1-05『密売インフォメーション1』
四倉――もとい、くぬぎ先輩との邂逅。
その翌日。水曜日。
四時限目を終え、昼休み。
事件の始まりは、そこだった。
そのとき。
僕は「たーっ」と自席で息をつき、午前の授業を終了した解放感から大きく背筋を伸ばしていた。
クラスメイトたちは、既にめいめい昼の活動を開始しつつある。早い者は鐘が鳴ると同時に学食や購買へ駆け出し、弁当組も仲のいい者同士で机をくっつけあったりしている。
平和な教室の風景。いやはや、実に素晴らしい。
平凡と普遍を自任する(自認、でないところがミソ)僕としては、これ以上ないほどの幸せを感じる時間である。
いいよね、普通で。
すべて世は事もなし。勉学に励み、友人たちと交遊し、普通に生きられればそれ以上の幸福はあるまい。
簡単なはずのそれが、難しいから生きるのは大変なのだ――。
などと悟ったように言ってみたり。
さて。とはいえまた、禍福は糾える縄の如し、なんて箴言もこの世にはあるわけで。
永続する幸せなど永続する不幸と同じでこの世には存在せず、それが小さく些細な見つけやすいものであればあるほどにまた、脆くて儚く壊れやすいものでもあるということだ。
――なんてまあ小難しいことを言っているのにも理由があって。
その日。
そのとき。
「たーのも――っ!」
突然、教室の前の戸が盛大に開いたことが、僕に関係のないことならよかったのに――という儚き願いの発露であった。
いきなりの闖入者である。教室中の視線が一点に集まった。
必然、僕もその方向に意識を奪われてしまう。
入ってきたのは、ひとりの女子生徒だった。
つぶらで勝ち気な瞳が意志の強い印象を与える、結構整った顔立ちの生徒だ。そんな雰囲気に反し身長はかなり低く、僕の脳裏にふと、図書室のアイツのことが思い浮かんだ。
ざわめくクラス。
それを意に介することもなく彼女は、
「――若槻って子、どいつ?」
視線の矛先が僕へと変わる。
やめろこっち向くな、なんていう間もなく。
……おいおい。
いったいナニゴトでしょうか。
「君か」
と、そいつが近づいてくる。完璧にバレている。
知らん振り作戦は実行前に失敗のようだ。仕方なく応じる。
「……僕に何か?」
周囲の目が刺さって痛い。
彼女はまるで堪えた様子もなく僕をしげしげと眺めた。
「君かぁ……君がかあ……」
「はあ」
「本当に?
「まあ」
「実は双子の若槻
誰だよ。
「……僕にきょうだいがいる、なんて話は聞いたことがありませんね。もっともその佑太郎とやらか僕のどちらかが、橋の下生活を経験していない限りは、ですが」
謎の女子生徒が発した突飛な台詞に、僕の頭も冷却されてきた。
冷えすぎてちょっと皮肉な言い方になってしまったが、まあ、この程度ならば許容範囲内だろう。少なくとも、いきなりやって来ては不躾に顔を睨めつけてくる彼女よりは余程マシなはず。
だって、ちょっと失礼でしょう?
「……、ふぅん? 意外と面白いこと言うんだね。じゃあやっぱ君なのか」
「何がでしょう。用事がないのなら、僕は昼食に入りたいんですけど」
「ごめんごめん」
謎の闖入者は笑って手を振った。
あまり悪いとは思っていなさそうな謝罪だが、快闊すぎて怒る気をなくす。そういう人間なのだろう。外見の明るさと態度の朗らかさが、相手から怒気を奪う。
僕は少しばかり捻くれているため、そういう相手にはむしろ逆らってしまいたくなるのだが、生憎と少ししか捻くれていないため実行にまでは至らない。
中途半端である。いや、普通の人間ってだけなのだが。
「いやさ、くぬぎが目をつけた一年がいるって聞いたもんだから」そんな俺を眺めながら、彼女は言う。「どんな奴か顔を見たくって。つい来ちゃった」
「…………」
それで察した。
要するに、くぬぎ先輩の関係者か。
なるほど、ならばこの傍若無人さも頷ける。
あれの類友なんて絶対、変人に違いないのだから。
偏見。
「うーん。どうもなぁ……、くぬぎが目をつけたにしちゃあ普通っていうか地味っていうか……よくわからないな」
本人を前に言いたい放題の誰かさん。
《普通》も《地味》も僕にとっては誉め言葉だし、別に構わないといえば構わないのだけれど。
正直そろそろ帰ってほしい。
……などという念が通じたのかはわからないが、
