第12話 日没、センチメンタル

 それから二人は暫く手を握り合っていたが、やがて遥から、

「これから、どう、しようか」

 自分で提案しておいてなんだが、まだ少し慣れない。久遠は同い年だという事も分かっては居るのだが。

「どう、しようか……実は私もあんまり考えてなかったのよね」

「そうな、の?」

「ええ。そこまで頭が回らなくって」

 なるほど。どうやら彼女の中での今日のプランは、遥と服を見に行き、映画を鑑賞し、昼食を取った後に、サインについて謝る。それだけ、だったのだろう。先ほどまでの様子を見る限りだと、その後に仲良く出掛けるという事は全くといって良いほど想定していなかったに違いない。久遠の目には遥がそんなに厳しい人間に映っていたのだろうか。

 沈黙。さて、困った。実の所遥の方がノープランだった。“黎”として女性と二人で出掛けるなんて機会すら無かったのに、女性同士で出掛ける時の計画を考えろなんて土台無理な話である。だから、概ねを久遠に任せるつもりだったのだが、彼女もネタ切れらしい。

 それならば、

「だったら、アキバ行かない?」

「アキバ……?」

 そう。幸いここ有楽町から秋葉原までは電車で数駅、時間にして10分程度しかかからない。二人ともオタクなのだから、やる事に困るという事は、まあ無いだろう。事実、遥自身、買いたい漫画が有ったりするのだから。

「はい。ここから結構近いですし。どうでしょう?」

「だめ」

 えっ?

「遥さん。丁寧語」

「あっ」

 久遠は遥に軽くデコピンして、

「めっ」

 にこにこする。何とも楽しそうだ。

「ごめんな……ごめん」

「よし」

 久遠は「正解」といった具合に頷き、

「それじゃ、行こうか。秋葉原」

 遥の提案に賛同した。



          ◇      ◇      ◇



「結構近いんだねー」

「ええ」

 二人は秋葉原の駅前に降り立っていた。目の前にはゲームセンター。更に向こうには最近新しくなったラジオ会館がそびえたつ。

ここに来るまでかかった時間は数十分。本来ならもう短いはずなのだが、久遠が、ランチの代金を全て出すと言い出し、それを止めるのに大分時間がかかった。未だにサインの事を引きずっているのかと思ったのだが、「お姉ちゃんに連れてきて貰った時は全部出してもらったから」という言い分から推察する限り、どうも久遠は遥を妹に近い目で見ているような気がする。それ自体には問題は無いのだが、1500円を超えるランチの代金を出させるのは流石に気が引けたので、断っておいた。

 そんなわけで秋葉原。時代と共に移り変わり、その時々によって電気街だったり、アニメの街だったり、その様相は様々だ。ただ、「趣味の街」であるという事は何時の時代も変わらない。人によって「どの時代の秋葉原」を懐かしむは様々ではあるが。

「さて、どこ行こっか?」

「そうだなぁ……取り敢えず、あそこなんかどうかな?」

 そう言って遥は一つの店舗を指さす。駅前通りに面した所にある漫画やアニメなどの専門店。あそこなら遥の欲しい漫画も売っているはずだ。

「いいね。行こっか」

 そういうと久遠は流れるように遥の手を握り、歩き出す。

「遥さんは何か見たいものある?」

「えっと……漫画かな。新巻が出てるはずなので」

「オッケー。それじゃあまずはそこから見てこっか」

 ずんずんと歩いていく久遠。やがて、店の前にたどり着き、

「……漫画って何階?」

 遥に聞いてくる。もしかして、来たことが無いのだろうか。

「どうだったかなぁ……新巻は一階で、それ以外は二階か三階……だったかと」

「そっか、それじゃ一階から見ていく……でいいかな?」

「はい」

 久遠は遥の返事を聞いて、内へと入っていく。流石にそこそこ混雑している店内で繋いだままは邪魔になると判断したのか、手は放していた。遥は、はぐれないようについて行き、陳列棚をざっと眺めていく。さて、どこだろう。ここ一週間の内に出た物だし、一巻ではあるけど、作家自体は有名だから、そこそこ目立つ位置にあると思うのだが。サイズは……どうだったかな。元が四コマ漫画出身の作家だけど、遥の求めているのは四コマじゃない。だとすれば、

