第31話 青嵐、そして恵風 3

 滑らかな粘土の塊が高速で回転し、するすると上に伸ばされてゆく。

 ある程度伸びたところでてっぺんが平らにされ、親指がその中心を探り当て、見る間に沈み込んでいく。すこで少し水分が足され、潤滑油をもらったように粘土は滑らかになる。やがて両手の細い指がぽっかり空いた穴の内と外に添えられ、ごくゆっくりと上に引き上げられて、その指が命じるまま、薄く高くなった粘土の壁は膨らんだり、縮んだりを繰り返し、成形が進んでいく。


「あちゃ! しまったぁ」

 風花は思わず大声を上げ、足元のペダルを踏んでろくろを止めた。

 先ほどまで、自由自在に変化していた器のようなものは粘土を広げすぎたのか、立ち上げた部分が萎れた花のように外側に垂れてへしゃげている。

「あ~あ、なかなかうまく行かないなぁ」

 仕方なく、その部分の粘土を指でちぎり取り、傍のバケツに放り込む。

「やっとできそうだったのにぃ~」

「水分が多すぎるんだよ」

 ふいに後ろから声がかかった。


 K市北の山中の低地を利用してつくられた陶芸工房兼アトリエ。

 緑に囲まれた広い敷地内には神山氏の住居や工房。裏には小規模な登り窯の設備がある。また、弟子や講習参加者が生活するための二階建ての棟やガレージも設けられており、風花たちが今いるここは、集団講習用に作られた大きなプレハブの吹き抜けの制作場だった。

 壁は二方にしかなく、一方に大きなアングル棚が並べてある、反対側には水道設備があり、その上の用具棚には陶芸で使う様々な細かい道具がきちんと並べられてあった。

 声の主、小川徹は青みを増した山なみをバックに、吹き抜けの入り口に立っていた。手に紺色のエプロンを持っている。

「ひさしぶり。ずいぶん早いじゃないか。開講式はお昼のはずだったろ?」

「こんちわ~、だって少しでも早く土に触りたかったんだもん。先生はいつ来てもいいっておっしゃてたし」

「熱心だな。だから推薦されたのか?」

「さぁ~、でもこの通りだよ。八時からがんばってたったの三個。それも小さいのばっかり」

 泥だらけの風花の指差す方向の棚を見ると、確かにちんまりとした湯のみのようなものが三つほど鎮座している。

「ふふ、確かに小さいな。でもちゃんと釣り合いが取れているじゃないか。去年実習でやっただけの割には立派なもんだよ」

「そぉ? 私なんか芯出しに時間がかかってばっかりで。もっと手が大きいとよかったんだけど」

「その小さな体で手だけ大きかったら変だぜ。それに成形は手の大きさで出来が左右するモンじゃないよ」

「そりゃそうだけどさ、初めのうちは技術がない分、手が大きい方が楽なんじゃないかなあ?」

「どうかな? さて、俺も作ってみるか」

 小川は手に持っていた紺色のエプロンを身につけた。イケメンはどんな格好をしてもサマになって得だなあと風花は密かに思った。

 アングル棚に置かれた粘土は自由に使っていいということだったので、小川は粘土の塊を取り出し、風花の隣のろくろにどん、と乗せ、バケツに水を汲んでそばに置き、ペダルを踏んでろくろを回し始めた。風花がしたのより二倍も早く粘土がまとまり、形になってゆく。

「うっわ~さっすが〜! 小川君上手~、すごい~」

 あっという間に大きな鉢ができ、小川はろくろを止めた。風花の切り糸で土台の粘土から作品を切り離す。

「ん~、イマイチかな? 開きすぎた」

「……小川君、それイヤミだよ」

「嫌味? まさか。お前はお前でがんばればいいんじゃないか」

「それはそうだけど~。初めからこんなに差があるなんて」

「そおか?」

「う~、負けるもんか~」

 風花も再びろくろをまわした。

 今度は慎重にゆっくり、ゆっくり粘土を立ち上げる。大きなタレ目は真剣そのものだ。瞬きすらも忘れて、風花は目の前の粘土を形にすることに没頭した。

「できた!」

 しばらくして風花は嬉しそうに叫ぶ。

 止まったろくろには、口の開いた夏茶碗が朝顔のように乗っかっていた。

「やるじゃないか。早く焼いてみたいな」

「うん! 本当だね」

 講習で行うのは成形だけで、素焼きは夏の終わりに、釉薬付けと本焼きは秋口に行われる予定になっていた。

 最後まで慎重に粘土を切り離し、乾燥棚に乗せて風花は少し離れて見てみた。お茶が趣味と言う樹の祖母にあげたら喜んでくれるだろうか?