「ごめんね、邪魔しちゃって。目的は達したし、あたしは帰るよ」
と、謎の女生徒が、さっと踵を返す。
そのまま何を言わせる間もなく、「じゃまたねー」と不吉な予言を残して去っていってしまう。
まるで嵐だった。
「……結局誰で、何しに来たんだよ……」
呆然と呟く僕。
周囲の視線が未だちらちらと刺さる。どうにも悪目立ちしてしまった。
僕は肩を竦め、気を取り直して鞄から弁当を取り出す。やれやれ、と言いたいところだったが、僕が言ったところで様にはなるまい。思うだけに留めておこう。
世は全て、はい、こともなし――っと。とりあえず食事にありつくとしよう、
「――災難だったな」
と思ったところでまた人が来た。
今度は知っている声だ。
「……まったく。見てたんなら助けてほしかったね、
「俺も今、購買から戻ってきたとこでな。下手につついて蛇を召喚するのも馬鹿らしいと思って、あえて見てた」
「そりゃ賢明かもしれないけど……」
幾度目かの溜息をふぅと漏らして、僕は右手でこめかみを押さえた。
なんだかもう頭が痛い。
「しかしまあ、佐太郎ちゃん。またどうして可愛先輩に目ぇ付けられたんだ?」
そいつは僕に向かってそんなことを言った。答えは返さず、むしろ問い返す形で僕は言う。
「えの?」
「そう。可愛いの可と愛で《えの》。すげえ名前だよな」
それはともかくとして。
「一色は、さっきの人のこと知ってるのか? お友達?」
「別に知り合いってわけじゃねえよ。校内じゃ有名なほうの先輩だろ」
そう言って苦笑する友人。
その名を
背が高く、また顔立ちもそれなりに整った、いわゆるイケメンタイプの男。それでいて勉強も運動もそつなくこなす器用さがあるため、言うまでもない気もするが、異性には割と人気がある。
もっとも本人がそう目立つことを好む気性ではないからか、そこまで劇的におモテになられるわけでもない。その代わり男子から嫌われているなんてこともない辺り、なんというか、生きるのが上手い男だと言えよう。
「さっきのは三年の
一色が言う。僕はふと思いつき、
「もしかして生徒会役員だったりする?」
「なんだよ、知ってたのか。そう、確か生徒会の、……あー、書記か会計か、そのどっちかだよ。どっちかはちょっとわかんねえな」
「なるほどね」
したり、僕は頷きを作る。知っていたわけではない。が、そうか。そういう繋がりか……。
あの会長さん、コトもあろうに、さっそく僕のことを周りに話したらしい。
下手に推理なんて気取ってしまったせいで、生徒会に目をつけられてしまったわけだが、この分だと思っていたより大ごとになりそうだ。
「その分だと、やっぱり何か心当たりがあるな? 何したんだよ、佐太郎」
にやりと人の悪い笑みを浮かべて、一色が僕に訊ねてくる。
「別に、大した話じゃ……ない」
「ならいいだろ。聞かせろよ」
僕は何とか誤魔化そうとするが、さすがに長い付き合いだからか。一色の追及はやむ気配を見せない。しかも間の悪いことに、
「おうっ、面白そうな話だな。ぜひ、おれにも聞かせてくれよ」
さらに別の男が、僕らの会話に参入してきた。
一色がそちらに声をかける。
「なんだ、波崎か。いつもながら神出鬼没だな」
「《スクープの 影あるところに 波崎あり》ってな。うーん、字余り」
いろいろとどうかと思う川柳を口ずさみながら現れた男――名を
一見軽薄そうな波崎だが、その実、かなり油断のならない狐であることを僕は知っている。こうしてタイミングよく現れるのがその証拠だ。
「さて――じゃあ、インタビューをさせてもらおうかな」
近場の席から椅子を引っ張り出し、波崎は脚を組んでそこへ座った。
購買で入手したらしい総菜パン(唐揚げマヨ。百円)を、マイクに見立てるように僕へと突き出して、
「いったい何があったのかな?」
そんな、抽象的な質問を放つ。
その瞳が煌々と、憎らしいほどに輝いていた。
「……、」さて困った。
一色ひとりに話すくらいなら構わなかったのだが、さすがにこの人間拡声器・波崎諷に昨日の顛末を聞かせるのは躊躇われる。
誇り高き新聞部員であるところの彼は当然、僕の喋った内容を記事にしようと画策するだろう。無論、記事にするなと断る権利を僕は持っている。波崎にも最低限の良識はある。はずだ。