「あ、これ出てたんだ~」

 久遠はそう言って一冊の漫画を手に取る。その表紙……というかそのタイトルには遥も見覚えが有った。今月の頭から放送が開始した所謂「春アニメ」のひとつである。ただ、それが他と違う所は媒体として漫画が先なのではなく、ほぼ同時(正確にはアニメの方が先だけど)である事だった。

「それ、見てるの?」

「うん。キャラが可愛いしね。話はちょっとまだ、分からないけど」

 ちょっと分からない、という割にはその表情は曇っている。どうやら違和感は感じているようだ。

 それもそのはずである。この作品は遥も見ていたのだが、正直そろそろ見るのをやめようかなと思っていた所だった。確かに、久遠の言っている通り、キャラは可愛いと思う。しかし、

「ちょっとどっちつかずな感じは有りますよね」

「あー」

 納得しているようなので続ける。

「危機的状況に陥ってるのに、そういう感じが伝わらないというか。音楽のせいなのかなぁ……」

「な、なるほど」

「味方が居なくて孤立しているんだから、もっと危機感を感じられるようにした方がいいかなぁって。キャラクターは可愛いし、キャラ同士の絡みもいいんだけど、大筋がちょっとおざなりになってる感じは有るなぁ……」

 そこまで言って、久遠がぽかんとしている事に気が付く。しまった、言いすぎただろうか。まだ完結はしていないのだ。語るにしてももう少し可能性を残して、

「よく見てるんだね……」

「はい?」

 何故か感心される。

「いや、ゴメン。私もね、何かこうもやもやしたものは感じてたの。でも、それが何なのかは分からなかったわ。それをこんなに細かく指摘できるって、凄いね」

「えっと……」

 困る。遥はただ感じた事を言っただけだ。ぶっちゃけ根拠なんて0である。だから、間違っているかもしれないし、そこに憧れたり感心したりする要素はないはずなのだが。

 久遠は漫画を平積みの棚に戻し、

「ね、遥さん。もっと話聞かせてよ」

 そんな事を言い出す。何がそんなに琴線に触れたのかは分からないのが、別に減る物では無い。遥はあっさりと、

「それは……良いですけど」

「やった!」

 久遠は目に見えてはしゃぐ。これだけ喜んで貰えるならば、まあ、悪い気はしない。大した事が言える訳ではないが、出来る限り頑張ってはみよう。そう決心すると、

「あ」

 探していた漫画が視界に映る。サイズは一般的な四コマ漫画と同じA5判。しかし、周りには四コマの類は無い。どうやらここは出版社毎に分類されているようだった。



          ◇      ◇      ◇



「今日はありがと。凄く楽しかった」

「いえいえ……」

 夕方5時。二人は、久遠が「そろそろ帰らなくちゃいけない」と言い出した為、秋葉原駅の改札前に居る。別にここで別れる訳でもないのだが、落ち着いて会話が出来るのはこれが最後だと判断したのだろう。

 結局、殆ど遥ばかりがしゃべっていた。漫画を買った後、二階に移動し、いろんな作品の感想を聞かされた。中には記憶が怪しいものもあって、ネットで調べて思い出しながらなんとかひねり出した。そして、久遠は一つ一つを本当に真剣に聞きいていた。余りに真剣なので、何がそんなに面白いのか、それとなく聞いてみたが、有意義な回答は得られなかった。せいぜい「私はそういう所気が付かないから」という位。遥は何となくそれが真実では無いような気がしているのだが、流石にそれは言えなかった。

