第28話 ママは心配性

「さて、」

 保健室を出て数分。沈黙を破ったのは琴音の方だった。

「えっと……黎、でいいんだよね」

「は、はい」

「取り敢えずさ、ウチ来ない?」

「はい……?」

 意図が分からなかった。琴音も流石に説明不足だと思ったのか、

「いや、さ。これからの事も考えなきゃいけないし、お互いに、ほら。聞きたい事とかもあると思うし、ね」

 補足する。

「どう、かな?」

 そして、再度黎に伺いを立てる。

「えっと……」

 考える。確かに黎は琴音に聞きたい事がある。一応本人から説明されたとはいえ、“黎”が“遥”である事を見抜けた、というのはやっぱり納得がいかない。恐らく琴音だって、聞きたい事はあるだろう。それに、これからどうするのか、という事も決めなくてはいけない。そうなると、場所を移動する、というのは間違っていないと思う。

 しかし、

「その前に、生徒会室に行かないと……」

 琴音は首を傾げ、

「何で?」

「えっと、久遠さんが招集をかけたから、中止だって伝えないと」

「あ、それならダイジョブよ?」

「え」

 琴音は懐からスマフォを取り出して、

「ほら」

 メールの文面を見せてくる。内容は生徒会役員に今日の招集は中止だと伝えたという物。送り主は「おう海南みなみ」。

「なるほど……」

 黎は納得しかけて、

「っていうか、何で王先生は琴音さんのメルアド知ってるんですか?」

「ん?」

 琴音はスマフォの画面を見て、

「あー……」

 数秒「やってしまった」という顔で固まり、

「その辺も、後で話すよ」

「は、はぁ」

 沈黙。

「と、取り敢えず、行こうか?」

「そう、ですね」

 二人は顔を見合わせる。何とも言えない緊張感。

「……ぷっ」

「はは……」

 そんないつもとは違いすぎる空気がおかしくて、自然と笑いが出る。気が付けば、廊下は夕日に染め上げられていた。



          ◇      ◇      ◇



「……うわぁお」

 琴音の家を見た時に、黎の口から出た最初の単語がこれだった。

 それもそのはずである。彼女の家は、はっきりと「豪邸」と呼んで良い部類だった。

まず、庭が広い。都内という事も有って、流石に門から玄関が見えないという事は無いが、それにしたって広大だ。下手をすると庭だけで普通の一軒家位はすっぽり収まりそうな敷地。ちなみに、玄関まで歩いている途中に、植木の手入れしている人を見かけた。恐らく庭師なのだろう。

 加えて、家自体も大きい。一体ここに何人が住んでいるのだろうと言うレベルの邸宅。横に見えた駐車場には、以前黎が乗せて貰った物以外にも数台の車が停まっていた。黎はそこまで詳しくない物の、流石に「高そう」だという事は一目見ても分かる。だって、アレ、どう見ても高級スポーツカーだろう。それと比べれば、琴音の物はまだ庶民的とすら言えるだろう。

そんな視線に気が付いたのか、琴音が覗き見るようにして、

「どうしたの?」

「えっと……凄いなぁと」

「そう?」

 良く分からないと言った具合に首を傾げる琴音。その表情には嘘の色も無ければ、謙遜の気配すらない。本気で「大したものでは無い」と思っているのだろうか。

「あ!」

 琴音は合点がいったのか両手を合わせ、

「もしかして、車の事?」

 微妙にずれている。ただ、車についても感心したのは事実である。だから、

「え、ええ」

「そうだよね~……あれはね。パパの趣味なんだ。アタシは知らないんだけど、結構するらしくってさ。ママが『何がいいのか分からない』っていっつもボヤいてるんだ」

「は、はあ」

 黎は取り敢えずと言った具合に相槌を打つ。確かに、趣味ならば、人は金に糸目をつけないだろう。どんなジャンルであれ、興味の無い人間からしたら、「何でそんなにするの」と言われる物に平然とつぎ込むという事もあるかもしれない。

 しかし、物には限度という物が有る。幾ら趣味だったとしても、年収500万の人間は数千万もする高級車を何台も買いそろえたりは出来ない。仮に出来たとしても、それとこの豪邸を同時に維持するのは不可能だろう。庭師を雇うのだってタダじゃない。

 そして、目の前に居る先輩は、そんな事を全く理解していない節がある。だって、そうだろう。この豪邸を見て、驚くという発想が真っ先に出てこないのだから。人間の無意識というのはこういう時に一番出る物なのだ。

「えっと……鍵……鍵っと」

 黎の反応が芳しくなかったからなのか、当の本人は既に玄関の鍵を探していた。流石に呼び鈴を押したら使用人が出てきて開けてくれるというレベルでは無いようだ。

「あった」

 やがて、鍵を取り出すと、慣れた手つきで開錠し、

「ただいま~」

 扉を開け、中に入る。

「お邪魔しまーす……」

 琴音の背中に隠れるようにして、黎も入る。

「わぉ」

 そして、驚く。二度目である。当たり前だ。玄関の広さがまず違う。黎が一人暮らしをしているマンションと比べて広いのは当たり前だが、実家と比べても大分こちらの方が広い気がする。後、靴箱の上に絵が飾ってある。

 既に靴を脱いで上がっていた琴音は、

「その辺、適当に脱いじゃって良いよ」

 そんな事を言いながらスリッパを取り出す。

「分かりました……あ、ありがとうございます」

 黎は軽く頭を下げ、上がりまちに腰掛け、そそくさと靴を脱ぎ始め、

「琴音。お帰り」

 た所で、背中から耳に覚えのない声がする。

「あ、ママ。ただいま」

 琴音の声色が柔らかくなる。どうやら、母親の様だ。

「お帰り……えっと、そちらの方は?」

 琴音ママの興味が黎に移る。挨拶をしなければ。そう思って振り向き、

「あ、僕はですね」

「学校の後輩なんだ。星守黎君っていうの」

 先に言われてしまった。

「そうなの?」

「えっと、はい」

 琴音の言った事に間違いはない。黎は小さく頷く。

「初めまして。娘がいつもお世話になってます。琴音の母、鷹野たかの和音かずねです」

 そう言って深々とお辞儀をする。

「は、はい」

 黎もつられて頭を下げる。琴音は珍しく焦った様子で、

「ちょっ!ママ!恥ずかしいって!」

 しかし和音は一切引かず、

「星守君」

「はい!」

 呼ばれて、黎は顔を上げる。その視界に包み込むような優しさと、一抹の煩慮はんりょをたたえた和音が映る。

「どうか、これからも、不肖の娘と仲良くしてやってください」

 そんな、当たり障りのない言葉。しかし、黎はその内に切々たる思いを感じずにはいられなかった。だから、

「……はい。それは、勿論」

 そう答える。その瞬間、和音の顔から陰りが消えた気がした。

 

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