風は樹に語り、樹は風の夢を見る
文野さと(街みさお)
第1話 春風
「はりゃ~、集まったのこんだけかぁ~、やっぱ来れる人だけででいいです、なんていうんじゃなかったかなぁ? 吉野さんごめんなぁ」
環境整備委員会の委員長、窪田は大げさなため息のわりにはそんなに落ち込んだ様子もなく言った。
「そうだねぇ〜窪田くん」
一番先に来ていた吉野風花もがっかりした様子もなく、春風を頬に受けながらおっとりと受けた。
放課後、校舎裏の「環境用具倉庫」の前に集まったのは風花を除くと、三年の委員長窪田と副委員長の前田、そして二年生の清水樹(いつき)の四人だけで、倉庫の脇には花壇用の土と肥料が入った二十キロ入りの袋が五十袋ぐらい積み上げられている。
業者の搬入が二週間も遅れて前回の委員会に間に合わなかったのだ。
学校出入りの業者は年度始めは忙しく、担当の教師も困っていた。
「しょうがないよ〜。昨日実力テスト終ったばっかりだし、一年生は今日、校外学習で現地解散だし、二年は明日校外学習だし、学校に残っている委員の子なんていないよ、きっと」
風花が励ますように言った。彼女は小柄で本人いわく、百五十センチメートルはあるとのことだが、実際はぎりぎり足りないというところだろうか? 今時めずらしく真っ黒なストレートヘアを長いおさげにした、ややタレ気味の目が大きな女子高生である。
「そうだよなあ。でもさ、雨の降らないうちにこれ、中に入れちゃわないとな。みんないいかい?」
窪田は人のいい丸い顔に申し訳なさをいっぱいにして声をかけた。彼はさほど小さくはないが、どこもかしこも曲線で出来ていて、風花は密かにムーミンと名付けている。
「うん、やろやろ」
残りの二人も別に気を悪くした風もなく土の入った袋に向かった。これがこの一年間のプランター用の土となる。冬場をのぞく年三回、季節の花を植えることはここ十年、環境整備委員会の役目の一つになっていた。
この学校は環境モデル校となっているので、美化や営繕活動には結構力を入れていルノで、クラスから一人ずつ選出される環境委員はけっこう忙しい。特に四月当初のドタバタが一段落つき、中間テストも終ったこの時期からは特にそうだ。
「吉野さんと前田さんはそっちの腐葉土のほうを運んでよ。まだ軽いと思うから。俺らは土を運ぶ。えっと君は二年の清水君だったよね、ごめんな」
背の高い無口そうな清水は軽くうなずくと、二十キロ入りの袋を二つ積み重ねて軽々と持ち上げ、倉庫の中に入って行った。
それをきっかけに四人はもくもくと作業を始め、二十分ほどで後片付けも終った。
「あはは、吉野さんスカート真っ白~」
前田のほうは抜かりなく体操服で来ていて、おまけに軍手までしている。
「ホントだ、あ~あ。窪田君、私にも一言注意してくれたらよかったのに」
「いや、ごめんごめん。前田さんは隣のクラスだったから、前を通りかかったついでに伝言したんだよ」
「でもそのせいでサボれなくなったけどね~」
大柄な、でもふだんはそんなに目立たない存在の前田がここでは屈託なく笑う。風花はそんな二人ががんばっている環境整備委員会が結構好きで、一年の時からずっと委員をしている。
(そういえば今のこのメンバー、ずっと環境整備委員だなぁ。私らは三年間ずっとだし、この清水君って人も確か去年もいたし)
スカートのホコリを払いながら風花は少しおかしかった。ここにいるのは”筋金入り”の環境整備委員だとわかったからだ。
「じゃあ、今日はここで解散にするわ。鍵は俺が先生に返しとくから~。皆ありがと~」
「じゃあね~。お疲れ様~」
窪田は職員室に行くため、前田は着替えるため校舎内に入り、風花は裏門から帰ろうとL字型の校舎に沿って歩き始めた。
校舎が直角に折れるところの一階は美術室だ。倉庫が並んでいるL字の長いほうの校舎裏とは違い、こちら側は潅木が植えられベンチなども置いてあり、風通しもいいため、生徒たちの憩いの場としての空間になっている。
レンガを敷いた小道をたどりながら、風花はいつものように潅木越しに美術室をのぞいた。
開け放たれた大きな窓からキャンバスに向かう男子生徒が見えた。鼻筋の通った彫りの深い横顔が一心に絵を描いている。
(小川君……)
風花の心の声が聞こえたかのように彼は顔をこちらに向けた。思いがけないことに風花の心臓が飛び跳ね、そのままヘンな鼓動を打ち始める。
「あれ? 吉野じゃないか、まだいたん?」
「う、うん。臨時の委員会があって……」
「あ、そうなん? まあ、ちょっと見てよこれ、今度の寓展(ぐうてん)に出す俺の新作。どぉ?」
そう言いながら小川はカンバスをこちらに向け、意味ありげに唇の端を上げる。寓展とはこの地区の高校の美術部が共同で行う展覧会のことである。
彼の作品は風花の肩くらいまである八十号ほどの大きさで、暗めの色が塗り重ねられ、一見抽象画のようだが、よく見るとそこに女性の姿が描かれている。女性の頭部の横に少し明るい部分があるほかは、ほとんどブルーがかった暗い絵だった。
そこには高校生離れした鋭い感性が秘められている。
「うわぁ、すごいね。きれい……深い……さすが小川君だねぇ。特に何が描きこまれてるって感じの絵じゃないのに八十号の大きさがぜんぜん違和感ない。なんかもう大きく水を開けられちゃったなあ。」
「ははは、サンキュ。テストが終ってやっと描き進められるよ」
「そっか〜、がんばってね。寓展見に行くから……じゃあね」
「ああ、じゃあな」
小川はちらりと風花の後ろに目をやって少し怪訝そうな顔をしたが、さっとキャンバスの前に座り、あっという間に目の前の世界に集中する。
(今日相原さん、いないの?)
そう言おうとした言葉を飲み込み、再び絵筆を取り上げた小川を視界から消すため、風花は後ろを振り返った。小川の最後の仕草がなんとなくそうさせたのだ。
そこにはさっき別れたはずの二年生、清水が立っていた。
金属製のフレームの眼鏡をかけた彼の表情はわかりにくかったが、薄い酷薄そうな唇は少なくとも愉快そうではなかった。
ちょっと会釈をして風花は裏門へと歩き出した。駅へはこっちのほうが正門より近いからだ。
「吉野さん、帰るんですか?」
風花の頭の上から声がした。
「え?」
まさか話しかけられるとは思っていなくて驚いて見上げると、彼は風花のすぐ横に立っていた。
はたと視線が合う。
「う、うん。もう帰るよ」
「じゃあ、行きましょうか?」
「へ?」
あせって答えた風花を冷ややかに見下ろし、清水は何気なさそうにつぶやいた。
(なんでこういう展開になってるんだろう? 今までほとんどしゃべったこともなかったのに……)
半歩先を歩く大きな背中を眺める風花の周りにはクエスチョンマークがいくつも浮かぶ。
まだ黄昏時には少し間がある穏やかな晩春の放課後だった。
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