第15話 春風再び 3
「わぁ〜植物園って、こんなところなんだ。初めて来た」
天気がいいせいで園内は親子連れやカップルなど大勢の人が行き交っている。しかし、もともとかなり広い敷地なので、ごった返しているという感はなく、ゆったり楽しむことができそうだ。
着いたのがお昼に近かったので、二人は園内のオープンカフェで簡単なランチを取る。
「あ、あの花壇パンジーで絵が描いてある。きれいね。後であっちの大きな温室も見たいな。ピラミッドみたい。でも、植物園に行こうってあんまり思いつかないね、フツウ」
「うん、ロンドンにキュー植物園っていう有名な植物園があるんだけど、こないだ雑誌の特集で見て、興味が湧いて行こうかなって思いついたんだ」
「お花好きなの?」
意外だ、と風花は思った。
どちらかというと何にも興味を示さない、冷めた人柄のように思えたから。
「花というか、実際園芸に関しての知識はほとんどないけど……なんていうか……ある一定の目的で整然と分類収集された物を見るのは嫌いじゃないんだ。標本とか」
「あ、そうなの? なんか清水君らしいや。そういうものの見方でお花とか見るんだね」
「そう?」
「そういえば清水君の趣味って何?」
興味のこもったまなざしで風花が尋ねる。最後のパスタを器用にフォークに巻いてもぐもぐ咀嚼している姿がまるで小動物のようだと樹は思った。
「風花」
「はい?」
「だから風花」
「は? 趣味を尋ねてんの」
「趣味は風花だって言ってんの」
「……」
「変な顔。食べ終わったんなら行きますよ」
樹はすましてレシートを取り、レジを済ませて大温室のほうへ向かった。
「人が多くなってきたから風花、立って」
大きな手に肘を取られて風花はぎくしゃくと立ち上がった。この眼鏡男子に翻弄されるのはもう何度めだろう。
——こっ、こんな展開、もうヤダ〜。
砂利の小道を大温室へと引きずられながら風花は嘆息した。
大温室はいくつかのブースに仕切られており、熱帯植物を中心に様々な気候で育つ植物群が展示されている。
むっとするほど濃密な空気が立ち込める熱帯温室は、バナナが青い実を鈴なりにつけていて、その先に紫色の花がぶら下がっていたり、めずらしい形や色の蘭がそこかしこに植えられている。
「これはパンノキといって、焼くと本当にパンに似てておいしいんだそうですよ。ほら、上のほうに実がついてる」
大きなイガイガした実をつけた風変わりな木を指して樹が説明する。
「へぇ〜。いかにも食べられなさそうなのにねぇ」
「こっちのこれは? なんだか知ってる?」
長い指先には、特にきれいでもない目立たない白い花がある。
「知らない、なんだろう?」
「嗅いでみてください」
風花はしゃがみこみ、鉢で並べられている丈の低い植物に鼻先を近づけた。ほとんど花とも思えないほど地味な花弁だ。
「ん? んん……いいにおい、あれ? 確かになんだか親しみが湧くような……もしかしてこれは……ヴァニラだ!」
「そう、お菓子の香料として使われているのはヴァニラビーンズといって、この実です。ほら、この長いさや」
園芸植物の知識はないと言っていた樹だが、まるで植物図鑑を丸暗記したような博識ぶりに風花は驚かされた。
「すごい! 清水君、博識〜」
「図鑑が絵本がわりだったから」
「あ、わかるぅ〜。こっちは? これはなんだろう?」
風花自身も風変わりな花々にかなり興味を持ち、熱心に温室内を見てまわった。
「熱帯植物っておもしろいねぇ。なんだかオブジェ的っていうか……形も色も多様でさ」
次に入ったのは湿地の植物群を展示したブースで、熱帯温室よりは小さいが、かなり実際に近い水辺の状態を再現してあり、植物自体は地味なものが多いのだが、熱帯とは異なった雰囲気を楽しむことができる。
温度調節がいいのか、季節でもないのにミズアオイの群生がいつくかあり、その神秘的な青い色に魅了された風花はしばらく見とれていた。
「……あれ? 清水君?」
ふと気がつくと樹は模擬湿地帯が終るところにある、丈の低い植物が観察できるコーナーの前で熱心に何かに見入っていた。
「ん? 何見てるの?」
銀縁眼鏡の端正な横顔は、風花が声をかけても振り向くことはなかった。
