第29話 埃まみれの過去

「ちょっと、待っててね」

 自室の前。琴音はそう断りを入れると、ドアの奥へと消えていった。やがて、中からごそごそと音が聞こえてくる。どうやら、部屋を片付けているらしい。そういう素振りを見せなかった琴音だったが、一応黎の事は異性として認識しているのだろうか。

 やがて、受け入れ態勢が整ったのか、ドアが開き、

「さ、どうぞ」

 招き入れる。

「えっと、お邪魔します」

 黎は遠慮がちに、中へと入る。

(へぇ……)

 驚いた。琴音の部屋は、普段の言動からは想像もつかないほどふわっとしていた。家具の色はお気に入りなのか、ピンクや赤を基調とする物が多い。加えて、本棚の上にはぬいぐるみが飾られている。そして、蔵書のレパートリーは非常に幅広かった。参考書に小説、漫画にライトノベル。そして、あれは……ピアノの教則本?

「そこ、座っててよ。今、飲み物とか取ってくるから」

 そう言って琴音が指さす先には折り畳み式のテーブルと、向かい合う様にして敷かれたクッションが二つ。

「あ、」

 別にそんなに気を使わなくてもいいですよ。という言葉は言えずに終わる。琴音はそそくさと部屋を出ていってしまった。ほどなくして、パタパタと階段を降りる音が聞こえてくる。どうやらキッチンは一階にあるらしい。

「……座ってよ」

 黎はぽつっと呟く。別にわざわざ追いかけてまで断るほどの事では無い。それに、この広さを考えると、黎がキッチンを見つけた時に、琴音はもう居ないという可能性も十分考えられる。迷子になる事は無いだろうが、おとなしくしているのが一番だ。そう思い、クッションに腰を、

「――ん?」

 降ろそうとして、止まる。視線の先には本棚――より正確にはその上に乗っている何か――が有る。本棚の上。空いたスペースにはぬいぐるみが綺麗に並んでいる。にも関わらず、そこだけ置かれていない。ぽっかりと開いたその空間にあるのは……額?

 気になる。一度気が付いてしまうと、確かめずにはいられない。本当は止めた方がいいのかもしれない。しかし、琴音は「部屋の中を見てはいけない」とは言っていなかった。多少確かめる位は良いのではないか。黎はそんな風に、自分の行動を正当化し、ずんずんと本棚の前まで歩み寄り、そこに有る“何か”を、

「……写真?」

 手に取ったそれは、写真立てだった。恐らく普段はきちんと飾ってあるのだろう。微妙に埃をかぶっている。そして、

「これって……琴音さんと……久遠?」

 写真は制服を着た二人の子供――今よりも幼いが、恐らく久遠と琴音――と、その母親を映したものだった。琴音たちがトロフィーの様な物を持っている事から推察するに、コンクールか何かの後、なのだろう。

 しかし、その表情は対照的な物だった。

 片や久遠。こちらは非常に楽しそうだ。記念撮影なので、満面の笑み、とまでは行かないが、満足そうな顔をしている。見ているこっちまで微笑んでしまいそうだ。持っているトロフィーの色は金。

 片や琴音。こちらは何とも言えない表情だった。暴れ出したいような泣き出したいような、そんな感情を全て押し殺して、漸く記念撮影してもいい顔にしました、といった感じ。持っているトロフィーの色は銀。

 

『私とあの子が知り合ったのって子供音楽教室みたいな所だったのよ。それも、結構月謝の高い所』


『特にあの子の両親は音楽家だったから。漫画とか、そういうのとは無縁だと思ってたわ。あの子も多分、そう』


 瞬間。久遠の語りが脳裏によぎる。彼女は琴音と音楽教室で出会ったと言っていた。そして、暫くの間は趣味が同じである事にも気が付かなかったと。しかし、本当にそれだけなのだろうか。

 例えば、である。琴音が音楽に対して真剣に取り組んでいたらどうだろうか。彼女の両親は音楽家だという。その娘がまた音楽家を目指す、とは限らない。しかし、環境と言うのは実に大事なものだ。影響も受けやすいだろうし、相応の教育も施されたはずだ。

