第7話 北風? 1

 一月も終わりの冬本番。木枯らしが寒々とした街を抜けてゆく。

 灰色のビルの並ぶ中、青い新建材で化粧張りされた細長い建物のドアが大きく開いた。

「ひゃ~、今日もかったるかったのぅ」

「いや、まったく」

「水道の蛇口なんか普通描かせるか?」

「こないだの三角フラスコに入ったビー玉よりマシかもよ?」

 このモノトーンの季節の中、そこだけ原色のおもちゃ箱のようないずれも個性的なイデタチの男女がわらわらと出てくる。彼らはワイワイ騒ぎながらひとかたまりになって駅へと歩き出した。

 街の中心部といってもさほど大きくはないこの街だが、ここは駅へと向かう大きな道が抜けているため交通量が多く、車の起こす風が枯葉を吹き上げ、曇天の下の街をさらにわびしく見せる。

 という感傷はさておき。


「ふうちゃんは今日も自転車?」

 金髪というより白髪に近いひょろ長い男がくるりと後ろを向いて問うた。

「はい。柴崎さん、それじゃあお先です。さようなら~」

「さよおなら〜気をつけてね。風に吹き飛ばされないように」

「はーい」

 駅に向かう派手な集団に手を振り、自転車に飛び乗るはおさげのタレ目娘、吉野風花嬢である。

 彼女は今、美術専門学校へ通う予備校生なのだ。高校三年生、芸大美術科志望の受験生である。

 風花の家まで電車で五駅。普通なら回数券でも買って学校に通うところなのだが、芸大受験コースの受講料を親に出してもらっている手前、できるだけよけいな出費は抑えようという見上げた娘である。

 半年前の梅雨明けの空の下、進路を決めた風花の行動は早かった。

 両親の許可をもらった彼女は早速この街にただ一つの美術専門学校の受験コースを申し込み、お年玉貯金を全て投げ打って入学金を支払った。さすがに受講料や実習費は両親に頼んだが、決して安くはない金額なのだ。

 学校が終ってすぐ家に帰り、私服に着替える時間もないまま菓子パンをぱくつき、カルトン(画用紙を挟んだり、画板となる道具)を持って飛び出すという慌しい生活がこの半年、週に三日続いている。

 ぴゅうと木枯らしがうなり、自転車の前カゴに斜めに乗せた大きなカルトンがまともに風を受けてハンドルが取られる。

「おっととと、もうこれ、じゃまだなー。ただでさえ、疲れてんのにぃ」

 風に文句を言ってもはじまらないが、怒っても彼女のタレ目は上がらない。

「さぶ〜」

 ぐるぐる巻きつけたマフラーに鼻を埋め、風花はペダルを踏む足に力を込めた。街はすっかり暮れなずんでいる。

 道路から外れるとそこは住宅街でうそのように車通りもない静けさだ。

 ——あーあ、今日の課題もイマイチだったなあ。どうもイメージ通りに描けないっていうか……描いても描いても表現じゃなくて説明になっているというか……小川君はどんな風な勉強をしているんだろう? 昨日会った時はちょっと疲れているようだったっけ?

 初恋の小川も芸大志望だが、風花とは異なる隣町の大きな専門学校へ通っていた。


 昨日の昼休み、美術科の田中教諭にデッサンの助言をもらいに行った風花は、同じように田中教諭を尋ねてきていた小川徹に会ったのだった。

 見せてもらったのはパジャントという像の石膏デッサンだったのだが、単に写生したと言うのではなく、卓越した表現力は個性的で高校生離れしており、いかにも丁寧に描いただけという感じの風花のデッサンとは大違いだった。

 そのことに打ちのめされて、美術教官室を出た時、後ろから小川に呼び止められた。

「吉野もがんばっているじゃないか。」

「今のデッサンを見てそれ言う?」

「言うさ、吉野らしい真面目なデッサンだよ。かわいいぜ、そのビーナス」

 小川は風花が隠そうとするデッサンを覗き込んで言った。

「それホメ言葉になってないよ。個性を重視すると芸大の先生受けするとはとても思えないけどなあ」

「わかるやつが見ればわかるさ。俺は嬉しいよ、吉野が絵をやると決めてくれてさ」

「だって、ほかにやりたいことも見つからないし。そういえば環ちゃんはどうするって? やっぱり芸大?」

 相原とは小川が三年間付き合っている恋人のことである。

「いいや? あいつの絵はお前とちがってお遊びだからな。この二年間はまともに部活もしてないし」

「そうなの? クラスが離れてるとわからないもんだなぁ。それで彼女どっち方面へ?」

「さぁ、どっかの私学だと思うけど?」

 その言葉に少し投げやりさが感じられて風花は怪訝に思ったが、重ねて聞くのもはばかられて、そのときはそれで小川と別れた。


 ——昨日の小川君、相原さんとケンカでもしたかな? なんだかちょっと険しい顔だったような……。

 絵のことを話しているときは愉快そうにしていたのに、相原のことになると急に自分から目を逸らした小川を思い出し、風花はなんとなく嫌な気分になった。

 ——相原さんはどの方面に進学するのかなあ、中学の時は何でもできて多彩な美人だなあって思ってたけどな。最近はすれ違っても挨拶ぐらいしかしないし。

 ——って、ヒトサマの心配よりまず自分だよ。なかなか上手になれないし……芸大受験を決めてからな逆に絵を描くのが楽しくなくなってきたって言うか、受験対策デッサンつまんない。中学の頃のように自由にキャンバスを埋めたくって芸大を志望したのに、今からこんなんじゃダメじゃん。

 坂道を登りながら自転車は風花の街に入っていく。

 ——浪人のヒトはみんなすごく上手だし、いかにもゲイジュツカって貫禄あるし。私はこんな平凡で。芸大なんて柄じゃないのかもしれない、今からでも教育大に志望変えた方がいいのかな?

 自分が充分個性的だと気づく風花ではない。

 必死でペダルをこぐ風花の頭上で冬の黄昏時は駆け足で通り過ぎる。

 パッパッパー!

 クラクションの音に我に返る。毎度のことだ。今までなんで事故にあわずに来れたのか本人も不思議に思う。

 坂道を上りきると風花の最寄りの駅が見える。いつもここらで足がちょっと限界を訴える。これで数キロはこいできたのだ。

 ——お腹すいたー、思考が不毛になるはずだよ。

 気を取り直してぐんぐん自転車を走らせる。丸いほっぺたが濃いピンク色に染まる。

 ——だけどあったまってきた! まぁ、明日は休みだし。後は家に帰るだけだし、もうひと頑張り!

 ペダルを漕ぐ足に力を込める。

 やっと駅のロータリーまでやってきた。小さな駅だがさすがに夕食どきのこの時間は人通りが多い。風花の小さな自転車が広場を半周し、人ごみを抜けようとした時。

「あれ? あれって……」

 ロータリーのはずれの本屋から出てきたのは、ひときわ目立つ背の高い姿。

「清水君?」

 風花より二週間年下の下級生、清水樹だった。






 

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