その視線の先には。
放射状に赤っぽい葉が生え、中央からひょろりと伸びた茎の先端に白い目立たない花のついた奇妙な植物があった。
「モウセンゴケ。へぇー、清水君、食虫植物なんて興味あるの?」
「ん? ああ……すみません。たまたま虫が止まったのを見たもんだから」
風花が見ると、確かにネバネバした液玉がついた触手のような葉の一つに羽虫がくっついてもがいている。
「わ! ホントだ……あれ? こっちの説明がきには葉っぱが巻きついて虫を溶かすって書いてるけど、この葉っぱちっとも動かないね」
「ああ、実際は一日ぐらいかけて巻きつきながらゆっくり消化していくようです。ほら」
指さされた奥のほうの株では、小さい虫が恐ろしい葉っぱに完全に巻きつかれて動かなくなっていた。
「うわぁ~、なんか残酷……」
恐ろしそうに風花は肩を竦める。
「残酷?」
「うん……だってエゲツナイよ。緩慢に訪れる死……っていうのかな」
「……なるほど。確かにそういう見方もできるか」
「うん? じゃ清水君はどう思って見てたの?」
「俺? 俺は……内緒」
長い体を折り曲げて食虫植物に見入っていた樹は、風花に横顔を向けたまま、いつものように唇の端で薄く笑った。
「なにそれ? また完全犯罪とか言うんじゃ?」
「かも」
「うわ~、おまわりさ〜ん、危険人物がここにいます……って言うか、似合いすぎてコワ~イ」
危険人物と称されたにもかかわらず、しばらく樹は動こうとしなかった。
羽虫は次第に動かなくなっていく。
植物園でかなり時間をとったため、園を出た時には午後をかなり回っていた。しかし、早春とはいえ、黄昏時にはまだ少し間がある。
「さて、次は買い物かな?」
「あれ? 清水君、何か買うの? なになに?」
好奇心も露わに風花が小首を傾げて尋ねる。
「俺のじゃないよ。あなたの」
「へ? 私? なんで?」
「あさって誕生日でしょ? それに大学合格のお祝い」
樹はいささか肩を落として言った。あさって、つまり三月二十五日は風花の誕生日である。
「あ、そうか。あれやこれやで忘れてた」
風花は目を見張った。鳩が豆鉄砲を食らった顔というのはまさしくこんな顔のことなのだろう。
「そうです。何がいいですか?」
樹は遠慮なく顔を近づけ、膝を折り、小さい子供をあやす幼稚園の先生のように尋ねた。
「わ、いきなりアップにならないでよ。え~、何がいいって、急に思いつかないなぁ」
「じゃ、俺の考えてる店が近くにあるんだけど……行ってみましょうか?」
「あ、うん!」
樹の意外なリサーチ能力に感心しながら風花は薄暮の雑踏をいく後姿に従った。
そこは大きな橋の袂にある鉱物を扱う店だった。
よくある紫水晶や黄鉄鉱の大きな結晶も置かれているが、小さくめずらしい鉱物の置物やアクセサリなども売られている。結構有名な店らしく、店内は結構な買い物客であふれていた。
最近のパワーストーンやビーズブームに乗って半貴石でできた小さなアクセサリーは特に人気があるようで、女性客が手に取ってステキ〜とはしゃいでいる。
「わぁ、きれいだぁ!」
風花も負けずに同じようなセリフを連発し、形は不ぞろいだが美しい色合いのビーズに見とれている。
「樹君、ビーズ好きなの?」
「そんな、訳ないでしょ。鉱物や化石をよく見るだけで。ネットでこの店にビーズのコーナーできたって知ったから。風花こんなの好きそうだと思って。連れて行こうと思ってたんだ」
意外とマメなオトコである。
「うん、好き好き、大好き~。買ってくれるの? ほんとにいいの?」
「いいの。だけど、バラバラのではなく、そっちの完成品にしてくださいね。俺は何か飾るものを買ってあげようって決めてたんだから」
「ん~~、つくるのも楽しそうだけどな~。でも、今日のところはお言葉に甘えます~」
完成品をディスプレイしたコーナーには、カップルや若い女性が覗き込んだり、試しにつけて鏡を見たりして楽しんでいる。
「わぁ! ステキなのばっかだぁ。でも考えたら……」
「ん?」
「男の人に物買ってもらうの初めてだし」
「ふーん、それは重畳」
ふふんと樹が笑った。
「チョウジョウ?」
