第33話 青嵐、そして恵風 5

 そして陶芸研修七日目。土曜日。

 最終日にはほとんど制作はせずに、お世話になった実習所と宿舎の掃除が中心だった。作品のほとんどは素焼きと釉薬付けまで行っている、本焼きには立ち会えないが、完成した作品は自宅まで送ってもらえることになっているのだ。まさに内容の充実した実習合宿だった。

 最後に昼食会をかねた閉講式が行われる予定だが、主催である神山夫妻はどうしても断れない注文主からの招待があったため、残念ながら閉講式には出席できなくなってしまった。

「みんな、よぅくがんばったなぁ。今年の学生は例年より飲み込みが早く、ユニークな感覚の持ち主が多かったんで、やりがいがあったよ。これからが楽しみだ。また機会があったら、是非おいで」

 こんな言葉を残して、夫妻は山のアトリエを後にしていった。

 閉校式と学生たちの最後の世話は、門下生の永井が中心行うことになった。七日間預けていた携帯も戻される。自分の携帯を手にした学生たちが、こんなものがなくても案外過ごせるものだと、意外な様子だった。


「あーあ、これで終わりかぁ。楽しかったね。あっちゃん……あれ? どうしたの? すごい汗だよ」

 荷物をまとめ終わった風花は、畳を乾拭きしながら、ここ数日のルームメイトの宮崎梓に声をかけた。しかし梓はさっきから大儀そうにのろのろとしている。何とか自分の荷物をまとめると、梓はついにごろんと横になってしまった。

「ちょっと、あっちゃん⁉︎ しんどいの?」

 風花は慌てて駆け寄った。

「ん……ちょっと昨夜からなんかお腹痛くって、大したことないんだけど、もうすぐ生理だからかな?」

「大丈夫? 休んでて。掃除なら私やっとくから」

「ごめんね、風花ちゃん」

 この一週間で風花と梓はとても仲良くなり、二日目から名前で呼びあっている。

「どう? 先生呼んで来ようか?」

 片付けが終わった風花は風花は、梓を覗き込んだ。彼女は隅っこで目を閉じて体を丸めている。顔色がひどく悪い。

「ん、大丈夫。横になってたらマシになった。もう少し休んだら閉講式に出てすぐに帰るよ。切符も取ってあるし」


 そして、閉講式が賑やかに行われた。

 学生達がこの一週間精進した広い実習室に集まる。

「みなさんよく頑張りました。良い作品になるといいですね。それぞれの学校に戻っても頑張って制作に励んでください。さぁ神山先生がお寿司を取ってくださったから、遠慮なく食べてください」

「ありがとうございます!」

「いただきます!」

 男子学生の多い若い集団のこととて、用意された寿司は見る間になくなり、飲み物のペットボトルがどんどん空になっていく。

「うわぁ壮観だなぁ。みんなこんなに作ったんんだ」

 学生の一人の土井が乾燥棚にずらりと並んだ、大小さまざまな作品群を見て感嘆の声を上げた。

 確かに一口に陶芸といっても、一メートルもある土居の愉快な作品から、小川の植物をモチーフにしたオブジェ、梓のレリーフのような作品まで多種様々で個性的な作品ばかりだった。

