第5話 そよ風 4
「家まで送っていいですか?」
最寄り駅の構内から出ると、風花を再びベンチに座らせてから静かに樹が尋ねる。
——おやぁ、先ほどまでの態度と違ってずいぶん神妙じゃあーりませんか、清水君。あいかわらずの仏頂面だけど。
電車の中でも彼は風花を座らせるとその前に立ち、つまらなそうに窓の外を眺めるだけで、話しかけてくることもなかったのだ。
「うん、こうなったら最後までおすがりします。ありがとう。ごめんね」
「ここから俺は自転車だから、出してきます。ちょっとここで待っててください」
銀色の自転車は早い早い。
ありふれた町並みがどんどん通り過ぎてゆく。
風花は初め、遠慮してサドルの下のバネを持っていたが、今では彼のベルトをぎゅっとつかんでいた。
「清水君、私の家知ってるの?」
「だいたいは」
「……だいたいって」
「あなたのことなら知ってるって言ったでしょ? あ、別に俺ストーカーはしてませんから」
「そんなことは思ってないよ! だって見かけたことなかったし!」
「ならよかった。家は何丁目かまでは知ってるけど、近くなったら教えてください」
「……で、一度聞こうと思ってたんだけど……本当にそうなの?」
風花は小さくたずねた。声が小さい。
「そうとは?」
「そのね……あのぅえっと、私なんかを好きだって……」
「なんかはよけいです」
「でも、なんだか……」
「言った通りです」
「はぁ。だけど……」
「じゃあ、次は俺がさっきの続き、聞いてもいいですか?」
樹は風花の言葉を遮る。
「え? さっき? なんだっけ?」
「おととい美術室で小川さんと何を話してたの? ってことです」
「ああ、うん。えと、要するに小川君がT芸大に行くって話」
「ふう〜ん」
「それでね、さっきね……さっき、清水君におぶさっている時、いろんな物が見えてね。普段見慣れた景色でも視点が変わると違って見えるんダァって思って。それを見ながら私もなんとなくわかったんだ」
風花の口調がはっきりしたものになったのを感じたのか、自転車をこぎながら樹がちらと振り返る。
「何をです?」
「本当は私も絵を描きたいんだって」
つかんでいるベルト越しに樹の肩が緊張したと思ったのは気のせいだろうか?
「それは……小川さんと同じ大学に行くため?」
「いやぁ、T芸大なんて私にはとても無理。第一遠すぎて親が行かしてくれないよ。私は多分K芸大だろうなあ。ここも倍率高くて結構難しいけど。隣の県だし。あ、そこ右に折れて? 楠が見えるでしょ? あの三つ向こうが家」
自転車は古い住宅地の手入れのあまりよくない生垣の角を曲がり、風花の家の前に着いた。
「あ、本当にどうもありがとう。助かっちゃった」
「ちゃんと病院へ行ってくださいよ」
「うん、そうする。それからもひとつありがと」
「なにが?」
「清水君のおかげでやりたいことに気がついた。今までうじうじ悩んでたけど、私もっと絵を勉強するよ。がんばってみる」
「それは俺のせいじゃなく、小川さんの言葉がきっかけでは?」
「違うよ。小川君に挑発されたときはただヘコんでただけだもの。清水君が偶然でもおぶってくれなかったら、きっとまだヘコんでいたと思う。本当にどうもありがと」
タレ目がちの大きな目がにっこりと笑いかけた。
「……」
我知らずひるんでいる自分を樹は感じていた。
「じゃあ、俺も決めた」
「は?」
「俺はK大に行く」
「へ?」
K芸大もK大も同じK市内にある大学だ。
「あなたと同じ芸大は無理だから、俺はK大に行く」
「ちょ、ちょっと待って。何言ってんの⁉︎ 私がK芸大に行くからってそんな理由で志望校決めるなんて。親御さんにも相談しないと! それにK大って難しいよ。そんなにあっさり決めて行ける大学じゃないでしょ?」
「俺? ま、なんとかなるでしょ? 理由については論外。親御は問題ない」
「ええ〜? でもまだ二年始まったばっかりなんだから、も少しよく考えて……」
「K大」
「……」
かつて国立一期校と呼ばれた、難関中の難関校の名をあっさり口にする後輩に風花はすっかり面食らってしまう。
——うわ~なにこの子。もう、わけわかんない。だけど何だかすごいかも……。
風花が混乱していると、目の前の少年はふっと口元を緩め、大きな体を折って彼女の目の前に顔を近づけた。
「自分の行く末を決めるのに、学年も親御さんも関係ない」
「それにしても」
「そんなに嫌ですか? 俺はK大に行くって言ってるだけで、吉野さんにかまってもらおうとか、そんなこと少しも考えていないですけど」
「そうだけど……」
少しも、のところをやや強調して説明する彼に、風花はなんだか複雑になってしまった。
「嫌とかそんなんじゃなくって。ただ、いいのかなあって……そんなに安直に進路決めて」
「安直? 全然違います。でも、まぁいいです。お互いまだ合格したわけでもなんでもないんだし」
「あ、それもそうか」
「ええ」
「へへへ。なんか、こんな言い方して不遜かもしれないけど、清水君と話せるようになってよかった」
「それは何より」
「とりあえずこんなところが私の正直な気持ちなんだけど」
「十分です」
「こんなんでいいの?」
ちょっと照れた風花の目はますますタレる。
「……それ反則」
「は?」
「いや、いいですよ、それで。じゃあ、俺はこれで立ち話させてすみません。ちゃんと病院に行ってくださいね。じゃあ!」
しなやかな動作で少年は自転車に飛び乗ると、あっという間に見えなくなった。
「……さようなら」
——なんだか吹っ切れたような気分だ。あの仏頂面を見ているとなんだか逆に癒されちゃったのかも。でもほんと変わった子だなあ。
「明日また会えるかな?」
風花は遠ざかる背中を見届けると、足を引きずりながら家の中に入った。
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