第11話 実害の及ぶドジっ娘を愛せるか

 結局、久遠はテーブルとカウンターの間を三往復した。一応彼女の名誉のために補足をしておけば全てが最初と同じ量だった訳では無い。二回目は小さい方の皿に盛ってきたし、三回目にはもうデザートに移行していた。そして、そんなデザートも無事食べ終わり、食後の紅茶を飲みながら、

「美味しかったぁ」

「ですねぇ……」

 遥も結局三往復してしまった。彼女の言う通り、料理の味が良かった事も有るが、一番の理由はこの大食漢を前にして「女子が大食いなんて……」などという事は考えるだけ無駄だと悟ったからだった。

 静寂。店内に流れるクラシックと話し声だけが耳に入る。

「そういえば」

 久遠はぽんと手を叩き、

「映画、面白かったよね」

「ですね、たしか二期もやるんですよね?」

「そう。秋だったかな?」

 久遠は気になったのか、スマフォを取り出して調べ、

「そう……だね。秋にやるみたい」

「それって映画版と話繋がってるんですよね?」

「多分、そうだったと思うよ。元々あの映画は一期の総集編みたいなものだから」

 それならば今度は見てもいいかなと思う。なにせ元々見ていなかった理由が「一話を見逃したから」である。今度は見逃さないように録画予約をしないといけない。遥はふと気になり、

「後何か決まってましたっけ?」

「うーん……秋だからなぁ……まだ殆ど決まってないなぁ」

「まあ、まだ夏のアニメも全部情報出切ってませんもんね」

「そうですねー…………あ」

「どうしたんですか?」

 久遠は急にスマフォをしまって、

「えっと……何でもないの、よ?」

 何故最後が疑問形なのだろう。聞きたいのは遥の方である。

「何かいいアニメが見つかったんですか?」

 久遠は視線を泳がせながら、

「えっと……うん、まあ、そんな所かな」

 絶対違う。遥と会う時の久遠は比較的考えている事が表情に出やすいのだが、今回ほど分かりやすい事は無かった気がする。明らかに何かを隠している。

「ちなみに、どんなアニメなんですか?」

「えっと……えっと……」

 視線は彷徨い、手は髪の毛をくるくると弄り、必死に何らかの答えを作り出そうとする。やがて、思いつかなかったのか、一つ決心を決め、

「ごめんなさい!」

「――はい?」

 謝られた。ついでに頭を下げられた。遥は思わず、自分は何か失礼な事をされただろうかと記憶を掘り起こすが見つからない。今はどっちかというと遥が久遠を困らせていた側だと思うのだが。

「えっと……何の事でしょう?」

 だから、聞いてみる。もしかしたら気が付いていないだけで、酷い事をされていたのだろうか。

 久遠は恐る恐るといった感じで顔をあげ、

「……最初に会った時の事を覚えていますか?」

「最初……ですか」

 当然覚えている。あの時はひどくびっくりした。

「その時に、えっとミュジカの作者である、王天人先生のサインを貰ってくるって私が言ったのを覚えていますか?」

「あ」

 そこまで言われて漸く思い出す。確かにそんなことをお願いして、OKを貰ったと思う。正直な所今の今まですっかり忘れていた。

「それ、何ですけど…………無理、なんです」

「無理っていうのは……」

「そのままの意味です。私にはサインなんて貰ってこれないんです」

「それは……先生とは」

 久遠は再び頭を下げ、

「ごめんなさい!会った事はあるんです!でも、それっきりで。パパに頼んでみたんですけど、そんなものは貰えないって言われちゃって、それで、つまり、」

「サインは貰ってこれなかったっていう事……ですか?」

「本当にごめんなさい!!」

 更に頭を下げる。このままだと最終的には土下座しそうだ。だから、

「えっと、その、気にしてないんで、頭を上げてください」

 沈黙。これでは駄目らしい。ならば、

「ええっと……純粋な疑問なんですけど、いいですか?」

 久遠は顔がようやく見える位の位置まで顔を上げ、

「は、はい」

「何でサインを貰ってくるって言ったんですか?」

 そう、気になるのはそこだ。彼女の話を総合すると、『MUSIC-A-LIVE』の作者である王天人とは過去に会っただけ。そして、父親も出版関係の仕事こそしてはいるものの、そんなに気軽にサインを貰ってこられるような立場でもないらしい。だったら、何故、

