと推測できる。じゃあ単純に、Cさんは図書室に本を読みにきただけ、と考えるのが妥当だろう。入口に近い場所にいるのは、やって来てすぐその場所に座ったから。仮に犯人なら、一度下りてまで行うべきだった《何か》がただの読書だということになる。僕には考えにくいよ」
これで、女子Cの線も消える。
残るは――ひとり。
「あの史料を出したのは男子Bくん、ということになる」
「……なるほどのう」
「たぶん、彼は二階で新作のゲームをプレイしていたんだと思う。早くやりたい、家に帰るまでさえ待てないと。まあ、気持ちはわからなくもないかな。ひと気のない図書室の奥部は、確かに、隠れてゲームをやるのにはうってつけかもしれない。もちろん、それでも二階に誰かが来る可能性はある。だから彼は近場にあった本で手元を隠した。一階に下りた理由は、ネットを使って攻略方法を調べるためだろうね」
ともすればパソコンがあるからこそ、彼はこの図書室を選んだのかもしれない。
僕としては自力でゲームを攻略せずに、外部の情報に頼ってしまうのは邪道だと思うのだが……まあ、その話はどうでもいいだろう。
ともあれ、
「僕の推理はそんなところ。――どうかなヨミ、採点のほどは」
「……ふ」
と、そこで。
――ヨミは、なぜか、微笑んだ。
その儚げな笑みに、
「……、っ」
瞬間、僕は魅せられてしまう。
不意打ちだった。心臓が踊るように早鐘を打つのがわかる。
先ほどまで見せていた作り物の冷笑とは違う。それは紛れもない、心からの慶びを表現するための微笑みだった。
その上で、
「無論、――正解じゃ」
彼女は、心底から嬉しそうに言うのだった。
わけがわからない。
「よもや本当に当ておるとは。見事じゃ、サタロー」
「……え、あ、いや。別に」
どもる僕。
何やってんだ、相手はヨミだぞ。しっかりしろ。
そんな僕を見て、ヨミはただ、とても微笑ましげに相好を崩している。
「ふふ」
「……何笑ってんだよ、負けたくせに」
「いや。――やはりサタローは本物だと思ってのう」
「は?」
「誇るがよい。初めて会うたときも思ったが、サタロー。お主には推理の才がある」
それは以前にも――初めてヨミと会ったときにも言われた台詞だ。
けれど、
「……いや」
そんなものはない。僕に特別な才能などひとつもない。
そんなことは、この僕が誰よりも知っている。――思い知っている。
「そんなことより!」僕は強引に話題を変更した。「賭けの約束はちゃんと覚えてるだろうね?」
「無論じゃとも」
ヨミは中空で腕を広げる。
そして、
「何でも言うことを聞く約束じゃったな。私のこと、好きにして構わんぞ……?」
爆弾を投下した。
「ぶっ……!?」
喉の辺りで呼気が暴発した。
いやいやいや。なんちゅう言い方をなさるんですか、ヨミさんやい。またとんでもない誤解を招きそうな発言を。しかも明らかに故意に!