 そして、その一環で音楽教室に通ったのだ。恐らくコンクールなんかにも出ただろう。それらの結果が“この写真”だとしたら。

「……あ」

 気が付く。写真立てのすぐ隣にあるぬいぐるみ。その下に微かに見える額の様な物に。一つ見つけると後は直ぐだった。隣のぬいぐるみも、その隣も。全て「伏せられた額」を隠すために置かれた物だった。恐らく黎に見られない為に。

 見なかった事にしよう。黎はそう考えて写真立てを元の場所に、

「……うわ」

 戻そうとして、失敗に気が付く。黎は写真立てを何も考えずに触ってしまった。そして、その表面は埃まみれである。つまり、しっかりと跡が残ってしまっている。

 この埃である。本人もそう触れる物では無いのだろう。埃そのものを綺麗に拭いてしまえば、もしかしたら気が付かないかもしれない。しかし、残念ながらその保証はない。だから、

「正直に言うか……」

 諦める。別に「見るな」とは言われていないのだから、そこまで怒られはしない、と思う。そう決め込むと、パタパタという音が耳に入る。黎は持っていた写真立てを元の位置に戻し、クッションに腰掛ける。

 直後。ガチャっという音がして、ドアが開き、

「えっと……お待たせ」

 琴音が現れる。片手にはお菓子とジュースが乗ったお盆を持っている。

「いや、全然」

 むしろ、もう少し早く帰ってきてたら危なかった。いや、どっちみち写真を見てしまった事は言うのだが、タイミングというのがある。

 琴音はお盆からお菓子とジュースをテーブルに置くと、黎の向かい側へと座り、

「取り敢えず、どうぞ」

「えっと、じゃあ、いただきます」

 折角薦めてもらったのに、断るのも悪い。黎は取り敢えずジュースの方に手を付ける。

 沈黙。

黎は、ちらりと向かい側を伺う。そこに座る琴音はさっきからずっとそわそわしていた。立ち上がる事こそない物の、仕切りに座り直し、きょろきょろと視線を泳がせ、時折、髪を弄っている。

やがて、小さく、自分に言い聞かせるように何かを呟くと、

「ごめんなさい!」

「…………え?」

 視界から琴音が消える。黎は、余りに唐突過ぎて、ついて行けない。

「アタシがあんな事言ったせいで……ホントにゴメン!」

 黎はその声の出どころに漸く気が付く。

「って、ええ!?」

 そして、驚く。再び視界に入った琴音は頭を下げ、両手を床に付き……早い話が土下座していた。

「と、取り敢えず顔を上げてください!」

 琴音は申し訳程度に顔を上げて、

「で、でも」

「っていうか、普通にしてくださいよ。どうしていきなり土下座なんですか」

「だ、だって、アタシが余計な事言ったせいでこんな事になったから」

「こんな事って……久遠さんとの事ですか?」

 肯定。

「そ、それは僕がいけなかったんですよ。嘘なんてつくから」

「嘘なんてついてないよ!ただの勘違いだって」

「でも、僕は知りながら放置してた!」

「それなら嘘じゃない!」

「でも、久遠さんを傷つけた事には変わりが無いですよ!」

「それだったらアタシだってそうだよ!アタシが余計な事を言い出さなければ、」

「だから、それは、僕が嘘を付いていたからで」

「違うの!それは嘘なんかじゃ、」

 そこまで言って琴音は目をぱちぱちとさせ、

「……何でこんな話になったんだっけ?」

「……さあ?」

 二人して、首を傾げる。おかしい。最初は琴音が謝っただけのはずなのだ。にも関わらず、いつの間にか「どっちが悪い」という言い争いになってしまっていた。

 琴音は首筋を掻いて、

「あー……取り敢えず、アタシの話を聞いてくれる、かな?」

 何ともバツが悪そうに切り出す。そうだ。元々はそのはずだったのだ。ならば、断る理由も無い。

「いいですよ。ただし、」

 黎は苦笑いし、

「土下座は止めてください。その、気になるので」

「えー」

 琴音は不平を述べつつ、座り直す。その顔はどこか楽しそうだった。


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