「やぁ若い衆、熱心だね」

 再び、吹き抜けから深みのある声がして、二人が振り向くと、半ば白くなった口ひげの年配の男性が立っていた。

「神山先生!」


 神山正臣こうやままさおみ氏はかなり有名な陶芸家で、以前風花の大学で陶芸の実習を長く持っていた事があった。大学を辞めてからもその縁で、熱心な学生を長期休暇の折などに集めては、実技指導をしてくれている。自炊代と燃料代以外は講習料も取らないので、熱心な学生にとって大変人気のある学外講座なのである。

 神山はにこにこ笑いながら実習室に入ってきた。

 ヒゲと同じに白いものがかなり混じった髪は、小川と同じように後ろで束ねてあり、紺色の作務衣をゆったりと身に纏っている。色は黒くて掘り込んだように深いしわが刻まれていたが、動作や声は若々しく、粘土を練るためか、腕などは小川よりも太いくらいだった。

「君たちは早いねえ。宿舎の方に何人か来ているようだったが、みんな一休みしていたよ。講習は午後からだから」

「着いたら八時だったんで、どうしようかなって思っていたら、作務衣を着た男の方が、よかったら実習室を使っていいよっておっしゃってくださったから、つい甘えてしまいました」

「いいよ、かまわんよ。さすが推薦された若者達だけのことはある」

「いえ、家がそんなに遠くないだけです」

「そうだな、吉野がこの中じゃ一番近いかもな?」

「え? 私がそうなの?」

「そうなのって、名簿見なかったのか?」

「見たけど、女の子が何人いるかしか見てなかったし」

「お前らしくていいけどさ」

「今年は女の子が少ないんだってね」と神山氏。

「はい、私を入れて二人だけでした」

「例年半々ぐらいなんだけどね」

「あ、そうなんですか?」

「やっぱり携帯を預かるってのが、つまらないのかもしれないね。近頃の女の子たちには」

 神山は考え深げに言った。

「男子だって手放せない奴は多いですよ。携帯やスマホは確かに便利なツールだけど、それがなくちゃ人生楽しめないってのも寂しいですしね。たまには情報から解放されて作陶に勤しみたいって俺は思います」

「小川君は、かっこいいなぁ」

 小川の堂々とした態度に風花はすっかり感心してしまった。

「吉野だってそうだろ? お前はもともとそれほど携帯に依存してなかったじゃないか」

「まぁそうだけど。アプリとかもよく知らないし」

「だよな。お前らしいわ」

「はは! どら、どれをつくったんだい? これは……夏茶碗かい? 少し弱々しいが、無難にまとまっているね。こっちの大鉢は君かい?」

 神山氏は感心したように小川を見た。

「陶芸の経験はあるのかい?」

「いえ、俺は一浪したんで今年入学したばっかりで、予備校生のときにろくろを何度か触らせてもらっただけです」

「それにしちゃあ、上出来だねぇ。よく迷いなく、ひきあげたね。二人とも楽しみ楽しみ。しっかりやりなさい。ははははは」

 笑うとよけいに皺だらけになるが、神山氏の笑顔はとても好ましいと風花は思った。

 一時間近くがんばっているうちに少しずつ集う仲間が増えてきた。昼時になって風花が用意された宿舎に戻ると、もう一人の女子だと言う学生が到着し、荷物を解いていたので声をかけた。

「こんにちは!」

「こんにちは。私今来たところなの。KN美大の宮崎梓っていいます。よろしく」

「K芸大の吉野風花です。KN美大は北陸だね。遠いところからお疲れ様。お部屋は私たち二人だけだって」

「わぁ~、男性陣には申し訳ないけど、ゆったりできるね」

 遠くからやってきた宮崎は嬉しそうに大の字に寝転んだ。気さくな人柄らしい、少しぽっちゃりとしたかわいい女の子だ。

 その後、昼食を兼ねて簡単な開講式が行われる予定で、その日の昼食だけは神山氏が用意してくれた、今晩から食事は全て自炊することになっていた。後で班分けもしなくてはならないだろう。

 宿舎は割合大きな建物で、風花たちの部屋は一階の和室、男子学生と弟子の人たちは二階で寝起きすることになっている。一階には台所と、風呂、トイレなどが設けられていた。

「さっきチラッと見たんだけど、なんかカッコイイ人いたよ。見た? 茶色っぽい髪を後ろでくくってた人」

「あー、それきっと小川君だ」

 風花は梓の目の早さにびっくりしながら言った。

「ええっ! 吉野さん知ってんの? ひょっとしてカレシ?」

「彼氏じゃないけど高校の同級生。彼はT芸大なの」

「ひゃーすごい。さぞ上手いんだろうなあ」

「うん、上手いよ。さっきも先生に褒められてたもん」

「私ね、ここに誰も知り合いいないんだ。だから推薦された時も、ちょっと引き気味だったんだけど。家が蒔絵の工芸品のお店で、お母さんがいい経験になるからって。でも来てよかった。吉野さん、仲良くしてね。紅二点だもん」