「遥さんは何線?」

 さて、どうしよう。本当は総武線を使った方が早いのだが、今日は色んな事があって疲れた。余り乗り換えを増やしたくない。だから、

「あ、山手線です」

「どっち方向?」

「えーっと……渋谷とか、そっちの方向です」

 久遠が口角を上げて、

「それじゃあ、途中まで一緒ね」

「そうなんですか?」

 本当は久遠の住所も知っているが、一応聞いておく。

「ええ。最寄り駅が目白なの。行きましょ?」

 そう言って久遠は遥の手を引いた。



          ◇      ◇      ◇



 電車は案外人が少なかった。時間が時間である。休日とはいえそれなりに利用者がいると思うのだが、運よく座席が空いていた。遥と久遠は並んで座り、

「そういえば、何でそろそろ帰らなくちゃいけないの?」

 遥は何となく投げかける。ここから目白ならそんなにかからない。逆算すると家に着くのは5時半過ぎだ。

 久遠は少し躊躇い、

「……門限がね、6時なの」

 門限。それも6時。確かにそれならばこれくらいの時間がぎりぎりだろう。しかし、

「なんていうか……厳しいんですね」

 久遠だって年頃の女の子だ。その身を案じて門限を設定するのはまあ分からない話では無い。しかし、6時。確かに季節によってはもう日が沈んでいるような時間である。しかし、昔ならともかく、最近の親でそこまで厳しいのは余り聞いたことがない。

 流石に久遠も当然の事とは思っていないようで、

「そう、だとは思うわ。でも、生徒会で遅くまで残る時はあらかじめ伝えれば対象外になるし、頭が固いっていう訳じゃないのよ?」

 おっと、生徒会。“黎”なら知っている事だが、遥は知らない事だ。ある程度食いついておいたほうがいいだろう。

「生徒会……に入ってるの?」

「ええ。一応、生徒会長を務めているわ」

「凄いね」

「ありがとう。でも凄くなんかないのよ」

 いや、凄いだろう。と突っ込みたかったがこらえた。久遠が生徒会長としてどれだけ凄いのかは遥には知りようのない事だ。

「全然凄くないのよ……役員の名前だって覚えきってないし」

「え」

 あ、いけない。声に出てしまった。しかし久遠は全く気が付かず、

「この間は、一年生から名前を確認した後だったから、名前を読んであげる事が出来たけど、同級生の名前は出てこなかった。駄目ね、私」

 遥は内心動揺する。その同級生っていうのはつまり、伊織の事だろう。彼は確かにあの会議で発言をした。名前を呼ばれた……かまではちょっと覚えていない。でも、一年生の名前は憶えていた。だから、てっきり全員の名前を把握している物だとばかり思っていた。どうやら違うらしい。

 思い出す。教室内での久遠を。彼女はクラスメートとは一切接する事がない。言ってしまえば孤高の存在だ。当たり前である。彼女は二年生にして生徒会長を務める「完璧超人」なのだから。だから、他のクラスメートとは生きる世界が違う。そんな気がしていた。

 しかし、違った。彼女もまた、クラスメート達と同じ、一人の少女でしかないのだ。

 そんな彼女が、遥に弱音を吐いてくれた。きっと、こんなところは滅多に見せないのだろう。だから、

「大丈夫ですよ。生徒会長としての役割は人の名前を覚える事じゃありません。だから自信を持ってください」

 沈黙。返事が無い。遥は久遠の方を向き、

「えっと、刹那さ」

「くー……」

 寝てる。そう言えば、早く起きてしまったと言っていた。それで寝つきだけがいいという事は、まあ無いだろう。きっと実際の睡眠時間は、遥よりもっと少ない。全てが終わって気が抜けてしまったのだろう。遥は小さく、

「お疲れさま」

 囁く。そんな言葉が聞こえたのかどうかは分からないが久遠は、

「……お姉ちゃん」

 そう呟く。遥はふっと微笑む。電車がカタタンと音を立てる。西日だけが二人を照らし続けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る