「よかったってこと」
「あ〜……しかも私、アクセサリ買うのもほぼ初めてなような気がする。今まで親戚のお姉さんにもらってたから」
「……」
特別天然記念物女子高生、吉野風花であった。
そして、長いこと迷った風花が選んだのは、桜色の天然石のビーズを連ねたチョーカーだった。そろいでブレスレットやリングも買えばいい、という樹の勧めは丁重に断り、風花はチョーカーだけをつつんでもらった。
その石はローズクォーツといい、説明書きには愛情を高める働きがあるパワーストーンだと書いてあった。だからというわけではないが、宝石より暖かいその輝きは風花に合っていると樹は思った。
「ありがとう、すっごい気に入ったの、これ。金属を身につけるのは嫌いだからこういうのが欲しかったんだ」
外に出ると、街はようやく
もうすぐ群青色の薄い膜が空にかかる、その少し前の時刻。
「川原を歩いて駅まで行こうか」
「うん」
いくつもの橋がかかる大きな川が街をゆったり流れている。橋のきわに石の階段があり、そこから広い川原に降りられ、人々の散歩コースになっているのだ。ぼんやりしている風花もさすがに周りの光景に気がついた。
「清水君? ここは……もしかして……この人たちは?」
「え?」
周りを見ると川原に腰を下ろしたり、そぞろ歩いたりしている人々は、そのほとんどがカップルであり、それぞれが自分達の世界に浸っていた。
そう、ここは有名なデートスポットだったのだ。
「わ……私たち、邪魔しちゃ悪いんでは?」
風花は樹のジャケットの肘をつまみ、うろたえながらあたりを見渡している。
「なにを邪魔?」
怪訝な顔をして樹が風花を覗き込んだ。
「だって……だって〜周り中カップルばっかりだし、はず……はずかし……」
「ああ、もう。はいはい、じゃあ、こうすればおんなじでしょ?」
言うなり樹は丸い撫で肩に腕を回して引き寄せた。はずみで風花が硬い体にぶつかる。
「ぎゃっ! わ、わぁ……」
「何がわぁなの?」
樹が顔をほとんど触れるようにかがみこんでくる。
——どひ! まっ、また至近距離! くそー、この子絶対おもしろがってるよぅ……!
風花、今日何度目かの大混乱である。黄昏で顔が真っ赤なのがわかりにくくて幸いだった。
「ちっさ」
「どうせ小さいよ。それに重いよ。なんだか酔っ払いを抱えて歩いているみたい」
「そのとおりだし」
「私のセーター、ファー付きだから毛がくっつくって! 清水君、ジャケット黒いでしょ!」
「平気」
「にゃ~ん……清水君ってこんなこと平気でするんだ~。いつもすました顔してるクセしてぇ」
「風花、いや?」
「うう……」
ふいに重圧は取り除かれたが、腕はますますきつく巻きついてくる。
「なんで?」
「なにが?」
「なんで、今日は髪を下ろしたの?」
「ああ、これ? お母さんがもう高校も卒業したんだから、おさげはおかしいって。でも、私の髪は多いから美容院に行って少し漉かなきゃね」
いつもは編んでいるせいで気がつかないが、ゆるいウエーブのその髪は肩を越えて揺れている。
おそらく母の仕業であろう、ところどころにごく細い三つ編みがつくってあり、アクセントになっている。
「おさげでいいのに」
「うん、おさげは好きなんだけど、まぁ、いつまでもできないしね。こないだも小川君に中学の時からぜんぜん変わんないなって言われて。それはいい意味で言ってくれたんだけど」
「小川さんに⁉︎ いつ?」
「卒業式の日だけど」
夕焼けに染まる眼鏡の下で樹の瞳がわずかに
「だから少しは大人にならないとって自分でも思って、まずは髪型から。切ってもいいんだけど」
「下ろすのはいいけど、切らないでくださいよ。染めるのも禁止」
樹は断固として言った。
「げ! 少し明るくしようかなって思ってたのに。やっぱり暴君だ~」
「必要ない。性格十分明るい天然だから」
「それはつまり馬鹿って言ってるんじゃ……?」
「言ってない」
突然、風花の目の前が真っ暗になる。
「わ!」
——な、なに⁉︎
抱きすくめられたまま、風花は動けない。
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