だが――情報とはどこから漏れるかわからないものだ。
特に波崎が相手とあっては、《知られてしまう》というだけで既に致命的なマイナスを抱えることになるだろう。そう言ってまったく過言じゃない。
井戸端会議の奥様方より、噂に飢えている男なのだから。
「――……」
僕は怨みを籠めた視線で一色を睨めつけた。
一色は波崎の背後で、苦笑混じりに謝罪のポーズを見せている。まあ、一色としても予想外の展開ではあったのだろうが。
「……ま」僕は意を決して口を開く。「別に大したことじゃないよ」
「ややや、それを決めるのは周りだろうや、兄さん?」
「韜晦して言うわけじゃない。ただ昨日、図書室でちょっと、生徒会長と話をしたってだけで」
――図書室、という単語を述べたとき。
ほんの一瞬だけ、一色の顔色が変わったのを僕は見逃さなかった。
……まあ、今はいい。
だから言いたくなかったんだけどなあ……。
「それでちょっと……なんだろう。まあ、友達になっただけだよ。ほら、この学校の図書室って、滅多に利用する奴がいないだろ? く――じゃない、四倉先輩は、僕と同好の士だったってわけ」
「同好?」
「読書好きってこと」
「それでなぜ可愛先輩が来るんだ?」
「さあ? それこそ僕の関知するところじゃないよ。大方、無理に聞き出して情報に齟齬があったんじゃないの」
暗に《君のことだよ》という意を視線に籠めて僕は言った。
波崎も自覚はあったのか、「……ふうん」と、それだけを呟いてパンの包装を破りにかかる。
「《縁は異なもの、味なもの》……ま、そういうこともあるかぁね」
パンをかじって、波崎が言う。
どうやら追及は止みそうだった。
「しかし友達……友達、ねえ」波崎が肩を竦めて呟く。「あの四倉くぬぎと友達たぁ、それはそれですげえことだと、おれは思うけどね」
「……あー。うん。かもね」
返答が曖昧になる。
友達、だなんて流れで言ってしまったけれど、僕とくぬぎ先輩の関係をその言葉で表現できるかは怪しいものだ。
言葉を交わせばそれで友達だ――という価値観の人も中にはいるらしいけれど、少なくとも僕はそうは思えない。
誰にでもいい顔をする、という行為はどこかで破綻を生むものだ。友達は選ぶものという表現自体が敵を作るように。コウモリ野郎の生き方は、それはそれで尊敬するけれど、一般人には難しいものである。
……さて。
くぬぎ先輩とは、何も、言葉を交わしただけとは言えないが――。
果たして。
「確かに、なんて言うか、変わった人ではあったかな」
僕は言う。割と正直な感想だった。
「おれから言わせりゃ、おまえも充分に変わり者だけどな」
「はは、そりゃ確かに」
波崎の戯言に、一色が調子よく合わせてくる。
失礼な。そんなこと、このふたりにだけは言われたくない。
「……君らも大概だと思うけどね」
僕は憮然を表明しつつ、机に広げた弁当へと手をつける。
「何、《憎まれっ子世にはばかる》って言うだろ? 何だかんだ、おれみたいなのがいちばん長生きするのさ」
「それ、自分で言う?」
いけしゃあしゃあと言ってのける波崎に、僕はもう呆れを通り越し、半ば感心するにまで至っていた。
一色は一色で、我関せずとばかりに悠然と弁当(おそらくコンビニ製)を口に運んでいる。こいつもこいつで、本当にいい性格だった。
しばし、黙々と食事を進める。
僕は元より自ら話題を提供するタイプではないし、一色も意外と迎合タイプだ。この中では唯一、喋り好きっぽい波崎だが、こいつが喋るのはあくまで他人から《情報》を引き出すためであって、つまりは全て計算だ。自分から振り込むような真似はほとんどしない。
たかだか高校生でありながら、ここまでマスコミ精神を貫いて生きているというのは――どうだろう。いっそ尊敬に値するとも思うのだが。
「それにしても――」
と。
しばらくして、一色が口火を切った。
「それにしても、佐太郎。また図書室に行ってたんだな?」
「……まあ」
「へえ、そう」
と、なぜか嫌らしい笑みを見せる一色。場の空気が一瞬にして不穏な色合いへと変わる。
そして一色は、
「――また、《ヨミ》か?」
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