「こちらこそよろしく!」

 二人はすっかり打ち解けて微笑みあった。

 その後は開講式と昼食、実習中の諸注意や規則、まかない班分けと慌しく過ぎ、明日からの実習を前に神山氏の陶芸談義もあって、学生達には充実した一日となった。

 明日からは学生達一人にずつろくろが与えられ、思う存分制作活動に励めるのだ。むろん、神山氏は秋の個展をひかえ、忙しい身であるので、明日からの主な指導は永井さんと海部さんという、二人の若い門下生によって行われる。

 また、早速今夜から行われる自炊は買出し班と調理班に分かれ、交替で行うこともすんなりと決まった。風花と宮崎は女子が二人だけだと言うことで、違う班になってしまったが、小川は風花と同じ班になった。さすがに初日の今日だけは全員で買い物も、炊き出しも行い、出来上がった見栄えの悪い炒め物と味噌汁を修学旅行さながらに賑やかに食べつくした。腹が減らない者は若者に非ずである。

 その日は風呂に入ると、することがない。風花は男子のサービスで宮崎と共に一番風呂に入れてもらったので、早く身じまいを済ます事ができた。そして樹に今日一日のことを報告しようと思いたった。幸い男子たちは風呂に入っているので、公衆電話の周りには誰もいない。

 研修棟の入り口に置いてある、今では見かけることが少なくなった緑色の公衆電話の前に立つと、どういうわけか胸が高鳴る。

 ——あ、あれ? なんで私こんなにドキドキしているんだろう? 昨日別れたばかりなのに。

 藤棚の葉陰で抱きしめられた。その時のことを思い出すと、頬が染まるのが自分でもわかる。

 樹はこの上なく優しいキスをしてくれた。体を離そうとする彼に急に寂しくなって、自分から擦り寄っていった覚えがある。そして樹は、ステキなキスをしてくれたのだった。

 ——あ……。

 風花は我知らず唇を押さえた。

 ——ば、ばか! 私ったら何考えてんの。早く電話を。

 すっかり暗証してしまった11桁の番号をダイヤルする。

 樹はすぐに出た。

『風花?』

「あ、わかった?」

『液晶に公衆電話って出たから』

「あ、そうなってるんだ〜知らなかった。こんばんは!」

『こんばんは。実習はどう?』

「うん、早く着いて、朝からがんばりました。友達もできたよ。宮崎梓っていう、北陸出身のコなの」

『へぇ』

「それでね、樹君のおばあさんがお茶が趣味だって言ってたから、夏茶碗を作ってみたの。でも、うまく焼き上がるかどうかわかんない」

『喜ぶと思うよ。で? 小川さんに会ったの?』

 樹がストレートに尋ねる。

「う、うん。会ったよ。でも再会の挨拶をして、一緒に作品つくったり、批評しあったりしただけ。向こうはあたしなんかよりよっぽど上手だし。あ、一緒の班になったけど」

『班? なんの?』

「うん、みんなで交替で炊き出しや、買出しをするの。自炊だから」

『大変だね。でも……』

 珍しく樹が言い淀んだ。

「うん、大丈夫。全然心配ないって。それでね神山先生が、陶芸家の先生なんだけど、とってもステキで優しくてね」

『俺より?』

「なっ……!」

『ふふ……風花が今どんな顔してるか手に取るようにわかる』

「うもー、うもー。クヤシイ! そっちはどうなの?」

『変わりなし。課題やってる』

「そっちも大変そう」

『風花もあまり無理しすぎないようにね。できたら明日も電話して』

「はーい……あ、それからあの……えーっと、ば、場所決まった?」

 さすがに二人で泊まる所とは聞きかねて、風花は曖昧な言い方をした。

『決めた。どこか知りたい?』

「う……知りたいけど、恥ずかしいから今はやめとく」

『じゃあ、内緒にしておきます。お楽しみに』

「わかりました」

『……ちきれないな』

「え? なぁに? 聞こえない」

『なんでもない。じゃあまた明日。おやすみ』

「おやすみなさい」

 かける前と同様、やはりドキドキして受話器を置く。

 ふと目をあげると、風呂から上がったらしい小川が立っていた。黒いTシャツにタオルを引っ掛けている。

「あれ」

「今の電話、彼氏?」

 湯上りの彼はやや色白の肌が上気し、洗い髪を下ろしていて妙に色っぽく見える。

「え、えと……まぁそう」

「それって眼鏡をかけた背の高い奴?」

「え⁉︎ 小川君、清水君の事知ってんの?」

「清水って言うのか……。前に一度、吉野と歩いているところを見た事があるんだ」

「えーっ! ほんと⁉︎ 全然気付かなかったなぁ。へぇー、そうだったの」

「好きなの? ソイツのこと」

「って、えええ?」

「好きなの?」

 重ねて小川が問う。

「うっ……うん。好き」

 小川に負けずに赤くなりながら風花はしっかりと答えた。ここは恥ずかしがってはいけないところなのだ。

「ふぅ~ん。でさ、実は俺もそうなんだけど」

「そうって?」

 深く考えず、風花は無邪気に聞き返した。

「俺もお前の事が好きだって言ってんの」





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