「……喜んでもらいたくって、つい」

「喜んで……って、私にですか?」

 無言で小さく頷き、

「私ね、あんまり友達が居ないの」

 遥は、突然何を、と思ったが突っ込みは入れずに聞く。

「その上、ミュジカっていうか、オタク趣味について話せるのって、ことちゃん位しかいなくって」

 おおっと、何だか新キャラが出てきたぞ。「ことちゃん」という事は苗字か名前――恐らく後者だろう――に「こと」と読む漢字があるのだろうか。

「だからね、遥さんと一緒に喫茶店に行って、話が出来て凄く嬉しくって。何かしてあげたいなって思って……」

「それで、サインを貰えるって言ったんですか?」

 肯定。

 何というか、信じられない。目の前で縮こまっているこの女性は本当に生徒会長・雨ノ森久遠なのか。実は良く似た双子なのではないだろうか。そんな事も考える。事実、遥は久遠の家族構成なんて殆ど知らない。分かる事と言えばせいぜい、姉が居る事と、父親が存命で、出版関連の仕事をしている事位である。

 静寂。久遠は遥の反応を伺いながらびくびくしている。「怒られる」あるいは「呆れられる」と思っているのだろう。対して遥は、

「別にいいですよ」

「ほ、ほんとですか?」

「ええ。そもそも無理なお願いだったと思いますし。それに、確か絶対貰えるとは言ってなかったような気がするんですけど、違いましたっけ?」

 久遠は何度も瞬きをして、

「えっと……どう、でしょう。でも、一応受けたような気が、」

「でも、確証は無い、ですよね?」

 こくん。

「じゃあ、刹那さんが謝る必要は無いですよ」

「でも、」

「無いんです。もし仮に有ったとしても、私はそんな事をとやかく言ったりはしません。元々『サインを貰えたらいいなー』っていう位の心構えでしたしね」

 正直な所を言ってしまえば、微妙に忘れかけていたという事実もあるが、それは言わないでおいた。そんな事で悩んでいたという残酷な真実を突きつける必要性はどこにもない。知らぬが仏という事もたまにはある。

 しかし、それでも久遠は納得しない。どうやら相当気にかかっているようだ。ならば、

「……じゃあ、こうしましょう。王天人先生のサインが貰えるのなら貰ってきてほしい。その要望は取り下げません」

「でも、サインを貰ってくる事は」

「別に出来なくてもいいんですよ」

「……え?」

「出来なくてもいいんです。その時はその時です。でも、刹那さんのお父様は出版関係の人、なんですよね?」

「それは、そうですけど……」

「だから、そういった伝手で、『貰えそうになったら』教えてください。私はそれまで気長に待ってますから」

 久遠は目を丸くする。やがて、俯いたかと思うと袖で顔を何度かぬぐって、

「……はい。それなら、喜んで」

 少しぎこちない、それでも暖かな笑顔を浮かべる。やっぱり彼女には笑顔が似合うと思う。

 間。

やがて、久遠は姿勢を正して、膝の上で、手をもぞもぞと動かしながら、

「……実は、今日こうやってお誘いしたのは、それを言う為……だったんです」

「そうだったんですか?」

それは初耳。

「株主優待券が余ったのは本当です。でも、遥さんを映画に誘ったのはこの為だったんです。いい映画を見て貰って、美味しい料理を食べて貰って、それで、その後に言おうと思ってたんです」