「数なら私が一番多いね」

 風花は自慢そうに言った。

「確かにな。小さいのが多いけどな」

「私はそれでいいんです」

「吉野は今日これからどうするんだ? みんなでどこかに繰り出す? それとも俺とどっか行く……わっ!」

 飲んでいたウーロン茶を、思わず吹いてしまった風花に小川が飛び退いた。

「げほげほっ! ご、ごめん。汚れなかった?」

「いいよ別に。だけどなんなんだよ。さては……何かあるな?」

「ないないない!」

 風花は勢い込んで打ち消した。

「へぇ〜、あるんだ。どっか行くの?」

「ちょっと約束が……」

 小川から目をそらし、風花はハンカチで濡れたところを拭いている。

「例の彼氏と?」

「え? まぁ……うん」

「ふーん」

「な、なんですか? 別に大したことでは……あれ?」

 あたりを見渡した風花は、ふと梓がいないことに気がついた。遅れて参加していたはずなのだ。

「……あっちゃんは? さっき吐いたんだけど……土居君、知ってる?」

「ん? さっき向こうのトイレに行ってたようだけど? なんで?」

「さっき、気分が悪そうだったから」

「そういえば、昨日の夕飯もほとんど食べてなかったな。俺、隣に座ってたから気がついた」

「ひょっとして熱中症じゃないか?」

 土井も、小川も変だとは思っていたようだった。

「あたしちょっと見てくる!」

 風花は紙皿を置き、宿舎の方に向かって駆け出した。


「あっちゃん、いるの?」

 部屋にはいなかったので、奥のトイレを覗いてみる。とたんに、異様な光景が目に入った。

「大変! あっちゃん!」

 梓は女子トイレの一番奥の個室のドアを開けたままうずくまって、激しく嘔吐していた。真っ青な額に玉のような汗が浮いている。

「あっちゃん! どこが痛いの?」

「……お腹が……お腹が凄く痛いの」

 梓は嘔吐の合間に弱々しく答えた。

 これは熱中症ではないと悟った風花はすぐさま立ち上がった。

「私、永井さん呼んでくるよ!」

「ま、待って。男の子たちには来ないでって言ってね」

 痛みと嘔吐のせいで涙目になりながら宮崎が訴える。

 風花にはその気持ちがよくわかった。服装も乱れ、汗を浮かべてトイレで嘔吐している姿を、知り合ったばかりの男子に見られたくないのは女の子の心理だ。

「わかった! 大丈夫! すぐに戻るから」


「これは……もしかして急性盲腸炎かもしれない」

 風花の耳打ちで駆けつけた永井さんは、宮崎を抱き上げて部屋に運ぶと、そう呟いた。

「ここらが痛むかい?」

 永井は下腹の右にふれてそう聞いた。

「はい……最初はそうでもなかったんだけど……今は凄く痛い」

 体を折り曲げ、脂汗をかきながら宮崎は訴えた。

「よし、救急車を呼ぼう。吉野さんついててあげて」

「はい!」

 永井は一旦母屋に戻り、体温計や氷枕を持って戻ってきた。

「救急車は五分でくるよ、大丈夫。皆には僕から言っておくからね。悪いが救急車には吉野さんが乗ってあげてくれるかい? ここは女手が入りそうだ。僕は軽トラで追っかける」

「はい、勿論大丈夫です! 熱は三十八度五分」

 氷枕にタオルを巻いて宮崎にあてがい、冷たいタオルで汗ばむ顔をぬぐいながら、風花は心配そうに宮崎を見守った。

「あっちゃん、すぐ救急車来るからね。大丈夫! 安心して」


 救急車はすぐに来た。

 救急隊員は手際よく、ストレッチャーを部屋まで運び込み、宮崎を乗せると、あっという間に車内に運び込んだ。他の男子学生も集まり、心配そうに様子を見守っている。

「みんな、こんなになってしまって、すまないけどここで解散してくれるかい? 僕は軽トラで、病院まで行ってみるよ。後のことは海部に聞いてくれ」

 永井氏が呆然としている男子学生を集めて、そう告げた。海部は若い方の弟子で、この合宿中、永井とともに学生の世話をしてくれていた人だ。

「では行きます。搬送先はJ病院になります」

 運転席の隊員がそう告げる。

「私も乗ります!」

 救急隊員に答えて風花も救急車に乗り込んだ。

「はい、ではこっちに」

 風花が自分と宮崎の荷物を持って乗り込むと、救急車はサイレンを鳴らして走り去った。

「永井さん、軽トラに俺も乗っけてもらえますか? 心配なんで」

 小川が気がかりそうに永井に頼む。

「いいけど、すぐに追いかけるから急いでくれ」

「はい!」

 小川はエンジンをかけて待っている白い軽トラに飛び乗った。

「病院の場所はわかるんですか?」

「わかるよ。山を降りたらすぐそこだ。道が空いていてよかった、きっと大丈夫だ」

 永井は心配そうな小川に頷いた。


 風花は人の少ないロビーに座っていた。昼過ぎで一般診察の受付はすでに終了しているのだ。

「吉野!」

「あ、小川君! 永井さんも」

 知り合いを見つけてさすがにホッとした様子の風花が、二人に駆け寄った。よほど心配し、驚いたのだろう。いつも明るい風花の顔色が悪い。

「宮崎さんの様子はどうだい?」

「今、とり合えず痛み止めを打って、血液検査と、他の検査をしているみたい。まだ出てこないんです。奥の処置室に入ったっきり。多分寝ているんじゃないかと思います」

「彼女の実家には連絡したのかな?」

「まだです。連絡先聞けなかったんで」

「さっき慌てて名簿渡しそこねてしまったけど、今持ってきた。個人データだから、あまり見ないようにしたいんだけど、緊急ということで……うわ。こりゃT県のすんげえ山奥だ。実家に連絡ついたとしても、すぐにこられないかもしれないぞ」

 永井が呻く。

「そういや、彼女の実家は山持ちで、林業を営んでいるとか言ってたっけ?」

 小川も思い出したように呟いた」

「仕方がない。ここには大人は俺しかいないし、親御さんがいらっしゃるまで俺がつきそうよ。先生のおかえりは明日になりそうだし。君たちはもう帰ったら?」

「いいえ、そんな訳には行かないです。あっちゃんも心細いだろうし。私の家は比較的近いから問題ありません」

「俺も、何か用事があったら役に立つかもです。ご両親がついたら駅まで迎えに行けますし。付き添わせてください」

「そうか……ありがたいよ。目が覚めたら彼女も喜ぶだろう」

 永井は嬉しそうに二人にうなづいた。

「とりあえず、私の携帯から連絡してみます。ちょっと向こうでかけてきますね」

 風花は永井から梓の個票を受け取ると、病院のエントランスに向かった。

「あいつ……大丈夫かな?」

 小川が呟く。

「え? 宮前さん? もう、病院にいるんだし、大丈夫だろ?」

「あ、いや……宮崎さんじゃなくて……」

「うん?」

「いえ、なんでもありません」


 正午過ぎの屋外は真夏の暑さだ。風花はロビーの外で電話をかけた。しかし、梓の実家は日中のせいか誰も出ない。幾度か掛け直したが、ダメだった。

 あとでかけ直そうと諦めて風花はあることに気がついた。携帯に着信やメールの表示があるのだ。

 あっと思ったその時、風花の携帯が鳴り出した。

 着信画面は樹からだということを示していた。

 




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る