第4話 王「むしろ目の前は死角になるぞ」

「よっ」

 月曜の朝。相変わらず制服の着方が適当な男が声を掛けてくる。黎は机に突っ伏していた顔を上げ、ポータブルミュージックプレイヤーの電源を落としてから、イヤホンを外して、

「ああ、伊織か。おはよ」

「はよっす。しっかしお前さんは相変わらずだな」

「相変わらずっていうのは、どういう事だい?」

「そのままの意味だ。周りを見てみろよ」

 黎は言われるがままにざっと教室内を見渡す。まだホームルームまで少し時間があるからか、クラスメートの数は少な目だ。そして、彼ら彼女らの行動は様々である。友達と会話をする者、掲示板にポスターを貼ろうとしている者、ハンカチ片手に教室に返ってくるのは……恐らくトイレでも行ってきたのだろう。しかし、そんな光景を見ても伊織が言いたい事が分からず、

「見たけれど?」

 伊織は首筋をぼりぼりと掻き、

「わっかんないかなぁ……」

 黎は首を横に振り、

「残念ながらね。ちなみに答えは?」

「そんなもん簡単さ。ホームルーム前……いや、授業の無い時間って言うのは基本的に自由な訳だ。ここまではオッケー?」

「おっけー」

「よし。んで、そういう時間って言うのは大体友達と会話したり、なんだりするっていうのが学生の基本な訳」

 黎は思わず反論する。

「ちょっと待って」

「待たない」

 棄却されてしまった。

「そういう時間に黎、お前さんは何をしていた?」

「音楽を聞いていたんだよ」

「知ってる。それって今やらなきゃならん事か?」

 どうだろう。少なくとも「必要性」という意味では「今やらなければならない事」では無いのかもしれない。しかし、

「でも、他にやる事が無いから」

 伊織は息をふうっと吐き、

「だから今……まあいいか」

「?」

「お前さんはそういうの気にしないもんな……いいよ。その代わり、俺の相手位はしてくれよ」

「それなら、いいけど」

 伊織はあっさりと引く。結局何が言いたかったのだろう。

「うし。そういや、アレってどうだったんだ?」

 そして、あっさりと話題を変える。もしかしたら、ちょっとした気まぐれだったのかもしれない。伊織は基本的に「リア充」と言われる類の人間だ。と、いうよりも「人と接する事」がそのまま娯楽になるような人種である。だから、朝から机に突っ伏して、我関せずで音楽を聞いている友人の姿が気になったのかもしれない。きっとそうだ。

「どう、と言われても難しいけど、取り敢えず本は出せたから良かったとは思う、よ?」

 途中、久遠の姿が頭に浮かんで消える。伊織は首を傾げ、

「何で疑問形なんだ?」

「……まあ、そんなに売れた訳じゃなかったから」

「あー……なんか、すまん」

「大丈夫。勿論売れればそれがベストだろうけど、そこが第一目標じゃないからね」

「そ、そうか」

 伊織はまだ申し訳なさげに、

「そういや、俺も読んだよ。良い感じだったぜ」

「……ん、あんがとな」

 彼は元々、オタク趣味には全くと言っていいほど興味が無かった。しかし、友人関係になってからは、そういったジャンルの作品にも(ほぼほぼ黎が勧めた物に限られはするが)手を出しているらしい。

 何となく話が止まる。伊織はそれではいけないと思ったのか、また話題を変えて、

「そういえば、やっぱり服装はアレなのか?」

 黎にだけ分かるようにぼかした聞き方をする。アレ、というのは女装の事だ。

「まあね。と、いうより一回アレで参加しただから、今更変えたりはしないさ」

「そっか、そうだよな」

 伊織は一人で納得する。

「最初はびっくりしたけど、似合ってたからなぁ」

「そう?」

「ああ。マジでびっくりしたからな」

「驚いたのはこっちも一緒さ」

 何を隠そうこの牛込伊織は、女装した遥とうっかり遭遇しているのだ。最もその時は、今とは違いウィッグも地毛に近い色合いだったし、カラーコンタクトもしていなかったので、うかつだったとも言えるのだが。

「まあ、お陰様で色々気を使うようにはなったから良かったけど」

「そんなら良かったけどな」

 再び沈黙。伊織は次の話題を探、

「おらー、席付け席。欠席にすんぞー」

 そうとしていると、担任のおう海南みなみがガラガラと大きな音を立てて扉を開ける。

「おっと、んじゃ、また後でな」

 伊織はそう言って自らの机に向かう。クラス中に散っていた他の生徒たちもやがて自らの席へと帰っていく。

(あ……)