「……何だか無理心中前に豪遊する家族みたいですね」

「そう……ですね」

 間。

「そんな事を考えてたら余り眠れなくって、早く起きちゃって。それで、遅刻したらいけないからって早めに移動してたのに、結果的に遥さんより遅く着いちゃって」

「でも、有楽町に着いたのは私より早かったんですよね?」

「ええ。でも、待たせてしまったわ」

 間。

「その後、遥さんに試着してもらうのが楽しくって、つい困らせてしまったの。あの時は何だか凄くテンションが上がってしまって。それなのに、遥さんはまた一緒に服を見に行ってくれるって言ってくれたじゃない?」

「ええ」

 だって、純粋にまた行きたいと思ったから。

「それで、我に返ったの。私は何をしてるんだろうって。遥さんに楽しんでもらおうって思ってきたのに、私ばっかりが楽しんで」

 間。

「だから、その後は意識を切り替えたの。遥さんに楽しんでもらおうって」

 そこまで聞いて遥ははっとなり、

「……もしかして、あのポップコーンって」

 遥は無言で頷き、

「映画にはポップコーンかなと思って。プレゼントしなきゃってなってた」

「えっと……ちなみにオレンジジュースは」

「多分考えている通りです。レジまで行ってから気が付いたんです。遥さんの好みを聞いてなかったって。だから、唯一飲んだところを見たことがあるオレンジジュースにするしかなかったんです」

 全てを語ったのか、久遠は再び黙ってしまう。その対面で、遥は何とか顔を平常に保とうと苦心する。

(可愛すぎるでしょ…)

 内心でそう思う。なんか前にもこんなことがあったような気がするが、狙ってるのかこれは。遥は顔にも出そうになるのを何とか抑え込む。だってそうだろう。口約束(しかも確約ですらない)を守れなくなっただけで、空回りし、それを伝える前に楽しんでもらおうと、必死にあの手この手を使い、途中そんな事を忘れて暴走し、後から後悔する。当然、本人は必死のはずである。それは分かっているのだが、その一連の行動と思考は完全にドジっ娘属性の萌えキャラみたいである。しかも遥に対しては被害らしい被害が無いときた。

 だから、

「えっと……刹那さん、顔を上げてください」

「はい……」

「今日、私も凄く楽しかったです。だから、気にしないでください」

「……ありがとうございます」

 なんだかまだ固いような気が、

「そうだ。刹那さん」

「な、なんでしょう?」

 遥は頭を掻きながら、

「えっと……もしよかったら、なんですけど。丁寧語、やめにしませんか?」

 そう提案する。

「丁寧語、ですか?」

 遥はひとつ頷き、

「はい。そうすれば、もっと刹那さんと仲良くなれるような気がするんですけど……駄目、ですかね?」

 そう、丁寧語。久遠と遥は出会って以来、基本的に丁寧語でやりとりしていた。別に遥としてはそれでも問題はないのだが、どうもそれが久遠と遥の距離感を作っているような気がするのだ。実際、遥が試着をしている時の様な、テンションが上がっている時はほぼ丁寧語が取れている。だから、それをやめる事で距離が縮まる、というのはまあ、少し極論な気もするのだが、良い機会だ。取っ払ってしまった方が良いだろう。

「ええっと……」

 久遠は相当迷っていた。そう言えば、彼女が丁寧語以外でしゃべる所を見たことが無い気がする、もしかしたら、相当親しい相手にしか砕けた話し方をしてくれないのかもしれない。

 やっぱり無理な提案だったのだろうか。遥がそう考えなおし始めたその時、

「…………それで、いい、よ。遥、さん」

 途切れ途切れに、小さな声でぼそっと呟く。呟いてすぐ恥ずかしくなったのか顔を俯ける。もしかしたら赤くなっているのかもしれない。だって、“僕”の顔も熱いから。

「えっと……それじゃあ、よろしく、ね。刹那さん」

 そう言って遥は片手を差し出す。こういう時はやっぱり握手をするものな気がするのだ。それを見た久遠はすっと手を差し出し、

「はい、こちらこそよろしく」

 遥の手を握り、はにかんだ笑顔を見せる。やっぱり、この表情が一番似合う。遥は心の中でそう確信するのだった。

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