案の定、と言うべきか。
「……君……」先輩がどん引きしていた。「こんな年端もいかない子に、いったい何を言わせているんだ……?」
「いや、ヨミはこれで見た目よりずっと年いって――」
「言い訳する場所、そこ?」
「…………」間違った。
ちょっと慌てたらしい。気を取り直して言う。
「いや、もちろん変なことをやらせたりはしませんよ?」
「ほう、変なこととは何じゃ?」
「黙ってろ確信犯」
むしろ愉快犯か。
ただでさえ氷点下にまで到達している四倉先輩のオーラが、もはや絶対零度にまで至りつつある。こいつは恐ろしい。
一方、先ほどまで見せていた邪気のない笑みはどこへやら、口角を不愉快な角度で歪ませているヨミ。その表情からは、明らかに僕をからかっているという事実が知れる。
よもやあの笑顔は僕が作り出した幻覚や妄想の類だったのだろうか。そんなふうにさえ思ってしまう始末だ。と、
「……ま、冗談じゃよ、くぬぎ」
「わかっているとも、ヨミ」
ふたりの纏う空気が変わった。
つまりは、どうも、からかわれたらしい。
「…………」
やれやれ。どうして女子って、こうも一瞬で仲よくなれるんだろうね。もう名前で呼び合ってるもの。シャイな男子にゃ信じられないよね、まったく。
などと嘯いてみせる余裕が今の僕にはなかった。
「はあ……」溜息をつく。「なんかどっと疲れた。僕はもう帰るよ」
「む? 賭けはどうするのじゃ?」
「とりあえず保留にしといてよ。何か思いついたら、そのときに言うから」
「ふむ……、まあ、よかろう」
ヨミが頷く。そして、
「では。さらばじゃ、サタロー」
「……ああ。また」
言って僕は振り返り、階段へ向けて歩き出す。
その顔が歪んでいく。粘着くような自嘲が全身をぬるく覆っていた。
――また、ね。
なんだかんだ言って、僕は自分の意志でこの場所に足を運んでいるというのだから。
それが、妙に、おかしかった。
自嘲だ。これはもう嗤うしかない。高らかな嗤笑を天に投げよう。
いつだったか友人に言われた台詞を思い出す。
――らしくない。どうして図書室などに通うのか、と。
どうして、か。本当に、どうしてなのだろう。
今の僕では、そんなことにさえ解を見出すことができないらしかった。
階段を下りる。
下りしなに階段の中途からパソコンが置いてあるほうへ視線をやると、件のBくんがちらちらとこちらを窺っているのが見えた。さっさと帰れと思っているのだろう。
彼が二階に戻ってこられなかった理由は、僕らが邪魔をしていたからだ。
「……」
むしろ彼のほうこそさっさと帰宅したほうがよかったのでは、と思わなくもないが。まあ理屈や理性では割り切れないモノについて、僕も一定の理解を持っているつもりではある。
あるいは自宅が遠いとか、そもそも家が厳しいとか――理由なんていくらでもある。それらまで僕が推し量ることはできない。
感情は、推理のようには――割り切れない。
などと皮肉っぽく考えていると、
「――待って」
背後から声を掛けられた。振り返る。
なにせさきほど聞いたばかりの声だったから。その主を間違ったりはしない。
「えっと、……四倉先輩?」
「くぬぎ」
「え?」
「くぬぎでいいよ。君には名前で呼んでもらえるようになりたい」
「…………」
いやそんなことを言われましても。僕は咄嗟に言葉が出ない。
何の用事で呼び止められたのか。ヨミに興味を示すならわかるけれど、なぜ僕だ。
そもそも四倉先輩とは今日が初対面、のはずだ。どこかで見覚えのある顔のような気もするのだが、思い出せないのなら初対面と変わらない。
これ以上、交わす言葉があるだろうか。
「何か?」
と問う。すると先輩は、「はい」と一枚の紙切れを僕に手渡した。
「……これは?」
「私の連絡先だよ」
「なぜ……」
「面白い人材には、早めに粉をかけておくものだろう?」
「……」都会でナンパされる田舎娘の気分になる。
いや知らないけど、そんなん。
面白い、と評されたことを僕は喜んでみせるべきなのだろうか。どうにも読みきれない感じだ。
怪訝さを増す僕の内心とは裏腹に、先輩は至極気楽に宣う。
「気が向いたら連絡してほしい」
「はあ……?」
「もしくは直接、部屋に来てくれても構わないけれど」
ん――?
何か引っかかる。まさか自宅に御招待されたわけでもあるまいが、さて?
「じゃあ、また」
と、考えている間に、先輩は颯爽と図書室の中へ戻っていった。
すれ違いざま、なびく髪を見て、
「――あ」
ようやく思い出す。
「あの人、生徒会長じゃん……」
なぜ忘れていたのか。
さる先週の生徒会選挙にて、対抗馬ぶっちぎって当選した我が校きっての女傑――四倉くぬぎ。入学早々の選挙などさすがに興味がなさすぎて、終わった瞬間には忘れてしまっていたが、ようやく思い出した。
「……あっれ?」
ということは、つまり。
「僕、生徒会にスカウトされた……?」
六月の、とある放課後。
そこに起きた小規模な事件の、――それが顛末だった。
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