 黎はその中から久遠の姿を見つける。彼女の席は、黎から見て前に一つ、左に三つ隣。客観的に見れば中央の一番前。教壇の真ん前。通常、教師と近すぎるが故に好まれないその席を久遠は自ら選択していた。聞くところによれば、一年生の時からそうだった……らしい。そのクラスでは最終的には彼女の特等席となっていたのだそうだ。恐らく今年もそうなるだろう。

 そんな席で、姿勢を正しくして、王の話を聞く久遠。真面目だ。そして、そんな後ろ姿と、同人誌即売会で見た彼女はやっぱりどうしても重なってくれない。流石に見間違いという事は無いと思うのだが。

 結局あれから何度かメールが届いた。無視するのも良くないと思い、返信もした。聞かれたらどうしようかと思っていたのだが、彼女の同人誌に対する感想は求められなかった。ちなみに、遥の同人誌はべた褒めだった。お世辞なのかもしれないが、褒められるとやっぱり嬉しい物だった。

 そして、今朝。黎は「もしかしたら久遠はとっくに遥の正体に気が付いているのではないか」と思い、身構えていた。有り得ないとは思うのだが、顔を見て気が付くという可能性まで考慮し、出来る限り静かに教室へと入り、自分の席まで移動し、突っ伏すような体勢で室内を観察していた。結果、黎よりも早くから教室に来ていたらしい久遠は、話しかけてくるどころか、一度も席から立ちあがらず、教室内には目もくれずに本を読んでいたのだが。

(そういえば、久遠が誰かと話してるのってあんまり見ないな……)

 流石に伊織の様にそれが学生の基本とまでは思わない。しかし、全く誰とも話さないというのも寂しい気がする。事実、黎だって伊織とはそれなりに会話はするし、それ以外にもたまに話す位のクラスメートは居る。しかし、久遠はそれすらも、

「と、いう訳だ。分かったか?星守黎」

「……え?」

 唐突に名前を呼ばれる。気が付くと王がこちらを刺さるような目つきでジーッと見つめている。

「え?じゃない。お前、話聞いて無かっただろ」

「えっと……」

 どうしよう。聞いていなかった。右耳から入り左耳から出るどころの騒ぎでは無い。完全にシャットアウトしてしまっていた。

「ほ~し~も~り~?」

 まずい。王は基本、生徒には優しいのだが、自分の話を聞かない相手は例外だ。もしこのまま罪を認めようものなら、このクラスで、彼女の授業を円滑に進行する為の生贄は暫く黎になる。要するに暫く黎一人が当てられ続ける。

 余り時間の猶予はない。こういう時、隣に頼れる幼馴染でも居ればいいのだが、世の中そう甘くは無い。

「き、聞いてましたよ」

 王が意地悪そうな笑みを浮かべ、

「ほー……じゃあ何の話をしてたか言ってみな」

 さて、どうしたものか。黒板は駄目だ。彼女は何故か殆ど使わない。今日も殆ど文字が書いていない。唯一書かれているのは「5/28~29」という数字。恐らく日付だろう。一体なんの、

(……そうか)

 黎の視線が黒板の横、掲示板にまで至った時、数字の正体がはっきりする。

「学園祭について、ですよね」

 王は驚き、

「へえ……やるな」

「はあ」

 王は満足したようで、次の説明をする為にプリントを配る。黎は前から回ってきた束から一枚取って後ろに回す。席が前から二番目、しかも右端の列と来れば、受け取ってから全体に行きわたるまで大分ブランクがある。その間、久遠はずっと掲示板―正確にはそこに貼られた掲示物―を眺めていた。その見出しは「講堂を使った出し物について」。そして、本文の一行目にはこう書かれていた。

「来たる5月28日、29日より行われる学園祭において(略)」

 どうやらさっき貼られた物らしい。なんともグッドタイミングである。

 やがて、クラス全員にプリントが行きわたったのを確認した王が、

「うし。もう知ってるかもしれねえが、例年通り、学園祭では講堂で出し物を行う。んで、その詳細が決まったって事だ。詳しくはプリントを見るように。なんか質問あるか?」

 沈黙。

「よし。んじゃ、まあ一限始まるまでテキトーにしてていいぞ。じゃーなー」

 そんな事を言って去っていく。王はいつもこんな感じだった。曰く「プリントに全部書いてあんのに何でアタシが解説しなきゃなんねーんだよ」との事。言っている事はもっともだが、実際にやってのけるから凄いと思う。でも、自由時間が増えるので生徒からの信頼は厚いのだった。

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